緑の福祉国家をミュルダールの枠組みで分析してみる
緑の福祉国家とは
ミュルダールあるいはピケティが理想とするような古典的福祉社会では、人は理性と良識を持つ合理的な個人で、そのような個人が互いに連帯して、誰もが人間らしい生活を保障される共同体を構築しています。また、市場経済と私有財産は社会を構成する重要な要素で、自由に発揮した能力と努力に応じて得られた富の所有も、そしてそのために生じる格差も、共同体の利益に反しない限りは認められます。そのため、均一な生き方を強いられて活気をなくしてしまうような社会ではありません。これらのことだけを見ると、古典的福祉社会は文句のつけようのない社会だと思えます。
しかしエネルギーの有限性、急激な気候変動、有害物質による環境汚染、開発による急激な自然破壊、核廃棄物の増加などによって、現在のような大量生産・大量消費の社会が持続するのは困難だと明らかになることで、古典的福祉社会をかなりの程度確立したスウェーデンは、持続可能な社会を実現するための新たなヴィジョンを創造しました。それが、『スウェーデンに学ぶ「持続可能な社会」』 (小澤徳太郎著、朝日新聞社、 2006)で紹介されている「緑の福祉国家(生態学的に持続可能な社会)」というヴィジョンです。
この「緑の福祉国家」には、①社会的側面、②経済的側面、③環境的側面という三つの側面があります。①と②は、合理的な個人としての人間を大事にする、古典的福祉国家としての側面です。③は、新たに加わった環境を大切にするという側面であり、その背景には、「健全な環境は基本的な人権の一部」なのだという考えがあります。人という概念に、土台としての自然生態系(環境)の一部であることが明確に含まれています。人は、合理的存在ではあるけれども、より基本的なレベルでは自然生態系の一員である動物なのです。小澤徳太郎氏が次のように述べていることが的確にそのことを表現していると思えます。
人間は動物である。ある範囲の温度・湿度・気圧・重力のもとで、光を浴び、空気を吸い、水を飲み、動植物しか食べられない!(『スウェーデンに学ぶ「持続可能な社会」』、p.74)
古典的な福祉社会のメンバーである人間は理性と良心を持つ合理的な個人でしたが、緑の福祉国家のメンバーである人間には、自然生態系の一員たる動物であることも加わります。すなわち、
人間=理性と良識を持った合理的存在+動物
なのです。そして環境権は動物の部分での権利ですから、人間だけでなく、動物一般にも賦与されるべき権利なのです。
緑の福祉国家をミュルダール経済学で分析する
ピケティの考えと同様に、ミュルダール経済学を表している図1の形式にそって緑の福祉国家の考えを見ていきます。通常の福祉国家の部分に関しては、スウェーデンで古典的福祉国家を建設する際の中心人物の一人であったミュルダールの考えがそのまま当てはまりますから省きます。環境的側面だけにしぼってみますと次のようになりそうです。
Ⅰ 方法論的考察 生態学的に持続可能な社会の実現を価値前提とする
Ⅱ 実践的考察 多くの先進諸国では大量生産大量消費の体制が続いており、低開発国も同じ体制を築こうとしている。そのためほとんどの国で環境負荷を伴うエネルギー消費を継続あるいは拡大しており、逆流効果>波及効果となり、環境に関して悪循環が生じている。
少数の「緑の福祉国家」的政策を履行しつつある国からそれ以外の国への逆流効果はない。
Ⅲ 理想 世界レベルの好循環を起こし持続可能な世界へ
政策 大量生産大量消費の体制はやめる。
先進国での生活の質素化と効率化。環境に負荷を与えないテクノロジーを先進国が低開発国へ積極的に伝搬し普及させる。
二酸化炭素排出量削減など、環境の健全化に関する国際条約を締結し、その取決め内容を実施する。進行状況について国際機関による客観的な評価を行いその知識を世界中で共有し啓発する。そして人々の思考様式・価値観を環境健全化に強く同調するようなものに変える。
福祉国家の国民主義的限界による福祉国家と低開発国との間の悪循環のようなメカニズムは、緑の福祉国家とその他の国々とのあいだでは成り立ちません。環境問題は、温暖化問題で顕著に見られるように、本来的にグローバルなものですから、もし緑の福祉国家と呼べるような国があれば、国民主義的障害などあるはずもなく、率先して他国に波及効果を及ぼそうとするはずだからです。
また価値前提は、人々の平等が最高の価値だとは言えなくなっています。人々の平等が論じられる人間社会を越えて、生態系の持続が価値前提に置かれるからです(あるいは、人々と動物両者の環境権における平等が価値前提なのだと言うことはできるかもしれません)。ミュルダール経済学の形式に従えば、生態学的な持続性を価値前提として波及効果を強め、環境問題を深刻化させる悪循環を食い止める政策を実施し、人々の考えを変えていくということになるのです。
2015年12月、気候変動枠組条約第21回締約国会議(COP21)で世界中の国が参加する協定ができました。1992年の地球環境サミットから23年もたってようやく達成したのです。ミュルダールが述べているように人々の内面の変容には時間がかかるということがよくわかります。ただ、各国の目標達成は義務づけられたわけではなく、内面の変化はまだ不足している状況なのだと思います。今後も協定による取り決めの実施に向けて国際的に制度の改善(義務化など)を追求し続ける必要があるのでしょう。
*以上で連載は完結しました。