愚ダメ記、真誤付き、思い津記

日記?趣味?妄想?

餅つき

2020-12-21 | 日記

昨日、餅一臼分を知人に注文することができた。例年の年末には多くの人が集まっておでんや雑煮を食べ、一杯飲みながら賑やかに餅つきをして来たのだという。我が家もそれを聞き付け、昨年から餅を注文するようになったのだが、今年は人を集めず餅つきだけになるのが寂しいという。昨年、我が家では数十年ぶりの臼でついた餅を口にしたのだが、やはり臼でついた餅の美味しさは格別だった。

 大学時代、毎年冬休みに入る直前にクラブの部室前の空き地に竈を作り、近所の農家を廻って借り集めた臼・杵・蒸篭などを使って餅つきをしていた。昼過ぎから時間の空いた学生が集まって火をおこし、蒸篭でもち米を蒸して餅をつき始める。蒸篭の中のもち米をつまんでもち米の蒸し具合を確かめるのだが、そのまま全部食べたくなるほどのその美味さが印象に残る。

 大学一年で初めて杵担当となった時、良く知らないまま全体を均等にしようと周辺まで杵を当て、杵が石臼に当たって欠けたことも。木くずが餅に混ざるわ杵は傷むわで、杵は真ん中だけを狙うものだと学んだ。その代わり、十分につけてない部分を真ん中に持って行くための「絶妙な返し」が必要なのだ。石臼は最初に煮え立った湯で臼を温めるのが肝心、それでもゆっくりつくともち米が冷えてしまうので手早くつき上げることが必要。同級生の女子に叱られ、いろいろ学んだものである。臼にもち米を入れたら杵を使って手早く潰し捏ね上げ、大方その段階でほぼ餅に近い処まで持って行くので、杵を振り上げる所謂「餅つき」動作はほんの仕上げでしかないこともその時に悟った。

 そうやって部活でつき上げた餅をすぐに餡餅や雑煮で食べたのだが、その美味しい味を数十年ぶりにまた味わうことができるようになったのがなんとも嬉しい。やはり、「餅は手でつくに限る」。家に庭が出来た時、よほど自分の家でもやってみようかと考えた。しかし、一家族が食べる程度の量では少なすぎて「餅つき」にならないし、やはりある程度大量につかなでれば「餅つき」の醍醐味は味わえないとあきらめた。今年はコロナ禍で餅つきも中止かと思っていたが、人の集まる "集い" は中止しても餅はつくということ、昨年に続いて「臼と杵でついた餅」を味わえることになり安堵した気分である。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

コロナ、入院待ち死亡

2020-12-20 | 日記

広島での「コロナ、入院待ち死亡」というケースが出た。持病(心筋梗塞の既往?」がある60代ということで、医師が必ずしも楽観していたとも思えないが、せめて画像診断くらいはすべきだったと思う。いずれにしろ、医療の状況として、すでに広島では、要注意の患者に対して即時入院や精密検査へという措置がとれない状態に至っていることを示しているのだと考える。

 隣県・岡山でも一日感染者数が増加しており、地方中核都市での医療崩壊はもう秒読み段階に入ったという危機感を政府や報道機関には持って欲しいものである。ここで、局地的にでも厳しい「移動制限、自粛要請」を行わなければ、同様の事態がさらに次々と地方都市を襲うことになり兼ねないと想像する。是非、責任ある立場の人々の決断をお願いしたい。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

30年半ば、ガソリン車販売ゼロへ

2020-12-19 | 日記

日本でも2030年代半ばに新車販売からガソリン車(ガソリンだけで動く車という意味、ハイブリッドは残るらしい)を無くす、という目標が政府から発表されている。2030年台半ばまでには政府はまだ何回も入替るのだから、現政府の発表は「将来目標の設定とその下地作り」ということだろう。世界のいくつかの国も同じような時間経過でガソリン車から電動車への転換を打ち出す中、目標設定はそれで良しとして、後から発表する分だけもう少し具体的な中間目標なり丁寧なロードマップの概要なりが欲しかった。

 特に、毎年地震や水害の度に広範囲の停電が起きる日本においては、緊急時の電源確保が保障できるまで手元にガソリン車や自家発電機が無いと、被災地域や被災者は非常事態を乗り切れないのではないか、と考える。電気自動車の開発・生産販売を一気に加速したいことはよく分かるが、それなら例えば「5年以内に、一家に複数台の車を持つ場合は必ず1台を電気自動車に」という、短期で結果を求める具体的目標を掲げた方が良いのではないか。また、各自治体の持つ緊急車両(救急車・消防車・パトカーや公用車トラックなど)を数年以内に一定割合で電気自動車に換えるという目標も必要だろう。そうでないと、電動の大型車や特殊車両の開発が本格的に始まらないと考える。それはかなり難しいと推測するが、それくらいしなければとても目標は達成できない。もし緊急車両の電動化を視野に入れてないのなら、はっきりと「乗用車の新車販売においては・・・」としておくべきだろう。

 遠くの大目標の設定も必要だと思うが、その達成に向けては、近くの具体的目標を掲げて達成するという結果を積み上げて行かなければならない。”2030年半ばに・・・” という大目標に向かって、現政府が任期の間に達成を目指す近くの具体的目標を示せなければ、立派な大目標もほとんど「絵に描いた餅」と受け取られ兼ねない。目標を立てたなら、それに向かっての第1歩が肝心。それを確実・明確に、そして印象的に踏み出して、その先へと続ける可能性を示さなければ、目標に近づく努力は途絶えてしまいかねない。

 さらに、トヨタの社長も指摘した「EV車を作るために費やされる石油エネルギー」をどのように算出するのか? それを算定した時に、はたして個別にガソリン車で石油を燃やすよりも少なくて済むのか?についても示す必要があるだろう。それができなければ、産業界だって本気にはなり難い。当然、電気自動車が使う電気のほとんどは送電に頼るのだろうが、遠くへの送電には大きなエネルギーロスが出るので、同じ量の石油を使って発電し送電するよりは個々のエンジンで直接ガソリンを燃やす方がエネルギー効率が良いのではないかとも考えられる。

 そのようなエネルギー使用の全体を算定した上で、速やかに化石燃料の使用の全体量を減らす方策の概要をまず示す必要があると思う。もちろん、現状ではほとんど「空想」と「プルトニウム保持の言い訳」でしかない「核燃サイクル」を持ち込まない形でそれを示さなければ、世界的にはおそらく孤立を招くだろう。それを示すのは実際、かなり難しい道なのだが、だからこそその時々の政府はその管轄期限内に実現するべき目標を掲げ、一つ一つ超えて行く姿勢が必要なのだと思う。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

高速道で立往生

2020-12-18 | 日記

突然の大雪、関越道では丸一日の立往生という。雪の予報が出る中でも雪国にの運転に夏タイヤのまま出掛ける人々が居たりするのは、過去のニュースや雪国での経験で承知している。さらに、雪が深くなれば冬タイヤでもチェーン無しでは動けないこともある。雪国に居る時でも、認識不足でチェーンを持たないままスキーにやって来て立往生している車に何度も遭遇した。ましてや、今回は初めての積雪が記録的な大雪だったから・・、と思わないわけでは無い。

 何とも不思議で気に食わないのは、この様な時の高速道路の管理者(東日本○○、および国)の対応が何年たっても改善されないこと。積雪での渋滞・立往生は毎年のようにどこかの高速道で起きているのに、それを避けたり早期に解決するための基本的な対応策を模索しているとはとても感じられない。西日本に至っては、降雪の確率が高いというだけで「通行止めにすれば良い」と言わんばかり。実際に雪が積もっても降っても無いのに、「雪のため通行止め」だったりする。

 高速道は所詮、「便利さや快適さのためにある道路」であって、状況が悪い時には真っ先に閉鎖しても差し支えない道路、なのだろうか。民営化した高速道路事業に政府は時折り口出ししているように見えるのは、政府が高速道路建設を「全国的な幹線道路整備の一環」と考えているのだと考えていたのだが。高速道を幹線道路整備の一環と考えるなら、大雪に備えた除雪・排雪のシステム化を国全体の問題として考えるべき。道路建設や通行料については政策を押し付けるのだから、大雪・立往生の発生が予見できる”非常事態”にこそ、国や政府が指導・支援(除雪費用を含めて)に乗り出す仕組みがあって良いのでは。そんな時は、その地域への災害派遣や物資援助が必要となる事態だって起きる可能性があり、その場合その地方に至る幹線輸送経路となり得るのだから。

特に雪の多い地方において高速道は、道路幅があり直線的で急坂もなく、障害物や交差がない「除雪にも、通行確保にも最も制御しやすい道路」と考える。他の国道や一般道の除雪や通行制御はもっと難しいはず。それでも、高速道路の立往生が発生し、その車を一般道路に下ろせば解決のように報道される。一般道に下りた車はその後どうなるのだろう。高速道は除雪できないが、一般道の通行は確保されているというのだろうか。マスコミの報道も、高速から一般道に下ろして一件落着、という姿勢。例えば、関越道周辺の一般道・国道の積雪がどうなっているのかほとんど報道されていない。一般道に下りた車は、はたしてその後どうなったのだろうか? 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

タイヤ交換

2020-12-16 | 日記

昨日の天気予報で寒波襲来と雪の予報が出て、慌てていつもの車屋さんに電話してみた。さすがにここまでの予報が出ればタイヤ交換の予約が詰まっていると覚悟してのことだが、年末まで空きがないということで断念、様子を見ることにした。昨年は12月初旬に冬タイヤにしたが、ほとんど雪が降らず少し間が抜けた思いをしたし、今年はまだ暖かかったこともあってタイヤ交換は昨日まで全く頭に浮かばなかった。

 今朝起きると、「雪が降って来た」との声。寒さを嫌がりながら仕方なくカーテンを開ける。確かに雪がちらつき、朝食を終わる頃には牡丹雪が舞い始めた。このまま積もるとは考えられないが、朝夕に薄く凍り付くことはある。「やはり、ここで冬タイヤにしておこう」と、久々に自分で交換する決心を付けた。雪国暮らしの昔は自分でタイヤを換えるのが当たり前だったが、今の住処では狭い駐車場での窮屈な作業になることや、タイヤが少しずつ幅広になり重くなったことなどで、つい車屋さんに持ち込むことが常になっている。

 久々にやってみると、手順を間違え、タイヤを浮かせてからボルトを外そうとしたり、緩い傾斜がある駐車場でジャッキアップした車の後にタイヤを立て掛け、車が押されてジャッキが倒れそうになったりと散々だった。それでも若ければまだホイホイとこなせたと思うのだが、一つタイヤを換えるたびに休憩を要する年頃になってしまった。結局、窮屈な場所での困難さもあり、駆動輪だけ冬タイヤにして様子を見ることにした。倉庫でのタイヤの入替えや車までの運搬を終えると、一気に腰に疲れが出て、しばらくソファーに座ったままとなる。

 ソファーに深く座り、若い頃、タイヤ交換やチェーン装着などほとんど苦にならなかった頃を思い出す。自分の車を持ち、自分の力でそれを動かしている嬉しさもあったのだろう。初めてチェーンを付けたのが免許取得から3か月、夜に街灯も無く真っ暗の緩い上り坂、太腿まで沈む深い雪の吹き溜まりに突っ込んだ時だった。さらに、波しぶきが掛かる海際で、横殴りの海風で5m先が見えない暗いの猛吹雪の中だった。吹き溜まりに突っ込んだ車は地面から浮いていて、凍えながら手でタイヤを掘り出し、ほとんど見えないまま手探りでチェーンを装着した時の事をよく覚えている。その最中には「このまま凍えて死ぬかも」という思いもよぎったが、過ぎてみれば楽しい思い出となった。

 雪国暮らしでは、スパイクタイヤのスパイクの摩耗を嫌い、根雪になるまでにスパイクタイヤ/夏タイヤをこまめに自分で交換していた。雪がほとんど積もらない土地に住むようになり、やがて「料金を払えば車屋さんでコーヒーを飲んでいる間にタイヤを換えてくれる」という便利(怠惰?)さを覚えてしまった。「それでもたまにはこんな機会があり、雪がちらつく日に自分の手でタイヤを触って手を真っ黒にするのも良いものだ」、油混じりの指の汚れを洗い落としながらそう思った。

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする