昨日の天気予報で寒波襲来と雪の予報が出て、慌てていつもの車屋さんに電話してみた。さすがにここまでの予報が出ればタイヤ交換の予約が詰まっていると覚悟してのことだが、年末まで空きがないということで断念、様子を見ることにした。昨年は12月初旬に冬タイヤにしたが、ほとんど雪が降らず少し間が抜けた思いをしたし、今年はまだ暖かかったこともあってタイヤ交換は昨日まで全く頭に浮かばなかった。
今朝起きると、「雪が降って来た」との声。寒さを嫌がりながら仕方なくカーテンを開ける。確かに雪がちらつき、朝食を終わる頃には牡丹雪が舞い始めた。このまま積もるとは考えられないが、朝夕に薄く凍り付くことはある。「やはり、ここで冬タイヤにしておこう」と、久々に自分で交換する決心を付けた。雪国暮らしの昔は自分でタイヤを換えるのが当たり前だったが、今の住処では狭い駐車場での窮屈な作業になることや、タイヤが少しずつ幅広になり重くなったことなどで、つい車屋さんに持ち込むことが常になっている。
久々にやってみると、手順を間違え、タイヤを浮かせてからボルトを外そうとしたり、緩い傾斜がある駐車場でジャッキアップした車の後にタイヤを立て掛け、車が押されてジャッキが倒れそうになったりと散々だった。それでも若ければまだホイホイとこなせたと思うのだが、一つタイヤを換えるたびに休憩を要する年頃になってしまった。結局、窮屈な場所での困難さもあり、駆動輪だけ冬タイヤにして様子を見ることにした。倉庫でのタイヤの入替えや車までの運搬を終えると、一気に腰に疲れが出て、しばらくソファーに座ったままとなる。
ソファーに深く座り、若い頃、タイヤ交換やチェーン装着などほとんど苦にならなかった頃を思い出す。自分の車を持ち、自分の力でそれを動かしている嬉しさもあったのだろう。初めてチェーンを付けたのが免許取得から3か月、夜に街灯も無く真っ暗の緩い上り坂、太腿まで沈む深い雪の吹き溜まりに突っ込んだ時だった。さらに、波しぶきが掛かる海際で、横殴りの海風で5m先が見えない暗いの猛吹雪の中だった。吹き溜まりに突っ込んだ車は地面から浮いていて、凍えながら手でタイヤを掘り出し、ほとんど見えないまま手探りでチェーンを装着した時の事をよく覚えている。その最中には「このまま凍えて死ぬかも」という思いもよぎったが、過ぎてみれば楽しい思い出となった。
雪国暮らしでは、スパイクタイヤのスパイクの摩耗を嫌い、根雪になるまでにスパイクタイヤ/夏タイヤをこまめに自分で交換していた。雪がほとんど積もらない土地に住むようになり、やがて「料金を払えば車屋さんでコーヒーを飲んでいる間にタイヤを換えてくれる」という便利(怠惰?)さを覚えてしまった。「それでもたまにはこんな機会があり、雪がちらつく日に自分の手でタイヤを触って手を真っ黒にするのも良いものだ」、油混じりの指の汚れを洗い落としながらそう思った。