持続可能な国づくりを考える会

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政府に関する3択問題

2011年05月28日 | 政治

 運営委員長の岡野です。

 最近、原発・放射能などについて集中的に学んでいることのポイントをお伝えしていて、肝心の「持続可能な国づくりの会」独自の主張についてあまり書いていませんでした。

 それについては「理念とビジョン」を読んでいただけばいい、と思っていたのですが、「理念とビジョン」が具体的な状況にどう関わるのかについても書かないと、なかなかぴんと感じていただけないのかなとも思いはじめています。


 そこで、1つ問題です。


 原発を含め現在の日本の主なエネルギー・システムは、資源が有限なので言うまでもなく持続不可能だと考えられますが、しかし現状それでやっているわけです。

 したがって、脱原発も、エネルギー・システムに関する政策を変えないでそれだけを実現することはきわめて困難だと思われます。

 エネルギー政策を変えるには、実はエネルギーを大量に浪費することを前提にした現在の産業構造を変える必要があるのではないでしょうか。

 産業構造をそのままにして「省エネ・節電」で対策するのは、現状で必要ですが、限界があります。

 ではどうするか、簡単に言えば、重化学・機械産業から知識産業へと経済の比重を移すということです(比重を移すのであって、重化学・機械産業をなくすのではありません。念のため)。

 知識産業は、少ないエネルギー消費で付加価値の高い製品を生み出すことができます。

 経済・産業の比重を移すという政策に伴ってエネルギー政策を変更し、エネルギー政策の変更に伴って脱原発を実現することができる、というシナリオになると思われます。

 さてそこで、誰がそれを実行できるかというと、政策を変更する主体は言うまでもなく政府です。

 では、政府についてどう考えるかということですが、これは意外にシンプルで、3択問題になりそうです。

 ①政府が〔自ら〕変わる、つまり新しい知識産業社会(を含む「緑の福祉国家」)へと方向転換する。

 ②政府を〔識者や市民が働きかけることによって〕変える、つまり方向転換させる。

 ③政府(そのもの)を変える。

 かつての自公政権も現在の民主党連立政権も、ずっと見てきて、①のシナリオはなさそうです。

 多くの良識ある方々が長い間、②のシナリオで努力してこられたと思われますが、基本的には変わらなかったし、これからもあまり変わらないままだと思われます。

 だとしたら、たとえどんなに困難でも③のシナリオを試みるしかない(かな?)というのが、私たちの主張です。

 ①②のシナリオが可能ならば、苦労が少なくて有難いのですが……

 読者のみなさんは、①②③、どれを選択してこられましたか、これから選択されますか?


だから放射能・原発は危険だったんだ! 基本の基本

2011年05月27日 | 原発の持続不可能性
 「持続可能な国づくりの会・理念とビジョン」
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 運営委員長の岡野です。

 ここのところ、自分のブログに放射能についての最近の学びのまとめを書いていました。

 「だから放射能・原発は危険だったんだ! 基本の基本1~3」という記事です。

 こちらで読んでくださっている方の中にも、基本の基本からの学びが参考になる方もおられると思いますので、シェアさせていただきます。

 基本の基本1

 基本の基本2

 基本の基本3

 それにしても、知れば知るほど放射能・原発は危険です。みんなで力を合わせて早く何とかしましょう。


スウェーデンは段階的脱原発の方針に変更なし

2011年05月17日 | エネルギー政策
私たちの会が何を考えていて何を提案したいのか、ぜひ読んでみてください。

 「持続可能な国づくりの会・理念とビジョン」
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 私たちの会は、「スウェーデン・モデル」を学ぶところから始まっていることは、お伝えしてきているとおりで、「スウェーデンの今」というブログの情報は、そういう意味で非常に参考になるので、しばしば参照させていただいています。

 最近、フクシマ以後、スウェーデンでは原発についてどういう議論がなされているのか、という記事が連載されていて、「なるほど、そうだろうな」と改めて感心させられました。

 詳しくはブログそのものを見ていただくことにしますが、「政府の反応」のところ、とても穏健で漸進的的でしかし「持続可能性」に向けてはっきり方向が決まっていて揺らがず、日本政府もこうあってほしい、と切実に思いました。以下、引用―紹介させていただきます。



 【政府の反応】

○ スウェーデンの原発の監督機関である放射線安全庁は環境省の管轄下にあり、福島原発の事故や今後のスウェーデンのエネルギー政策に関しても、カールグレーン環境大臣がメディアに登場しコメントを述べていた。彼は、3月17日に環境省を通じて以下のようなプレスリリースを発表している。

 カールグレーン環境大臣

「現在の中道保守政権が議会に提出したエネルギー法案に明記されているように、原子力はスウェーデンにおけるエネルギー供給の歴史の一幕に過ぎない(en parentes i Sveriges energihistoria)。中道保守政権の連立4党による合意が示しているように、スウェーデンは風力やバイオマスなどによる再生可能な電力の発電を急激に増やしていくことによって原子力発電への依存を減らしていく考えである。」

 また、新聞などでも以下のように発言している。

「私個人は原子力は廃止していくべきだと考えている。私や私の属する中央党は、中道保守政権の連立4党による合意がスウェーデン国内の原発を閉鎖していくための大きな前進を意味するものだと解釈している。確かに、この連立4党の合意を、スウェーデンが原発の増設を選んだ証(あかし)だと解釈する連中もいることは理解はしているが、そういう人たちには『あの合意が採択され、将来の長期的なエネルギー生産の道筋が明確にされた後に再生可能な電力の生産量がいかに伸びてきたかを注視すべきだ』と言いたい。」

 すでに触れたように【国としての方針】には変化はないが、その点については政府が「すでに段階的な脱原発を選んでいるから」だということは、この発言からも理解できるであろう。

政治に関心・関わりを!

2011年05月16日 | 政治
私たちの会が何を考えていて何を提案したいのか、ぜひ読んでみてください。

 「持続可能な国づくりの会・理念とビジョン」
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 運営委員長の岡野です。


 スウェーデン関係の本を読んでいて、次のような格言に深くうなづきました。


 「政治に無関心な人民は愚かな政治家に支配される。」(古代ギリシャの格言)


 市民が政治に深い関心・関わりを持った近代のスウェーデンは、まさにこの逆で、


 「政治に関心のある人民が賢い政治家を選出した。」


 その結果、「緑の福祉国家=エコロジカルに持続可能な社会」を着々と構築しつつある、といえそうです。

 今、鎌田慧『新版 日本の原発地帯』(岩波書店同時代ライブラリー)を読んでいて、歯軋りしたくなるほどの残念さを感じていますが、戦後日本のとても善良だったけれども政治的には愚かだったというほかない庶民―市民総体には、古代ギリシャの格言がみごとに当てはまってしまいそうです。

 次世代に、原発などという信じがたく持続不可能な負の遺産を遺すことなく、豊かな(放射能などに汚染されていない)国土を遺してやりたいのなら、日本人のみなさん、これから政治に積極的関心・関わりをもって、賢い政治家を生み出し、選び、押し上げていきましょう!

 日本の政治家の理想像・聖徳太子の言葉を現代語意訳で。


 「だが、上も下も〔権力欲や利権や面子を離れて〕和の心をもって徹底討論できたならば、やがておのずから事実と真理が一致したところで意思一致ができるだろう。そうすれば、どんなに困難なことであっても必ず実現できる!(何事か成らざらん!)」
 



「空気」は再生可能エネルギーへ、しかし

2011年05月15日 | 原発の持続不可能性
 「持続可能な国づくりの会・理念とビジョン」
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運営委員長の岡野です。



 今朝、NHKテレビの「日曜討論 徹底論戦!政治はどう対応するか 福島原発事故は・浜岡原発停止は」を見ました。

 各党の原発・エネルギー政策の責任者が出演していましたが、さすがに原発を推進してきた自民党や元自民党の議員からも反省の言葉が聞かれ、全体としてもはや原発積極的推進という「空気」はなく、「原発ではなく再生可能エネルギーへ」という「空気」が支配的になってきていました。

 先日、一部、依然として原発を推進しようという自民党議員グループが結成されたようですが、幸いにして、当面、そういう空気が大きく膨らむことはなさそうです。

 とはいっても、きわめて残念ながら現状の日本の産業構造が要求するエネルギー需要からしてすべての原発を即時停止―廃炉することはできないでしょうが、政・官・財・学界を含むすべての国民全体の安全のためには、なるべく早急にそちらに向かう必要があります。

 エネルギー政策をその場しのぎ・フォアキャスト的でなく未来志向の政策的・バックキャスト的に変えるには、「国」の産業政策そのものを変える必要がある、というのが私たちの主張です(「理念とビジョン」参照)。

 これから、日本の復興とその先の方向性をめぐって、さらなる政界再編成が起こらざるをえないと思われますが、「国」が変わり、エネルギー政策をまったく新しい持続可能な方向に転換するまで、原発を地震―津波が襲わないよう、一国民としては日本の幸運を祈るばかりです。


いいニュースと悪いニュース

2011年05月13日 | 原発の持続不可能性
 「持続可能な国づくりの会・理念とビジョン」
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運営委員長の岡野です。

 今日は最近のいいニュースと悪いニュースを1つずつ。みなさんもすでにご存知とは思いますが。

5月8日ネットのNHKニュースによれば
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20110510/t10015786601000.html

再生可能エネルギーで報告書

国連のIPCC=気候変動に関する政府間パネルは、太陽光や風力などの再生可能エネルギーによって2050年には世界のエネルギー需要の最大77パーセントを満たすことができるとする報告書を発表しました。福島第一原子力発電所の事故をきっかけに、原発の安全性に懸念が強まるなか、再生可能エネルギーへの期待が改めて強まりそうです。
この報告書は、UAE=アラブ首長国連邦のアブダビで開かれたIPCCの会合の中で、9日、日本政府の代表も含めて各国代表が合意したものです。それによりますと、世界全体のエネルギー需要に占める割合が現在は12.9パーセントにとどまっている再生可能エネルギーについて、2050年には最大77パーセントまで満たすことができると結論づけています。これによって、二酸化炭素の排出量も、2050年までに最大で5600億トンの大幅な削減が実現でき、温暖化の進行を抑えることができるとしています。報告書について、WWF=世界自然保護基金では「原発を導入しないでも温暖化防止が実現できることが示された」と述べて、再生可能エネルギーの一層の普及を各国に強く呼びかけています。地球温暖化対策を巡っては、二酸化炭素の排出がほとんどない原子力発電を評価する動きが世界的に広がっていましたが、東京電力の福島第一原子力発電所の事故をきっかけに、原発への懸念が高まっており、今回の報告書を受けて、再生可能エネルギーへの期待が改めて強まりそうです。

より詳しくは「アットマーク・アイティモノイスト」の記事参照。http://monoist.atmarkit.co.jp/mn/articles/1105/12/news012.html

さらにIPCCのHPhttp://www.ipcc-wg3.de/publications/special-reports/srren


 一流の学者たちが知恵を集めて考えると、再生可能エネルギーへの移行は必然でもあり可能でもある、ということになるようです。これは希望のあるニュースです。



5月13日のHKHニュースによれば
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20110513/t10015868241000.html

1号機冷却工程 見直し迫られる

核燃料が溶け落ちる、いわゆる“メルトダウン”が起きていたことが分かった東京電力福島第一原子力発電所の1号機では、当初の計画に沿って循環型の冷却システムの構築に向けた機器の搬入が13日から始まりましたが、原子炉の安定的な冷却を目指す作業は見直しを迫られています。
福島第一原発の1号機では、原子炉の水位が、燃料が完全に露出する位置だったことが分かり、東京電力は、12日、燃料の大半が溶けて下に落ちる、いわゆる“メルトダウン”が起きていたとみられることを明らかにしました。13日午前5時の時点でも、原子炉の水位は本来の燃料の位置よりもさらに1メートル以上下にあるとみられますが、原子炉の表面温度は114.3度で、燃料は下にたまって冷えつつあるとみられます。東京電力が先月発表した事故の収束に向けた工程表では、原子炉の冷却機能の回復を目指して▽格納容器を水で満たす「冠水措置」の実施と、▽熱交換器を使った循環型の冷却システムの構築が計画され、この計画に沿って熱交換器の機器の一部を構内に搬入する作業が13日から始まりました。しかし、現在の作業計画では、冠水措置がある程度進んで格納容器の中の水位がおよそ5メートルの高さに達しないと、熱交換器に水を送ることができないのに対して、格納容器の水位は今も分からず、東京電力は、どうすれば水位を把握できるか検討を急ぎたいとしています。さらに「冠水措置」については、水を満たす目標としていた位置に燃料が存在しないことなどから、東京電力は、見直しが必要だという見解を示していて、原子炉の安定的な冷却を目指す作業は見直しを迫られています。


 やっぱり、「メルトダウン」というきわめて深刻な事態に到っているのですね。6ヶ月~9ヶ月という収束のための工程表はあまりにも甘かったことが明らかになってきました。いったいどうなってしまうのでしょう。ほんとうに心配です。


 いずれにせよ、なるべく早く原発をすべて廃炉にして再生可能エネルギーに移行するべき・できるというのは、持続可能性をものさしにして中長期で考えれば、もはや議論の余地はないように、私には思えます。

 しかし、当面・短期の経済だけを考えて、原発は続けるべきだという人がかなり多数いますが、そういう空気が変わり、そして国の方向が変わることを祈りましょう。

脱原発へ向う「空気」?

2011年05月11日 | 原発の持続不可能性
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 運営委員長の岡野です。

 今日の朝日新聞を読んでいて、もしかすると日本の政界は「空気」1)2)で「脱原発」に向うかもしれないという若干の希望を感じました。

 それは、例えば福島原発事故の現場や映像を見たり、ようやく公表されるようになった放射性物質汚染状況(21面)などを見たら、リーダーたちの感性がまともならそういう「空気」になって当然です。

 まず、菅首相が昨日記者会見を行ない、「今回の事故で〔原発増設を含む〕エネルギー基本政策は白紙に戻して議論する」と表明しました。

 それから、原発の再稼動について新潟県の会田洋柏崎市長、泉田裕知事、福井県の西川一誠知事、青森県の三村伸吾知事、佐賀県の古川康知事、石川県の谷本正憲知事らは、ニュアンスは違っても、現状でただちに再稼動を認めるわけにはいかないという点は同じようです。

 さらに、神奈川県の黒岩祐治知事と静岡県の川勝平太知事が電話で、浜岡原発の停止について正しい判断で良かったと確認しあい、黒岩知事が近く川勝知事に直接会って太陽光発電の普及を一緒に進めることを提案する、とのことでした。

 こうした「空気」がさらに「持続可能な国づくり」の空気へと膨れあがってくれることを祈ります。

 といっても、もちろん、それが誤った方向に暴走したり、逆に空気抜きされて鎮静化してしまわないためには、ただの「空気」にとどまらず、しっかりとした方向性・理念とビジョンに結晶・結集していくことが必須だ、と私は考えます。

 すぐに届く届かないは考えず、この空気が脱原発―持続可能な国への追い風になるべく、ともかく引き続き提言を続けていくつもりです。ぜひ、ご参加、ご支援ください。

(賛同していただけるようでしたら、例えば、この記事、これまでの記事をどんどん拡散してください。それからどんどんコメントしてください)。


『原子炉時限爆弾』の信憑性の確認 続々

2011年05月10日 | 原発の持続不可能性
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 運営委員長の岡野です。自分の不明をさらけるようですが、原発についてにわか勉強していることについて、もう少し書かせていただきます。


 道でヘビに出会い、教師が生徒に「ハブだ、避けろ!」と言ったら、子どもが飛びのいて無事ヘビに咬まれないで済んだ。ところが、後で調べてみるとどうもハブではなくマムシだったらしいという場合、教師は生物学的には不正確なことを子どもに教えたことになりますが、緊急対応という意味ではきわめて適切な指示をしたことになります。

 それに対し、「ヘビがいるよ。アオダイショウかもしれないし、ヤマカガシかもしれないし、マムシかもしれないし、ハブかもしれないし……よく観察して図鑑で調べてみるとわかるよ」とか言っているうちに生徒が咬まれてしまったら、科学的観察や研究の態度としては正確なことを教えたのかもしれませんが、緊急対応の指示としてはまったく不適切です。

 今、続けて専門家として学問的により正確だと思われる方々の著作も読んでいますが、原発事故の危機は毒ヘビに遭ったら瞬間的に飛びのかなければならないくらいの緊急事態であることを実感的に知らせてくれる、その切迫した声の調子という意味で、やはり私にとっては『原子炉時限爆弾』がもっとも有効でした。

 しかし、信憑性について気になるので、もう1点だけ、社団法人日本原子力産協会のHPに掲載されている「原発の立地」と、NPO法人大気イオン地震予測研究会のHPに掲載されている「100万分の1陸上・海底活断層図」を重ねてみて、広瀬氏の「すでに商業運転中の原子炉が五四基と、高速増殖炉〝もんじゅ〝と、六ヶ所再処理工場という、日本を破滅に追いやる可能性が高い危険なプラントが日本中に存在している。これらをつぶさに調べてみたが、そのどれもが、地震の直撃を受けた場合に、とてつもない危険性を持っていることに確信を得た。なぜなら、これらはすべて地球と日本の成り立ちから、共通の弱点を持っているからである。」(「電力会社へのあとがき――畢竟、日本に住むすべての人に対して」p.274)という言葉には、信憑性があることを確認しました。

 日本の原発はすべて(あるいはほとんど?)活断層の近くや上に立っているらしい、それだけで十分に、というよりはあまりにも危険であることは明らかです。

 加えて瀬尾健『完全シミュレーション原発事故の恐怖』(風媒社)と高木仁三郎『もんじゅ事故の行きつく先は?』(岩波ブックレット)を読んで、日本はほんとうに危ないのだと背筋が寒くなり、一日も早くなんとかしなければ、と感じています。

 しかし、とりあえず幸いなことに、中部電力も取締役会で菅首相の要請を受け入れることにしたとのことですし、今日の首相の発言によれば、民主党の従来のエネルギー政策を白紙にして見直すとのことですから、少し希望が出てきたかな、という気がしています。

 菅首相が、脱原発に大きく舵を切ってくれるといいのですが……そこまで期待できるかどうか……


市民運動を含んで超える必要?

2011年05月09日 | 理念とビジョン
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 運営委員長の岡野です。


 昨日の記事で、うろ覚えで「かつて日本で行われた60年安保反対のデモ、70年安保の反対のデモでは、25万人どころではないもっと大規模のデモが行われました」と書いたのが気になったので、少し手近な資料を調べてみました。

 歴史学研究会編『日本史年表 増補版』(岩波書店、1993年)によれば、1960年6月4日「安保改定阻止第1次スト560万人参加」となっていました。

改めて調べてみて、本当に驚くべき数の国民・市民が動いたのですね。

 ウィキペディア「安保闘争」によれば、1960年6月15日の安保改定阻止第2次ストでは、「主催者発表で33万人、警視庁発表で約13万人という規模にまで膨れ上がった」とありました。

 記事の一部を引用しておきますが、私の言いたいのは、たとえ最大規模560万人がストに参加して、首相(岸信介)を退陣に追いやったとしても、肝心の安保改定は阻止できず、自民党政権は崩壊しなかった、それどころか国民総体は池田勇人首相の「所得倍増計画」という言葉に乗って、市民運動は鎮静化―退潮してしまった、という歴史的事実を思い出しておく必要があるのではないか、ということです。

 私もその中で体験した70年安保闘争―大学闘争で、どのくらいの学生や市民が運動に参加したかは、まだ調べていませんが、60年安保闘争ほどの市民的な広がりはなかったのではないでしょうか。そして、もちろん鎮静化の後、日本は高度経済成長路線をひた走ってきて、今、その路線が完璧に行き詰まっている、と私には見えます。

 安保闘争(あんぽとうそう)とは、1959年(昭和34年)から1960年(昭和35年)、1970年(昭和45年)の2度にわたり、日本で展開された日米安全保障条約(安保条約)に反対する労働者や学生、市民が参加した日本史上で空前の規模の反政府、反米運動とそれに伴う政治闘争であると同時に、火炎瓶や鉄パイプで暴力を振るう暴動・紛争という側面も持っていた。
〔1960年〕6月15日には、ヤクザと右翼団体がデモ隊を襲撃して多くの重傷者を出し、警官隊が国会議事堂正門前で大規模にデモ隊と衝突し、デモに参加していた東京大学学生の樺美智子が圧死するという事件が発生する。国会前でのデモ活動に参加した人は主催者発表で計33万人、警視庁発表で約13万人という規模にまで膨れ上がった。……
条約は参議院の議決がないまま、6月19日に自然成立。またアイゼンハワーの来日は延期(実質上の中止)となった。岸内閣は混乱を収拾するため、責任をとる形で、新安保条約の批准書交換の日である6月23日に総辞職した。岸は辞任直前に暴漢に襲撃され重傷を負った。……
「60年安保闘争」は空前の盛り上がりを見せたが、戦前の東條内閣の閣僚でありA級戦犯容疑者にもなった岸とその政治手法に対する反感により支えられた倒閣運動という性格が強くなり、安保改定そのものへの反対運動という性格は薄くなっていたため、岸内閣が退陣し池田勇人内閣が成立(7月19日)すると、運動は急激に退潮した。
池田勇人内閣は所得倍増計画を打ち出し、社会党も経済政策で対抗したため、安保闘争の影は薄くなっていった。……

 もう1つ、市民運動は政権交代にまで結晶しないかぎり、鎮圧・鎮静化で終わるという歴史的事実は、職責上鎮静化する側である警視庁の「警備警察50年」を読むと、少し実感できるのではないでしょうか。

 だから市民運動はムダだといいたいのではありません。市民運動を含んで超える政治運動が必要ではないか、と思うのです。

 ご意見をお寄せください。


なぜ持続可能な「社会」ではなく持続可能な「国」づくりなのか

2011年05月08日 | 理念とビジョン
 「持続可能な国づくりの会・理念とビジョン」
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 運営委員長の岡野です。
 以下は、運営委員会の最終的な統一見解ではありませんが、運営委員会のメンバーに諮り、いわばオープンな継続的討議の素材として、「運営委員長の個人的見解」というかたちでブログ掲載することを承認されたものです。
 どうぞ、ご意見をお寄せください。


 私たちの会についてしばしば出される質問・疑問の一つに、なぜ「持続可能な社会づくり」ではなく「持続可能な国づくり」なのかというものがあります。

 東日本大震災の本格的復興と福島原発事故の収束のめどがまだ立っておらず、特に原発事故による放射能汚染がどこまで広がるのか、どこで止まってくれるのか、はっきりとした見通しを持てない不安な状況のなかで、このご質問に私なりのお答えをしっかりとしておく必要があると思うようになりました。

 私たちは、日本も含む現代の先進国の経済システムは、資源とエネルギーの大量使用―大量生産―大量消費―大量廃棄、という構造になっており、入り口で地球の資源の有限性、出口で地球の自己浄化能力の有限性という構造的問題を抱えており、持続不可能であると考えていることは、繰り返しお伝えしてきたとおりです(この点は統一見解です)。

 そして、原発は入り口でのウランの有限性もさることながら、出口でのきわめて危険な放射性廃棄物(最終的に安全にして処理する方法がない)と大量の熱排水(海の熱汚染)という点で、持続不可能性の象徴的・代表的存在だと思われます(これもほぼ合意されています)。

 私たちも含め多くの人が、持続不可能性とその危険性という点から、原発を止めたいと強く思っていますが、止めるにはまず、誰が原発を推進する権限を持ってきたのか、誰が原発を止める権限を持っているのか、そのことをはっきり理解しなければ、その思いをかなえることはできない、と私は考えています。

 振り返ってみると、日本で原子力の開発が具体化したのは1955年からですが、それ以前から、開発を推進してきたのは言うまでもなく当時の日本国政府です。そしてそれ以来、現民主党政権(「民主党エネルギー基本政策」の「原子力の平和利用」参照)に至るまで、推進し続けてきたのも、日本国政府です。

 もちろん具体的な原子炉の設計・製作・運転・発電・送電などを推進してきたのは関係企業ですが、それを指示し認可し続けさせてきたのはその時その時の政府の政治的決断・意思だったと言うほかありません。その場合の政府の意思というのは、これまた言うまでもなく官僚と政治家の合意を意味しています。

 まとめていえば、原子力発電は戦後まもなくから今日まで一貫して、多くの政治家・官僚・企業人の合意に基づき政府=国が認め推進してきたものだということです。

 その手続は、議会制民主主義による法治国家である日本の法律に基づいて行なわれてきたものであり、そのかぎりにおいてまったく正当なものです。〔話をなるべく正確にするための資料として、末尾にウィキペディアの「日本の原子力発電所」(最終更新 2011年5月5日 (木) 01:06)の「歴史」の項目を引用しておきます(原子力基本法の成立時の内閣総理大臣を補足)。もちろんウィキペディアの記事をどこまで信用するかという問題は残りますから、資料・根拠をあげて批判・訂正をしていただくことは歓迎です。〕

 そこで、原発を本当に止めたいと思う――より広く言えば環境問題を本当に解決して持続可能な社会を作りたいと思う――市民というより国民がしっかりと心にとめておかなければいけないのは、原発は選挙によって選出された代議員が構成する政府=国が合法的手続きに基づいて推進してきたものだということです。

 法治国家においては、法的手続きによって決定されたことは、法的手続きによるほか覆す・変更することはできません(暴動・反乱・革命などによって、超法規的に廃止される場合は別ですが)。
 原発もまた、国によって合法的に推進されてきたものである以上、国によって合法的に廃止されるほか、実際に廃止されることはないと思われます。
 原発を推進する権限も廃止する権限も、基本的には政府=国が持っていることを、私たちはしっかり認識しておく必要があります。

 現に、スウェーデン(1980年)、イタリア(1987年)、ベルギー(1999年)、そしてドイツ(2000年)など、いずれも政府が法制化することによって脱原発が現実化の方向に向いつつあります(その後の紆余曲折はあります。特にスウェーデンについて脱原発政策が方針転換されたという誤解がありますが、これはまったく日本的な誤解だと思われます。小澤徳太郎氏のブログ参照)。

 政府が法制化することなしに、市民運動だけで原発が止まったという例を私は知りません。

 もちろん大きく盛り上がった市民運動が政治的圧力となって政府の法制化に影響を与えたというケースはあるでしょう。
 現にドイツのメルケル首相は、いったん前社会民主党政権の脱原発政策を見直すと言っていたのですが、今回の25万人にものぼる反原発デモの影響で、原発推進政策の見直しを考え始めているとのことです。
 しかしそれは、デモそのものの影響というよりは、デモの人数があまりにも多いので、このまま原発推進政策を続けると、次期の選挙で政権の座を降ろされることになるかもしれないという恐れを、メルケル首相が感じたことによると思われます。

 かつて日本で行われた60年安保反対のデモ、70年安保の反対のデモでは、25万人どころではないもっと大規模のデモが行われましたが、当時の自民党政府=国にとって次の選挙で政権から降ろされる脅威には感じられなかったために、警察機動隊を使って排除収束させれば済むことであって、日米安保条約の変更あるいは廃棄を検討する必要はまったくないと判断され強行されたわけです。
 もし、あの時のデモが次の選挙によって自民党が政権の座から降ろされる脅威を感じさせるものだったら、自民党政府の対応や決定はもっと別のものになっていたことでしょう。

 そうした歴史的な実例が示しているように、何十万人という大規模デモでさえ、政権を脅かさない限りは政府の政策決定に影響を与えないのですから、まして署名活動などの市民運動がもっと影響力がないのは、残念ながら当然と言わざるをえません。

 誤解していただきたくないのは、今盛り上がりはじめている脱原発のためのデモや署名活動や講演会なども「結局意味がないからやめたほうがいい」と言いたいのではないということです。
 私自身、何としてもなるべく早く原発を廃止したいと強く願っていますから、そうした活動には意味も共感も感じています。また、やれることは何でもやったほうがいいと思いますし、できる範囲で協力・参加していますし、これからもするつもりです。

 しかし、願うことと実現することは別のことです。願うことは実現することの第一歩ですが、終着点ではありません。どれほど強く願っても、実現できる手続きを踏まないかぎり、願いは願いのままに終わるでしょう。

 私たちが、「子供や孫たちの世代のためにあまりにも危険な原発はなくしたい」と本気で思うのなら、願いを願いにとどめず手続きを踏んで実現する必要があるのです。
 その手続とは、端的に「私たちの願いを主権政党・政府の政治的意思にする」ということです。

 (一昨日、ひとまず幸いにして、菅総理が浜岡原発を停止する要請を出し、昨日、中部電力が受け容れたとのことですが、今朝のNHKの番組で仙石副官房長官が、他の原発について質問されたの対し、「これまでのエネルギー政策(原発を含む)を堅持する」と発言していました。つまり、きわめて残念ながら、現時点では、浜岡原発だけが一時停止されるのであって、政府の政治的意思がすべての原発の廃止=「脱原発」に転換したわけではありません。)

 私たちみんなの願いを実現するために必須だと思われるので率直に言いますが、今、日本の心ある市民がより明確に自覚することが望まれるのは、日本は代議制民主主義の国であり、国民の過半数の意思によりいかなる暴力的な混乱もなく、主権政党を交代させることのできる国であるということの意味だと思われます(投票率を見ていると、場合によっては、50%の50%強くらい、つまりたった25%強の得票で、「政治を変える」ことは可能なようです)。
 しかし、統一地方選挙の結果を見ると、とりあえず自公政権から民主党政権への「政権交代」が現実のものとなった後でさえ、国民にはまだそうした自覚が不十分なように私には見えます。

 けれども、脱原発という願いを実現したいのなら、さらなる政権交代によって「脱原発」を明快な政治的意思として持っている政党を国の主権政党にするほかないのではないでしょうか。その他に、脱原発が実現するシナリオがありうるでしょうか。

 といっても、ここで私は、「だから、脱原発を主張している既成政党を押し上げて政権の座に据えよう」と言いたいのではありません。
 それは、きわめて残念ながら、私の知るかぎり既成のどの党にも脱原発を含む「持続可能な国づくり」の「理念とビジョン」があるようには見えないからです。

 しかし、これから日本という国が、資源とエネルギーの大量使用(原発はその代表的なものです)―大量生産―大量消費―大量廃棄(放射性廃棄物と熱排水はその代表的なものです)という持続不可能な社会システムを持続可能な社会システムに方向転換するためには、明快な方向指示としての「理念とビジョン」が不可欠だと思われます。

 原発はエネルギーの大量使用による経済成長を前提として進められてきたエネルギー政策の一環ですから、従来のエネルギーの大量使用を前提とした社会・産業システムは変わらないまま脱原発だけが実現するというシナリオは想定できません。

 持続可能な国づくりの理念とビジョンを自らの政治的意思としてしっかりと持った政党が主権政党として国を担うことがないかぎり、他のどのような善意の努力の積み重ねによっても日本社会が「持続可能な社会」になることはない、日本が持続不可能になってしまえば、それまでのあらゆる善意と努力は水の泡と消えることになってしまう、と私は推論・シミュレーションしています。

 善意と努力を実らせるには、主権政党と政府という意味での「国」を変え、そのことによって国民と国土という意味での「国」を「持続可能な国」へと変えることが必須ではないでしょうか。
 脱原発も、持続可能性を目指す国の政策全体の重要不可欠な、しかしその一部として実現されるほかありません。

 (環境問題・持続可能性の問題は全地球的・グローバルなものであり、解決・持続可能性も最終的にはグローバルでなければなりませんが、一挙にグローバルな解決を図る道筋はないと思われますので、まずは個々の国――私たちの場合は日本国――から手をつけるほかない、と私は考えています。この点については、また後日述べたいと思います。)

 だからこそ、あえて私たちの会は、一般的な印象がある持続可能な「社会」づくりではなく、より具体的目標を定めた持続可能な「国」づくりの会としたのです。

 もちろん、この「理念とビジョン」が唯一絶対でも最高でも完全でもないと考えており、ぜひ生産的な批判や修正提案をいただき、よりよいもの、妥当性の高い、説得力のあるものにしたいと思っています。

 そういうわけで、これ、というより、こうした「理念とビジョン」を自らの政治的意思として日本という国の方向転換をしてくれる、新しいリーダー、新しい党が誕生するための、いわば揺りかごとなるべく、私たちの会は微力を尽くしています。
 もし、「理念とビジョン」に可能性を感じていただけたら、ぜひ私たちの会にお集まりください。あるいは、組織は別であっても生産的な連携をしましょう。私たちは、いつも、メンバー、スタッフ、新しいリーダー候補生を募集していますし、方向性を共有できる連携先を求めています。
 ご一緒に、「持続可能な国づくり」ができる、新しいリーダーと新しい党の誕生の下準備をしていきませんか(まだただちに新党結成できる・する社会的条件は調っていないと思われますが、原発事故再発の切迫した危険性からして、一日も早い、可及的速やかな結成が強く望まれます)。


*ウィキペディアの記事より

1945年8月、第二次世界大戦敗戦後、日本では連合国から原子力に関する研究が全面的に禁止された。しかし1952年4月にサンフランシスコ講和条約が発効したため、原子力研究は解禁されることとなった[1]。
日本における原子力発電は、1954年3月に当時改進党に所属していた中曽根康弘、稲葉修、齋藤憲三、川崎秀二により原子力研究開発予算が国会に提出されたことがその起点とされている。この時の予算2億3500万円は、ウラン235にちなんだものであった[2]。
1955年12月19日に原子力基本法が成立し、原子力利用の大綱が定められた(補足:内閣総理大臣は自由民主党総裁の鳩山一郎)。この時に定められた方針が「民主・自主・公開」の「原子力三原則」であった[3]。そして基本法成立を受けて1956年1月1日に原子力委員会が設置された[4]。初代の委員長は読売新聞社社主でもあった正力松太郎である[5]。正力は翌1957年4月29日に原子力平和利用懇談会を立ち上げ、さらに同年5月19日に発足した科学技術庁の初代長官となり、原子力の日本への導入に大きな影響力を発揮した。このことから正力は、日本の「原子力の父」とも呼ばれている。
1956年6月に日本原子力研究所、現、独立行政法人日本原子力研究開発機構が特殊法人として設立され、研究所が茨城県那珂郡東海村に設置された[6]。これ以降東海村は日本の原子力研究の中心地となっていく。
1957年11月1日には、電気事業連合会加盟の9電力会社および電源開発の出資により日本原子力発電株式会社が設立された[7]。
日本で最初の原子力発電が行われたのは1963年10月26日で、東海村に建設された実験炉であるJPDRが初発電を行った。これを記念して毎年10月26日は原子力の日となっている[8]。
日本に初めて設立された商用原子力発電所は同じく東海村に建設された東海発電所であり、運営主体は日本原子力発電である。原子炉の種類は世界最初に実用化されたイギリス製の黒鉛減速炭酸ガス冷却型原子炉であった。しかし経済性等の問題[9]によりガス冷却炉はこれ1基にとどまり、後に導入される商用発電炉はすべて軽水炉であった。
近年は老朽化で運転を終える原子力発電所の廃炉処置の困難さの問題に加えて二酸化炭素排出削減策として、既存原子力発電所の延命方針が打ち出された。しかし、2011年に東日本大震災による福島第1原発事故が発生し、重大な放射能被害を近隣住民に及ぼした。 今後は、2010年3月に営業運転期間が40年以上に達した敦賀発電所1号機をはじめとして、長期運転を行う原子炉が増加する見込みである事から、これらの長期稼働原子炉の安全性が議論となっている[10]。
なお、福島第一原子力発電所の原子炉6基は、2011年3月の東日本大震災の被害で6基とも廃炉になる可能性がある[11]。