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404 七枝刀と神功皇后 池田仁三氏のサイト碑石画像には、驚くべき事柄が記載されている。 各地の墳墓や宮の碑石から古事記などに登場の人物の没年と年齢が明らかになっているのだ。 神々の年齢が分かる。 上記サイトに記載の神功皇后の摂政期間と石山神社で発見された七枝刀の整合性はどうか? 七枝刀には銘が刻まれている。 表・泰■四年■月十六日丙午正陽造百錬■七支刀■辟百兵宜供供(異体字、尸二大)王■■■■作 裏・先世(異体字、ロ人)来未有此刀百済■世■奇生聖(異体字、音又は晋の上に点)故為(異体字、尸二大)王旨造■■■世 読解 〔表面〕泰和四年五月十六日丙午正陽造百練鋼七支刀■辟百兵宜供供献王■■■■作 〔裏面〕先世以来未有此刀百濟王世子奇生聖音故為献王旨造■■■世 『日本書紀』の神功紀五十二年(壬申)条(西暦252)には 秋九月丁卯朔丙子、久氏等、千熊長彦に従いて詣る。 則ち七枝刀一口・七子鏡一面、及種種の重宝を献ず。 とある。 日本書紀の神功紀を120年(60干支の2回り分)ずらすと、一致することになる。 泰和四年が太和四年とするとAD369年になる。 池田仁三氏はこのことを織り込み済みであるようだ。 書紀では己丑(AD269)皇太后崩於稚櫻宮時年一百歳とある。 池田氏の調査碑石では、 息長帶比賣命/息長宿彌子、己丑年4月17日(AD289~389)101歳とある。 |