持続可能な国づくりを考える会

経済・福祉・環境の相互促進関係を!

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経済拡大路線

2006年09月13日 | 経済
 いかがお過ごしでしょうか。
 私は、昨日少し遅いですがが夏休みを貰って遊んできました。
 遊ぶというのも実に疲れますね。
 ですが、非常によい休暇でした。


 環境ホルモンというものを、皆さん聞いたことがあるかと思います。PCBやDDTと呼ばれる物質のことです。最近、私が勉強したことは、人間の脳には、血液中の物質を脳に通さない関所のような役割をする血液脳関門と呼ばれるものがあるそうです。しかし、胎児は、この血液脳関門が未発達のため、先の環境ホルモンが母親を通じて脳に行き渡ってしまう危険性があるそうです。その結果、甲状腺ホルモンの発現が抑制され、それがADHD(注意欠陥多動性障害)の原因になっている可能性があるそうです。他にも地球温暖化のメカニズムなど、そういった情報は他にもたくさんあるでしょう。


 怖いですね!ということも、予防的側面から早く対策をうってほしいということも言いたいのですが、ちょっと視点を変えてみます。日本の研究者は、一つの問題に非常に特化していらっしゃる方が多いことは以前に書きました。それには良い面もあると思いますが、自分の研究テーマに関することで知らないことはないが、それ以外のことになると「知りません」「分かりません」「タッチしません」という研究者が多いようです。「縦割りアカデミズム」とでも呼びましょう。

 ここで重要なことは、縦割りアカデミズム的な研究者が多いために、私のような素人は、その研究者から発せられる情報を同じように縦割り的な情報としてバラバラに享受するということです。つまり、地球温暖化、オゾン層の破壊、酸性雨、海洋汚染、有害物質の越境移動、熱帯雨林の減少、野生生物種の減少、砂漠化、開発途上国の公害問題、などの現象がバラバラに起こっているような印象もってしまいます。

 そして、それぞれに対して、自治体はどうするのか、企業はどうするのか、一般消費者はどうするのか、という話になってしまいがちです。よほど意識しない限り、繰り返して専門家の個別な話を繰り返して聞くことになるので、「何かできることから一つずつ対応していけばよい」と思い込んでしまいがちだということです。

 しかし、環境問題というものは、本質的には人間活動の拡大に伴う「資源の利用形態」と「人口の圧力」が主な原因です。実際的には、先進国、発展途上国を問わず、「現行の社会システム」とその社会システムの下に構築された「拡大し続ける産業経済システム」が原因です。これは、ちょっと難しいですね。今、小澤先生の本を読んで、勉強しながら書いていて少し頭が痛くなったので、もう少し自分なりに、やさしく書いてみます。
 
 たとえば、永田町の議員さん達がみんなノーネクタイにして、クーラーの設定温度を例年より上げたとします。それによって、永田町一帯でクーラーを動かす電気の量は少なくなるわけです。他にも、打ち水をして、ある街の温度をさげることでその一帯が涼しくなってクーラーなしに過ごせるようになるために電気の使用量が減るわけです。

 しかし、ここでよく考えてみましょう。非常に重要なことなのですが、永田町の議員の方達がノーネクタイにして電気の使用量を下げたとしても、電力会社はいつもと変わらず電気を作り続けています。打ち水をしても、電力会社はいつもと変わらず電気を作り続けています。しかも、その量は、毎年毎年の経済発展に伴って増えています。それを、バックアップしているのは、「経済拡大路線」という政府の方針です。


 ・・・・とすると、この電力会社が毎年毎年、地球温暖化の原因であるとされる二酸化炭素を燃焼させて電気の生産量を増やしているのであれば、あまり認めたくないのですが、以上のような活動はほとんど二酸化炭素の削減効果はないことになります。故に、京都議定書以降、日本の二酸化炭素の排出量は減るどころか増加しているのではないのでしょうか。


 今まで、何回かシンポジウムの勉強会を開いています。半月ほど前も、小澤先生と岡野先生と事務のスタッフで泊りがけで、今回のシンポジウムに際しての勉強会を行った(大井先生は事情により残念ながら不参加でした。)のですが、長年、環境に配慮した活動をなされてきた方もいらっしゃったので、この点がもっとも議論が白熱しました。最終的にはこの論点に関して、問題意識の共有化はできたと思います。私もこのことをはじめて認識した時に、非常にショッキングでした。


 それでは、どうするかというと、政府の方針を経済の「拡大」から「適正」に変えて、電気の生産量の上限を定めた上で、先のような活動をすることになりましょうか。そういった活動には非常に大きな効果が期待されるでしょう。

 そして、それが真に「持続可能な社会」であると思います。今回のシンポジウムもこの立場です。
 
 是非、日々の小さな行動をさらに活かしていけるように、持続可能な社会というものがどういうものか、一緒に考えていきたいと思います。
 
 それでは今日はこの辺で失礼致します。

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スウェーデンの人口

2006年09月11日 | スウェーデン
 こんにちわ。
 今朝、雷雨がすごかったです。
 昨日が暑かったからでしょうか。


「スウェーデン」の話をすると、以下のような反論がよくあります。


 それは、「スウェーデンは人口がおよそ900万人だから、彼らのやり方を日本が学んでも仕方がない。前提を疑った方が良いのではないか」というものです。この指摘は半分は正しいと思います。なぜなら、一つの政策を実行するには明らかに人口の少ない方がやり易いからです。しかし、半分は間違っていると思います。そして、その間違っている半分がより重要だと思います。

 
 このことは、少し考えてみれば分かると思います。先日「治療か予防か」のところで、スウェーデンは「予防志向の国」で、日本は「治療志向の国」であるといった特徴があることを記しました。さて、この両者の違いは、人口の違いから来たのでしょうか?私には、どうもそのようには思えません。

 他にもおもしろい例があります。それは、聞くところによると日本は世界に先駆けて家電リサイクル法を制定したそうです。同じ年に、スウェーデンも家電リサイクル法を制定したようです。日本は、スウェーデンよりもはやくこの法律を制定したことは間違いないのですが、その中味の違いには興味深い違いがあります。

 スウェーデンはリサイクル料金を買う時に払います。これは、当然だと思います。誰も捨てるものにお金なんか払いたくないと思うからです。しかし、ご存知の方も多いと思うのですが、日本はリサイクル料金を捨てる時に払います。詳いことは知りませんが、日本は法律を制定する時に不法投棄が増えるということは考えなかったのでしょうか。

 さて、話を戻して、この両国の違いは人口の違いからくるものでしょうか。私は違うと思います。皆様はどのようにお考えになりますでしょうか?

 数というものは、一つの指標になることは間違いないと思います。しかし、それだけで物事を判断してしまうのは、あまりに乱暴なのではないでしょうか。


 例えば、客人が家に来ることになり、良い冷奴を出そうという時に販売個数だけが豆腐の購入の決め手にはならないのではないでしょうか?実際に目で見たり、産地を確かめたり、試食してみたり、食べたことある人に聞いてみたり、とたくさん豆腐を調べる方法があるかと思います。(私は豆腐好きです。失礼!)


 先生方の紹介も終わりましたので、これから本シンポジウムの内容に入っていくことになるかと思います。それに際して、スウェーデンのことがちょくちょくこのブログにも出てくると思いますが、人口だけで早急な判断をくだすのではなく、それ以外に得られる情報を十分加味した上で議論をし、スウェーデンから学べるところは学び、学べないところは捨てればよいと思います。
 
 それでは。失礼いたします。

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「予防」か「治療」か。

2006年09月10日 | 環境
 
 シンポジウムの趣意書はこちらです。



 今日は、私の住んでいる街は快晴です。
 これが、おそらく残暑というものだと思います。
 暑い一日になりそうですね。


 以前、地球環境問題に少し触れたました。

 環境週間とか、世界的な環境会議が日本で開かれた翌日の新聞なんかで、数人の環境問題の専門家が自らの主張をしている記事をお読みになったことはありませんか?


 そこでは、二酸化炭素の排出によって、温暖化が進行しているという「確実な証拠はない」という主張をする人もいれば、他方で、二酸化炭素によって地球環境問題が進行しているというものもあります。



 これは、私のような一般市民には、非常に頭の痛い問題です。なぜなら、研究者という立場におられる方の中でこのような論争があるのであれば、我々は身動きがとれません。


 さて、こういった頭の痛い問題をどう考えるか、というのはかなり重要な問題であると思います。


 歴史に習って少し考えてみましょう。


 四大公害である水俣病が、発生した当初、先の論争と似たような議論があったそうです。以下、それについて書きます。


 水俣病が発生した当時、猫が水俣湾の魚を食べたことによって死んだり、水俣湾の魚を食べた人に中毒症状が起きているのは、当初、明らかであったにもかかわらず、その時に、なぜか、行政は水俣湾の魚の流通を禁止する措置をとりませんでした。


 これは、実に不思議な話だと思いませんか?


 一般的に考えると、食中毒が起こった時に行われる措置と同じように、疑いのあるものの流通を禁止すればいいのではないかと、私のような素人でも思ってしまいます。もちろん、そういった指摘をした人もいたようです。しかし、行政は、以下のような理由で、水俣湾でとれた魚の流通を禁止しませんでした。


 それは、「病因物質が判明していない」という理由です。


 つまり、水俣湾でとれた魚の流通を禁止するだけの「確実な証拠がない」「メカニズムが解明されていない」という理由で禁止しなかったのです。そして、このことが、被害の拡大をもたらしたとも言われているようです。



 ここで、何が言いたいかといえば、先の地球温暖化の問題に関して、「確実な証拠がない」と主張する研究者のように、「確実な証拠」を得なければ問題に対処しないというということが果たして科学の役割なのかどうか、ということです。


 私は、予測される悲劇的な事態に備えて、予防的な措置をとることの方がよっぽど科学的だと思いますが、皆さんはどのようにお考えでしょうか?


 日本は、「確実な証拠」が提出されてから対処をする傾向が強いようです。言い換えれば、日本は「治療志向の国」であるといえるでしょう。一方で、スウェーデンは、後者、つまり、予防的な視点に立って環境問題に対処する国のようです。つまり、「予防志向の国」といえるでしょう。


 以上のことを、まとめると以下のようになるのでしょう。少し長くなりますが、小澤先生の本(『いま、環境・エネルギー問題を考える。』)からの引用です。最近は、「予防原則」という言葉にみられるようにそういった予防志向の重要性が認められるようになってきたようですが、10年以上前に以下のような指摘がすでにあったにも関わらず、未だに治療志向の研究者も多いようです。皆さんはどちらが大事だと思いますか?



「環境問題を考えるとき、時間という要因を考える必要があります。いつ頃から、どのくらいの量の汚染物質が排出されてきたのか、その総量を推測するのに時間の要因が大切だからです。わが国ではこの観点が欠落する傾向があります。しばしば環境問題で科学的知見がないといわれることがありますが、二酸化炭素の問題を考えますとおわかりのように、ある程度の「不確実性(あいまいさ)」というものを認める必要があると思います。因果関係の有無は事態が進展すれば、明らかになるでしょうが、害があることがわかったときには手遅れで、大きな被害を出すことになるでしょう。私たちは水俣病をはじめとする公害病や過去のさまざまな経験の中から、因果関係を立証するのにどれだけの時間がかかったかを経験してきたはずです。時間をかけて調べたが因果関係はわからなかった、しかし、現実の問題として目の前に被害者がいるという状況がしばしばあります。因果関係を明らかにすることは、一見、科学的なように考えがちですが、この発想はもともと物理、化学、工学の発想で、人間の健康とか生命がかかわる安全性の分野や現在の環境問題のように人間の活動や自然の活動が複雑にかかわっている分野では因果関係が明らかになるまで待つという発想は科学的とはいえないのではないでしょうか。私たちの健康とか安全の問題は、単一の要因で起こることはほとんどなく、さまざまな要因が複雑に関連し合っているからです。私たちの環境に加わる負荷の現実に対して、私たちの知識が追いつかないからです。なによりも大切なことは「不確実性(あいまいさ)」を認めた上で、総合的に判断をすることです。」



それでは、失礼いたします。


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3人の先生の出会い

2006年09月09日 | パネリスト
 さて、数日に渡って3人の呼びかけ人の先生たちをご紹介してきました。今日は、先生方の出会いについて簡単にお話したいと思います。


 まず、小澤先生と大井先生の出会いから。

 今から7、8年前、小澤先生が「環境新聞」に連載コラムを書かれていたそうです。そのコラムを当時、環境研究所の所長であられた大井先生がご覧になって、小澤先生に連絡をとって、コンタクトをとられたそうです。聞くところによると、神田の学士会館で数時間に渡り、意見交換をされたとのことです。

 次いで、大井先生と岡野先生の出会いですが、両先生とも、環境問題に関する研究を進めながらも、人間の内面に関する研究もされておられました。そして、環境問題というよりは、むしろこちらの心理学的な領域で二人の先生は出会われたそうです。

 さて、それでは、最後に、岡野先生と小澤先生です。この出会いは、小澤先生のもっとも新しい著書である『スウェーデンに学ぶ「持続可能な社会」安心と安全の国づくりとは何か』(朝日選書)を岡野先生が読んだことがきっかけとなっています。(この話はここからが面白いんです!)

 小澤先生のその本に感銘を受けた岡野先生は、そのことをブログに書かれました。すると、それを読んだ法政大学の学生さんが、今年法政大学の社会学部に小澤先生が非常勤で環境論の授業に来られることを知らせてくれたそうです。しかも、小澤先生は月曜日、岡野先生は火曜日です。すごい確率ですね。おそらく、こういうことをシンクロにシティと呼ぶのだと思います。



 岡野先生は早速コンタクトをとろうと思い大学の事務に行くと、なんと小澤先生の方から名刺と伝言を伝えてくれたのです。どうやら、その岡野先生の教え子さんが小澤先生の本を岡野先生が読んでいることを話したらしいのです。そして、二人で連絡を取り合い、お話をされたところ、環境問題に関する基本的な方向で一致しました。
 


 このことについて岡野先生がブログに書かれていますので、ご興味のおありの方はこちらをご覧になってください。



 このようないきさつを経て、3人のジェネラリストといいましょうか、インテグラリストがそろったわけです。


 その後、今回のシンポジウムの事務所にて、3人の先生が集まり、今後の方向性などを話し合われました。私も含め、何人かその場に参加させていただいたのですが、3人の先生方が、ノートをとりながらお互いの話を聞き合い、参考文献、資料や情報の紹介、交換、共有を活発にしていました。頭が下がります。かなり、本気な感じが伝わってきました!!

 

 さて、今日は、3人の呼びかけ人の先生方の出会いについてお話させていただきました。それでは、この辺で失礼致します。

  
   

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リンク追加

2006年09月08日 | パネリスト
皆様、こんばんわ。
趣意書は読んで頂けたでしょうか。
まだの方は、すぐ下で読めますので、是非、一度ご覧になってください。


左下にリンク追加しました。

先日ご紹介した小澤先生のHP、岡野先生のブログ、大井玄先生のコラムのリンクです。
また、事務局へのお問い合わせのメールアドレスも、追加しましたのでご質問などある場合には、こちらからどうぞ。もちろん、ブログのコメントでも構いません。

それでは、今日は失礼致します。

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シンポジウム趣意書

2006年09月07日 | シンポジウム
 シンポジウムの趣意書が公開できることになりました。是非、ご一読ください!



 シンポジウム『日本も〈緑の福祉国家〉にしたい!
                                ―スウェーデンに学びつつ』

                           趣意書



 多くの警告や専門機関、専門家、民間活動家も含めた多くの人々の努力にもかかわらず、この数十年、世界全体としての環境は悪化の一途をたどっています。
 例えば、地球温暖化―異常気象、オゾン層の破壊、森林の減少、耕地・土壌の減少、海洋資源の限界―減少、生物種の激減、生態系の崩壊、化学物質による大気・耕地・海洋の汚染、核廃棄物や産業廃棄物から生活ゴミまでの際限のない増加などなど、どれをとっても根本的に改善されているものはないのではないでしょうか。

 専門家が警告を発し、それを聞いて理解した人々が「できることをする」ことによって、こうした環境の悪化はやや減速されたかもしれませんが、止まってはいない、それどころかじわじわと深刻化していると思われます。環境問題は私たちが豊かになるという目的のために行ってきた経済活動の結果、必然的に「目的外の結果」が蓄積し続けているものだからです。このことは、改めて確認しておく必要があるでしょう。
 残念ながらこれまでの多くの努力は、まだ有効な結果を生み出しているとは言いにくいのです。「努力をしていれば、そのうちなんとかなる」という発想は、こと環境に関しては不適切です。たとえ心理的には不快であっても、出発点としてはそのことのきびしい認識が不可欠だと思われます。

 しかし悪化し続けている現状を認識するだけでは、私たちは危機感と不安が高まり、無力感と絶望に陥ってしまうだけでしょう。
 そういう意味で、本シンポジウムは、「環境の危機を訴える」ことだけを目的にしていません。それは、きわめて早い段階の『ローマクラブ・レポート(邦訳『成長の限界』ダイヤモンド社)』(一九七〇年代初め)を典型とする、国連を初め国内外の信用できると思われる機関や専門家が示してきたデータに基づいた警告をごく素直に読むと、地球環境が非常な危機にあることはすでにあまりにも明らかだと思われるからです。

 私たちは本シンポジウムを通じて、むしろ環境の危機に対して「どういう対策が本当に有効かつ可能か」ということを、スウェーデンという一つの国家単位の実例をモデルとして検討します。そして、そこから大枠を学ぶことによって、もちろんそのままにではないにしても、日本のこれから進むべき方向性が見えてくるのではないか、という提案をしたいと思うのです。

 かつてヨーロッパの北辺のきわめて貧しい農業国だったスウェーデンが、戦前から特に戦後にかけて、急速な近代化・工業化によって豊かな福祉国家に変貌してきたことは、よく知られているとおりです。単に「経済大国」になるのではなく、「生活大国」になったのです。
 しかし、七〇年代、そして九〇年代前半、スウェーデンが不況にみまわれた時、「それ見たことか、やりすぎの福祉のための高い税と財政の負担が経済の足を引っぱった。やはり『スウェーデン・モデル』には無理があったのだ」という印象批評がありました。
 ところが実際には、九〇年代前半の不況をわずか数年でみごとに克服し、国の財政収支はほぼバランスし、世界経済フォーラム(ダボス会議)の経済競争力調査では二〇〇五年までの過去三年間世界第三位にランクされています。いまや経済・財政と福祉、さらには環境とのみごとなバランスを確立しつつあるようです。

 しかもそれは、たまたまうまくいったのではありません。問題解決の手法として、目先の問題に対応するのをフォアキャスト、到達目標を掲げそれに向けて計画的に実行していくのをバックキャストといいますが、スウェーデンは、政治主導のバックキャスト手法によって、「エコロジカルに持続可能な社会=緑の福祉国家」という到達目標を掲げ、それに向けて着実に政策を実行し、目標の実現に近づいているということなのです。

 「日本も『循環型社会』というコンセプトで努力しているではないか」という反論もあるかもしれません。しかし、決定的な違いは、必然的に大量生産―大量消費―大量の廃棄物を生み出すというかたちの経済成長を続けることが前提になっていることです。これは原理からしても「持続可能」だとは思われません。

 それに対しスウェーデンは、政府レベルで、経済活動を自然の許容する範囲にとどめながらしかも高い福祉水準を維持できるような成長は続けるという、きわめて巧みなバランスを取ろうとしていますし、それは成功しつつあるようです。
 私たちは、もちろんスウェーデンを理想化・美化するつもりはありませんし、他の国からも学ぶ必要がないとは思っていませんが、国際自然保護連合の評価を信じるならば、現在のところ「エコロジカルに持続可能な社会」にもっとも近づきつつある国であるようです。そういう意味で、きわめて希望のもてる「学ぶべきモデル」だと考えているのです。

 しかも、政治アレルギーに陥っている日本の市民にとって重要なことは、スウェーデンの政治権力はみごとなまでの自己浄化能力・自己浄化システムを備えているということです。堕落しない民主的な政治権力というものが、現実に存在しえているのです。
 自浄能力のある真に民主的な政治権力の誘導によってこそ、経済・財政と福祉と環境のバランスのとれた、本当に「持続可能な社会=緑の福祉国家」を実現することが可能になるのではないか、それはこれからあらゆる国家が目指すべき近未来の目標であり、日本にとってもそうであることはほぼまちがいないのではないか、と私たちは考えています。

 私たち日本人が今スウェーデンから学ぶべきものは、なによりも国を挙げて「緑の福祉国家」を目指しうる国民の資質とその代表・指導者たちの英知と倫理性だと思います。

 きわめて残念ながら当面日本には、「緑の福祉国家」政策を強力に推進できるような国民の合意も政治勢力も見当たりませんし、すぐに形成することも難しいでしょうが、環境の危機の切迫性からすると早急に必要であることは確かだと思われます。

 本シンポジウムは、そうした状況の中でまずともかく、方向性に賛同していただける方、あるいは少なくとも肯定的な関心を持っていただける方にお集まりいただき、近未来の日本の方向指示のできる、ゆるやかではあるが確実な方向性を共有するオピニオン・グループを創出したい、という願いをもって開催致します。

 趣旨にご賛同いただける方、次の世代のためにぜひご参加・ご協力いただけますようお願い致します。


       二〇〇六年八月二十七日

                              シンポジウム呼び掛け人

                             元スウェーデン大使館環境保護オブザーバー
                             環境問題スペシャリスト       小澤徳太郎
                             サングラハ教育・心理研究所主幹 岡野守也
                             元国立環境研究所所長       大井 玄



●一般の方の参加募集は間もなく開始しますので、当ブログの記事にご注目下さい。


今日はこれにて失礼致します。

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大井玄先生のご紹介

2006年09月06日 | パネリスト
 今日、私の住んでいるところは、雨が降りました。
 そのせいか、過ごしやすい日でした。
 皆様のお住まいの地域はどうでしたでしょうか。

 今日は、大井玄先生のご紹介です。

 さて、日々の生活の中では、人とコミュニケーションをとっています。そのコミュニケーションというものは曲者で、時に私たちを喜ばせくれることもあれば、時に悲しい気持ちにさせることもあるかと思います。そんな経験は皆さんおありではないでしょうか?

 そんなコミュニケーションの上手い方法はないかと思っていたころに、私は以下のような認知症と診断されたご老人達のコミュニケーションに関するお話を読んだことがあります。

 認知症と診断された方たちのグループホームでは以下のような会話がよくみられるようです。

Aさん「主人なんてやっかいなもんです。でもいないと困るし・・・」
Bさん「そうそう、うちの息子が公認会計士になりましたんで忙しくてね」
Aさん「あら、いいじゃない浴衣をきればすてきに見えるよ」
Bさん「○○さん辛かったろうに、いつも△△さんって言ってましたよ」

 まったく話が噛み合っていないように見えるこの会話は『偽会話』と呼ばれるもので、認知症の方たちの間ではよく見られる会話なのだそうです。ご老人達はお互いの話の内容を理解しているわけではありませんが、お互いがどのような心理状態であるかを心理的に感じ取っているようです。そう考えると、先ほどの会話は、‘理解’という点では会話としては成立していませんが、‘心理的’という点では会話として立派に成立しているといえそうです。このような心理的な会話は、少し難しい言葉で、「情動的コミュニケーション」というそうです。

 この「情動的コミュニケーション」は、認知的にしっかりしている人にもあてはまるかもしれません。認知的にしっかりしているうちはコミュニケーションの心理的側面を無視して、話の内容のみが相手に伝わるものだと考えがちですが、実は、その話をする時の心理が相手に感じ取られているかもしれません。「この人嫌だな」と思っていて表情には出してないつもりでいても、相手はなんとなくそのことを感じ取っているのではないかと思われることはないでしょうか。認知症のご老人たちはそういったことを敏感に感じ取っているようで、たとえ、話の内容は分からなくても、まわりに受け入れられてないと感じるときは、その晩、せん妄状態になることがあるようです。

 故に、日々の会話の中では、話の内容だけでなく、相手の心理的側面にも気を配りながら話をすると、以前よりも、心地よい会話ができるかと思います。そして、そのことはまた、病棟において痴呆老人と心を通わすことにもなるかと思います。

 さて、これらのお話は、今日、ご紹介する大井玄先生のお話を私なりにまとめたものです。先日は、小澤先生と岡野先生ともに、特定の分野に固執するのではなく、ジェネラルで、統合的な視点にたって一つの問題を考えることを実践されてきたことを書きました。

 このことは、大井玄先生にも共通することです。大井先生の専門領域は、社会医学、一般内科、在宅医療、心療内科、環境医学が多岐に渡っております。また、大井先生は、国立環境研究所所長をおつとめになったこともおありです。それ故、今回のシンポジウムには、非常に心強い存在です。

 大井先生のコラムがこちらからご覧になれます。

 また、大井先生も『いのちをもてなす』『痴呆の哲学』など著書多数です。特に後者は、痴呆に対する考えがかわると思います。
 是非、お読みになってみてはいかがでしょうか。

 明日は、これまでご紹介した呼びかけ人の三人の先生方の出会いをちょっと記したいと思います。

 そろそろ失礼いたします。

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岡野守也先生のご紹介

2006年09月05日 | パネリスト


さて、今日は、岡野守也先生の紹介です。

その前に、小澤先生の『いま、環境エネルギー問題を考える』の本の初めの方に書かれている話を紹介したいと思います。

唐突ですが、下水を処理すると汚泥というへドロのようなものが必ず生まれるようです。1970年代に、スウェーデンは、そのヘドロと家庭の生ゴミを混ぜて安全に農地に戻す技術を研究していました。


小澤先生は、これは良いアイデアだと思い、日本の現状を調べるために、ゴミを管轄している当時の厚生省を訪ねたそうです。そして、担当者に、スウェーデンのアイデアの話をしました。すると、その担当者は、以下のように述べたそうです。


「わが国では、そんなものは混ざらない。なぜなら、台所からでるゴミの管轄は厚生省だが、下水処理施設の管轄は建設省だからだ。」


さらに、小澤先生は、自治体の担当者にも聞いてみたところ以下のような回答があったとのこと・・・・・


「下水道局が下水関係の管轄だが、ゴミは清掃局の管轄・・・・・」


・・・・これがいわゆる日本の「縦割り行政」の典型例でしょう。


しかも、さらに、問題なのは、研究者の間でも似たような傾向があることです。つまり、研究者の間でも、縦割り行政的な研究が行われているということです。ある一定の分野で、非常に優れた業績を持つ研究者であっても、一度、自らのフィールドを出ると、「タッチしません」、「知りません」、「分かりません」という具合になってしまうことが多々あるようなのです。


温暖化の問題は、環境問題と呼ばれる範囲だけの問題ではなく、その背後には、政治的、経済的な問題も含まれるようです。(このことは、非常に重要なので、何回も触れることになるでしょう。)


何が言いたいかといえば、1つの問題に対して、「統合的な視点にたって把握する」ということが重要であるということです。そういった「統合的な視点にたって把握する」ということを長い間実践なされてきたのが、本日、ご紹介するサングラハ教育・心理研究所の岡野守也先生です。この「サングラハ」というのは、「統合的に把握する」、という意味だそうです。


岡野先生は、これまでの精力的な活動から、在野の思想家と評されることもあるようです。その領域は多岐に渡り、ここでその全てを紹介することは困難です。詳しくは、
サングラハ教育・心理研究所のHP
岡野先生のBLOGがありますので、
是非ご覧になってください。

その中に『自然成長型文明に向けて』という論文において、環境問題に対する統合的な論考が掲載されています。是非とも一度ご覧になっください。

また、面白いことに、小澤先生も、環境問題に対して幅広い観点からお考えになる方で、
以前は、「環境問題ジェネラリスト」として活動なされていたようです。ですが、日本では、いかに一つの領域に特化しているか、つまり、いかにスペシャルであるかが問われる日本の社会においては、あまり、その意図が汲み取られることがなかったようです。



さて、長くなりましたが、今日は、日本の縦割り行政の話をして、総合的に問題に対処する視点の重要性を述べ、そういった活動を長い間実践されてきた岡野先生をご紹介させて頂きました。これにて、今日は失礼致します!と言いたいところなのですが、最後に、一言重要なことをつけ加えてから失礼させて頂きます。



本シンポジウムは、「縦割り行政によって覆いつくされている持続不可能な日本社会を、ほっといてLOHASやスローライフのようなエコロジー運動をしよう!」という趣旨では決してありません~!


近いうちに、シンポジウムの趣意書をここで発表することができるようになるかと思いますので、その時に触れられることになるかと思います。



それでは、失礼致します。

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小澤徳太郎先生のご紹介

2006年09月04日 | パネリスト
朝と夜は涼しくなりました。

少しずつ秋の気配がしてきましたね。


さて、今日は、呼びかけ人の一人である小澤徳太郎先生のご紹介をしたいと思います。


小澤先生は、1973年から1995年までの間、

スウェーデン大使館科学技術部で、環境・エネルギー問題、労働環境問題を担当し、

20年以上に渡って、それらの分野でのスウェーデンと日本の対応の違いを同時進行的にみてこられたようです。

そういった体験から得た、「独自の環境論」を、現在、精力的に展開なされています。




これまで、以下の三冊の本をお書きになられております。

『スウェーデンに学ぶ「持続可能な社会」安心と安全の国づくりとは何か』

『21世紀も人間は動物である――持続可能な社会への挑戦 日本vsスウェーデン』

『いま、環境・エネルギー問題を考える――現実主義の国スウェーデンをとおして』


今回のシンポジウムは、

『スウェーデンに学ぶ「持続可能な社会」安心と安全の国づくりとは何か』

の影響が非常に大きく、事務局としても、是非ともこの本を推薦したいと考えております。


他に、共同執筆も多数あるようです。

詳しくは、こちらのHPを参考になさってください。


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小澤徳太郎先生のHP

2006年09月03日 | パネリスト
さて、事務局ブログも3日目です。

呼びかけ人の3氏を、順々に紹介しようと思って色々準備をしていたところ、
小澤徳太郎先生のホームページが完成したとの情報が入りました。

http://www7a.biglobe.ne.jp/~backcast/


とりあえず、アクセスしてみてください!
結構、充実した内容のようです。

なんと、講演も聞けます!


ブログというのは、
あまり根を詰めると持続可能でなくなるようなので、
今日は、この辺で失礼致します。




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