持続可能な国づくりを考える会

経済・福祉・環境の相互促進関係を!

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ポイント⑦ 「生態系(自然)の劣化」

2010年02月24日 | 理念とビジョン
⑦生態系(自然)の劣化

生物ピラミッドの頂点にいる人間の生存は、全生態系に支えられています。
したがって動植物が姿を消していくことは私たち人間自身の生存が危機にあることを示しています。




 ●現代生活では忘れてしまいがちですが、私たち人間が生物であり
  その生存が植物を基礎とした全生態系に支えられている、
  という事実に今後とも変わりはありません。
  私たちが生態系の頂点にあるという立場を享受する一方で
  その立場に必然的に伴っているはずの責任を果たさなければ、
  結局自身の足元を突き崩す結果となってしまいます。



当会ビジョン試案のご紹介も中盤となりました。
前回から経済と環境のバランスについて論じた個所に入っていますが、今回はそのバランスが不可欠であることを論じた項目、

 ①生態系(自然)の劣化
 ②人間の生存条件の劣化
 ③企業の生産条件の劣化

の①をご紹介します。


私たちは現代社会において(とくに都市生活をしていると)忘れがちですが、次の事実は人類の存続する限り変わることのない普遍的な事実と言って間違いないでしょう。


たとえどんなに科学・技術が進歩しても、人間が生物であることに変わりはなく、太陽と植物を基礎にしたエネルギー・システムの中で生きていることにも変わりありません。
確かに人間は「生物ピラミッド」の頂点にいるともいえますが、決して忘れてはならないことは…人間はそうした食物連鎖に支えられているということです。(15頁)


一般に「生物ピラミッド」と聞いてすぐに連想される「弱肉強食」「優勝劣敗」というような言葉から、あたかもその頂点にいる高等な生物は下の層にいる存在たちの上にあぐらをかいて「支配」しているようにイメージされてしまいますが、考えてみればそれはあまりにも一面的な認識なのでした。

この生物ピラミッドの一見支配的な上下関係とは、他方で「上」から「下」へのほぼ一方的な依存関係でもあります。
それは「下」がなければ当然「上」は存在できず、逆に「下」の存在が「上」にほとんど依存することがないという事実から明らかです。
ですから、「弱肉強食」というような認識は、本当には勝ちも負けもないという意味で一面的と言わざるをえないわけです。
しかも「生態系を支える食物連鎖の出発点は植物」なのですから、頂点も含めた全生態系は植物がなければ存在しません。

私たちが今生きていることが生態系の実に多くの存在に支えられていること、日常単にそれを忘れたふりをして過ごしているにすぎないことに気づかされます。

ともかく、生態系の頂点に近い生物ほどより多くの他のものの存在に支えられていることは事実といって間違いないでしょう。
それは言い換えれば、高等な生物ほどその存在は依存的・脆弱ということになるのではないでしょうか。
たとえるなら、ピラミッドの土台や下の層が崩れると頂点も簡単に崩落してしまうのと同じです。

そして、このように生態系の外に立ってそれを客観的に認識しているつもりの私たち人間自身が、じつはまさにその「脆弱な頂点にある生物」にほかならない、ということがここでのポイントになると思われます。
詳しくは環境問題スペシャリスト・小澤徳太郎氏の次のブログ記事をぜひご参照ください。

●私の環境論5 動物的な次元から逃れられない人間


ところで、日常的に「環境」とほぼ同じように使われている「エコ」という言葉自体が、「生態学(エコロジー)」からきているのは皆さんご存じのとおりです。
これは一般に環境問題イコール生態系の危機として認識されていることを示していると思われます。

それでは具体的には生態系は一体どの程度危機にあるのでしょうか?
そう問われてみると意外にはっきりとしていないことに気付きます。
皆さんはいかがでしょうか。

このことについては冊子掲載の「図3・生態系の劣化」をご覧いただくとほとんど疑問の余地なくはっきりすると思われます。



●図3・生態系の劣化(作図は小澤徳太郎氏)



文字通り私たちの足元が崩れていくような恐ろしいデータの数々です。
しかもこれらは最新のデータではなく、いずれも15年前後前のものです。
現在までの間にこれらの生態系の劣化がさらに加速度的になっているのはおそらく確実です。
いったい現在ではどのような事態になっているのでしょうか?

(ビジョンを検討した特別委員会でこの図のデータの更新を検討したのですが、時間の関係もあって試案段階ということから今回は見送りました。
しかし、一方で調べるのが怖いというような半ばためらいの気持ちがはたらいたのも事実です。
お気持ちのある方はぜひご自身でお調べいただき、情報をご提供いただければ幸いです。)

その「生態系の劣化はさらに加速度的になっている」であろうということは、たとえば大井玄氏(元国立環境研究所所長・当会名誉顧問)による次の記事などによって確認できます。
少し長くなりますが引用させていただきます。


富の分極化に伴う環境破壊

 いうまでもなく現在の大気中二酸化炭素濃度は、産業革命以来、主として先進国の化石燃料消費がもたらしました。今でもアメリカは地球人口の5%以下であるにもかかわらず、二酸化炭素の4分の1を排出しています。一人当りの排出量では、途上国の10倍から30倍、EUや日本に比べても2倍近く大きい「浪費型環境破壊」です。…

 …その一方、貧困であるための環境破壊は、人口増加率の高い地域で深刻でした。

 1994年、50~100万人といわれる大殺戮が起こったルワンダは、1940年代にはアフリカのスイスと呼ばれたほど緑豊かで風光明媚な土地で、主産業は農牧でした。
さて、産児制限に反対するカトリック教会の影響もあり、人口増加率3%以上の年が続き、人口爆発が起こります。1956年、200万だった人口は1994年には800万に達したと伝えられ、農地面積も急激に増えます。1970年に53万ヘクタールだったのが1990年には84万ヘクタールに達し、文字通り山頂まで耕されます。

当然森林面積は減り、1965年に13,000平方キロメートルだったのが1993年には5,500平方キロと、わずか30年足らずで半分以下に減りました。
かつてこの森林にはゴリラやチンパンジーなどのヒトの親戚が沢山棲息していましたが、その絶滅さえ危惧されています。

 低所得地域の環境破壊は、森林減少、牧草地の砂漠化など土壌や水資源の悪化に現れています。これは人間の必死の生存努力、やむを得ないあがきの結果ともいえます。
しかしそれぞれの事例を調べると、草原の家畜収容能力を超える過放牧をしたりする場合も多いのです。…(中略)…彼らはわずかなお金を得るためによろこんで「環境」を破壊するでしょう。…

 …つまり新古典派理論は、強者にとって圧倒的に有利な経済理論であるように思います。そして地球規模で見ますと、グローバル経済競争の「勝者」はエネルギー消費を増やすことにより、「敗者」は生存のあがきによって、地球環境を劣化させているように見えます。

(『いのちをもてなす――環境と医療の現場から』大井玄、みすず書房、2005年、108頁。引用者による改行等あり)


紹介されているのは一部の国・地域とはいえ、人間のグローバルな経済の拡大競争とそれに伴う「富の分極化」が、「貧」と「富」のどちらの場合をとっても生態系に壊滅的な打撃をもたらしていることがわかる事例です。

野生の動植物が徐々に姿を消していくことは、同じ生物界の一員である人間にもその危機が忍び寄っていること」というのを、いまや実感せざるをえない時代になっています。

それでは私たちはいったいどうしたらよいのか、というのがこの新しい国づくりのビジョン試案の眼目ですが、その前に危機の認識の箇所のご紹介がもうすこし続きます。


(つづく)


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ところで今回ご紹介の個所を離れますが、このような生態系とそれに支えられた私たちの存在とは、生物40億年・地球46億年・宇宙137億年という気の遠くなるような時間にわたる営々たる進化の積み重ねが生み出したものにほかならないという、現代科学が明らかにした事実には真に驚くべきものがあります。

本ビジョンの最後のほうで示されているように、今後私たちがエコロジカルに持続可能な社会を本気で目指す心――言い換えれば積極的な環境倫理――を身につけるには、このような人間の根源的な生存条件への、深く正確な事実認識が不可欠となるとのことです。

このことについては、20世紀後半以降あきらかにされてきた現代科学的世界像に基づく「コスモロジー教育」を提唱している、先にご紹介した岡野守也氏のブログの記事をご参照ください。
そのポイントが、科学的にひじょうに納得のいきやすいかたちで説明されています。


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※ 当会の新しいパンフレットができました!(再掲)(下の画像をクリック・PDF679KB)
裏面はビジョンの各ポイントを絵入りで一枚にしたものです。上の連載の元になっているものであるため、そちらは後日公開いたします。表裏面合わせ、当会の理念とビジョンをダイジェスト的にご理解いただくべく、事務局一同で考えて作りました。
ご意見いただければ幸いです。


ポイント⑥ 「経済と環境のバランスを実現する社会システム」

2010年02月21日 | 理念とビジョン
⑥経済と環境のバランスを実現する社会システム

経済と環境のバランスは不可欠です。
経済活動の拡大に伴う環境問題とは、生態系、人間の生存条件、企業の生産条件の劣化にほかならないからです。




 ●私たちをいつまでもしっかりと支えてくれると思い込んでいた
  「環境」という地盤は、ここで円に描かれているように
  有限であることが今でははっきりしています。
  その地盤は劣化してひびが入って、いよいよ割れて
  取り返しがつかなくなろうとしています。
  私たちが驚き嘆いているだけでなく、その保全・改善に
  いますぐ取り組まなくてはならないのは明らかです。



前回までのビジョンのいわば第1章にあたるところについて、新しい福祉社会モデル「ワークフェア国家」が示されていることをご紹介してきました。
現在までほとんどもっぱらトレード・オフ関係としてとらえられてきた経済と福祉が、実は両立できる、というよりも両立することこそが今後リアルになるという方向性は、たぶんはっきりしていると思われます。
そこに私たちの希望があります。

さて、今回からご紹介するのは第2章にあたる、環境と経済のバランスを論じたくだりの冒頭の箇所です。

ここで要約的に述べられているように、「経済と環境はトレード・オフの関係にある」というとらえ方もまた、私たちが生きている現代日本社会において、ほとんど空気のように自明化された常識になっていると思われます。
それは私たちの内にある「当り前だ」「あえて言うまでもない」「しょうがないでしょ?」というような感覚です。そうではないでしょうか?
そして環境に関するいろいろな議論が結局この常識を前提になされていて、それがためにいつのまにか「腰砕け」に終わっているように見える――といったら言い過ぎになるでしょうか。

しかしこのビジョンでは、福祉の場合と同じく、それは誤解であるとしています。

「経済と環境(と福祉)はバランス」は不可欠でありかつ可能であると考えています。
人間(社会)と自然の持続的な調和なしに「安全・安心で幸福な社会」はありえないからです。
(14~15頁)


後者の「バランスは可能」ということは、これも福祉の場合と同じくその「誤解」を解消するうえでとても重要だと思います。
ビジョンの以降の箇所をお読みいただければご理解いただけると思いますが、これからの時代において、環境とのバランスを実現した経済こそが真に持続可能=リアルだということには、理論と実際に基づくポジティブな説得力があると感じます。

一方、前者の「バランスは不可欠」とは、その「経済と環境はトレード・オフだ」という「誤解」は、そもそも成り立たないはずだということを示しています。
地球環境の危機についてはすでにデータが示されていろいろに語られているようでありながら、一般的には何がそれらの危機の根本・本質であるのか、それが私たちに何をもたらすのかがはっきりとは認識されていないようであり、「不安はいっぱいだが危機感が薄い」という状況に終始しているように見えます。

そのなぜか見えなくなっている本質とは、「環境問題と私たちの経済活動はコインの表裏のように一体の現象だ」という事実です。
ましてその認識が経済界や政治の行動原理には多分まったくなっていないのは、日々の報道を見ている限り間違いないと言わざるを得ないと思われます。


そこでビジョンのこれに続くくだりでは、そこをはっきりさせることによって私たちは正当な危機感を持つ必要があるという意味で、いわゆる「環境問題」が具体的には次の三つの内容をもつものだとしそれぞれの解説を行っています。

 (環境問題とは)
  ①生態系(自然)の劣化
  ②人間の生存条件の劣化
  ③企業の生産条件の劣化

①も②も、「環境問題」によって私たちの「足元」が崩れつつあることを示す恐るべきものですが、さらに③は、そういうこととは関係なくリアルに営まれているかのように見えている企業活動自体がたぶん真っ先に持続不可能になるというだろうという冷厳たる事実を示しており、いずれも必須の現実認識という意味で重要だと思われます。

以降、それらの個所をご紹介していきたいと思います。

(つづく)


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※この環境と経済を取り上げた以降の部分では、環境問題スペシャリスト・小澤徳太郎氏の環境論に依拠するところが多くなっています。
※とくに、上記の「環境と経済は一体だという事実」にもかかわらずそれが「一般にははっきりと認識されていない」ということについては、小澤氏の次のブログ記事それぞれをお読みいただくとご理解いただけると思います。

 ●環境問題とは何か
 ●変わらぬ学生の反応


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本ブログでご紹介している「持続可能な国づくりの会・ビジョン」(試案)について、会員・非会員を問わず皆様に頒布しております。ご希望の方は当会事務局あてメール(jimukyoku@jizokukanou.jp)まで。



ポイント⑤ 「ワークフェア国家と市場経済」

2010年02月18日 | 理念とビジョン
⑤ ワークフェア国家と市場経済

ワークフェア国家は、競争原理の市場経済システムを取り入れますが、協力原理で営まれる社会全体を市場の暴走が脅かすときには、民主的な合意に基づくコントロールが行なわれます。




●古い「統制経済」の馬が引く社会主義の馬車は疲弊してもう走れません。
 一方「市場経済」の2頭立ての馬は互いに競争して驀進します。
 その暴走しかねない勢いを、民主主義的コントロールがしっかり手綱をとらえて、
 新しい福祉国家の馬車は快走を続けます。
(毎回冒頭に掲載しているのは、ご紹介の個所をわかりやすく親しみやすいようにした図です。)



当会ビジョン(試案)を要約的にご紹介していますが、毎回の冒頭の表題部はビジョン本文の各見出しで、文がその個所の内容の要約となっています。
そのため回ごとに対応する本文内容のボリュームはずいぶん違っているのですが、いずれも重要と思われるため、可能な限りひととおりご紹介していきたいと思います。

「ここ100年の実験によって統制経済の非効率性、市場経済の効率性はもはや疑う余地はないと思われますから、ワークフェア国家も経済システムについては市場経済を否定することはありません。
しかし、市場が暴走して社会を脅かす場合には、民主主義的な合意に基づいた市場のコントロールを行なうのです。」(14頁)

ここでのポイントは、ワークフェア国家は先述のように新自由主義的な資本主義体制でないのはもちろんのこと、また一方で「協力原理」のもと「市場経済をコントロールする」とはいっても、かつて資本主義の対抗勢力であったマルクス主義的な「共産主義」とはほぼまったく違うということです。

かつて勢力のあった「共産主義」ないし「社会主義」とは、非常に大雑把な理解ですが、人間に普遍的な協力原理から出たユートピア運動だったのだと思われます。
しかし上に引用したとおりその経済体制の非効率さの点でも、さらに抑圧的な政治体制に終始したという点でも、いわば「歴史のテスト」に失敗したのは明らかだと言わざるをえません。

しかし、一方で産業社会の競争を純化しひたすら経済効率と利益を追求しようとした市場原理主義的な資本主義が、(市場自体がそれに基盤にして初めて成り立っているところの)肝心の「社会総体」という協力原理のシステムをズタズタにしてしまうということを、今まさに私たちは見ているのだと思われます。

「新古典派経済学は、人間の経済がトータルシステムとしての社会総体によって支えられているという点を見失っています。経済は経済だけで成り立つのではなくて、社会総体が成り立つことによって経済も成り立つというのが社会の本質であるにもかかわらず、経済だけで捉えられるかのように考えている、そこに新古典派経済学の学問としての根本的な欠陥があるのです。」
引用:「『人間回復の経済学』などで言いたかったこと」神野直彦氏、『持続可能な国家のビジョン』(08年、当会発行)所収

今や、本文で述べられている「100年の実験」の結論はすでに両方出尽くしたということではないでしょうか。
つまり競争原理か協力原理の「どちらかのみ」で排他的に社会総体を覆いつくそうとする試みが失敗だったという結論は、もうすでに出ていると思われます。
そして残念ながら、伝統的集団主義のもとで両者を妥協させ一時成功を収めた日本型の経済慣行というシステムも、すでに競争主義の側に大きく倒壊してしまったように見えます。

ここでふたたびワークフェア国家の図をご覧ください。





これもまた大まかな理解ではありますが、しかしワークフェア国家がいずれかの原理のみが支配的な経済体制でも、または単なる折衷主義でもなく、協力原理という「社会の本質」にもとづきつつその中に市場経済を組み込み循環構造にした、「トータルシステムとしての社会総体」であることが、一見してお分かりいただけるのではないかと思います。

(あくまで図式的なたとえですが、これはあたかも嫌気性だった原核生物が、好気性という反対の性質をもつ細菌をその内部に共生的に取り込んで、効率よくエネルギーを作り出す小器官・ミトコンドリアとして「利用」し、そうして細胞はより進化した全体システムにステップアップすることで酸素が増えた地球環境に巧みに適応してきた、というのに似ているように見えます。
 進化とは生物的なものでも社会的なものであっても、「含んで超え」てシステムがより適応的で複雑・高次になるものだという、ある種の共通性を予感させます。)

なおビジョンでは「社会主義」という言葉に対して日本の私たちが一般に抱きがちな思想的アレルギーを考慮してあえて触れられてはいませんが、当会ではとくにスウェーデンが緑の福祉国家=ワークフェア国家を相当程度実現していることには、長く政権政党の座にあった社会民主党がそういう国家ビジョンを描いて目的的・政策的に(=バックキャスト的に)実行してきたという、政治主導の力が重要だったと理解しています。

そのことと、またいわゆる旧ソ連に代表される「共産主義」とスウェーデン型「社会民主主義」が根本的に異なることについて、先にご紹介した岡野守也氏のブログに非常に明快に述べられていると思われるのでぜひご参照ください。
「持続可能な社会に向かう思想と政治」(2008年11月26日)

さらに具体的にはまさにその政党の綱領、『スウェーデン社会民主党綱領』(日本語訳は(社)生活経済政策研究所発行)を直接お読みいただくのがよいと思われます。



さて、ここまでで、今後ますますの激動が必至と思われる21世紀の世界で、持続可能な国づくりを目指すとすれば一体どのような社会システムが適当であるかについて、私たちが把握しているもっとも有望で可能性のある道、「ワークフェア国家」の節のご紹介が終わりました。

今後はさらに、地球環境全体が持続不可能となってしまうというたいへんな危機に対応するためにこそ私たちはワークフェア国家を目指す必要がある、ポジティブに言い換えれば「環境と福祉と経済は本来両立できる!」という内容に入っていきます。

(つづく)

ポイント④ 「ワークフェア国家とは」

2010年02月15日 | 理念とビジョン
④ワークフェア国家とは

21世紀型福祉社会=ワークフェア国家の実例は、とくに社会的な安全網がさらに跳躍の基礎となっているスウェーデンに見ることができます。
(例:失業時の手厚い所得保障と就労支援)





前回にご説明した「ワークフェア国家」については、もちろん深く探求すれば複雑多岐にわたる厖大な学びになることと思います。
しかし繰り返しとなりますが、原則・エッセンスはこのビジョンで把握されている限り非常にシンプルかつ明快であり、現実は(とりわけ日本においては)とても厳しいとしても、少なくとも理論的にはこういうすぐれた持続可能な社会システムを実現することが可能だという希望を、私たちは持つことができます。

しかも理論だけではなく現実の世界にそのような事例がすでに現れているということが、何より心強い点です。
今回ご紹介するポイントはこの「実例」についてのお話です。

といっても冊子本文では、ビジョンという全体像・大枠・概念を提示するその性格上、実例等の具体的記述は割愛して最小限に触れるのみとしているため、この個所は1頁に満たない内容となっていますが、その意味するところはこのように大きいと感じます。

基本はすでに触れました21世紀型の「知識社会」への産業構造の変革があります。
その産業構造の激震・大波にどのように適応し経済社会が持続的に成長するか、その鍵が社会的「安全網」(セーフティネット)をどのように張り替えるかにかかっている、とビジョンでは説明されています。

これまでも書きましたが簡単にまとめると、「21世紀の産業社会では競争力のためにこそ人々の安心と安全が必要だ」ということになると思われます。

(蛇足となりますが、今のところほとんど目に触れることのないこの「知識社会」という言葉は、これまで「第三次産業革命」「情報化社会」等々と表現されてきたことの本質が何だったのかを、より包括的・端的に表している概念だと思われます。
 またいわゆる「IT革命」については、知識社会化の一側面(しかしインフラ構造として決定的に重要な側面)として把握することができることができるのではないでしょうか。
 しかしまた、この「知識社会化」には、それに乗ることが困難な多数の人が出てしまう(=「能力のないものに価値はない」)という冷たい性格が伴わざるをえないでしょう。
 これを最大限緩和し、そのことによってより多くの人、さらには社会それ自体が新しい産業構造に適応することを可能にするという意味でも、協力原理をベースにしたワークフェア国家という社会システムは優れていると思われます。)

その実例、現実における最先端のモデルとして本ビジョンが挙げているのが北欧の国・スウェーデンについてであり、とくに例に取り上げているのが、近年日本できわめて深刻な事態となってきている失業問題です。
詳細は省かれていますが、かの国においては
①失業給付による所得保障
②就労支援である活動保障
の両側面の、非常に充実した失業対策がとられています。

しかしこれはあくまで一例(それも羨むべき一例!)であって、重要なのはスウェーデンでは戦後に始まる「福祉国家」建設、さらには90年代以降の「緑の福祉国家」建設の過程を通じ一貫して、雇用だけでなく年金、医療、子育て、介護、教育などの安全網の全体を、現実の政策をもってかなり劇的にといっていいほど変革・進化させてきたという事実です。

このことについての総論・各論とも、「持続可能な国づくり」という観点からスウェーデンをウォッチしてきた第一人者・小澤徳太郎氏の、文字どおり浩瀚なブログ記事をお読みいただくことをお勧めします。
その最新かつ厖大なデータにもとづく新スウェーデン・モデルの姿には非常に説得力があります。
≫小澤徳太郎氏のブログはこちら

さらに、そのいわゆる「高福祉‐高負担」にもかかわらずの(というよりその結果としての)スウェーデンの元気な経済・高い国際競争力について、そのいわば「秘密」を解説しているレポートが、「スウェーデン型社会という解答」(藤井威氏、『中央公論』2009年1月)です。
筆者の藤井威氏(現・みずほコーポレート銀行顧問、当会会員)は、スウェーデン大使の実務に当たりその目でスウェーデンの政治・行政・企業の実際を見てこられ、かつ財政を司ってきた官僚として高い見識をお持ちであり、その現代福祉国家論は本ビジョンでも多く参照しています。
なお上記論文をテーマに藤井氏が当会学習会で講義をされた際のDVDを頒布しておりますので、お求めいただければ幸いです。
藤井威氏講演「スウェーデン型社会という解答」(持続可能な国づくりの会学習会DVD)

また当会運営委員の岡野守也氏(サングラハ教育・心理研究所主幹)のブログ記事では、なぜスウェーデンという国でそのようなことが可能であったのかに関する、氏の近年の学びを一覧することができます。
とくに一般に目につく形ではほとんど語られてこなかった思想面・文化面からの、というよりも内面・外面と個人・集団の四側面をすべて含んだ、新スウェーデン・モデル‐緑の福祉国家論は注目すべきものだと思われます。
また氏のスウェーデン視察旅行記もたいへんおもしろく興味深いものです。
≫岡野守也氏のブログはこちら


(岡野守也氏のブログ記事画像を転載)


ともかく、いま産業構造の激動に即応した新しいタイプの福祉国家モデルが必要とされており、その世界の現状における最先端の実例がスウェーデンだということは間違いないと思われますが、いかがでしょうか。


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ところで「なぜスウェーデンなのか」ということに関して、シンポジウムや学習会を通じこれまで受けた典型的な質問がいくつかあるのですが、とくに必ずといっていいほど受けるのが次の質問です。そのことについては以前このブログでも触れました。
そこで本ブログ上でも、専門の小澤氏のブログでの記述を引用し、お答えしたいと思います。


Q スウェーデンは小さい国だからそういう変革が可能だったのではないか。そのような小国の「特殊例」を日本のような大国にあてはめることは無理があるのではないか。


このことについて小澤氏は(以下日付はブログ記事のもの)次のように述べておられます。

●「私は人口の大小が問題になるのは、「解決すべき問題」に対して解決のための考え方や手法が同じ場合だと思います。考え方と手法が同じであれば、一般論としては人口が少ない方が有利だといえると思います。」(2009-04-02)

●「スウェーデンの話をすると必ず出てくる質問の中に「スウェーデンは人口が850万(現在は900万)だから……」というのがあります。しかし、世界を眺めれば、スウェーデンと同じような人口の国は他にもたくさんあります。(中略)
 しかし、世界共通の環境問題やエネルギー問題に対して、スウェーデンが他の工業先進国とは一味違う先進性のあるアプローチを展開するのは「人口の大小の問題」というよりも「国民の意識」と「民主主義の成熟度」の問題だと思います。」(2007-08-18)

●「900万人と1億2000万人の人口の差、1%と16%の世界経済に占める割合の差は、たしかにスウェーデンが日本に比べれば、人口や経済の規模でまぎれもない小国であることを示しています。しかし、日本がいまだに処理しきれていない不良債権問題が、スウェーデンでは1年で解決したのは、「スピード」「政党間の協力」「透明性」があったからで、これらは明らかに日本にはなかった要因です。
 「同じ種類の問題」を同じ方針や手段で解決しようとするときには、人口が少ない小国のほうが有利なのは当然です。しかし、こと不良債権処理に関しては、スウェーデンには、日本にはなかった発想や方法論や手腕がありました。似たようなことはアスベスト問題でも、原発問題でも、温暖化問題でも、ゴミ問題でも同じです。このようなときに、人口規模が違いすぎるとか、経済規模が異なるという表面的な言い訳は、成り立ちません。」(2007-09-07)

●「実際に両国の「国の政策決定」に携わるのは900万人でも、1億2000万人ではありません。
 日本の…(中略)…現在の(2007年の)衆議院議員の定数は480人で…(中略)
 一方、スウェーデンの国会は、現在、1院制で…(中略)…349人に変更し、現在に到っています。」


以上で明快かと思いますが、さらに付け加えるなら、人口が比較的少ないとはいえ、およそ1千万人(918万人・2007年12月現在)の規模をもつ社会が国家単位で事実として「緑の福祉国家」を実現しようとしている意味は、いわば「社会実験」としてとらえればきわめて大きいのではないでしょうか。

たとえば、排水量1千トン足らずの船であろうが1万3千トンの大船であろうが、一人の船長が指揮して舵を取らなければならないことには変わりません。
さらに船団の先頭の、優秀な船長が指揮する小回りの利く船が、氷山海域なり低気圧なりを避けて舵を切り安全な針路を指示してくれているなら、それに従って――しかもサイズ相応に舵の効きが鈍い大きな船ならなおさら――精いっぱい舵を切らなければならない…そんな状況にいくらか似ているのではないかと思います。

(つづく)


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ポイント③ 「ウェルフェア国家からワークフェア国家へ」

2010年02月11日 | 理念とビジョン
③ウェルフェア国家からワークフェア国家へ

知識社会での社会サービスは、人々の高度な仕事(ワーク)を可能にし、「知識資本への投資」という積極的な役割を持ちます。
実際にそうした「ワークフェア国家」が経済的に豊かになっています。





従来、福祉とは社会的弱者の救済事業、ネガティブに表現すると「社会の敗者の面倒をみるやむを得ない出費」として営まれてきた、というか今でも一般にはそのようにとらえられていると思いますが、いかがでしょうか。
つまり先にご紹介した「経済と福祉はトレード・オフ」という発想です。

しかし本ビジョンでは、これからはそうではないとしています。
それが今回ご紹介するポイント「ウェルフェア国家からワークフェア国家へ」です。

従来型・弱者救済型の福祉を営む国家のあり方が「ウェルフェア(福祉)国家」であるわけですが、それでは「ワークフェア国家」とは何なのでしょうか?
たぶん今でも一般にほとんど聞かれない言葉だと思います。

(じつは「ワークフェア国家」という言葉については、要となる重要な概念であるため、本ビジョンを検討した当会特別委員会でもどのような日本語訳とするか議論になったのですが、結論が出ませんでした。いちばん近いと思われたのがビジョン本文にも横文字と併記されている「人材と高度な仕事創出型福祉国家」ですが、日本語としてこなれていないうえに、従来型の福祉=ウェルフェアを含んで進化したというニュアンスが伝わらないため、基本的にはあえて横文字のままとしています。)

ここで前提となるのが、前のポイントにあった現在進行中の「知識社会」化です。
知識社会において産業発展の決め手となる「知識資本の蓄積」には、教育やそのベースとなる医療・福祉、環境保全・回復を含めた社会サービスが必要で、それらは巨額のお金と中長期的な時間がかかるため、共同事業として財政が担わざるをえません。

このことは逆にいえば、社会サービスへの財政の投入は次のように公的な「投資」という積極的な意味を持つことになります。

「高度な社会サービス・福祉を行ない、多数の高度な創造的知識を有する国民をもつ国は、豊かな内需および高い国際競争力の二つを兼ね備えた持続可能な豊かな社会になっており、これからもなり続けるでしょう。
それは福祉が国民の家計を支え、また福祉自体が福祉産業を生み出して雇用と内需を安定させ、高度な知識産業の生み出す商品が国内外に新しい豊かな市場を生み出すからです。」
(以降、カッコ書き引用は特に断らない限り「ビジョン」本文からのものです。)

このように「高度な知識社会を形成する仕事(ワーク)を可能にし新たに雇用を生み出すためにも福祉を提供し」、「協力原理を基本としながら、経済の活性化につながるかぎりは競争原理も取り入れる」のが「ワークフェア国家」です。

当会ビジョンが持続可能な社会システムとして最有力だと考えているワークフェア国家という概念は、このように原則は非常にシンプルです。

そしてこれが単なる理論にとどまらず、すでに相当程度実現している北欧諸国という実例があることは、このようなすぐれた社会システムが日本においても実現可能だという希望を抱かせてくれます。


※ なおビジョン本文では割愛していますが、この「ワークフェア国家」の概念は、行き詰ったケインズ的福祉国家政策や新自由主義経済政策を超えるものとして経済学者シュムペーターを原点に発想されてきたものであり、日本では財政学者・神野直彦氏のひじょうにすぐれた啓蒙的な仕事によって紹介されています。詳しくは次の著作および論文をご参照いただくと、理解を深めていただけると思います。

・神野直彦『人間回復の経済学』(岩波新書) 
・神野直彦「『人間回復の経済学』などで言いたかったこと」、『持続可能な国家のビジョン』(当会発行、ご希望の方はこちらまで。「第2回シンポジウム パンフレット 」がそれにあたります)


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さて、次の図は冊子13頁所収の「図2・ワークフェア国家とは」です。



ごく単純化したものではありますが、「ワークフェア国家」とはいったい何なのかについて、一目で把握していただけるのではないかと思います。

まず重要なことは、すべてを含むいちばんの大枠の「社会総体」が協力原理で営まれていることです。
この社会総体とは抽象化された概念ですが、国レベルでは「国家」や「日本」ということになるでしょう。

この協力原理の大枠の中に、環境の保全や回復、医療や福祉、教育、それらを通じて人材を生み出す「社会の共同事業」があります。
また一方で、競争原理で営まれる「市場経済」があります。しかしこれもまた、あくまで協力原理の社会総体の中で初めて成り立っているということが重要です。
そしてそれらの間に立って社会総体をいわば調整・統括している民主的な「政府」があります。

図はこの三者が循環する構造になっていることを示しています。

① 創造的な知識産業が競争することで活性化した市場経済は、政府に税の増収をもたらします。

② しかし市場経済は自らの競争原理を拡張する方向に暴走しがちであり、政府はそれを政策的・民主的にコントロールすることで、社会総体の調和を図ります。

③ 政府は税収からなる財政をもって社会が構成する共同事業各部門に「投資」します。黒字化した財政はより積極的・大規模な投資を可能にするでしょう。

④ 財政にもとづく「社会の共同事業」のうち、環境の保全と回復、医療や福祉サービスは人々の安心と家計の豊かさ、さらに福祉的産業自体を通じて市場経済に内需をもたらします。さらに教育サービスと教育が生み出す高度な人材は、市場で競争する知識産業にとって決定的な要素である知識資本を提供します。

⑤ そのことによって市場経済での競争力を高めた産業は、社会に十分な雇用と、さらに新しいタイプの創造的な仕事を用意します。

⑥ そして①~⑤のいわば「豊かさの好循環」は、協力原理の社会総体をさらに高度な福祉国家=協力社会に高めます。またこのことは、社会総体の一部を構成する競争原理・市場経済をもさらに活性化するでしょう。

あらためて重要だと思うのは、社会総体は協力原理で営まれていて、市場経済の競争原理とはあくまでその範囲内で成り立つものだという洞察です。
このことからも、競争主義=市場原理だけで社会総体を営もうと「改革」することが、却って企業や国家といった人間集団の競争力自体を損なってしまうという、先にご紹介した「誤解」の構造が理解できるように思われます。


(つづく)


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※ 当会の新しいパンフレットができました!(下の画像をクリック・PDF679KB)
裏面はビジョンの各ポイントを絵入りで一枚にしたものです。上の連載の元になっているものであるため、そちらは後日公開いたします。表裏面合わせ、当会の理念とビジョンをダイジェスト的にご理解いただくべく、事務局一同で考えて作りました。
ご意見いただければ幸いです。


ポイント② 「知識社会を促進する福祉」

2010年02月10日 | 理念とビジョン
② 知識社会を促進する福祉

 経済の重心が「知識産業」に移行する21世紀型の「知識社会」では、教育・医療・福祉サービスによる安心のもとで開発された人々の知的能力が、産業発展の決め手となります。

 前回、当会ビジョンの冒頭の、ある意味でもっとも重要なポイントと思われる「経済と福祉は矛盾しない」ということについてご紹介しました。
 今回は、なぜそうなると言えるのかを説明した箇所である「知識社会を促進する福祉」です。(冊子10~11頁)



 本ビジョンではこの「矛盾しない」ということについて、倫理的な「あるべき」論としてではなく、人間を大切に扱わないと経済自身がうまく回らず、ひいては国際競争力も劣化せざるをえないという、時代の趨勢に伴う経済・社会の変化の問題として把握しています。

 つまり「福祉と経済の矛盾」という考え方が「悲しむべき誤解」だというのは、それがすでに成り立たない時代に突入してしまっているという、リアルな意味においてにほかならないということです。

 その変化とは、「知識集約型商品」を生み出す「知識産業」(具体的には本文に例示していますのでご参照ください)への、世界的な産業構造の加速度的移行のことだと捉えられています。
 たとえばこうしてネットでコミュニケーションすることひとつをとってみても、私たちが現在そうした激動の真っただ中にあることは間違いないと思われます。

 そしてそういう今後の経済社会の主流のあり方をここでは包括的に「知識社会」と表現しています。
 いずれのキーワードにも「知識」が冠せられているのは、これからの経済社会では個人の創造的な知的能力が産業発展の決定的な決め手になることを意味しています。

 重要なのは、そうした「知識」すなわち「個人の知的能力」は、当然ながら安心・安全がベースにあって初めて開発・成長しうるものだということです。
 したがって知識社会がうまくめぐるためには、安心を保障する福祉等の社会サービスがベーシックに必要になります。

 つまり「国民全体の知的創造力の水準を高めるためには、十分な財政的対処によって、教育サービスや医療サービスや福祉サービスを充実させることが必須なのです。」(本文より)
 
(この本文のくだりで「国民全体」とあるように、知識社会を高める「個人の知的能力開発」とは集団を構成する個々の成員の、ということで特定個人のことだけをいうのではありません。たとえば、いわゆる「勝ち組/負け組」という話のように、少数の特定個人がどれほど高度な知能を獲得し成功しえたとしても、競争の中で「その他大勢」となるほとんどの人々は自己肯定できないという意味で自信=意欲を喪失せざるをえませんから、競争主義はかえって集団全体(たとえば国家)の競争力を阻害してしまうでしょう。そのことは、つい先日まで当たり前のように続いてきた競争主義・市場原理主義的な「改革」のあとに残された惨状を現在目の当たりにしている私たちにとって、あまりにも明らかだと思われます。)

 言い換えれば、経済と福祉は矛盾するものではなく両立できる、そればかりか産業発展のためこそ本来両立させる必要があるものだ、ということになります。

 ではそれを実現する社会システムとは一体どのようなものか、ということが次のポイントとなります。
 前触れ的にお伝えすると、それが先に少し触れた「ワークフェア国家」という社会システムです。


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 ところで先にご紹介した冊子10頁所収の「図1・経済と福祉の位置づけ」の右側「21世紀型の社会モデル」についてですが、これは、いま本格化しつつある「知識社会」を図で示したものです。



 産業の国際競争力を先と同じくピラミッドの頂点、ここでは全体の知識水準の高さとして表現しています。

 しかしその高さは宙に浮いたものではなく、それを担う人材と人材を育成する教育の広がりによって支えられており、さらにそうした創造的な人材は、福祉や医療サービスによる安心・安全という土台がなければ生まれてくること自体困難です。

 つまり「知識資本」は教育・福祉・医療等の社会サービスがあってはじめて成り立つものであり、その意味で人間とその福祉を含んだ全体構造を経済であると表現しています。
 そして創造的な知識=国際競争力が高まるには、それを支える教育や医療を含めた広い意味での福祉も、同時に豊かに広がる必要があります。高い山はそれに応じて麓が広大となるのに似ています。これが知識社会における経済成長といえるでしょう。

 ところでこの経済‐社会構造は環境という地盤の上に成立していますが、いまやその地盤には大穴があき、このままではピラミッドは崩壊、すなわち持続不可能となってしまいます。
 経済自体の地盤の保全・改善のためにこそ、高められた知識や人材を投入する必要があるのは明らかです。それこそが「持続的な経済成長」を保障するでしょう。

(つづく)

ポイント① 「経済と福祉は矛盾しない」

2010年02月07日 | 理念とビジョン
①「経済と福祉は矛盾しない」
経済と福祉とは相互矛盾するものではありません。北欧諸国の実例や財政学的視点からすれば、両者はバランスさせることができ、さらに相互促進しうるものです。

 お伝えしておりましたとおり、先般当会が発行した冊子『持続可能な国づくりの会―理念とビジョン―』のうち、「ビジョン」を要点ごとにご紹介していきたいと思います。





 ポイントの第1は「経済と福祉は矛盾しない」です。(本文8-9頁)

 冒頭となるこのポイントはとりわけ重要で、その「矛盾しない」という理論および実際の説明と、では環境も含め今後私たちはどうすればよいのかという代案の提示が、以降の本ビジョンの大きなウェイトを占めています。

 この矛盾とは、要するに「(広い意味での)福祉に金を使いすぎると経済の競争力が落ちる」という考え方のことで、本ビジョンはこの矛盾を「誤解」であるとしていますが、いまだに一般的には「常識」そのものであるといっていいと思います。
 これのどこが誤解だというのでしょうか。

 間違いなくこの「常識」にもとづいて、わが国はとくに90年代以降、「改革」の名のもとに社会保障を切り詰めてまず経済の競争力を、ということを一貫してやってきたわけですが、にも関わらず肝心の競争力自体が総体としてひじょうに危ういことになっているのをみれば、すくなくともその失敗はいまや明らかであると思います。
 しかしそれがなぜ、どういう意味で失敗だったのかは、明快には説明されてこなかったのではないでしょうか。

 本ビジョンでは、それは端的に改革の前提であった経済と福祉の「矛盾」というとらえ方そのものが「悲しむべき誤解」だったからだとしており、その理由を以降に説明していきます。
 そして「理論的にも実際的にも」と宣言されているように、単なる理想論ではなく現実的な説得力を持ってその説明に成功していると思われますが、お読みになった方はいかがでしょうか。

 なお本文では最大限簡略化するために割愛されていますが、その「理論」については神野直彦氏(関西学院大学人間福祉学部教授/元東京大学大学院経済学研究科・経済学部教授)の財政社会学理論およびワークフェア国家論に、また「実際」についてはこれまで当会が学習会・シンポジウム等で積み重ねてきた新しいスウェーデン・モデルの学びに、それぞれ大きく依拠しています。

 ところで、このポイント①を単純化したのが次の図1(左側)です。
 (これはもちろん現実社会の複雑さ・例外・多様性等々を捨象しおおまかな方向性だけを取り出した単なるモデルにすぎません。)





 左半分で上記の「矛盾」を説明しています。
 人間社会の上にもっぱら「モノづくり」(ないしその延長)としての経済が乗り、国際競争力を高めるための経済成長はますます人間社会に重くのしかかります。
 福祉は「弱者救済」のためのもので経済や人間社会の枠外に、それらとは別のものとして配置されており、経済のピラミッドから落ちてくる「おこぼれ」(いわゆるトリックル・ダウン)としての税収によって成り立っていますが、そのこと自体が経済ピラミッドの高さ(競争力)を危うくする、という意味で矛盾対立‐トレード・オフの関係にならざるをえません。
 なお環境問題のことはいわゆる「エコ」など「売れる」「いいお話」としては語られますが、それが経済自体を何とかしなければならないものだとは、そもそも経済社会のモデルの中に環境が含まれていないこの構造からして発想されることはありません。

 右は以降で説明する部分となりますが、経済が成長するためには環境も福祉も当然必要となるという、「矛盾しない」さらには「相互循環」となる21世紀型モデルを示しています。

 (つづく)

理念とビジョンと戦略と

2010年02月03日 | 理念とビジョン
繰り返しとなりますが、上にも掲げた「理念」試案は、モットーとして一言でいえば「協力社会で8つの安心!」ということです。

この一見シンプルな文章は、当面私たちの国・日本が目指すゴールとして、かつその地点から現状のあり方を振り返る=バックキャストする地点として設定した、政治的理念=理想形の一つの試案です。

私たちは、もちろんこれが唯一絶対正しいものもなければドグマのように信じ込むべきものだとも思ってはいません。
しかし政治的な運動において、何らかの形での理念が必要だという事実だけは間違いないと思います。

そうでないと、まるですぐ目先の地面を見つめながら自転車をこぐように、危険でバランスすらおぼつかないことでしょう。
前に進むためだけでなく、いまここでバランスを取るためも、遠くの地点をまっすぐ見てペダルをこぐ必要があるというのに、政治運動もいくらか似たところがあるのではないでしょうか。

そういう意味で、民主的で自由な協力社会を謳うこの理念には、まっすぐ前を見すえバランスをとりつつ進むための目標として、ひじょうに有効かつ妥当であるだろうと私たちは考えています。


さて、これからしばらくは、ゴールであるこの理念にたどりつくための具体的な方向性として、当会が同時に考え文章化した「ビジョン」試案のダイジェストを、ご紹介していきたいと思います。
お伝えしたとおり17の要点からなっており、できればその一つ一つについて原文に即して簡単に解説しつつご紹介していきたいと考えております。


(補足)
ところで、いずれも「試案」と銘打っているのは、これらがあくまで当面の認識の到達点であり、今後さらに学びを深め、皆様のご意見を反映させ、時代状況の変化にも随時対応するなど、必要に応じさらに洗練・発展したものに増補改訂できればと考えているためです。
また、前回シンポジウムで司会を務めた事務局長が少しふれたように、今後早い時期に本ビジョンをさらに具体化するための詳細な「戦略シナリオ」を策定したいと考えています。
そのためにもぜひ皆さんの声をお寄せいただければと思います。

モットーと全体像

2010年02月02日 | 理念とビジョン
先日民主党の国会議員の方々(衆参合わせ全員)にお送りした、当会の「理念とビジョン」試案の冊子について、前回までに「理念」をご紹介しました。

※ 持続可能な国づくりの会「理念」(画像をクリック)


この、長期的な可能性・目標である「理念」は、モットーとしてつづめていえば「協力社会で8つの安心!」となります。

そしてそこに向けたより具体的な方向性である「ビジョン」を、私たちは同じくモットーふうに「ウェルフェア国家からワークフェア国家へ!」というふうに表現しています。

ここでのキーワードである「ウェルフェア国家」とは、一般的にあまり使われていない言葉でいまひとつイメージがわきにくく、また現状では日本語になかなか訳しにくいものがあるのですが、しかし要点は意外にシンプルで、わかってみると、さきに冊子「はじめに」の一文としてご紹介したように、たしかに「そうか、こういう社会のシステムにすれば、できるんだ!」と納得させられるものがあります。

以下、ダイジェストとして、この「ビジョン」についてご紹介していきたいと思います。
もともとこのたびの「ビジョン」試案は、最大限コンパクトにまとめられており(A5判30頁)、表現も多くの方にご理解いただけるよう可能な限り平易になってはいますが、それでもその範囲では内容がかなり多岐にわたることや、やむを得ずあまり一般的でない用語や概念を使用せざるを得なかったことから、先に大枠をご紹介することで理解の一助としていただけるのではないかと思われるからです。

以降、事務局の判断による「ビジョン」試案の要点17項目を、順次ご紹介していきたいと思いますが、その前に、大まかな全体像として冊子目次をご紹介いたします。


(『持続可能な国づくりの会――理念とビジョン――』目次)

●はじめに…2

●持続可能な国づくりの会 理念…5

  私たちの目標  調和と協力  公平と自由  安全と安心


●持続可能な国づくりの会 ビジョン…8

  経済と福祉を相互促進関係にする社会システム…8
   ・経済と福祉は矛盾しない
   ・知識社会を促進する福祉
   ・ウェルフェア国家(二〇世紀型の福祉国家)から
  ワークフェア国家(二一世紀型の福祉国家)へ
   ・ワークフェア国家とは = 新しい福祉国家の事例
   ・ワークフェア国家と市場経済

  経済と環境のバランスを実現する社会システム…14
   ・生態系(自然)の劣化
   ・人間の生存条件の劣化
   ・企業の生産条件の劣化 
   ・環境問題の基本的原因と解決の方向

  経済と福祉と環境の相互促進…25
   ・環境と経済の持続的発展
   ・公共事業によるグリーン・ニューディール
   ・私たちの結論

  ほんとうの民主主義=人間尊重社会を実現する政府とは…30
   ・信頼できる透明な政府の必要性
   ・信頼できる透明な政府の条件

  認識と意欲と倫理性…35
   ・認識と意欲と倫理性の必要・不可欠性
   ・つながりへの気づき

●おわりに…39


ご希望の方には冊子を頒布しておりますので、詳しくはぜひそちらをお求めください。
お申し込みは事務局メールアドレス(jimukyoku@jizokukanou.jp)まで。
(氏名、住所、連絡先、冊数を明記のこと。頒布価格=500円です)

お読みいただき、皆様のご感想、ご意見、または建設的なご批判をお寄せいただければ幸いです。



※ 裏表紙の画像は「日本の棚田百選」・徳島県上勝町の「樫原の棚田」です。(上勝町提供)