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403 徐福の墓 ネットで色々調べていたら、凄いサイトにぶつかった。 池田仁三氏のサイトにあった。 八女市の童男山古墳の一号募だそうだ。 そればかりではない、徐福の子、孫、曾孫の名前も、その没年も分かるのだそうだ。 史記の記述と墓碑薨年干支の整合から、それぞれの生存年は、徐福(西暦前二四五~一八〇年)、福永(西暦前二〇九~一七〇年)、福萬(西暦前一八一~一二六年)福壽(西暦前一五七~一一三年)となり、富士文書では徐福の子で兄弟となっている福永、福萬、福寿は徐福の子、孫、曽孫に当たるとみている。 しかし、これが築造されたのが6世紀というのが分からない。 池田氏はコンピューター画像解析によって、堺古墳や箸墓古墳などの碑石も研究されており、色々新発見をされているようだ。 今、驚きながら読んでいるところです。 高松塚などに画かれている人物像の名前まで入っているそうだ。 ブックマークの碑石画像を開いて、画像をどれかクリックしてみてください。 こんな大発見が無視されているのはどういうことだろう? |