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まなびの途中

色々な仕事をしてまいりました。
色々な出会いがありました。
勘違いもありますが、
学んだことを書いてまいります。

まんが「日本沈没」。スピリッツより。

2006年12月04日 | 本・映画
その昔、草刈正雄主演の「日本沈没」を見ました。
かなり遠い記憶なので、すっかり、忘れてしまいましたが、
なぜだが、草刈正雄が、ぼろぼろの布をまとったような感じで、
陽炎の中、彼を待つ、女性のもとへ、帰り着く。

そんな最終シーンを記憶しています。
これ、違うのかなぁ。

と思ったら「復活の日」だった。
ごめんなさい。
全く忘れてしまったんですが、見ているのは事実だ。
でも、どういうのだっけ?

当時、絶好調だった小松左京氏の原作。
星新一、筒井康隆さんと御三家で、高校の時、刊行されていた全ての「文庫本」は
完読した「覚え」があります。
だって、なんでか新聞配達してたんで、買う余裕があったんですもの。

さて、そういう話ではなく、
「週刊スピリッツ」で展開されている、一色登希彦作画 日本沈没。
これは、勝手ながら、お奨めです。
多分、方々で、記事が書かれているんでしょうが、
これって、「原作」と、かなり違うんではないんでしょうか?
映画と、一緒なの?

何の調べもしていなくて、書きなぐっていますが、
随分、一色さんの脚色、入っていませんか?
これって、「渾身の力作」に入るんじゃないのかなぁ。
今週号なんて、文字だらけ。

それにしても、どうしてこんなに「文明評論」というか、
彼がまとめる「日本論」。
バックに、バックアップサポートがいても不思議ではないくらい、
毎度毎度、配役が繰り広げる「語り」に、破綻が見られない。

さらに気の効いたセリフやら、内面に踏み込んだ描き方など、
すいません、素直に「凄い」と感じ入っているんですが。

今回は、まさに、沈没の諸現象に巻き込まれる「寸前」。
東京が飲み込まれる、そんな状況を描く、その前振りですが、
これはなんだ!というくらい、書ききっております。
ええ、日本という国に、根付いている、ベースになる「民族的」な意識を。

  近現代に限らず、そもそも日本人は古来より、ほどよく忘れる事が
  民族的知恵として、織り込まれている「ふし」がある。

  台風国であり、地震国であり、大雨も大雪も降るという
  この狭いごたごたした国では、災厄(主に自然災害であった)との
  闘いと復旧は、極めてすみやかに活発に行われてきた。

  異国人から見れば異様にさえ見えるオプティミズム(災害の度にそれを
  乗り越えて進む事)が歴史的に培われていた。
  災厄はむしろ人為的にでなく、古いどうしようもないものを
  地上から一掃する天の配剤として受け取られてきた一面を持つ。

一方で、この国土は、複数年、災厄が持続するということがありません。
四季を持つことが、あくる年には、必ず「陽が差す」ことを、
経験的に知っているからです。
これこそ、天の配剤といえるでしょう。
要するに、リセットできる、環境に恵まれていた、というのは事実でしょう。

  「死者数1万1千人」この数字は21世紀初頭、日本政府 中央防災会議が
  発表した、東京で大震災が発生した際の想定死者数である。
  (冬の夕方18時....とある)
  また、想定死者のグラフの中に、「交通被害2%、およそ200人」とある。

  列車一本の脱線転覆事故が100人単位の死者を出す事が衆目に晒されて
  なお、数百本の列車が走る、首都圏において.....?
  東京が、規模も人口も実質神戸の約10倍であるという事実を....
  誰もが忘れてしまったが故に.....!?

彼は書きまくっていますが、
確かに彼が引用する欧州の保険会社の資料。各都市の危険指数。
断トツで主要都市の中で、1位です。
海外の「投資」などは、当然ながらそのリスクをかけて、
日本というものを「見ています」。

なのに、地震とは無縁のニューヨークやロンドンのような都市をマネて
「そんな場所に大都市を造り上げるとは....!!」

彼は言います。
「記憶を喪いつつ(失いではない)それにより前進するという仕組みでは
 もはや対応しきれなくなっていたのだとしたら......!?」

後半部分に関東大震災に絡む、朝鮮人「虐殺」の件が大文字で書かれていますが
これは、ひょっとしたら、「祭り」になる可能性があります。
とはいえ、このまま、この作品の継続と、作者のモティベーションの維持を
願って止まない。
です。




 






そういえば竹中元金融大臣も、アメリカで納税していたね。

2006年12月02日 | 本・映画
やっぱり「勘」で物事を書いてはだめだな。
ある意味、人生受け売りのオンパレードなんだが、
相変わらず、まなびの途中なんだと、胆に銘じなくてはならんだろう。

昨日、村上ファンドのことを書きましたが、なんだか、知らないところで
世界はどんどん手の届かない所にいっているようで、
自分が知っていることなんて、まだまだ、世間の鳥羽口だったりします。

「マネーロンダリング入門―国際金融詐欺からテロ資金まで」 橘玲著 幻冬舎新書刊

  マネーロンダリング(資金洗浄)とは、テロ資金や麻薬・武器密売・人身売買な
  どの犯罪で得た収益を、海外の複数の金融機関を使って隠匿する行為をいう。
  本書ではカシオ詐欺事件、五菱会事件、ライブドア事件などの具体的な事例を
  もとに、初心者にもマネロンの現場が体験できるよう案内した。専門知識はな
  にひとつ必要ない。グローバル化、大衆化したマネロンによって、いまや世界
  の仕組みが変わりつつあることを読者は知るだろう。

一生懸命に読みました。
カタカナの単語が、どうも苦手。
それで世界史から「逃亡」した前科を持つ人間としては、
イスラムやらスイスに絡んだ名前やら、銀行名が出てくるだけで、
ページのひっくり返しに余念がありません。

到底、今の自分にとって「身近な」話題でもございません。
かといって、近い将来、知らないで済む問題でもない。

というのは、マネーロンダリングが育てたシステムは、
出所が「違法」なだけで、そのほとんどの取引が、ある意味「合法」だということ。

マネロンが、どうも犯罪など、暗いイメージをもたれているのは事実だが、
根本は、お金を、どうしても「匿名」のままで、
使いたい。貯蓄したい。
本来、お金って、そういうものじゃん!
ということが、個人、法人問わずして、もっぱらの願いらしく、
世界各国に、同じような願いを持つ人間が多ければ、
結果的に、このお金は、「誰のもの?」を特定することが、
流通過程で、非常に難しくなってきている。

それは、つまり、どういうことかというと、
当たり前のことなんだが、
国を存続させるための「税金」を、できれば安く済ませたい。
そして、世界において格差が生じている以上、
規制にとらわれず、お金を持ち出せば、
その格差を利用した商売なり、裕福な生活が達成できる。

だから、自分を特定できない「匿名」性が、システムが欲しい。

これがどうやら、実に簡単にできるということなんである。
例えば、インターネット上で広く繰り広げられるバーチャル貨幣。
この貨幣が、「前提を取っ払って」考えると、
実貨幣に「交換」できるとした場合。

日本で1000ポイントが1000円で交換されるとして、
その価値を「維持」したまま、例えば他のアジアの国で交換する。
どれだけの「買い物」ができると思いますか?

さらに、ネット上では、もし仮に、個人が特定されないとすれば、
このgooでも、広告が貼られておりますが、
貯まったお金の引き出しは、ある意味、「登録」だけでいいんで、
自分の口座である必要がありません。

さらに、がんがんレベルアップさせれば、クレディスイスやらプライベートバンク
などの規模をイメージすれば、
お金の大なり小なり、みんな、ライブドアやら村上氏の
「テクニカル」な金融操作を「体験」できます。

で、何が言いたいかと言うと、
最近、大企業で、「追徴課税」とやら、おおがかりな金額の、
脱税ぽい記事が目に付きますが、
これだけグローバルな「経済世界」になっている以上、
どの国が、どこで、いつ、「この会社」の分け前(税金)にあずかれるか、
正直、「やりようがない」という時代に入っているらしい。
(企業の国際化に伴う、法人税の奪い合い現象)

日本では経団連が、「法人税」をもっと安くしてくれ、なんて言っていますが、
この本を読んでわかったことは、
これは、まだ「可愛い」物の言い方です。

今にでもすぐに、経団連クラスの会社は、法人登記を別の場所にして、
申告地を変えるだけで、
いつでも、「外資」に変貌することが、
非常に、簡単になってきている。

さらに、「外為法」が色々定めておりますが、
それでも、今現在、日本から持ち出されている「現金」は、
年、4兆円を超えると言う報告があります。

さらに、アジアでも、オーストラリアでも、
一定の金額を「出資」すれば、「国籍」を与えます。
同時に、日本は、いとも簡単に、日本国籍を「消失」させます!
あっさり、徴税権の放棄!

話は、マネーロンダリングで済む問題ではなく、
暢気にメディアなどが、諸外国で暮らす、「豊かな老後」なんて特集していますが
社会福祉の「原資」をつくる、
「富裕層」をあてこんだ、「累進課税」の税金が、
死んだ後に「分捕る」予定の「相続税」その他が、

今、一斉に、キャピタルフライトを起こしています。

愛国心をどうのこうの言っている前に、
子供の教育基本法の改正に、なんだかんだと、言っている間に、
美しい国をと、なんだか、丸投げにしているこの瞬間に、
GDPが上がったの下がったの一喜一憂しているその中身が、
あっさりと、「中抜け」して、

あるお金は、ちゃっかり、よその国の「貨幣」に変わり、
あるお金は、その国の税金に「化け」、
あるお金は、速攻で、ある国のディスペンサーで引き出されているのです。

多分、これが、色々な人が言っていた
「ボーダーレス」の現実なんだよね。
「グローバル化した世界」の有様なんだよね。

この現実を、どうのように考えたらいいんだろうか。



参考にされた本を読みたくなる本でした。

2006年12月01日 | 本・映画
この方は、年をとっても、ある意味チャレンジャーなんだなと思った。

「市場浄化」相次ぐ国策捜査は大問題だ! 田原総一郎著 講談社刊

ネットを見て回ると、この方ほど、
もう出てくるな、固定観念が強すぎる、勝手なことばかり言っている、
オンパレードで、読んでる自分って、まずいの?
と思わせる感じもあるんだが、
何度も言いますように、いろんな方のインタビューが読めて、
様々な業界のことも聞けて、
それでいて立花隆さんよりは、おどろどろしく無い。

そうはいっても、経済界、政界などをフィールドワークしている田原さんにとって
このIT業界。避けて通れないんでしょうが、
踏み込みが浅いのは、致し方ないと思われます。

内容的には、特段、目新しい情報はございません。
例の電波利権についても、携帯の稼ぎに比べて、「最後の護送船団」である
テレビの電波は、あまりにも低いし、効率が悪い。
そんな感じのことを繰り返しております。

NHKも、8つも電波を利用している割には、果たして「公共」といえる仕事を
しているのか、など、最近問題にされているテレビの「デジタル化」も含め、
繰り返し主張されていることが多いです。

当たり前ですが、まとめる、とか、こういうことなんだ、
というのではなく、
まさしく田原さんの「ライブ中継」を読んでいる感じです。
真骨頂というべきなんでしょう。

特にITメディア関係においては、
サブタイトルにもありましたが、検察の今回の捜査、
その時代遅れやら、大儀もへったくれもない「感情移入」のあり方に
警報を鳴らしております。

ただ、これもAERAの編集長のインタビューを通してのマトメ方で、
その大鹿編集長の書かれた本を読んだほうが、はるかに参考になりますが、
どう考えても、今回の検察の動きは、
お粗末だった様です。

マスコミにしても、経済部があるにも拘らず、社会部が仕切ったために
とんちんかんな、感情的な内容に終始してしまったことは、
マスコミの底の浅さを露呈してしまったのは、残念なことだ。

今回の村上氏の公判に関しても、
村上世彰被告「無罪と確信」 検察側と全面対決の姿勢

  しかし、検察側の描いた構図に対する反論のくだりになると、早口で声を張り
  上げるいつもの「村上節」が始まった。

読売新聞では、
  「聞いちゃった。聞いちゃったから、(違法とされても)仕方ない」。ニッポ
   ン放送株の買い占めに絡み、テレビカメラの前でそう言って罪を認めた半年
   前の言葉は、簡単には消し去れないのではないか。

など堀江氏の時でもお馴染みの「解説」が、始まる。
出廷の時は、ノーネクタイがネクタイ装着、だとか、
自虐的な言い方で、廷内が失笑。
宮内証人には一瞥もくれず、時には、眉を吊り上げて、睨みつける風な、
など、
お前さんがた、あれほど「人権」「人権」といっておきながら、
こういうレッテル貼りには、ものすごい堪能じゃないですか?

  検察側は、LD事件で浮かび上がったスイス系銀行からの融資話も、大量取得
  決定を補強する証拠とみている。

と、検察からの情報をそのままアップしていますが、
その時点で進んでいたその融資話は、結局、壊れてしまって、
村上氏が買い占めた後、2月の上旬に、LD側の最高会議で、取得の決定が
なされた、という事実は、
検察が村上氏を逮捕した際には、知らなかった事実で、
とか、
じゃぁ、その村上氏が取得期間中、本当に、本格的に取得を目指すべき、
活動をしていたのかどうか、
など、

なんだか、マスコミから聞こえてくるのは、この辺に特化した内容じゃなくて
もっぱら、
  堀江被告が大量取得の機関決定の存在を否定するのは必至で、公判の行方は
  「時代の寵児(ちょうじ)」と元側近の対決がカギとなる。
にもっていきたいのが、透けて見えます。

AERAの大鹿さんが言っていた、
「信号無視程度のことで死刑判決」でしたっけ、
そういうことなのか、いや、本当に会社を葬るほど、すごい悪行だったのか、
ぜひ、マスコミは、コアな報道をしていただきたいもです。

日本の富と人まで収奪するアメリカ的なるもの。

2006年11月22日 | 本・映画
最近の「稼ぐ」という事柄。
仕事をして「儲ける」というのも同じなんだが、
一発当てるという具合に、
「金融」がらみの内容が多い。

昔であったら、ヒット商品を発案したやら、現場で力仕事をしてなど、
具体的な作業の内容があったように、思われるんだが。
今の時代で、一発当てるというのは、まぁバブルの時でもそうだったんたんだが、
お金で、お金を生む。
そういう「短絡的」な?傾向が強まっている気がしてならない。

考えてみると、あの宮内さんが手がけている「オリックス」。
リースだとか保険だとかございますが、
端的に言うと、主軸は「金貸し業」なんである。
「金融」という表現もあるが、立派な金貸しである。

そういう意味からすると、あの外資。ゴールドマンも何とかかんとかも、
大掛かりな金貸しである。
投資とかファンドとか言っているが、テクニカルな金貸屋さんで、
我々が実感できるような、具体的な「物」は無い。

考えてみれば、ホリエモンも、こういう金貸がいなかったら、
フジテレビにも手を出せなかったし、楽天もTBSに手を出せなかったわけで、
さらに言うと、あの明星食品も日清に吸収されることは無かったわけで、
企業自体が、トヨタもNTTもなにもかも、
彼らから見ると、「金で買えないものはない」という結論になる。

こういう身も蓋も無いことを言うのは、
最近の学生について書かれた本があって、

「タイゾー化する子供たち The Wandering Students」 原田武夫著

なんだが、
  日本の最高学府・東大で教壇に立っていた筆者は、学生たちの声に耳を傾けるうち、
  ある異変に気付いた。「タイゾー化した子供たち」が、東大に多く見られる
  ようになったのである。「タイゾー」とは、あの自民党議員の杉村太蔵氏のこと
  である。彼ら東大生たちは、IPO長者、デイトレ長者、ヒルズ族……このような
  「突然の、段取りなき成功」だけを求め、その成功を他人に見せびらかすことし
  か考えなくなっている。日本のエリートにこのような異変が起こしたのは、いっ
  たいだれなのか?

作者が言うには、教育とは、まさに国家を成立せしめるためのもので、
国立大学というものは、そもそも国益を司る、官吏を育成せしめるものだ、
というスタンスをとっております。

その東大生のみならず、有名大学生が、今や、「外資」と呼ばれる、
アメリカ系の会社の「青田買い」にあっているという事実。
さらに言うと、優秀な学生ほど先に、外資に、国内の金融会社に、そして
メーカーに、そして最後に、官僚・公務員に、
あげく、残滓が教員に(ここは勝手に付け加えましたが)。

この辺の流れを、作者は丹念に、戦後GHQの占領政策から紐解いて、
恐るべき、アメリカの国益主導型の「戦略」を見せていきます。

こういう「人・もの・金」を収奪するシステムに、ことのほか「上手」な
アメリカですが、すでに何度か、年次構造改革書にまつわる話で有名です。
日本の富を生むシステムを、強引に変えて、
アメリカが乗り込み、吸い上げる「様」は、
完全な「高次元」の植民地政策をみるようで、
あの何年間もの「小泉政策」が、いよいよ、実態をともなって、
来年ごろから、我々に降りかかってきます。

そして作者が提起する問題とは、
人まで、もっていかれているんだぜ!という事実です。
まさに、国内で活躍している「優秀な人材」は、
あらかた「金融テクノロジー」を目指し、それも外資系に行き、
3年で、1000万円もの年収を得ることが、
彼らのモチベーションになっているようだということです。

当時、同じ同盟国で敗戦したドイツは、あらゆる抵抗を見せ、
企業のディスクロージャーから企業会計にいたるまで、断固として拒否したのと
大違いの展開をみせる日本。
今の日本を動かしている「実力者」は、紛れも無く、
戦後の占領「教育」を受けたものたちであり、
アメリカ的なものを、セントラルドグマとして信奉しているようにも思えます。

もっと違うタイトルでもよかったんではないかと思うくらい、
資料的な本で、ある意味「謀略史観」との評価を危惧する向きもありましょうが
個人的には、多分、言っている事は、ほぼその通りだと感じております。


異文化を認識してこそ。安易な友好は語れない。

2006年11月14日 | 本・映画
たまたまこういう本を購入いたしました。

「君子の交わり、小人の交わり―日中関係を90度ずらす」
 養老孟司+王敏 著 中公新書ラクレ

なんでまた購入したかというと、
「助詞・冠詞がない中国語」という項目があったからだ。
「つまり、一般的な概念を示す場合と、特定のものを指す場合に、中国語では
 その区別をどうするのか」

「具体的なものごとを言うときと、一般原則を言うときとでどのようにして
 区別しているのだろうか」

こんなことが書かれていると、読みたくなってしまうものだ。

「結局、中国語では、どうも一般原則的な物言いになってしまいがちで、
 そういえば、論語というものも、2千年以上他っても読まれている。
 おそらく、孔子が普通に暮らしている状況の中で発した言葉なのに、
 それがなんと人生の一般原理みたいなものになる。
 おそらく、それが抽象的な一般論で、具体性が欠けている。」

そんな感じで対談が進んでいきます。
何度かあちらこちらで、お目にかかった養老節を聞くことができますが、
結果を重要視する中国に対して、プロセスとその最中の和を大切にする日本。
そういう話しにつながって、
元から話が通じるわけが無い、とまで、話が白熱していきます。

そういう意味で、案外、中国はアメリカ的な発想に近いので、
アメリカとは「上手く」やっていける。
そういえば、アメリカにも、いい感じに「食い込まれている」日本は、
同じようなことで、中国にも、結果を迫られて、
同じように、「年次構造計画書」を飲まされる危険性が高いのかもしれません。

中国には「宗教」がないと、良く聞きますが、
ここでも王さんが、中国は人間中心の考え方だ、と述べております。
面白かったのは、「神様」の最終目的は、人間の形になれること。

日本では、えっつ?という感じですが、
修行中は「妖精」。人間以外の形になれると「ようげつ(漢字は勘弁ください)」
さらに修行をきわめると「妖怪」になれる。
それぞれ500年づつの修行期間があるということです。
ところが最高位の「仙人」は、人間しかなれないんだそうです。

「西遊記」。
これも、猿、豚、みんなもともと立派な「神」でした。
罪を犯した罰として人間の形に「されなかった」ということなんですって。
また、
中国では、この儒教と道教、仏教が混在したこの話し、人気がないらしい。

三蔵法師はどうして悪人を哀れみ、情をかけるのかと。
確かに原理原則主義の考え方からすれば、シンプルな考え方ではないかもしれない。
例えば日本ではモノも動物も、供養されている。
中国人から見れば、食べ物を供養するくらいなら最初から食べなければいい、
そういうことになるらしい。

アメリカも近い感じがあるらしく、
紹介されている例として、
ケンタッキーの日本支社は、鶏供養を毎年行っているんだが、
「何で自分が食うのに供養するんだ」、「食わなきゃいいだろう」
になるらしい。

そういう原理原則的な考え方は、日本では苦しい対応を迫られる。
養老氏は、
「そもそも中国と付き合うことはできない。当たり前で、中国は国だが、
 付き合う相手は人である」
「具体的に考えればすぐにわかることだが、異文化交流は面倒なんである」
「中国とアメリカ。こうした国を国として見ていいか、私は疑問に思っている。
 むしろそれだけで一つの世界なのである」
「その世界の住民に、自分の原理原則を貫徹させようとする」

なんだか引用の嵐になってしまいましたが、
日本が誇れるのは、意外にも、無思想の思想。
原理原則を通さない。
世間という場で、何でも飲み込んでしまう。
そういう考え方、ありましたね。

でも、最近は、その世間を支えていたバックボーンが、見当たりません。
無宗教とはいわれながら、本来の仏教観こそ、日本にあるんじゃないかと
自分は思っておりましたが。
今こそ、本当の、無節操な、無宗教になりかかっているのかもしれません。

驚異の昆虫 微小脳の世界を書いた本

2006年11月11日 | 本・映画
この本は、久々に面白かった。
非常に読みやすく、要点には、太字を使っての構成は、丁寧なこともさることながら
文章が上手い。

「昆虫―驚異の微小脳」 水波 誠著 中央公論新社刊

  ヒトの脳に比べてなきに等しい昆虫の脳。ところが、この一立方ミリメートル
  にも満たない微小脳に、ヒトの脳に類似した構造が見られることが明らかにな
  ってきた。1立方ミリメートルにも満たない昆虫たちの小さな脳こそ、情報処
  理装置の傑作なのだ!

簡単に紹介するとこういうことなんですが、

「わずか10年前までは、昆虫と脊椎動物は、ごくごく単純な体のつくりをもつ
 遠い太古の共通の祖先から分かれ、それぞれ独立に進化してきたと考えられてい た」
「しかし今日、ヒトと昆虫の区分を超えた、共通の働きをもつ遺伝子が続々と
 発見されている。たとえばボディープランを決める遺伝子、眼や心臓、生物時計
 さらには中枢神経系の形成に関わる遺伝子が同一であるという発見である。」

考えてみると、この人間の体を構成している「細胞」。
もともとは、古代、なにがしかの単細胞が、生存のために、それぞれの機能を
補完し合うような感じで、融合、合体してきた、
そういう解釈をしていました。

食っては、自己完結をしていた細胞が、多細胞生物に進化する過程で、
お前は「眼」、お前は「心臓」、なんて、さらにいうと、血液の中だって、
お前は「センサー」、お前は「捕食者」、お前は「シグナル」みたいに、
知らないところで、日々、組織的に活躍していますが、
どうして、納得してそうなったのか。
一度、聞いてみたいものです。

そういう大いなる、変な謎を勝手に抱えて、考えると眠れない自分ではありますが、
こんな小さな昆虫ですら、あまりの「精巧」さに、愕然といたします。

まるで「プリント基板」そのものです。
もちろん神経、ニューロンの数は、人間とは比較にならないくらい少ないですが、
処理の仕方は、まるでコンピューターです。

「解析」そして「出力」の経緯にしたって、
早い、中くらい、遅い、という、それぞれの「つなぎ方」の工夫があったり、
この刺激は「オン」で、この刺激は「オフ」という電気的なリレーが、
いくつもの「掛け合わせ」によって、動作を決めている。

もちろん、新しい「刺激」が、こういう結果を生じた、という流れは、
ちゃんと「記憶」ができ、お馴染みのドーパミンなどのホルモンが、
学習効果を「定着」させていきます。

もちろん人間は、もっと、超高度で複雑な仕組みですが、
基本構造は、なんら昆虫と変わりません。
人間だって、刺激を「入力」して、その結果を解析して、
同じ刺激に対して、当たり前ですが、最善の行動を「出力」するようにする。

そう考えると、蝿だって、振り下ろした蝿叩きを、回避して逃れた先で、
せせら笑っているように見える。
じゃなくて、「セーフ!」という感覚を、本当に、蝿じゃないからわからないけど
持っているのではないか、とすら、思えます。
だって、「心」というものは、本来、多くの刺激を処理した過程で、
蓄積された、ある種の「反応」出力としても、いいからです。

それにしても、トンボの眼。
大きいですが、上半分は遮光色素があって、ほんまもののサングラスをしています。
気が付きませんでした。
そうですよね、中身が「日焼けを」おこしますものね。

で、単眼があるんですが、
とんぼは3つ。
あれって、飛行機で例えれば、ジャイロコンパス?
明暗のみを最優先に処理する「器官」だそうです。
なもので、暗い=地面 明るい=空 ということで、ピッチ、ロール、ヨー軸
に特化した器官だという。
ええ、好きな話です。
最高です。

その昆虫を研究するのに、この先生がもっとも利用しているのが、
ゴキブリデス。
ここだけは、心情的に、馴染めませんでした。

専門書といっても過言ではない内容ですが、
お人柄がにじむ書かれ方に、敬意を覚えます。
秋の夜長に、お勧めの本です。

凄いぞ「中国」。昨日のテレビにて。

2006年11月09日 | 本・映画
昨日、たまたま見た番組だったんだが、
「ザ!世界仰天ニュース」日本テレビ系、水曜日夜9時放映。
驚いた。

10年ほど前に、中国で起こった「事件」。
5人の乳幼児が、立て続けにさらわれた。
性別は、全て男の子。
採用したベビーシッターとともに、忽然と姿を消すと言う手口。

中国では、ベビーシッターを雇う際、そういう機関から紹介を受けるのではなく、
直接、依頼者が、仕事を探しているベビーシッターが集まる「市場」に行って、
プラカードを抱えている女性に、交渉するというもの。
何だが、原始的で、人買いみたいな雰囲気。

で、逮捕された「犯人」。
現場である北京から、数百キロ離れた農村の出身。
零細な農家で、彼女がまさに高校進学を目前にした時に、
働き手の大黒柱である、父親が倒れた。

やむなく、進学をあきらめ、朝から「豆腐屋」さんで働く。
作った豆腐を、数十キロ離れた市場に、「天秤」で運び、
売り切るまで帰れない。
過酷な毎日を送る。

彼女を支えていたのは、中学の同級生の女の子。
一緒に大学に行こうと励ます彼女。
けなげに進学のため、都会への憧れを胸に、まさにお金を溜め込んでいた。

ところが、数年後、親友と共に大学進学を親に相談したところ、
なんと体が回復した父親、
「女は、黙って、家に入って、仕事をしていればいいんだ」と、
彼女が貯めていたお金を、根こそぎ奪った。

凄いぞ、男尊女卑!

親友と共に、都会に出た2人は、たまたま親切な家族に、住み込みの
「家政婦」の仕事を得て、しばらく、働きながら、勉強に励む。
ところが、ここから、思いも寄らぬ悲劇が訪れる。
降りかかる悪夢とは?
彼女たちに何が起こった?

たまたまの休日、親友と連れ立った街中で、声をかける男。
身分証明書を片手に、今の「倍」以上の給与で働ける、「国営」の工場の話を
切り出される。
彼らは、その工場のリクルーターだという話。

信じるままに、世話になった家族に別れを告げて、汽車に乗る。

日本では、この手の話は、「国営」の工場を「モデル」に置き換えれば成立する
とか、リクルーターをスカウトマンに変えれば、そのまんまだと、
スタジオにて盛り上がる。

しかし、明確にされない目的地。刻々と流れる時間。
不安を感じ始めた彼女たちが、行き着いた先は、人影も無い、旅館。
「今日は、ここに宿泊する。工場の人間が、ここに迎えに来ることになっている」
すでに、危険を察知したが、後の祭りだ。
見張られ、逃げ出すこともできない。

数日後、親友が、先に外に出される。
翌日、夜、彼女に襲い掛かる、先のリクルーター。
そして、抜け殻になった彼女は、ある、表向きは新進の会社経営者、
実は闇の世界の「主」に引き取られていった。

「お前は、高い金を払って手に入れた。逃げようと思うな。
 変なことを考えたら、お前の友達がどうなっても知らないぞ」
全てを塞がれる彼女。
支えになった、友人が、心配だ。

決心した彼女は、従順に「主人」につくす事を始める。
信用を得て、隙をつくらなければ。
しばらくして、主人、そして家族にも、「よく働くようになったじゃない」
打ち解けた雰囲気が見えた、ある日、
主人が単独で、初めて、車で外に連れ出すことになる。

「友人が、心配なんです」
「なるほど、お前が最近頑張っているわけは、そういうことだったんだな」
「元気でいるかどうかだけでも」
「わかった、それでは取引をしようじゃないか」

そこで持ち出された内容が、
「1歳くらいの男の子をさらって来い。お前にかけた金は半端ではない。
 見合うくらいの金を稼げば、お前の願いを聞こうではないか」

1990年ごろといえば、中国では、一人っ子政策の真っ只中。
農村部では、生まれる子供が、そのままその家族の生産性を引き上げる。
女の子であれば、×××。男の子であれば、セーフ。
そんな中で、政府の罰則、監視は「猛威」を振るっていた。

男の子が欲しい。
それも生まれたばかりの。
自分たちで「生む」よりも、確実な「人身売買」に需要が集まるのは
目に見えていたのかもしれない。

彼女は決心した。
「やります」
励ましながら、支えてくれた、友人の安否を、そして、逃げ出すことができるなら!

そうして、この事件は、始まったのだ。
彼女は、終に5人目の幼児を、まさにさらって、農家に届け、
お金をもらった時に、「逮捕」された。

さぁ、ここからだ、ここからが、驚きの瞬間だ。
長々と、本当に何を考えて書いているのかわからないんだが、
普通、5行くらいで説明がつく、でも、書いちゃった。ごめんね。

そう、中国の「司法」は恐ろしい!
まず、彼女を「さらった」リクルーターは逮捕された。
そして彼女を買った「主人」も逮捕された。
彼らの「刑」は、禁固20年。

そして、身を翻弄された「彼女」は、いったいどうなったんだ!


「死刑」!!!
逮捕後、4ヵ月後に、執行!!!!!

凄いぞ「中国」。1993年のことだそうだ。
実話だ。






 

日本の「野球ビジネス」の後進性を言う本。

2006年11月06日 | 本・映画
たまたま訪問先にあったブックオフで発見し、そのまま購入。
105円は、安い。

「日出づる国の「奴隷野球」―憎まれた代理人・団野村の闘い」
 ロバート・ホワイティング著 文芸春秋刊

結局、ロバートさんの野球に関する本、一通り読んでしまったことになる。
今回の本は、野茂選手やら伊良部選手の話と言うよりも、
それに関わる、日本の球団と、エージェントの話がメインである。

端的に言うと、日本の「野球ビジネス」の世界は、ビジネスでもなんでもない、
素人の寄席集まりだ、といった、ぼろくそ状態に書かれている本です。

相変わらずの論調なんですが、
日本の野球は、その「本家」を自認するアメリカのベースボールとは
全く違う。
練習のシステムから、選手の管理から、球団の運営にいたるまで。

そりゃ、耳が痛くなるほど存じておりますが、
日本の球団は、親会社の「宣伝広告」媒体でして、
運営も「広告宣伝費」から出ていた事は、紛れもない事実です。

その筆頭たる読売ジャイアンツが、まぁ、今回の日米野球をやっていますが、
まさか、あの日本が、ここまで、という程度の「自己満足」でやっているのなら
ともかく、
状況は、日本人が、大リーグに「進出」し、「活躍」できる場になって
しまいました。

そういう「開国」を促してきてしまったのは、
簡単に言うと、一種の「万博」みたいに、日本の実力、「野球」の実力を
「誇示」したい、そして、その結果に基づいて、宣伝広告の一環にしたい、
という、ことだったんだろうけど、それじゃ、済まなくなってしまいました。

今や、まさか、日本人が、大リーグでフルシーズン、活躍できるとは、
そんな感じで、右往左往しているのが、手に取るように見て取れます。

そうなってくると、本家を自認するアメリカ側は、
聞いたこともないような「契約関係」を行っている日本。
アンビリーバブルなのは、間違いなくて、
一方で、ここに書かれている、団野村氏の「活動」も、
アメリカでは、当たり前の活動なのに、
日本では、マスコミ、知識人も含めて、バッシングをする。

結局、今の政治と同じで、野球は日本の文化として、高校野球からして、
なんだか、「野球道」をベースにした、「感動」「情熱」「修練」でやってきたのに
年次構造改革書でしたっけ、みたいなアメリカのスタンダードを示されると、
うじゃうじゃ出てくる、日本型「慣習」が赤裸々になってきて、
結局、とりこまれてしまって、
なんだか、日本のプロ野球が、大リーグの1地方、マイナーリーグに
変貌しようとしている。

ああ、日本の政治も、あの北朝鮮に「アメリカ」の一つの「州」なんだから
六カ国会議に出る必要なんてないだろう、
と言われているのに、限りなく、近いイメージができますね。

アジア1決定戦が、行われると聞きますが、
日本ハムのヒルマン監督が、アジア選手権まで頑張る、という記事を拝見するまで
ごめんなさい、存じ上げませんでした。
全然、盛り上がっていない。
韓国の、あの異常な盛り上がりに比べれば。

結局、サッカーが「黒船」になってしまった感じで、
それなのに、いまだに、しっかりとしたビジョンが出せていない。
あの日ハムにしても、北海道で「できるわけがない」と高をくくっていた
マスコミもいるくらいだから。

この本では、いくつかの提言が出ていましたが、
その通りにやっていくと、今の政治みたいに、「日本のプロ野球の文化」が
総崩れです。
これは、仕方がないんだろうか?

増税は、無能な証拠?危機を煽りすぎる政府。

2006年10月31日 | 本・映画
この日本は、本当に「増税」しか、手をうつことができないのだろうか?
実感としては、バブルが弾けて以降、長い不況が続いた。
物の値段も下がり、リストラを打ち出す、大手企業の報道、社会保障の破綻など、
国の「経済」状態の悪化が、これでもか、というくらい、
連日報道された。

国の「債務」が、ほとんど壊滅的で、何世代にも渡って、苦しめることになる、
そういうマスコミやテレビの報道に、
明るくなれって言っても、そりゃ、無理。
将来に希望を、と言っても、そりゃ、無理。
そういう閉塞感。

そういうときに、なんだかこういう本を読みたくなるんです。
「増税が日本を破壊する」 菊池英博著 ダイヤモンド社

サブタイトルが、本当は「財政危機ではない」これだけの理由。
いま日本経済に必要なのは、積極的な投資減税と公共投資。
借金795兆円にはカラクリがある。

この本を読んでいて、参考になったのは、
あの15年間で、効果が見られないとされていた「公共事業」。
金だけ突っ込んで、日本の経済に何の効果もなかった、物笑いだよ、
とされていたやつ。

過去のデータをみていると、案外、そうでもなかった。
以前読んだウエクサレポートでもそうなんだが、
この財政危機は、どうやら、橋本、小泉氏によって引き起こされた
「政策危機」と呼んでも差支えがないらしく、
結果、今、論議されている「増税」は、

「もう、ぼくには財政的な政策を考える自信がないので、安易に増税させて
 いただきます」に等しい、ということらしい。

まず、企業会計として取り入れた、時価会計(減損会計含む)。
僕は、あれほどグローバルスタンダードだって、聞いていたんですが、
あのアメリカですらも、
景気がよくなったんで、「つい最近から始めました」。
という代物だったなんて、聞いたことがありませんでした。

おまけに、「時価会計ってさぁ、景気が悪いときにやって、得すること一つも無いよ
 このアメリカだって、あの1933年の大恐慌以来、60年間、時価会計を
 停止!していたんだよ。」
ということだ。

さらにペイオフ制度。
銀行に預けている「預金」1000万円までは、保護され、あとは、自己責任だよ。
という制度。
これは、もともと、欧米の中小の銀行の「貸し出し」を円滑に行うように、
支援を目的とした、プログラムらしく、
安心して、お金を預けなさい。
そのお金を「原資」として、銀行は「投資」「貸し出し」をするからね、
ということだったらしい。

聞いてないよ。そんなこと。

簡単に言うと、時価会計によって、所有する土地・株が下がった場合、
その都度、決算にて、「損金」を確定しなければならない。
特に銀行は、その影響が「大きい」。
なにしろ、自己資本率というのがあって、毎年、どれもこれも下がったら、
損金の関係で、自己資本率が「危険」なことになってしまう。

結果、どうなるかというと、「貸し出し」ができなくなる。

またペイオフが散々言われまくってしまい、銀行に「安定」して預金されていた
お金が、「流動」することになる。
もともと、それを原資として、お金を貸し出すという機能の銀行は、
方向転換を余儀なくされる。
そうです、貸し出しよりも、「手数料収入」に活路を求め始めたんです。

さらにさらに、金融庁は、時価会計とディスカウントキャッシュフローをもって、
銀行に「乗り込みます」。
ディスカウントなんたらは、来年、1億で売れていた商品は、多分、8000万円
になるよね。
予想としては、今のまんまだと、損がでるよね、損金処理を「今からしといて」、
という作業です。

これをやられてふっとんだのは、ちゃんと納税していた中小企業レベルです。
銀行が、そういう「査定」で望みますから、
貸し出し枠が、ふっとぶ!
さらに地価、株価がさがると、所有していた企業から、金を「はがし」に
行かざるをえない。
これでふっとんだのは、UFJだったらしい。

さらに、銀行が多いとする考え。オーバーバンキング。
やってみたら、「銀行の寡占化」が進み、地方に銀行がない。
地方の銀行には、金融庁から、1件あたりの上限融資額が、きっちり通達。

貸し渋りといわれている環境を作ったのは、実は、「政府」でした。

案外、そういう流れから、中小企業の社長の自殺、リストラなどで
「痛み」を分かち合った方々の自殺は、
後世の歴史家から、暗黒の平成と、名指しして、ご指名を受ける人がでるかもしれない。

今回の
松下電器9月中間決算、大幅な増益 新社長、順調な船出
記事だけ貼りましたが、この2年で、連結諸表で明らかですが、
本体は変わっていませんが、連結ベースで3000人、人が減っています。
株価を中心に企業をやっていくと、こういう世界が繰り広げられます。
あの松下でもです。

日本のサラリーマンの、実に80%は、課税所得300万円未満に入っております。
これは衝撃的な数字です。
この先、増税は、明らかに、このグループを狙い撃ちにしてくるものと思われます。
なんたって、20兆円、税収をあげるのが「目標」らしい。

公共事業が役に立たないっていう論理も、
どこかが、中間にいて、紛れも無い「搾取」をしている構造が見て取れるから、
破綻をきたしているんであって、
減税と、公共投資をを増やした時期は、確かにGDPも税収も上がっていました。

これも一つの見解なんであろうが、
デフレの「余地」が残っている時期に、増税をする国は、
必ず、無能呼ばわりされることを、政治家の肝に銘じていただきたい。
ゲームでも、増税のメニューは、あらゆることをして、最後にやる。
関心を持てる、本でございました。


格差は社会保障、教育にもっとも現れる。

2006年10月24日 | 本・映画
「格差社会―何が問題なのか」 橘木俊詔著 岩波新書

ラゾーナ川崎で慌てて手に入れた1冊。
しつこく、色々と読んでおりますが、この本は非常にデータが多く、
色々な意味で、入門書ということができます。

ただ、様々なデータを使いながら、結局は「対処療法的」な結論を言われる
傾向があって、もどかしさを感じます。

また、現代のマーケットの状況も、何かステレオタイプな論評が散見され、
とまどいます。
例えば、会社の経営者という件で、彼はサラリーマン的な経営者と労働者の経験が
無い経営者という分け方をして、
前者はトヨタを始めとした、日本に昔からある企業をあげ、
「彼らは労働者としての経験があるので、ある程度労働者の気持ちが理解できます」

後者はITなどで御馴染みの企業。
「労働者の経験がないので、自分の企業で働く労働者の気分や感情などを、
 理解できない場合も少なくありません」

なんて、椅子から転げそうなことを言ったりします。
すいません、リストラを大々的にやったのは、労働者あがりの創業者の連中でしたが。

また、格差が進行する中で、というところで、
「今日の高額所得経営者が従事する産業には、パチンコ店経営者、消費者金融と
 いったものがあります。こうした産業が、高額所得産業として位置づけられる
 ことが、はたして健全な社会と言えるのでしょうか」

こういう産業に「儲かる」として優秀な人材が流れるのは、人材配置として
問題を感じずにはいられません。と言っているが、
本当に、人材が流れているって、調べたんでしょうか?
かなり疑問です。知る限りでは、そういう人材が流れているとは、とても思えません。
エモショーナルな論議が、ちょっと、多いような気が致します。

確かに、格差が固定されてきた、という議論に「疑問」はございません。
2世、3世といった、政治家や医者に見られる固定化は確かに事実です。
IT産業で華々しくサクセスストーリーを飾った人々は、押しなべて、
東大生でした。

ただ、そういう人々を援助してきたのは、紛れも無く、「旧世代」が作り上げた
金融システムの賜物です。
出が東大、というだけで、信用を付与してきたのは、何も今の新しい感覚ではなく
どれほど昔から、資金を含めて、有利な状況にしてきたか。

たまたま、サービス産業、中でもIT関連は、すこぶる新時代を担う産業ですが、
もてはやされているのは、単に、上場基準を緩め、ブームを作った側の人間で、
あれは「情報産業」ベースで充分なジャンルではないでしょうか?

ちょっと脱線しましたが、
貧困ということについても述べておりますが、
年齢別に見ていく中で、18~25歳。そして76歳以上の貧困率の高さを挙げ、
若者の貧困率が「深刻」だと、結論付けますが、
もっとも、低所得労働層を考えたいようで、最低賃金が生活保護の金額よりも
低い、とやや強引に、話をつなげていきます。

フリーターの平均年収が140万円という数字をあげては、「独立して一人で
生活していけるのでしょうか?一人で生活していくのでさえ難しい若者の
貧困層が増え、結婚は困難と言えます」
なんてことを言われていますが、フリーターとニートの説明が、
まったく別段で論議されているのは、なぜでしょうか?
貧困をこの層に語らせる「必然が」いまいちわかりません。

ただ、再三語るGDPから見て、日本の再配分、つまり社会保障システムを見ると
とっくに「小さな政府」は実現しているということ。
これ以上、小さくしてどうするのか!には、最近、私、同調傾向があります。

ただ、日本の税負担率が先進諸国の中で、最低というのには、生活レベルの実感
からいってどうなんでしょうか?

そして最大の疑問なんですが、この国、日本は、いくらの「税収」があれば、
いくらの「予算」があれば、望む、「再配分」が適正にできるんでしょうか?
年収300万円での生活という本もありましたが、
モデル年収は、どこに位置するのでしょうか?

例えば、生活保護は3人家族、東京在住で「16万3970円」です。
年収で200万円弱。
これが目安ということで、政府は、この国の規模を考えているんでしょうか?
貧困は無いとしている根拠は、どこにあるんでしょうか?

個人的には、「格差」自体、普通にある現象だと思っておりますが、
老後、いつまでも住んでいたい、そういう国にしていこう、とは決して思えない、
むしろ、邪魔な連中だと、考えているような、施政に思えるんですが。

格差は、社会保障に対して、実はもっとも大きく表れる。
教育の予算についてもそうです。減らしているのは、日本だけじゃないですか。
これさえ、充分な取り組みができていれば、何も、ここまで、
大きな問題には、ならないと思うんですが。

 

格差社会というよりは、富の再配分システムの崩壊。

2006年10月16日 | 本・映画
「格差社会」という文言が、随分、世間に流通している。
自分としても、いくつかの本を読み、色々な方々の発言を聞き、
勉強してきたつもりである。

今のところの「了解」は、簡単に言うと、問題が「格差」にあるんではない、
ということだ。
古今東西、格差は、当然のようにあったし、今も、拡大したり縮小したりを
繰り返している。

幸か不幸か、日本は、江戸時代のように、3000万人という規模ではなく、
食料から、エネルギーまで、海外から調達しなければならない規模にまで
膨れ上がっている。

全国均一な生活権を保持するために、あらゆるインフラが、人口の増加を促進した。
その結果、会社が、株式上場するとともに、世界中の資本家から「強奪」もあり
の関心を持たれるのと同じように、日本も、あらゆる複雑な「視野」が
必要になったのは、事実である。

さて、そういう状況下、日本は、この15年、大不況であった。
その時に出現したのが、小泉政権であった。
考えてみれば、「護送船団」もそうだし、許認可、届出制と、案外、規制を盾に
経済活動を縛っていたのは、
「富の再配分」を効率よくするためには、どうするのか。
に行き当たる。

彼が規制緩和、構造改革、小さな政府、と標榜し、経済偏重の政策をとったのは、
なによりも「経済競争力」というものを、極端に上げる。
そして、何よりも、その「源泉」をアメリカ経済をモデルにもしたし、
アメリカの資本によって、てこ入れしようとしたのは、明らかである。

幼稚な方法論かもしれないが、規制をかける、省庁が守っている、
閉鎖的なマーケットである、というのは、
結果的に、政治家など既得権と称される、「利権の温床」と騒がれているが、
当初は、「富の再配分」を手がける一方、
もちろん、弱小の日本経済を守る、そういう意味もあったに違いない。

ところが、政治家も焦った。
この税収が減り、効果的な不良債権の処理法がとれず、あまつさえ、
長い年月に渡って、「再配分」のシステムが、彼らの「ただ儲け」システムに
変貌をとげてしまい、公共事業も大きな成果をあげず、税収を増やすために
回した竹下元総理が推奨した「ふるさと基金?」も、
おばかな首長によって、金のトイレに化けてしまったり、彼らもがっくりしただろうが。

とりあえず、ボツワナ共和国と、ランクが「同等」といわれる中で、
才能ある、特に経済人。
これにインセンティブを与えることを重要視したのだろう。

あらゆる税制上の恩恵を与え、源泉徴収で50%持っていかれるなら、
株の取引で、1億円儲かっても、分離課税で10%程度しかもっていかれない、
とか、
ゼロ金利と言われる中で、
昔は、貸出金利、8%とか、9%と言われる中、預金も、2%とか3%あったが
今は、貸出金利、1%とか、2%と言われる中、預金は、0.001%!
分母が違うこともOK。
というより、そっちを、なぜ、マスコミは叩かないんだ。

結果、ご覧のように、ほぼ、旧時代の「富の再配分」システムが、
単に、崩壊した。

小泉さんが、小さな政府とか規制緩和とか郵貯解体とか、痛みを耐えるとかは、
考えてみれば、この日本の「富の再配分」は、当面、考えておりません、
ということに他ならない。

そこに回すお金もなければ、知恵もありません。
やりすぎると、キャピタルフライト。資金が流出してしまうし、
頭脳も資本も、どんどん逃げていく。
そうしたら、この1億もの人口を抱え、高齢者と呼ばれる「層」が、
全人口の4分の1になってしまったら、
まさしく、甚大な悲劇が見舞うだろうと。

ぶっちゃけ、こういう時代なんではないか。

「縦並び社会―貧富はこうして作られる」 毎日新聞社会部 毎日新聞社刊

ラゾーナ川崎の丸善にて、ポイントを貯めようと、購入しましたが、
ポイントに入らないんだって。がっくし。

いやいや、意外に「精力的」に作られた本です。
もちろん、「格差の現場から」という章では、貧しさのサンプル、大爆発です。
そういうと怒られますが。

金持ち優遇とか、市場原理優先主義を叩いてみたり、前半は、読み応えありますが
社会部らしいな、程度のことですが、
後半は、海外の事例を取材してみたり、識者からの提言を載せてみたり、
意外にも「掘り出し物」でした。

毎日新聞ですから、竹中元大臣とか、宮内オリックス会長をも、バランスよく?
出しておりますが、見た感じ、「悪の象徴」でした。
あははははは。

ただ、上記の2名の仰っていることも、良くわかります。
識者の方々に比べると、至極、真っ当な意見です。
「再配分に回す、資金は、稼ぎますから、後は、政治がその方法なりを検討下さい」
に尽きます。

マスコミも、「下流」とか、「格差」とか、確かに重要ですが、
何もかも、トレンドのように「格差」を持ち出すと、論点がぼやけます。
要は、「再配分」のことなんです。らしい。(弱気)

はっきり言って、まさしく、国内問題として、哲学から、この行く末含んで、
日本の文化も合わせて、一番の「肝」といえるでしょう。
マスコミも、はっきりと、このことを、もう、言ってしまいましょう。
ただ、先にあげた「所有と国家」でも論争がありましたが、
富の再配分は、難しい、哲学。難しい、内容でした。

このような私が、語りつくせるものでは、決してありません。
当たり前だったかもしれませんが、長々とすいません。




鄭 大均さんの本を読みました。

2006年10月05日 | 本・映画
「在日の耐えられない軽さ」鄭 大均著 中央公論新社 刊

正直、目に付いたというだけの理由で、購入いたしました。
購入後、そういえば、在日・強制連行の神話を書かれた人だと、気づいたんですが。

朝鮮の父をもち、日本で初めて日鮮作家として文壇にデビューされた方だそうです。
母は、日本の方。
1948年に生を受け、いわゆる在日家族として、どのような半生を送られたかの
記録となっております。

在日という言葉をキーワードにした論議は、もう、ネット上で、数限りなく語られ
生半可なことを申しても、始まらない。
個人的には、そういった話題に「のる」「のらない」というレベルではなく、
彼らが、何を、目標としているのか、もしくは、何をわかってもらいたいのか、
そういう、組織的な意向があるんだろう、と、考えなくもないんですが。

ただ、「差別」というものが、何に「起因」して、
受けてが、どのように感じていたか、存在していたか、
感情的な言葉ではなく、分析的で、冷静な言葉で、当時を省みることは
必要なことで、
そういった書物に、触れていきたい、
考えて見たい。

特に、自分では、そういう意識も何にも無くても、
「遺産」を相続した者として、
この先、民族のアイデンティティを「喪失」もしくは、
異なる土地で民族の血を思いながら生きる方々が、流入するであろう将来に向けて
知っておくべきことは、多く、あるのも事実である。

今回の本は、期待せずに購入した分、大変、理解が進んだ本として、
ちょっと嬉しかった。そして、驚いた。
最後の章、「妹」というところ、
自分も存じていたが、例の東京都の地方公務員の管理職試験で、
在日韓国人の受験を拒んだ、最高裁の逆転敗訴の席上、
「世界中にいいたい。日本には来るな!」と絶叫した、その人が妹というくだり。

兄として、その言葉の暴力の影響を「懸念」もして、誌上などで批判された
ようだが、
彼女が、「どんなに虐げられたか、どんな過去を持っているか、どんな日常を
送っているか」として言った、裁判上での意見陳述。

彼は、同じ日々を送った、家族として、あまりにも、「共有できる事実がない」。
と、淡々と、いくつかに反論を加えていく。

このような切り口で紹介申し上げるべきではない、そういう本。
だから、おおげさに、いくつかのトピックスをあげて、
書き連ねていくことは、自分にとっても不本意なこと。
そして、この本に対して、申し訳ない、そういう姿勢になります。

それだけ、実に、わかりやすく、父を通して、様々な文献を通して、
あの時代を、淡々と丁寧に語る著者。
母と、そして、関わった様々な人間関係を通して、自分についても、兄のことも
書いておられますが、
随分、人として、尊敬もできる歴史を、考えをも感じ、
大変、勉強になりました。

本当に、あの時代、日本って、ろくに経験もない「おガキ」な状態で、
恥ずかしいくらい「有頂天」になっていた時期があったんだなぁ。
そして、恥ずかしいくらい、北朝鮮に「媚びへつらって」「礼賛」していた時期が
あったんだなぁ。

そして、どちらにも言える事なんだが、国籍をちゃんとする、ということが、
ライフチャンスという問題を考えると、
どちらも、ちゃんと、考えてこなかったんだなぁ、
そういうことも、考えさせられました。

在日という「問題」を、実感もできる。
手にとってお読みいただける、良書でございます。


「所有と国家のゆくえ」 でこういうことを考えました

2006年10月03日 | 本・映画
考えてみると、世の中で、大きく論議されていること。
どっちが合っているか、間違っているか、そういう報道が目に付くことがある。
確かに、決まっていることがあって、「違反」した場合においては、
そうあるべきだし、異論はない。

最近、国旗・国歌の強制問題が論議されているが、
よく読むと、「国家」に対しての「認識」が、どうも違っている。

一方では、国家とは、権力システムであって、市民を「抑圧」しかねない、
そういう「主体」をもったもの、というのが背景にある。

一方では、国家とは、我々が参加して作り上げていくものだ、そのための
入れ物、道具にすぎない、という論理もある。

議論をするときに、注意しなければならないことは、言葉一つとっても、
きっちりと「確認」をとっていないと、いつまでたっても、「不毛」な議論になる。

昔から、社会の成り立ちについて、民衆のあり方について、そりゃもう、大変な
冊数の本が、世に出ている。
ある時期キーワードになったのは、「搾取される民衆」であった。
国家は、権力そのものであったり、民衆は搾取・強奪される、単なる道具。

そういうところから、「所有」というキーワードが、盛んに使用された時期があった。
でもね、こと、現代に至って、我々は「何を所有」しているのか、
何を「切り売り」しているのか、何を「消費」しているのか。

だって、このパソコンだって、あらゆる国、あらゆる人間が組み合わさって、
完成されたもので、どこまでが、自分の「切り売り」で、できたものか、
全然、わからない。

言ってみれば、昔、社会主義とか言うマジックで、共同体を目指した時期があったが、
現在、何を均等化したらいいのか、何をもって平等なのか、
実は、誰も、細かい具体的なことは言えても、大きな理論を出すことができない。

生産された物があって、平等に分配する。
そうはいっても、生産されたものって、誰が、どういう風に、どのくらい関係したか
「公平」に測ることが、誰も出来ない。
であれば、その次に来る、「平等」って、何だ?ということになる。

そもそも、そういうことって、それぞれが、それぞれで主張したって、
何の解決にもならない。
すでに、世界丸ごと、「流通」システムが出来上がっている以上、
それぞれの、まとまりの中で、解決していくほかない。

そこで、どうやら、今、「国家」という、入れ物について、考えられている
考え方が、これ。

  「なぜ国家があるのか」
  「別にあなたを生まれさせて生きさせるために国家が出てきたわけじゃないけど
   事実問題として、今あなたが生きているということを可能にせしめる条件の中に
   ほとんど必要不可欠の条件の一つとして国家の存在という契機が含まれています」

ぶっちゃけ、こんな感じらしい。
というか、今は、ここまで、「解体」というか「無力的」になっている。

ところがだ。
ところが、結構、多くの人間が、案外、この入れ物の「国家」について、
無責任に、寄りかかったり、妙に、怖がったり、むきになったり、
俺がこうあるのは、国が悪いんだ、みたいになったり、
国がやっていることは、まったくもって、「いい加減で信用がならない」。
といっては、「俺が事故で怪我したのは、その曲がり角に、充分な標識を
立てずにいた、行政の不備だ」といって、賠償を求めたりもする。

本来、国が期待されている「機能」の一つに、「分配」というものがある。
格差社会、経済政策など、今、非常に熱く議論されている件だが、

 「不幸な人たちが大勢いる社会はよくないよって思っているからこそ、国家は
  こういうスキーム(社会福祉含めて)を作っているはずなんです。
  あんまり不幸な人がたくさんいるんだったら、責任はやっぱり国家、あるいは
  国家を作ったみんなに、その限りでは個別に自分の不幸には、責任がない
  その人でさえも、自分をも含めた、たくさんの人が不幸に陥っている社会に
  ほんのちょっとの連帯責任の一端を負っている」

この意識を、どのように、我々が共有することが、できるか。
とっくに、誰それが、どこで、何をやっているのか、わからない。
でもこの国で、厳然と、共同体の構成員の一人として、関係がある。

どうでしょうか、こういう「国家」についての考え方。
「愛国」とか、そういう議論もありますが、こういう考え方もあります。

「所有と国家のゆくえ」 立岩真也 稲葉振一郎 共著 NHKBOOKS
2度3度読まなければ、とてもじゃないけど、語れません。
輪に入ることができません。
まさに目を通しただけですが、非常に、参考になりました。

マスコミに乗せられてんだよな。やっぱり。

2006年09月20日 | 本・映画
人からの紹介で読みました。
「“日本離れ”できない韓国」 黒田勝弘著 文春新書刊

光復60周年を契機に書かれた本。ということです。
個人的には、この2年。ブログを通して、さらにネットを通して、
韓国、もうお腹一杯、みたいな感じ。

ひとつの国が、その政権が、何をモチベーションにして成り立つことができるのか
どのように「国力」をあげていくのか、
そういう観点で見ると、非常に興味深い、国であることは間違いないです。

ただね、私も、人間ができていないんで、
柔道も、剣道も、茶道も、空手も、自分たちの国がオリジナルだとしたり、
今話題沸騰中の「怪獣映画」も、パトレイバーの模倣だったり、
ガンダムもマジンガーZもいじられ放題、なんてことを目にすると、
「切れてないっすよ」と言いたくなるじゃん。

最近、戦争補償問題で、国会周辺を練り歩く団体が減ったと思ったら、
昨年、国交回復の際の外交文書が公開され、しっかりと、個人補償もひっくるめて
「解決済み」という、公式記録が、終止符を打っていたんですね。
そういえば、そうだった。

今日の朝日新聞の社説
北朝鮮制裁 対話再開につなげてこそ
  同時に忘れてならないのは、圧力で北朝鮮を追い込むだけでは解決につながら
  ないことだ。

  小泉首相の訪朝は対話への道を開く歴史的な外交だった。日本人の拉致を謝罪
  させる一方で、国交正常化と経済協力への展望を見せる。金正日総書記には、
  米国への「口利き」の期待もあったろう。

  その後、日朝の対立が深刻になっても、北朝鮮が平壌宣言を反故(ほご)にす
  ると言わないのは、このアプローチに利益があると考えているからだろう。総
  書記と首相の関係もかろうじて生きていた。

  だが、その首相が去り、後継者に安倍官房長官が選ばれる見通しだ。

こんな感じ。

マスコミがね、どうも、ずーーーと、ナイーブなんだよね。
かの国この国に対してだけは。
別に、「日朝の対立」という書き方しなくても、いいのに、
単純に、北朝鮮の「孤立」でいいのに、不思議な書き方をするんだよね。

思うんだけど、こういうマスコミが、事実だけを、ベースにして、
「言葉の力」を信じるんであれば、書いてくれれば、
こういう人間として未熟な自分も、冷静に考えることができるのに、
竹島をプレゼントしてしまえ、とかね、
何種類もある教科書なのに、1種類しかない「国定教科書」を使っている
国の意見を、紙上に、これでもか!と載せてみたりね。
どうせだったら、韓国推奨の教科書は「これ」って、言ったほうがましなのに。

これだけを見ている人間は、必ず、そっちにいっちゃう。
だから、また、黒田さんの本を買ったり、姜尚中の本を買ったり、
してしまうのです。
なんだかな、やっぱり、商流に乗せられていますね。

格差社会の元凶が、わかったような気がしました。

2006年09月16日 | 本・映画
色々と書いてまいりましたが、世の中には、色々な考え方があるものです。
まだまだ、本当に、勉強が足りませんでした。
本を読むと、結構、その気になって、引きずられる傾向が高いのは、いつもの
ことなんですが、今回も、ごめんなさい。
結構、納得がいっちゃっています。

「誰のための会社にするか」ロナルド・ドーア著 岩波新書刊

規制緩和という波の中で、「会社法」が改革された。
さんざん書いてきたが、アメリカ自由資本主義の流れに沿った改革だ。
確かに「金融」の事情が、大幅に変わり、
銀行を頼りにできない、だったら直接金融だ、株主を大切にすべきで、
今までのやり方は、旧態依然で、談合と不正が紙一重で、
オーナーを、誰も監視・コントロールできていないではないか。

だったら、「物を言う株主」として、村上ファンドも、一定の評価はあろうし、
透明性を保てて、ガバナンスがしっかりしている企業が、望ましいはずだ。
それが、これからの、求められる企業だ。

という風に、ある程度、考えておりました。
竹中大臣の「語り口」も、あの人の話し方って、多分、すごく上手いんだと思う。
だって、よくわかるんだもの。木村剛さんの話しも然りなんだが、
ガバナンスの導入・強化は、企業の信用を得るために、必然なんだ。
ということ。

この本を読んで、色々な事がわかりました。
会社法に関する本が、様々に出ていましたが、ええ、この本、1冊読めば、
改革の内容が、「偏って」いますが、1発でわかりました。
どうして、こんな話を、エコノミストとか、テレビに出ている専門家は
紹介してくれなかったんでしょうか?

会社は、株主のものである。
こういう流れで改革が、どやら進んできたようだ。
ところが、(あまりにも軽い理解しかしていないんで、すいませんが)
本来、会社というものは、様々なステークホルダー(利害関係者)の利害も
勘案すべきものだということが、盛り返してきている。
「株主の所有権絶対論VSさまざまなステークホルダーに対する責任を持つ
社会公器論」 に集約。

よく言われることだが、株主の利益とは、言ってみれば「配当」に現れる。
この実現をさせるために、運営を委託する取締役会があって、社長がいる。
アメリカでは、それがもっとも反映されていて、
そのために社長は、渡り歩いて、「プロ社長」が、キャリアアップを遂げ、
株主に委託され、膨大な「報酬」を得ていく。

古い、遺棄すべきと言われる、「準共同体」である日本の企業は、
もちろん、生え抜きで、創業者で、株主というよりは、従業員やら、債権者やら
取引先にことを考えて、報酬も、飛びぬけては、要求しない。
ひょっとしたら、透明性はないかもしれないし、あの阪神みたいに、
遊休資産があって、活用もしていないかもしれない。

アナリストは言うかもしれない。
経済の低迷が続いたのは、主として、日本の企業が効率に欠けて競争力を失った
からだ。規制緩和による国内競争の激化、リストラの断行、機能不全になっていた
企業ガバナンス・システムの改善などを通じて、企業の体質をよくしたおかげで
ようやく景気回復が可能となった。
「旧弊打破」がスローガンであった。

ところが、本当に、そうなのか?

もしそうなんであれば、収益を第一に考える、「企業体質」であるならば、
まず賃金を下げまくり、研究開発費をカットし、事業を縮小し、設備投資なんて
死んでもしない。「できる社長」をつれてきて、コストをカットしまくるはず。
いたよね、そんな車会社の人が。

ところが、どうやら、多くの日本の企業は、それをしなかったらしい。
あいかわらず、リストラを、極限まで回避し、賃金を維持し、余計な事業部を
閉鎖しようともせず、逆に、役員の報酬を下げ、需要の回復を「待った」。

以前、円高不況を克服したとき、株の配当など、目もくれず、従業員の給与を
上げ、消費回復→景気回復のテンポアップを「経験」していたのが効いたのか。
確かに、今回の不況の回復の後に待っていたのは、
「従業員の賃金をカットして、自分たちに59%の賃上げを与える役員」
という、現実。
一部の企業では、「株主革命」というより「経営者革命」が行われているらしい。

何が、企業を強くして、発展させていくことができるか。
株主は、そこまで、その企業とともに歩けるのか?
どう考えても、やっぱり、従業員をはじめとした、ステークホルダーだろう。
企業の「性悪説」を中心に、コーポレート・ガバンスを強化するために、
アメリカの企業全体でかけたコストは、なんと、1,4兆ドル!
どこが、儲けているんだ!

確かに、雪印や日本ハム、山一證券など、不正、粉飾など、相当な不信感を
市場に与えたのも事実だ。
が、彼は言う。
「社長が、己の為に不正を働き、蓄財したのではなく、全てが、会社を守るため」
による、不正だと。
異論はあるかもしれないが、従業員との「準共同体」を廃し、株主と執行者だけが
企業を代表するという考え方は、何とかするよりも、辞めれば、辞めさせれば
それで済む、という、感覚的に、馴染まない結果を生じさせよう。

非効率の温床、グロバルスタンダードからの脱落を背景に、とことんアメリカ式を
目指してきた日本であるが、
かなりの企業から、異論が噴出しているようだ。
ドイツなどは、アメリカのシステムから学ぶことがない、と言い切って、
独自のスタイルを守ろうとしているし、イギリスもそうである。

働くものが、結果、消費を支え、景気を底上げしていくことは、紛れも無い事実。
地域社会を含めて、今までの企業は、多くのものを「支えていたようだ」。
効率、収益、株価、そういうものを、端的に目指すのであれば、
そんなもの、大事にするわけが無い。
従業員でさえ、単に、コストがかかる、取替えの効く部品にすぎない。

プロの社長が何十億円という報酬を得て、従業員の賃金が伸びず、
「年金」の組み入れで、株価が大事な人も、確かにいるが、
その者に、何億円もの資産が積み上げられる。

これは、いったい、どういう世界観になってくるのだろうか。
自分も、今、ようやく、言われている意味が、わかり始めた。
これでは、まるで、違った日本が、誕生してしまいそうだ。
いいんだろうか?