その昔、草刈正雄主演の「日本沈没」を見ました。
かなり遠い記憶なので、すっかり、忘れてしまいましたが、
なぜだが、草刈正雄が、ぼろぼろの布をまとったような感じで、
陽炎の中、彼を待つ、女性のもとへ、帰り着く。
そんな最終シーンを記憶しています。
これ、違うのかなぁ。
と思ったら「復活の日」だった。
ごめんなさい。
全く忘れてしまったんですが、見ているのは事実だ。
でも、どういうのだっけ?
当時、絶好調だった小松左京氏の原作。
星新一、筒井康隆さんと御三家で、高校の時、刊行されていた全ての「文庫本」は
完読した「覚え」があります。
だって、なんでか新聞配達してたんで、買う余裕があったんですもの。
さて、そういう話ではなく、
「週刊スピリッツ」で展開されている、一色登希彦作画 日本沈没。
これは、勝手ながら、お奨めです。
多分、方々で、記事が書かれているんでしょうが、
これって、「原作」と、かなり違うんではないんでしょうか?
映画と、一緒なの?
何の調べもしていなくて、書きなぐっていますが、
随分、一色さんの脚色、入っていませんか?
これって、「渾身の力作」に入るんじゃないのかなぁ。
今週号なんて、文字だらけ。
それにしても、どうしてこんなに「文明評論」というか、
彼がまとめる「日本論」。
バックに、バックアップサポートがいても不思議ではないくらい、
毎度毎度、配役が繰り広げる「語り」に、破綻が見られない。
さらに気の効いたセリフやら、内面に踏み込んだ描き方など、
すいません、素直に「凄い」と感じ入っているんですが。
今回は、まさに、沈没の諸現象に巻き込まれる「寸前」。
東京が飲み込まれる、そんな状況を描く、その前振りですが、
これはなんだ!というくらい、書ききっております。
ええ、日本という国に、根付いている、ベースになる「民族的」な意識を。
近現代に限らず、そもそも日本人は古来より、ほどよく忘れる事が
民族的知恵として、織り込まれている「ふし」がある。
台風国であり、地震国であり、大雨も大雪も降るという
この狭いごたごたした国では、災厄(主に自然災害であった)との
闘いと復旧は、極めてすみやかに活発に行われてきた。
異国人から見れば異様にさえ見えるオプティミズム(災害の度にそれを
乗り越えて進む事)が歴史的に培われていた。
災厄はむしろ人為的にでなく、古いどうしようもないものを
地上から一掃する天の配剤として受け取られてきた一面を持つ。
一方で、この国土は、複数年、災厄が持続するということがありません。
四季を持つことが、あくる年には、必ず「陽が差す」ことを、
経験的に知っているからです。
これこそ、天の配剤といえるでしょう。
要するに、リセットできる、環境に恵まれていた、というのは事実でしょう。
「死者数1万1千人」この数字は21世紀初頭、日本政府 中央防災会議が
発表した、東京で大震災が発生した際の想定死者数である。
(冬の夕方18時....とある)
また、想定死者のグラフの中に、「交通被害2%、およそ200人」とある。
列車一本の脱線転覆事故が100人単位の死者を出す事が衆目に晒されて
なお、数百本の列車が走る、首都圏において.....?
東京が、規模も人口も実質神戸の約10倍であるという事実を....
誰もが忘れてしまったが故に.....!?
彼は書きまくっていますが、
確かに彼が引用する欧州の保険会社の資料。各都市の危険指数。
断トツで主要都市の中で、1位です。
海外の「投資」などは、当然ながらそのリスクをかけて、
日本というものを「見ています」。
なのに、地震とは無縁のニューヨークやロンドンのような都市をマネて
「そんな場所に大都市を造り上げるとは....!!」
彼は言います。
「記憶を喪いつつ(失いではない)それにより前進するという仕組みでは
もはや対応しきれなくなっていたのだとしたら......!?」
後半部分に関東大震災に絡む、朝鮮人「虐殺」の件が大文字で書かれていますが
これは、ひょっとしたら、「祭り」になる可能性があります。
とはいえ、このまま、この作品の継続と、作者のモティベーションの維持を
願って止まない。
です。
かなり遠い記憶なので、すっかり、忘れてしまいましたが、
なぜだが、草刈正雄が、ぼろぼろの布をまとったような感じで、
陽炎の中、彼を待つ、女性のもとへ、帰り着く。
そんな最終シーンを記憶しています。
これ、違うのかなぁ。
と思ったら「復活の日」だった。
ごめんなさい。
全く忘れてしまったんですが、見ているのは事実だ。
でも、どういうのだっけ?
当時、絶好調だった小松左京氏の原作。
星新一、筒井康隆さんと御三家で、高校の時、刊行されていた全ての「文庫本」は
完読した「覚え」があります。
だって、なんでか新聞配達してたんで、買う余裕があったんですもの。
さて、そういう話ではなく、
「週刊スピリッツ」で展開されている、一色登希彦作画 日本沈没。
これは、勝手ながら、お奨めです。
多分、方々で、記事が書かれているんでしょうが、
これって、「原作」と、かなり違うんではないんでしょうか?
映画と、一緒なの?
何の調べもしていなくて、書きなぐっていますが、
随分、一色さんの脚色、入っていませんか?
これって、「渾身の力作」に入るんじゃないのかなぁ。
今週号なんて、文字だらけ。
それにしても、どうしてこんなに「文明評論」というか、
彼がまとめる「日本論」。
バックに、バックアップサポートがいても不思議ではないくらい、
毎度毎度、配役が繰り広げる「語り」に、破綻が見られない。
さらに気の効いたセリフやら、内面に踏み込んだ描き方など、
すいません、素直に「凄い」と感じ入っているんですが。
今回は、まさに、沈没の諸現象に巻き込まれる「寸前」。
東京が飲み込まれる、そんな状況を描く、その前振りですが、
これはなんだ!というくらい、書ききっております。
ええ、日本という国に、根付いている、ベースになる「民族的」な意識を。
近現代に限らず、そもそも日本人は古来より、ほどよく忘れる事が
民族的知恵として、織り込まれている「ふし」がある。
台風国であり、地震国であり、大雨も大雪も降るという
この狭いごたごたした国では、災厄(主に自然災害であった)との
闘いと復旧は、極めてすみやかに活発に行われてきた。
異国人から見れば異様にさえ見えるオプティミズム(災害の度にそれを
乗り越えて進む事)が歴史的に培われていた。
災厄はむしろ人為的にでなく、古いどうしようもないものを
地上から一掃する天の配剤として受け取られてきた一面を持つ。
一方で、この国土は、複数年、災厄が持続するということがありません。
四季を持つことが、あくる年には、必ず「陽が差す」ことを、
経験的に知っているからです。
これこそ、天の配剤といえるでしょう。
要するに、リセットできる、環境に恵まれていた、というのは事実でしょう。
「死者数1万1千人」この数字は21世紀初頭、日本政府 中央防災会議が
発表した、東京で大震災が発生した際の想定死者数である。
(冬の夕方18時....とある)
また、想定死者のグラフの中に、「交通被害2%、およそ200人」とある。
列車一本の脱線転覆事故が100人単位の死者を出す事が衆目に晒されて
なお、数百本の列車が走る、首都圏において.....?
東京が、規模も人口も実質神戸の約10倍であるという事実を....
誰もが忘れてしまったが故に.....!?
彼は書きまくっていますが、
確かに彼が引用する欧州の保険会社の資料。各都市の危険指数。
断トツで主要都市の中で、1位です。
海外の「投資」などは、当然ながらそのリスクをかけて、
日本というものを「見ています」。
なのに、地震とは無縁のニューヨークやロンドンのような都市をマネて
「そんな場所に大都市を造り上げるとは....!!」
彼は言います。
「記憶を喪いつつ(失いではない)それにより前進するという仕組みでは
もはや対応しきれなくなっていたのだとしたら......!?」
後半部分に関東大震災に絡む、朝鮮人「虐殺」の件が大文字で書かれていますが
これは、ひょっとしたら、「祭り」になる可能性があります。
とはいえ、このまま、この作品の継続と、作者のモティベーションの維持を
願って止まない。
です。