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まなびの途中

色々な仕事をしてまいりました。
色々な出会いがありました。
勘違いもありますが、
学んだことを書いてまいります。

素人には、結構過激な対談でした 仲正VS宮台

2006年04月10日 | 本・映画
日常・共同体・アイロニー 自己決定の本質と限界
宮台 真司 (著), 仲正 昌樹 (著) 双風舎刊

ええ、読みました。
これ、はっきり言って、宮台さんについていけてません。
簡単に言うと、体系だった知識が欠落している自分がいけないんですが、
素人的な感想を言えば、
何で、こんなハイテンションなんだろう、という感じ。
こういう方なんでしょうか?

随分なご経験があって、それぞれに語れる言葉をもって、知識も博識で、
いや本当に、哲学的なことから、現代思想に至るまで、実に多くのことを
体系だってご存知の方です。
なのに、仲正さん、危険です。
もう、のっけから、
「エクリチュールは、完成などしていません。壊れています。「がらくた」の
集まりだといってもいい。(完成した言語体系だということについて)
宮台さんの本を読んでいると、共感するときは、たいてい、書かれたものが
「がらくたの集まりだなぁ」と感じるときです。」
「ベンヤミンが書いていることも、私が書いていることも、宮台さんが書いていることも
「がらくた」です。その「がらくた」のなかから、意味を読み取っていくのが
人間なのだと思います。」

この対談。大丈夫なのかとすら、思ってしまいます。
ですから、もうこの辺から、宮台さん、超理論過剰になってきます。
ものすごい用語のジグソーパズル状態。
仲正さんが「実在的」に、皮膚感覚に近い現象を、我々にとっても身近な
用語で語るに、反比例的に、ヒートアップ。

アイロニカルな行動への自覚、といったことに関しても、
宮台さんが、超越が内在に立脚するもので、ゆえに人々の感性は、相当に
アイロニーに開かれていることを、延々と先人の言葉なり状況をもって
マシンガンのように語る一方で、
仲正さんは、普通に、「アイロニストができることは、
「すべてのことは、突き詰めると墓穴を掘ることになるよ」ということを、
効果的に知らせることなのかもしれません。
だから、宮台さん的な振る舞いは、非常にありがたいんです。」

と、言っちゃってます。

そんな感じで、宮台さんへの「違和感」を淡々と際立たせていきます。
そういう意味で、なんだか、勉強にもなるし、
ああ、宮台さんが言いたいことは、こういうことなんだ、ということが
仲正さんの語りで、自明になると言うか、そういう対比で読んでいくと、
楽しいかもしれません。

イラクの人質問題が、ちょうどタイムリーなこともあって、
とても勉強になる話が聞けます。
そうはいえ、宮台さんの話は、こういう自分にとって、最大限の刺激にもなりました。
yutaさんに、たまたま刺激を受けて、勝手にファンになった仲正さんですが、
ちょっと、無意味に饒舌な話もありましたが、さらに、ファンになりました。
次は、デリダの遺言を読むことにします。

添加物大国 日本。本物が駆逐される日

2006年03月30日 | 本・映画
随分前のことになるが、アポロが月面に着陸とか何とかの頃、
「宇宙食」というものが紹介されていた。
今でも当然あるのだが、無重力という環境内でいかに「摂取」するか、
チューブに入っていたり、栄養を第1にするため、ひどく味の落ちる食べ物だと
記憶している。

さらにSFやマンガなどで、将来の食べ物として、「栄養」さえとれれば、
食事の時間さえも無駄だという観点から、全て一様な固形物になっている。
味に関しては、「OO味」といった、今で言うカロリーメイトのような感じだ。

星新一もショートショートで、頭に装着した装置から、電波を受信する。
同じく固形物を食べる時に、あるチャンネルにあわせると、口の中に「味」が
広がる。有線放送みたいな「番組」として、「味のチャンネル」である。
気分、時間によって好みの食事をしたいときに、固形物を噛みながら、
「味放送」を受信する、みたいな物語。

というのは、この本を読んで思い出してしまったからだ。
ktさんよりご紹介いただいた本です。)

「食品の裏側」 安部司著 東洋経済新報社刊

食品添加物の「権威」として、ある専門商社に勤めていた著者が書いた本です。
現在は退職。「添加物」について情報公開に努める日々を送られている。
中には衝撃的な実例もあって、驚くことばかりだが、
彼は、通り一遍の批判家でもなく、ちゃんと、添加物によって、
我々の生活の利便性が進んだことも認識している。

衣食住と言っている様に、人間にとってこの3つは根幹である。
衣はユニクロ。食は100円均一。住はヒューザーと、笑えない話は置いといて
この食。添加物の進歩により、我々は、多くの本物の味覚を失っている。

例えば、特売200円前後で売られている醤油は、香り付け以外、全て添加物
で出来ている。ご存知でした?
「新式醸造しょうゆ」と呼ばれているもので、もはや「しょうゆ風味」のしょうゆ
なんである。
また安い「みりん」でさえも、「みりん風味調味料」であって、ただのシロップを
添加物でみりん風に仕立て上げた「色つきシロップ」だというではないか。

さらにさらに、コーヒーショップで御馴染みのコーヒークリーム。
裏面の「表示」を見てみましょう。
ええ、乳製品が1滴も入っていません。驚きました。
なんとサラダ油に白い色を添加したものなんです。凄すぎる。

すでに日本は、未来の食文化の真っ只中にいる。
作者は、長持ちがして、安価で製造ができ、添加物の功罪については、それなりに
冷静な立ち位置にいらっしゃるが、現場で指揮をとっていたものとして、
自分が関わった「加工食品」を喜んで食べる、自分の娘の姿に、
愕然とし、仕事を辞める決心がついたとも、語っておりました。

ヒステリックに、本物の食材を!という集団の気持ちもわかります。
が、この本に書かれているように、その値段、味を求めているのも、また
消費者であることは間違いありません。
すでに「本物の味」がわからない、「不味い」と感じる世代が現出している。
1つ1つの添加物の安全性は「確認」されているが、
どうやら、日に60種類近くもの添加物を、自然に摂取している我々だ。
複合的にどのような「影響」があるのか、実は正式な「調査」はなされていない。

アトピーやら花粉症など、日増しに増加する様々な「症状」。
添加物食品は、すでに「食の偽装」を超えて、食品そのものの地位を得たかのようだ。
それが、本来の人間の体にとって、どうなるのか。
ひょっとしたら、もう答えが出ているのかもしれない。

ニートより、オールドの方が怖い 「ニート」って言うなより

2006年03月23日 | 本・映画
「ニート」って言うな! 本田由紀 内藤朝雄 後藤和智  光文社新書

あっと言う間に読むことができます。個人的には、はい、面白かったです。
特に内藤さんが書かれた、第2部。感銘を受けました。

正直、この本を読んで、自分の知識の至らなさにも気づくのだが、
どうやら、この国は「ニート」の名を借りて、子供たちへの管理を推進しようと
しているらしい。
この国のマスコミも、または国側も、統計資料を本当に恣意的に利用する癖がある。
それは、内藤さんの2部で、強烈に扱われていて、人によっては書き方に「異論」
「嫌悪」があるかもしれないが、僕は、大好きです。

つまり、統計と称されるものに、昨今の「訳がわからない子供達」が引き起こす
凶悪な「犯罪」とされている「件数」は、増加どころか、むしろ減少している。
殺人、強姦など、多いのは「団塊世代」。

以前、反社会学講座という本でも取り上げたが、統計を意図的に切り取って
世論を操るのは、いただけない。
むしろ、「切れやすい」「理解しにくい」犯罪をおこすのは、正直言って
高齢者に「多い」。

つまり、そういう「ゲーム脳」に絡めるまでもなく、反社会的な「行動」「思考」
は、総じて社会の敵である。非生産的な連中は、何をするかわからない。
といった論調は「ニート」という、とても便利なキーワードを与えられたことによって
「教育」が大事だ。「家族」が大事だ。「集中体験学習」が大事だ。
やれNPOに補助金を。やれニート対策として「予算」を、につながり、
すでに、ニート利権が発生していると言うではないか。びっくり。

この内藤氏は、若者に対しての、こういうレッテル貼りは、ありがちな事象で、
未熟な個人が、理解し得ない事柄に対して、過敏に反応する1例だとしています。
この箇所が肝なんですが、

「誰でも多かれ少なかれ不全感を抱えて生きています。この不全感は独特の
 被害感をもたらします。例えば世の中には、茶髪にしている若者を目にする
 だけで被害感でいっぱいになる、年配者がたくさんいます。

 そのたまらない不全感に対処する儀式として、他人に対する教育が続けられる
 のです。

 本当は相手のためなどではなく、他人を痰壷(たんつぼ)にあつらえて憎しみ
 を排泄していることは、(ある程度)知っていてやっている

 いい年をした30何歳までの人間をニートとして括って、きちんとこの人達を
 しつけて自立させなければ、とか、「育て上げ団体」で育て上げなければ、
 ということが国をあげてなされているということは、」

と、書き出すと、過激なんですが、ええ、結構、その通り痛快な解説です。
だから、嫌いな人や異論があるだろうな。

中で言う、青少年へのネガティブキャンペーンといった論調には賛同しますし、
実は、言われているほど、その数が増加しておらず、平均的にいつの時代でも
抱えている「人数」だというのにも、俺、踊らされていたんだ、とも思います。

しかしながら、そうは言っても、子供達に気を使いすぎる「社会」。
そして、消費文化の担い手として、持ち上げすぎた「社会」。
個人の自由が、翻って、異なる考え方や行動を否定する方向に動いたことなど、
「大人達が」築き上げてきたんだという、事実は無くなりません。
そうなんです、こういう論調は、まさに「大人」の幻影なのです。
「大人」の被害者意識なのです。「大人」の未熟さから出てきたものなのです。

なんて感じで、だから「ニート」って言うな!
につながります。
もちろん、生産的な社会の取組み方法は、本田さんがきちんと報告しております。


ナルニア国物語を観ました

2006年03月20日 | 本・映画
日本がようやく韓国を下したとき、ライブに立ち会えず、予定通り
「ナルニア国物語」を見ておりました。
ディズニーは、南極物語とダブル物語で快進撃でしょうか。
南極物語では、ディズニーとしては、初めて動物を殺すことになったり、
原作とは異なり、多数頭生存させたりと、ご苦労がおありでしょうが、
この「ナルニア国物語」。
皆さんはいかが感想をお持ちなんでしょうか?

指輪物語に入れ込んだように、この物語に入れ込むことができるか、
といいますと、今回は、残念ながら「難しかった」というのが感想です。
正直、どちらの物語も本を読んでおりません。
にもかかわらず、それを踏まえさせて、言わせていただくと、
世界観の作りこみや、善悪の対比、キャラクターの意味が、ナルニアでは
良くわかりませんでした。

そもそも、なんであの国は、氷に閉ざされているのか。
盛んに、予言の通りに歴史は動いていると言っていることから、
この事態は、疑問の無い「必然」なんでしょうが、降って沸いたように来た
4人の人間によって、いきなり「世界」が影響されます。
もともと、何が基本状態で、何が侵されていたのか、わかりませんから、
一方的に氷の女王が「駆逐」されていく話になりますし、
もっと言うと、何で、この世界が氷に閉ざされてしまったのか、全くわかりません。

だもんで、降り立った人間達が、何を「正義」として、何をモチベーションとして
戦っているのか、本当に何の「聖戦」なのか、実は消化不良なんです。
色々なところで、題材がキリスト教をベースにされた物語だとしています。
ということは、普段から、キリスト教をベースに生活していると、わかる話なのかしら?

最近は、大集団の戦闘を、これでもか、というほどのリアルさで映像化しています。
が、ごめんなさい。氷チーム。怖くないです。恐怖を感じられません。
なんで、氷の女王が先頭に出て、戦うのか、今もって「謎」です。
それくらい、「絶対感」がないほど、何か、普通の戦力です。

恐らく、これが序曲ということで、この先、もっと複雑で入り組んだ「世界観」が
提示され、そして、苦悩をふくんだ上で、最後の「聖戦」へと、
なるのかなぁ。
でないと、初めから「善悪」があって、悪を駆逐して何が悪いの?という戦いほど
もう、お腹一杯の世界はありません。
だったら、善に悲壮感漂うくらいの「怖さ」を見せてほしいんです。
それはそれで、「映画」として刺激に擦れた自分にも楽しめると思うんですが。

「銃・病原菌・鉄」下巻。まだ途中ですが。

2006年03月14日 | 本・映画
まだ、下巻を読み終わっておりませんが、
こういう考え方があるんだ、と感心した内容を転記します。
「銃・病原菌・鉄」下巻より、抜粋編。

途中、突然、白人史観がさりげなく、「紹介」されます。鼻につきますねぇ。

「必要は発明の母」
実際の発明の多くは、人間の好奇心の産物であって、何か特定のものを作り出そうとして
生み出されたわけではない。発明をどのように応用するかは、発明がなされたあとに
考え出されている。

ここでは、各地域で「開発」された道具、機器類が、なぜあるところでは活用され
あるところでは見向きもされなかったか。発明は、社会の「必然」の要求である、
という考えに「異論」を投げかけています。

例えば、内燃機関、電球、蓄音機、トランジスタなどは、驚くべきことに、発明
された当時、どういう目的で使ったらいいかがよくわからなかった。とする。
蓄音機は発明したエジソンですら、音楽の録音再生の用途を「否定」していた。
商業的な価値がない、とすら断言。音楽用として、渋々認めたのは、発明から
20年たってからだ。
また、トランジスタでさえも、日本人が応用するまで、何等脚光を浴びなかった。

つまり、発明は、非凡な天才の役割が誇張されているが、実は間違いで、
エジソンの発明といわれる白熱電球にしても、色々な発明家が1841年から
78年の間に特許をとった白熱電球の「改良」であった。
ジェイムズワットの蒸気機関を発明も、同じで、57年前にニューカメンが発明
され、商品化されたいた「ニューカメン型蒸気機関」の修理中に「発明」された。
そのニューカメンの前には、セイヴァリーが1698年に蒸気機関で特許を取得。
その前1680年にはパパンが、さらに前にはオランダのホイヘンスが.....。

すいません、自分も、発明の「天才説」に染まってました。
が、社会のニーズに合わせた、そして、商売につながる用途を見出した、
ある種の「天才 改良」説。これは、面白かった。
よって、一度に発明品は「伝播」するのでなく、社会の必然の要求に、元から
あった素材が改良されて、技術として活用される。
という事実。
作者は、面白い事例として、いくら良い発明でも、社会の受容性で無視された
ものもある、ということを述べている。

先のトランジスタ。アメリカでは、真空管を使った電気製品が大量生産されていて
家電メーカーはトランジスタの普及を「阻害」していた、と指摘。
またイギリスでは、地方自治体がガス灯設備に莫大な投資を行っていたために
様々な「規制」を設けて、電灯の進出を拒んでいた。
さらに、タイプライター。あのキーの配列。1873年に開発されたQWERTY
の「非生産的」な配列は、隣接キーを続けざまに打つと、キーがからまってしまう
問題を「解決」するために、わざと打つのを遅くするために「工夫」された。
1932年に、技術的な改善がされ、効率的な配列のキーが開発されたが、
社会的に定着してしまったがために、二度と覆ることがなかった!

作者は、歴史の必然といった立場で、本を書いておりません。
非常に、興味深い「人間」の営み、考え方、を通して、本当に不思議な視点で
「考察」しています。
天才が、有能な指揮官が、白人が、世界史をリードしたんだ、という割と
よく言われている考え方にも、充分一石を投じています。が、ちょっと、
意識しすぎなんで、鼻につきます。

多分、他の「正当」な歴史学者達からは、邪本として謗りもあることでしょう。
ピューリッツア賞、ということからも、受け入れられ方が理解できます。
途中、ふと、意識が遠くなる箇所もありますが、お時間があるとき、どうぞ。

1万3000年にわたる人類史の謎の本

2006年03月09日 | 本・映画
「銃・病原菌・鉄〈上巻〉―1万3000年にわたる人類史の謎」ジャレド・ダイアモンド著 草思社刊

98年度ピューリッツァー賞に輝いた本で、最後の氷河期が終わった1万3000年前
からの人類史をひもときながら説明する本です。
最初、本当に長々と、この本を書く動機を読まされます。
なぜ、白人は、世界を席巻できたのか。優秀だからなんであろうか?
文明の利器であれ、文化であれ、なぜ、今、今日の世界でも持つもの、持たざるもの
が存在するのか。
歴史をひもとくと、間違いなく、西欧史観で彩られております。
この歴史は、必然なんであろうか。何が、それを分けたんであろうか?

当たり前なんですが、この本はもともと、その西欧人向けの本です。
最初、少々辟易いたしました。
ところが読み進めるうちに、なんだかとても面白い。
なぜスペイン人は、インカ帝国を滅ぼすことができたのか。
なぜ、農耕民族が登場したのか。
なぜ、農耕を始めた人と始めなかった人がいたのか。
なぜ、「栽培」を思いついたのか。
なぜ、毒のないアーモンドが作られたのか。
なぜ、シマウマは家畜にならなかったのか。
なぜ、技術・発明の伝播は大地の広がる方向で差異がでるのか。

著者は進化生物学者でカリフォルニア大学ロサンゼルス校医学部教授。
ニューギニアを中心とする長年のフィールドワークでも知られている。
地球上で人間の進む道がかくも異なったのはなぜか、という壮大な謎を、生物学、言語学
などの豊富な知識を駆使して説き明かす。

自分は、この本で、例えば狩猟民族が、なぜ、農耕に目覚めなかったのか。
今まで漠然と「未開」という単語で済ませておりました。
ところが嫌になってしまうほど、自分の「無知」に気がつかされます。
例えば、世界に少数ではあるが、現在存在する狩猟採集民族。
彼らは、動植物を表す言葉を自分たちの言語で数千種類も持ち合わせている。
そして、それらの動植物の生態や特徴、利用方法について詳細な知識を持ち合わせている。
そういう事実。我々は、そのものがスーパーマーケットで手に入るがゆえに、
すでに、イネ科の野菜とマメ科の野菜の区別すらできなくなっているという事実。

また、ひとつのこういう事実。
それは、人を死滅させる病原菌でさえ、農耕民族が、狭いエリアで、家畜を飼い、
さらに農耕エリアを増やす際に、「発掘」してしまったものだ。
彼らが、結果的に「余剰生産物」をもとに、人口の増加を「得て」、生産に従事
することがない人間を「生み」、様々な「役職」を創出し、それが国家として態をなし、
領土拡大のために、あくなき「野心」を生み、訪れた土地土地で、免疫の無い民族を
持ち込んだ「病原菌」で一掃し.......。
などという、なんだかとても辻褄のあった説明など。

これって、中高生にもぜひお勧めの本です。
世間では、とかく「歴史教育」に対して、喧々諤々ですが、こういうのが、歴史。
そういう壮大なイメージと、知識への欲求があわせて持ちえる、素晴らしい物語。
当たり前ですが、科学的な背景で、ミステリアスさを、なぜ、という言葉で、
わかりやすく解説もされております。
今、下巻を読んでいる最中です。


アメリカって企業の企業による企業のための国だ。

2006年02月28日 | 本・映画
この本が売れている理由がわかる気がいたします。
文章から誠実感が漂っています。そして、知ったかぶりではなく、作者自身も
驚きながら「調査」をしている、姿勢が読み取れて、
それが、また、ただ事ならない感じがあって、はい、とても勉強になりました。

「拒否できない日本 アメリカの日本改造が進んでいる」 関岡英之著 文春新書

色々な雑誌、ネット上でもテレビなど、アメリカ追従路線を「ポチ政権」と揶揄
したり、いや、アメリカを離れ、自立すべきだなど、盛んに論議されておりますが、
自分は、結構この問題に能天気であった、と考えざるをえません。

考えてみれば、昨今グローバルスタンダードと言う単語が使われておりますが、
自分は、ちゃんと意味がわかっておりませんでした。
国際統一基準。ですよね?
国際間の「総意」なんでしたっけ?
それとも、どこぞの国が、推奨しているのかしら?それとも強制しているのか?

この本を読んで過敏に反応しているわけではないのですが、
アメリカという国は、本当に「明確」な国だということがわかりました。
ええ、深読みして、そうだと、あらゆる情報から、そう確信した、というのではなく
彼らは、臆面もなく、それぞれのホームページで「公開」しています。
経済団体でも、官公庁でも、政府でも。
アメリカの「国益」のために取った戦略が「成功」した。
アメリカの「国益」のために、今、こういう働きかけをしています。
堂々と、公開しているのです。

これは、知りませんでした。
日本には、アメリカの大使館がアップしている「政策関連文書」というのがあります。
日米規制改革および競争政策イニシアティブに基づく日本国政府への米国政府要望書
これって、新聞なんかで御馴染みの「外圧」なんですけど、
日本では「年次改革要望書」と翻訳されていますが、もともとは、サブミッション
「服従・従順」との名称が、レコメンデイション「推奨・勧告」に変更。
堂々たる「内政干渉」です。
これは、アメリカ国内では、「通商代表部」が連邦会議にあげる報告文書
「外国貿易障壁報告書」において、また堂々と、皆さん、日本をこう改革して
やりました!って報告するのだそうです。

で、簡単に言いますと、「小泉政権」。
週刊誌で、「構造改革」への採点がされていますが、これ、アメリカの「要望書」
に間違いなく沿って、なされていることがわかります。
だから、竹中さん、宮内さん、木村さん、色々と「アメリカの手先になりやがって」
と言われていますが、
自分は、だって、規制緩和も、構造改革も、古い日本の体質を改めるために
「いい事じゃない」、「小泉さんはよくやっているよ」と、なんだかそういう風
でしたが、いやいや、実に驚きでした。無知でした。

ドイツ、フランスでも、そしてアジアでも、「そこは譲れねえよ」としている改革
まで、きっちり、アメリカの要望書通りに、「改革」を推し進めていました。
「商法改革」「司法改革」「規制緩和」「会計基準改革」「郵政改革」「建築法改革」
「医療改革」などなど、ものの見事に、ホームページにアップされています。

その国には、独自の文化、独自のシステムがあります。
それが適切化、適切で無いか、効率的か効率的でないか、意見が分かれますが、
こと、今日本で言われているグローバルスタンダードというものは、
いやー、間違いなく「アメリカ・イギリスなど」アングロサクソン系のシステム
なんだそうです。

この本に書いてある事例など、取り上げると、丸写しになってしまいますので、
すいません。自分の無知をさらけ出すような内容になりましたが、
「国の狙い」をこんなにも「赤裸々に」推し進めている「姿」を、
ぜひ、この本で、ご堪能ください。
いやー、アメリカって、凄いや。

もう1本。コンスタンティン。ダメかしら?自分。

2006年02月27日 | 本・映画
もう、自分は映画に関して物を言うことが出来ないのではないかと思ってしまう。
だって、「コンスタンティン」。
あのキヌアリーブスが主演している、神と悪魔をモティーフにした映画。
面白かった。いいんでしょうか、面白いと思ってしまって。
ツタヤの会員カードの更新で、1作、無料で貸し出し。
つられて借りたうちの1作が、これです。

天国と地獄。地獄の描写は、日本でもお目にかかれるイメージと似ていました。
餓鬼がうじゃうじゃいる感じ。
サタンも洒脱で、ビジネスビジネスと忙しいところなんか、笑えますが、
神のことを、「あいつらは、ガキだ」なんて言わせています。
つまり、地獄は、我々の日常を、よりハードにした感じ。
貧乏くさくて、休むことも許されない。

一方、天国は、なんも苦労が無く、能天気で、相変わらず、人に無頓着。
我々人間からすれば、気まぐれで、慈悲深さも、タイミング次第の逆らえない
勝手やろう。だから「キッズ」。ガキ。

もちろん、親近感も、話せる相手としては、サタン。みたいな感じがでています。
これって、今のアメリカの方々が、実は感じていることが反映されているのかしら?
考えてみれば、「善行」を積んでいかなければ、歯牙にもかけてくれない。
祈ったって、「懺悔をすれば、何でも許されるなんて、人間は、全宇宙から見ても
こんなに能天気な連中はいないわ」と神、ガブリエルの口から言わせます。
「だから、サタンの息子を人間界に呼んで、人間に試練を与えようと思うの」
が、今回の面倒ないきさつです。
あははははは。
こう書いてしまうと、ダメな映画ぽいですが、自分は、熱中してしまいました。
もう、感性が、いかれているのかしら。
しくしくしく。
でも、セリフなんか、結構よくて、映像も、文句が無かった。
ダメかな、自分。

交渉人 ユースケサンタマリアの目が......

2006年02月26日 | 本・映画
随分、遅れた話題で申し訳ございません。
レンタルビデオ、「交渉人 真下正義」を見ました。

普段、テレビドラマなどなかなか見ることが出来ないんですが、この映画の
背景となった「踊る走査線」、これは、ほぼ見ておりました。
一連の映画も拝見しております。
なんだ、ファンじゃないですか。

ええ、つまんない言い方ですが、面白かったです。とても。
何だろう、どんな細かな「役者さん」でも、このドラマの雰囲気を知っているから
なんでしょうか、全員、細かく、生き生きと動いていて、
端っこの役者さんも、見事に「参加」しまくっています。

よく、エキストラさんを含めた、引いた映像なんか、何人か、場違いな動き
している方なんか、いるじゃないですか、微かに目に付いたりするじゃないですか
そんな雰囲気が、なんか、無いです。この映画。

それにしても、演出が秀逸なのか、脚本が秀逸なのか、
それとも、今話題の「24」の影響なのか、この時間軸に沿った作り。
エピソードなんかで、流れを切ることもなく、細かいシーンのつなぎが、
妙に日本ぽくなくて、スリリングでした。

以前、木村拓哉さんと中山美穂さん共演の「眠れる森」で、
初めてユースエサンタマリアさんを見ました。
あの時の、演技には、正直、驚きを通り越して、「異常な才能」に驚嘆しておりました。

どんな瞬間にも、絶対「目が笑わない」という表情が、
なんだかとても不気味だし、そして、ぞっとした気分をかもし出しています。
この人に、長時間、見つめられたら、こっちが、間違いなく気がおかしくなって
しまう、と、確信をもって語れる人です。

「異能」な役者さんです。

そうそう、交渉人ですが、國村隼さん。いい味しています。
こっちも笑わない目が、いいんですが、こっちは、まともに見返せる目です。
ユースケさんの目は、上手く言えませんが、だめです。
そして、ボレロ。そして威風堂々の曲。
全編を通して流れますが、というか、キーの曲ですが、
まさに、映画の音楽。ばっちりでした。映画は、曲やでぇ!

最後は、謎にしてしまっておりますが、
見ている最中に、あれこれ詮索も評論もできないくらいのスピードで、
見終わった後、そういえば、なんてことも言えますが、
一気に見れます。畳み込まれます。
それぞれの会話も、秀逸でした。
本当に、芸術とは対極ですが、娯楽として、完成度は高い。
と勝手に思っております。

実はペットフードが危険。狂猫病?何もわかって無いBSE

2006年02月21日 | 本・映画
「プリオン説はほんとうか? タンパク質病原体説をめぐるミステリー」
福岡伸一 著 講談社ブルーバックス

開口一番。とても面白かった。文章も、章立ても、構成も、上手い。
勉強になります。

まず、知らなかったこと。
プリオンと呼ばれている、病名ですが、正式名称は「伝達性スポンジ状脳症」。
つまり、伝達性ということですから、伝染する、ということです。
「羊」生来のものが、牛に移り、そして、猫にも、犬にも、あげく人間にも移る。
感染性が、非常に高い。
もちろん、経口、つまり、口で食するという感染型。空気感染ではありません。

気になるのは、例の肉骨粉。あれは、食肉用には「禁止」されていますが、
なんと、ペット用には、「禁止されていません」。
狂猫病。狂犬病にご注意下さい。ええ、事実です。

報道などを見ていると、何が、本当に問題なのか、実は、いまいちわかりずらい。
この本で了解しました。
ええ、未だに、そのプリオン。正常型プリオンは、なんとか特定できたのですが、
異常型プリオン。つまり病原性を持ったプリオン。
誰も発見できていないのです。
ご存知でした?

感染できる、ということは、つまり、感染するための「意思」がないと始まりません。
ウイルスにしても細菌にしても、その「意思」は、核酸、つまり「遺伝子」が
その中心にいて、その行動を決定していきます。

当初は、ウイルス説に拠っておりました。
が、調べていくうちに、その感染性の高い、と思われている「サイズ」の領域に
何も発見できない。これ以上、サイズを絞っていくと、遺伝子を抱えた大きさの
ものが、いなくなってしまう。
とすると、この感染源、遺伝子持ってないの?たんなる、アミノ酸?えっつ、
タンパク質?なんで?嘘!という流れみたいなんです。

タンパク質が変異したもの。そういう流れには、当初、ボロクソでした。
普通、人間に害があるものは、自発的に、抗体を作って、戦おうとする機能が
人間にあります。よって、インフルエンザも何とかウイルスも、見慣れない抗体を
手がかりに、「悪者」の特定ができた訳です。

抗体すらない。「悪者」として、体が「反応」していない。なぜだ!
じゃ、やっぱり、タンパク質なの?
という程度なんだそうです。
もちろん、異常型プリオンというのは、その異常になった状態として、検知されて
おりますが、正常型プリオンというものが、2つ、3つ、4つ、など、集合体に
なった状態が、異常型、とされていて、4つから8つ集まったやつが、
感染性が「高いんじゃないか?」程度の分析しか持ち合わせておりません。

そうなんです、ノーベル賞をとったプルシナー自身、これが「プリオン」だよ、
として発表した「模型」ですら、実は、全然違っていたことが、後になって
判明しました。
ですから、異常型がどんな形で、どういう風に、感染させていくのか、
未だにわかっておりません。

よって、今でも、ウイルス説が消えることがありません。
つまり、あるウイルスによって、そのプリオンタンパク質が、変容させられて
異常に「集積」することで、脳をスポンジ状にする。
そういう「ドミノ倒し」みたいな「経過」。
そういう考え方で、研究を行っているグループも現在おります。

ということで、このBSE。狂牛病ですか、最初、各部位のリンパ節に、その
異常型が集まっていることが知られています。
脊髄の除去程度では、全然、だめじゃん。という恐ろしさが、淡々と伝わって
くるのです。
「感染源」の特定すら、正確に把握できていない、この病気。
とても、勉強になりました。

無防備な日本人。リスクへの認識

2006年02月15日 | 本・映画
「無防備な日本人」 広瀬弘忠著 ちくま新書

持ち歩いていた本を忘れ、手持ち無沙汰により衝動買い。
さくさく読めます。
当初、日本人のリスク管理について、国家的な視点も含めて是非を問うものかしら
なんて感じで購入。
読み始めは、あらあらどちらに行ってしまうのかしら、風な民族的な体質やら、
心理学的な実験を通した、リスクへの反応、考え方、なんかがざっと説明されていて
流し読み状態でしたが、途中から作者の意図がわかって、熱中。
最後は、歴史的な人物を通してのリスクへの考え方を解説。

「日本人は、安全よりも安心を優先させる」
「危機を意識することは、不安を掻き立てられるという心的負担につながり、回避しやすい」
ということで、日本人は「凍りつき症候群」に陥りやすい、と解説。

危機に対して、我々はめったに経験をすることができません。当たり前です。
ただ、「知る」ことを通して「経験」することこそ、何か起こったときの迅速な
対応に繋がる。
昔、とある番組で、前方を歩く人間に向かって「あっつ!」と叫ぶ実験をしていました。
発砲スチロールを低層の建物の屋上から、通行人に落とす、という感じですが、
ほとんどの人間が、「凍り付いて」いました。

でも、発する単語を「上!」と叫ぶと、面白かったですよ、ほぼ全員、その場から
離脱することができました。
また、どこかの本で、路上に飛び出した子供を助けにでた母親。迫り来る車。
アメリカでは、子供を突き飛ばすことをしますが、日本人は、子供を抱えたまま
うずくまってしまう。なんて話を記憶しております。

知らなかったのは、アメリカ。
あの9・11のテロ。無事に生還した人々の行動を、米国基準・科学技術協会は
調査。サバイバーの中から1000人を抽出して、電話・面談を通して分析・研究。
すごいですね。日本では、こういうの、やらない気がする。
この「災害」で生死を分けた瞬間を、様々なケースを通して分析し、経験を共有
するとともに、今後、起こりうる災害に対して、人間の誘導、指示、管理に至るまで
積極的にマニュアライズしていく「精神」は、さすがだと思います。

こういう「事実」を積み重ねて、アメリカの危機管理は、「強力なリーダーシップ」
の重要性へとたどり着くわけなんだそうです。

「日本では、町内会や大学の教授会から国会に至るまで、緊急時においてさえ、
 迅速に対応する能力と習慣を欠いている」
意思決定の仕組みが煩雑。手続きの過度の重要視。先例や慣習への拘泥。
最終的な「責任への回避」。そして、起こったことに対して、なだめるだけの
行政と政治。あげく、安心感を「演出」するために、「肉」「かいわれ」を食する
政治家の「映像」。

さらに面白かったのは「リスクについてどこからの情報を信用するか」という調査。
2003年4月の全国調査が掲載されていたが、
信頼できない情報源の「断トツ1位」は、政府/省庁が発表した情報。
2位はテレビ局独自の調査に基づいた情報、でした。
信頼できる情報は、国際機関(国連・WHOなど)が発表した情報でした。

日本は昔から、何かを想定するときには、「全員助からなかったら、意味無いよね」
みたいに、建設的な論議をしないイメージがあります。
よって、リスクに対して、見事なほど「天災」と片付けて平等に心の痛みを
分かち合う、というのが「美徳」とされていた気がいたします。
言葉に出すと、「真になる」みたいな国で、ことさらリーダーシップを強力に
打ち出すと、「厄介者」にされる感じです。
そのくせ、何かが起こり、「不平等」だと認識すると、普段何も考えていないのに
「誰かのせい」にしたがって、「心のバランス」を保持する傾向があります。
ある意味このままでは、政治家もマスコミも「いい標的」になりかねません。

いい感じに勉強になりました。


自分のネタ本、です。というより、学べます。

2006年01月31日 | 本・映画
しばらく読み終わりそうも無い本を読んでおります。
続 憂国呆談 「ニッポン解散」 浅田彰 田中康夫
前作は、たまたまブックオフで手に入れましたが、今回はつい定価で購入いたしました。
政治的、考え方的スタンスはともかくとして、マスコミで叩かれ、いや叩き合っている
彼の「実行動」、意外に「うんちく」話が好きな自分の、つぼに入ります。
勉強にもなるし、検証にもなるので、読んでおります。

例えば、以前、田中知事が「住民票」移動の件で長野市と大揉めしていましたが、
彼の理論はこうでした。
例の「三位一体」改革の是非のさい、住民税は7割居住地で、あとの3割を
好きな自治体に、任意に払うことができる。それによって、人々が「株主」ならぬ
「町主?」として、地方を支援する。もちろん、自治体も「開示」し、その気にならなければ
リコールされる。ひとつの案だと思います。

そこで彼、長野県下の泰阜村に住民票を移したのだ。
ここは、彼の紹介によると、この村の村長さん。松島貞治さん。この方がすごい。
65歳以上の高齢者が35%なのに、老人医療は県下118市町村で下から5番目
以内。
村長就任以来、病気の早期発見・早期治療を目指して病診連携を推進している。
さらに条例をつくって助役を廃止。議会も12人から10人に。
なんと給与は手当て制にした。で、週末と夜間に議会を開く。兼業ができるように。
村長自身も農業をやっている。だから彼の給料も半減した。
さらに村役場の職員も15人減らしたうえ、給与も2割下げる。代わりに4時に帰って
田んぼをやってもいいというふうにする。そうして浮いた単独費用を全額、
訪問介護や在宅福祉に使っている。

「泰阜村に住民票を移して、そっちに納税したくなるのも当然だよね」
「今回の決断は1つの問題提起。納税者は税金の取られ方でなく納め方を考え、
 どこに使われるのか見るようにすべきなんだ」
「さいたま市の議員も職員も、給与体系は3つの市の中で一番高い市に合わせて
 そのくせ、社会福祉は一番低い市に合わせてるんだ」

自分も勉強不足ですが、こうした背景があったのだとは知りませんでした。
是か非かともかく、それが地方自治にとって、どういうことになるか、
まだまだわかりませんが、自分も以前、イギリスの地方自治の話を書きました。
地方議会の議員は、これと同じ、全員、手当てです。
議会も、週末に行われ、仕事をしている者、退職後、名誉を付与されて望む者。
そういったことを紹介いたしました。

本当に、マスコミ報道だけではわからないことが、多い。
当事者の言っていることは、須らく、勉強になります。
そこから様々に、知見を深めていくことができる。
参考になります、この本。

松井教授の東大駒場講義録 紹介?

2006年01月26日 | 本・映画
松井教授の東大駒場講義録―地球、生命、文明の普遍性を宇宙に探る 集英社新書

先の記事でご紹介した140億年宇宙も旅に続いての本です。
が、全11時限の授業の中で、ついていけたのが8時限目までという体たらくです。
この本は、現役2年生を相手に講義する、といったスタイルで進められます。
東大生は、2年生時の成績で専門の振り分けがあります。そういえば早稲田の文学部も
2年生の成績に応じて専門の希望が通る。ええ、悪ければ、希望は通りません。
そこで理学部の学生相手。

どうも自分は、この物理。日本語と、単位をあらわす内容とのイメージがつながらなくって、
足手まといの人間です。
その昔、カールセーガン出演のコスモス日本版で、日本側のプレゼンターでご出演されて
いたと記憶しております。あの時は、若かったなぁ。

内容としては、昨年までの最新の研究成果をふんだんに織り交ぜたもので、言葉の豊富さも
そうなんですが、非常にわかりやすく解説されておりますが、8時限目で終えました。

そういえば、以前東京都知事の石原氏の「ばばあ発言」。大揉めにもめました。
『これは、ぼくが言っているじゃなくて、松井孝典がいってるんだけど「文明がもたらし
たもっとも悪しき有害なものはババァ」なんだそうだ。「女性が生殖能力を失っても生き
ているっていうのは、無駄で罪です」』

という発言。しかし、松井さんの本意は次の通りです。

文明とは何かを地球システム論的に考えると、「人間圏を作って生きる生き方」。
人間圏を作って生きる生き方というのは、実は農耕牧畜という生き方です。
先ほど1万年前に人間圏ができたのは気候が変わったからだといいました。
(人類の誕生以来の歴史700万年ぐらいの中で何回かあった適した気候)の中で、
人間圏を作ったのは、我々現生人類だけなんです。

その理由は「おばあさん」の存在です。
おばあさんとは、生殖期間が過ぎても生き延びているメスのことです。
他の哺乳類には存在しない。ネアンデールタール人の化石からも見つかっていない。
おばあさんの存在によって(子育ての経験が伝わり)人口増加(が始まった)。
そして娘の生殖期間内に(子育て期間が短縮されるため)多くの子を設けることが可能に
なった。

もちろん、それ以外に言語の明瞭化。コミュニケーションの発達もいわれております。
が、どうなんでしょう。多分、「ばばあ」についての意味は、石原さん一流のレトリック
で、引用されたんじゃないかと、考えるのですが。
ちょっと、本の内容とは違ってしまいました。

専門家がいない「朝日新聞」の謎がわかりました

2006年01月24日 | 本・映画
どうりで、朝日新聞の記事。専門性の高い内容になると、いまいちよくわからない
のは、こういうことだったんだ。というのがわかった本です。

「朝日 ともあろうものが。」烏賀陽弘道 著 徳間書店
買ってしまいました。そして、読んでしまいました。
ええ、作者、朝日を退社した後に、ブログで記事を書かれていたようで、
Jポップの世界では、いくつか本をお書きになられて、有名な方のようでした。

というのは、一息入れるための「さくさく読める本」。そして、ちょっと暴露本かな
なんて下品な興味があったのも事実です。
が、本の中盤から、よく読めるようになりました。
最初、文章のうまさはもちろん、とても頭の良いかただなぁ、という感想の中で、
妙にプライドも高く、繊細で、社会経験が薄い方が書く、ちょっと私憤混じりで
どうかな、と思っていたからです。

特に、新聞の記事は、こういう日々の作業の中で、流れ作業のようにできていくのか
というくだりは、臨場感あって理解できました。
そして、事件というもの、記事というものは、朝日という会社の1人間が、
「恣意性」をもって取り上げていくものなんだ。
さらに、記者クラブという「場」が、いかに、ジャーナリズムの根幹を、堕落させて
いっているのかを、とても興味深くまなぶことができました。

記者クラブでは、ただ、事件が「降りてくる」のを待つ。
事件を、問題意識があって発掘するのではなく、ひたすら人間関係をアナログに
築き上げ、その関係性において初めて成り立つ記事。
だから、経済の専門性も、政治への専門性も、司法への専門性も、育たず、
定期的な配置換えの中では、体力と根性だけが見事に育ち、
あまつさえニューヨーク支社には、「勤続祝い」にも似た栄誉が付与され、
よって、英語もひとかけら喋れない人間が半年程度各部署持ち回りで行き、
だから現地の人間が取材した内容を自分の署名で発表してみたり、
など、この会社、もう終わってません?という感じでした。

作者の気持ちも、最初は違和感がありましたが、中盤、よくわかるようになりましたし、
実際フィールドをかえてのご活躍も、立派です。
タクシーチケットやら社用車などで、1日1200万円もの経費をかけている
朝日って、のことや、企業やら市役所区役所からのノベルティーやら配布品。
かわいい記事の捏造から始まって、大事の捏造まで。
モラリティーが、どこをどうすれば、消えていくかの「見本市」を見れた気が致します。

決して、興味本位の暴露本ではありません。言ってみれば、膠着した公的機関、
お役所にもなぞらえる、そういった仕上がりの本でした。

140億年の旅。宇宙の起源をめぐる?

2006年01月19日 | 本・映画
さて、どさくさに紛れてですが、「宇宙 起源をめぐる140億年の旅」
早川書房刊 を読んでおります。
今を忘却できる、という意味ではなく、とても好きなジャンルですが、難しい。
そこにあるもの、という考えは、人間である以上、できにくく、
物事には始まりと、終わりを考えたくなります。
にもかかわらず、点のように収斂された「場」から、相移転したかのように、
この宇宙が誕生した、そして今でも「無限」に拡大している。
イメージは浮かぶんですが、日常の範疇では「比較できる」事象ではありません。
よって、10のマイナス35乗メートルなんて単位が、何を語っているのか、
計算すら試みたい、という気がおこりにくい世界。

なぜ、膨張しているか。
この宇宙ができた時点で、質量保存の法則から言って、中身が増えなければ、
必ず「膨張エネルギー」はストップしなければなりません。
でも加速しているんですって。なんで?
「暗黒物質」という、自分には「謎」な物質がこの宇宙には仰山、あるそうです。
この暗黒エネルギーの解明って、自分が言うと三文SF物語に突入してしまいがち
なので、あえて避けますが、素粒子レベルの理論から、今研究が進んでいるそうです。
でないと、「超ひも理論」やら、多元宇宙理論、13次元と言われかねない世界。
もう多岐に渡っております。

ただ、宇宙創世記において、世界を構成する元素。水素、ヘリウム、リチウム。
たった3元素。それが時空の揺らぎの中で、膨張する中で、様々な星を誕生させ、
その中でも、数が少ない「大質量星」。彼らの生涯の中で、その熱核融合が、
そして、最後の瞬間に「超新星」として爆発するまでに、多くの元素を宇宙に
ばらまいたのです。

我々の体は、主にたった4つの元素。水素、酸素、炭素、窒素で構成されている。
もちろん、それ以外の元素もあるが、全質量の1%にも満たない。
一方で、地球は主に酸素、鉄、ケイ素、マグネシウムでできている。
以上のことから、地球上の生物の元素含有比は、地球自体よりも「恒星」の組成に
ずっと似ていることがわかる。
このために、我々が「星の子」と呼ばれる所以があるのだ。

以前、「広い宇宙に地球人しか見当たらない50の理由―フェルミのパラドックス」
という本も読みました。
宇宙に豊富にある元素で組成されている、我々がいる以上、そして、この宇宙を
比較研究するためにも、哲学的においても、探してみたくなるのは「当然」です。
ただ、アメリカが必死の思いで発表した「冥王星」は、その後の研究で、
その界隈には、同じように太陽を中心にまわる「星ぼし」がたくさんあることが
わかってきて、惑星に含めていいの?という感じになっているらしいです。
そのくらい、本当にそれくらい、見える大きさの研究も、見えない物質の研究も
まだまだこれからなんでしょう。