現在でも売れ続けている「憲法9条を世界遺産に」?でしたっけ、
実は読んでおりませんが、
確かに、いいネーミングだと、感心いたしました。
そういう意味で、この本。
「日本人としてこれだけは知っておきたいこと」 中西輝政著
読んでみて思うんだが、
内容的には、「日本を世界遺産に」とか、
「天皇制を世界遺産に」というタイトルにしても、
ありだったんではないか、と思えた。
なぜ日本人は戦前を否定するのか?なぜ「歴史」を社会科で教えるのか?日本
人が天皇を必要とする理由は?―六〇年前の敗戦をきっかけに、明治も江戸も
古代までも全否定する奇妙な歴史観が、この国を支配してきた。
しかし、近現代世界はいま大きく変動している。戦争の真実を物語る機密文書
も公開されはじめた。「この国のかたち」を描くために、私たちはいま何をす
べきか。積み重ねられた「戦後の嘘」を打ち捨て、日本文明の核心を捉えるこ
とで、日本人のアイデンティティを真正面から問う。
という、中西さん真骨頂の本であるといえます。
お読みになられた方には、戦前のコミンテルン、共産主義者たちの謀略、
さらには、無能な外交政策が引き起こした日中戦争など、
戦後のいわゆる「自虐史観」に対抗する、
または、ナショナリズム的な情緒にあふれた本、
そういう感想を持つ方が多いことかと。
しかしながら、この本で理解したことは、
他国の「君主制」との相違点。
なぜ、天皇制は父系の系統を守ってきたか、という事実。
さらに、天皇が行っている「祭事」に関することなど、
もちろん自分は、世代的に、天皇制否定に塗り固められた教科書で学んだ口です。
が、あまりにも、知らないことが多すぎる。
知らないで、ああだこうだも言うもんじゃないよな、
ということを、反省せざるを得ない。
かといって、「感化」されたというのではないが...。
イギリスとかデンマークなど、その君主は、そもそも「OO家」という
姓を所持していることから、姓の無い日本とは異なる。
そして、あちらは、大富豪をもって、任につかせる。
さらに、宗教を背景にして、
議会を含む「執行部隊」と、各種の契約をしつつも、
その権力者とのバランスを、補完するものとして、成立している。
つまり、最高権力者には、何か「人事を越えるもの」「人間の次元を超えるも
の」によって、内面からの歯止めをかけなければならない。道徳、モラル、宗
教、そういった精神的なもの、「神秘的なもの」で拘束しなければならない。
異論はあるかもしれないが、多分、そういうこと。
一方、日本の君主は、「祈る君主」。
過去に、軍備を傍にして、力を示した時期も、あったと記憶するが、
その長きに渡って、確かに、天皇のポジションは、
祭礼が中心だった気がする。
五穀豊穣から国家安泰に至るまで、皇室祭事は、日常のものから、
特別なものまで含め、日々、祈りまくる。
そういう存在であることを、今更ながらに、知った。
確かに、天皇制と聞くと、戦争だ、侵略だと、
条件反射のように反応する方々がおられるし、過去の忌まわしい記憶を、
天皇を「頂点」にしたシステムに帰そうとするのも、知っている。
ただ、個人的に言わせてもらえれば、
日本というのは、過去に2度程度しか、世界にうってでていない。
日中戦争と、例の秀吉の事例か。
つまり、「たきつけられなければ」、実は、何もしない。
平和こそが一番だと、身の丈を超えることを、決してしない、
慎ましやかな「民族」なんだという事実。
立地環境だとか、地勢的なものをいわれる方がおられるが、
現に島国であるイギリスを例に出すまでも無い。
ハンチントンの事例が適当かどうか、わかりませんが、
世界の主要な文明として、独立して「日本文明」をあげ、
その特殊性を、明らかに、区別して考察しています。
別に、これだから、日本て凄いだろうなんて、短絡的な言い方をするつもりは
決してございませんが、
考えてみれば、この国って、宗教が透明なわりには、
何かのために、祈る。
実家の両親も、実は、引退後、不肖の「私」のために、
日々、祈っていただいているそうで、
実は、我々って、確かに、そういう歴史的なありようを、色深く持っていた。
そもそも、天皇自体も、ひたすら祈っている。
みんなが、豊に、平和で、暮らしていけますように。
これが、この国の、モラルでもあり、道徳ではなかったか。
自分としては、こういう日本であれば、
こういう歴史をもつ、日本であれば、無条件に、受け入れる。
間違いなく、「愛する」。
そして、本当に、誇りに思う。
何かを、誰かのせいにしたり、何かを否定するばかりではなく、
こういった「心」の置き所を、
例えば、天皇に求める作法であっても、
こういう視点で、理解することが出来るのであれば、
なんだか、心が洗われる気がするのだ。
我々は、あの戦争を終えて以降、あまりにも大きな、何かを、
失ってきたよう様な気がする。
実は読んでおりませんが、
確かに、いいネーミングだと、感心いたしました。
そういう意味で、この本。
「日本人としてこれだけは知っておきたいこと」 中西輝政著
読んでみて思うんだが、
内容的には、「日本を世界遺産に」とか、
「天皇制を世界遺産に」というタイトルにしても、
ありだったんではないか、と思えた。
なぜ日本人は戦前を否定するのか?なぜ「歴史」を社会科で教えるのか?日本
人が天皇を必要とする理由は?―六〇年前の敗戦をきっかけに、明治も江戸も
古代までも全否定する奇妙な歴史観が、この国を支配してきた。
しかし、近現代世界はいま大きく変動している。戦争の真実を物語る機密文書
も公開されはじめた。「この国のかたち」を描くために、私たちはいま何をす
べきか。積み重ねられた「戦後の嘘」を打ち捨て、日本文明の核心を捉えるこ
とで、日本人のアイデンティティを真正面から問う。
という、中西さん真骨頂の本であるといえます。
お読みになられた方には、戦前のコミンテルン、共産主義者たちの謀略、
さらには、無能な外交政策が引き起こした日中戦争など、
戦後のいわゆる「自虐史観」に対抗する、
または、ナショナリズム的な情緒にあふれた本、
そういう感想を持つ方が多いことかと。
しかしながら、この本で理解したことは、
他国の「君主制」との相違点。
なぜ、天皇制は父系の系統を守ってきたか、という事実。
さらに、天皇が行っている「祭事」に関することなど、
もちろん自分は、世代的に、天皇制否定に塗り固められた教科書で学んだ口です。
が、あまりにも、知らないことが多すぎる。
知らないで、ああだこうだも言うもんじゃないよな、
ということを、反省せざるを得ない。
かといって、「感化」されたというのではないが...。
イギリスとかデンマークなど、その君主は、そもそも「OO家」という
姓を所持していることから、姓の無い日本とは異なる。
そして、あちらは、大富豪をもって、任につかせる。
さらに、宗教を背景にして、
議会を含む「執行部隊」と、各種の契約をしつつも、
その権力者とのバランスを、補完するものとして、成立している。
つまり、最高権力者には、何か「人事を越えるもの」「人間の次元を超えるも
の」によって、内面からの歯止めをかけなければならない。道徳、モラル、宗
教、そういった精神的なもの、「神秘的なもの」で拘束しなければならない。
異論はあるかもしれないが、多分、そういうこと。
一方、日本の君主は、「祈る君主」。
過去に、軍備を傍にして、力を示した時期も、あったと記憶するが、
その長きに渡って、確かに、天皇のポジションは、
祭礼が中心だった気がする。
五穀豊穣から国家安泰に至るまで、皇室祭事は、日常のものから、
特別なものまで含め、日々、祈りまくる。
そういう存在であることを、今更ながらに、知った。
確かに、天皇制と聞くと、戦争だ、侵略だと、
条件反射のように反応する方々がおられるし、過去の忌まわしい記憶を、
天皇を「頂点」にしたシステムに帰そうとするのも、知っている。
ただ、個人的に言わせてもらえれば、
日本というのは、過去に2度程度しか、世界にうってでていない。
日中戦争と、例の秀吉の事例か。
つまり、「たきつけられなければ」、実は、何もしない。
平和こそが一番だと、身の丈を超えることを、決してしない、
慎ましやかな「民族」なんだという事実。
立地環境だとか、地勢的なものをいわれる方がおられるが、
現に島国であるイギリスを例に出すまでも無い。
ハンチントンの事例が適当かどうか、わかりませんが、
世界の主要な文明として、独立して「日本文明」をあげ、
その特殊性を、明らかに、区別して考察しています。
別に、これだから、日本て凄いだろうなんて、短絡的な言い方をするつもりは
決してございませんが、
考えてみれば、この国って、宗教が透明なわりには、
何かのために、祈る。
実家の両親も、実は、引退後、不肖の「私」のために、
日々、祈っていただいているそうで、
実は、我々って、確かに、そういう歴史的なありようを、色深く持っていた。
そもそも、天皇自体も、ひたすら祈っている。
みんなが、豊に、平和で、暮らしていけますように。
これが、この国の、モラルでもあり、道徳ではなかったか。
自分としては、こういう日本であれば、
こういう歴史をもつ、日本であれば、無条件に、受け入れる。
間違いなく、「愛する」。
そして、本当に、誇りに思う。
何かを、誰かのせいにしたり、何かを否定するばかりではなく、
こういった「心」の置き所を、
例えば、天皇に求める作法であっても、
こういう視点で、理解することが出来るのであれば、
なんだか、心が洗われる気がするのだ。
我々は、あの戦争を終えて以降、あまりにも大きな、何かを、
失ってきたよう様な気がする。