持続可能な国づくりを考える会

経済・福祉・環境の相互促進関係を!

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お台場が阿波とくしまになる2日間

2009年06月15日 | 上勝町
6月13・14日の土・日曜日、東京都下のお台場メディアージュ内において、徳島県と上勝町の共催イベントが催されました。
我々も当会主催・笠松町長講演会の広告を置くため、テレビ業界の人に案内されつつ、イベント開始前の会場に「主催者」として潜入しました。



イベントでは、古典芸能の「阿波人形浄瑠璃」の披露や会場を巻き込んでの阿波踊り、ホラ貝を吹く「ヤッホー検定」や名産品の試食販売などがあり、まるで徳島県に旅行に来た気分になりました(徳島といえば、鳴門わかめや鳴門金時が有名ですが、上勝町の特産のポン酢も絶品の美味しさです!機会があったらお試しください!)



上勝町への視察でお世話になった方から、阿波踊りの直接指導を受けましたが、意外と難しく苦戦しました…。



一見、決まった動きのようですが、ベテランさんの踊りはすごくオリジナリティがあって面白かったです!

13日の土曜日は、㈱いろどりの社長さん・横石知二氏のトークショーと県知事の講演会などもありました。



そこで私たちが驚いたのは、「上勝町」と「彩」の知名度の高さでした。横石氏のトークショーに集まったほとんどの方が「上勝町」のことを知っており、私たちの後ろを通り過ぎた若い男性が、「ばーちゃんが葉っぱ取って売ってるやつ。」と話しながら歩いて行ったくらいです。上勝町の「おばあちゃん」と「葉っぱ」が広く知れ渡っていることを実感した瞬間でした。



横石氏は、「上勝町はとても医療費が少ない。お年寄りが朝起きて一日することが決まっているから元気で、病院に行くことがない。」というような内容のお話をされていました。
出番 → 評価 → 自信 = 元気 という構図を作り出すことが大事で、まさに病は気から、ということなのだそうです。

上勝のおばあちゃんたちの写真集が物産コーナーに置いてあったのですが、パラパラとページをめくっていくと、真っ赤や真緑の葉っぱと一緒におばあちゃんたちが笑顔で写真におさまっています。
側にいらっしゃった産業課の女性の方が、「“いろどり女優”というんです。素人のおばあちゃんたちの写真ばかりなんですけど、徳島県ではこの本が売り上げの上位になったりしたんですよ。」と説明してくださいました。
たしかに、おばあちゃんたちの笑顔を見ていると、こちらもつられてニコニコしてしまう気がしました。この、ついほんわかした気持ちになれることが、写真集の売り上げの良さの理由かもしれませんね。

もうひとつ、その産業課の方ですが、実は出身は上勝町ではなく近隣の市町村なんだそうです。「でも上勝町の方が元気があって良いな、と思ったので…。」と仰っていました。ステージで進行役を務められた㈱いろどりの社員の女性の方も北海道の釧路市からのIターンだそうで、上勝町にはそういった他の市町村からの就職者が多いのだと聞きました。一度 上勝町に来てみたところその素晴らしさに惹かれ、また戻ってくるといった方もいらっしゃるようです。
「徳島の人って人がいいんだよね。」というお話を聞いたこともありますし、当会で視察に訪れた際にも、とても良くしてくださいました。他の地域の人間でも快く受け入れる懐の広さ、それも上勝町の大きな強みなのだろうと思います。



笠松町長さんについてもお話しさせていただきましたが、「いつもお忙しく飛び回っていらっしゃいますし、役場にいる時も目の輝きがすごいです。」と仰っていました。私たちがお会いした時の町長さんもそうでしたので、すぐにイメージできました(笑)

今回は笠松町長が他用でイベントには来られなかったのが残念でした。まだ町長さんにお会いしたことない方にはぜひお話を聞いていただき、上勝町の「オンリー・ワン」を知っていただけたら…と思っています。
そして、上勝町のおばあちゃんのような笑顔と元気があふれる、素晴らしい日本になると良いですね。



上勝町のみなさん、イベントの際にはたいへんお世話になりまして、ありがとうございました!

世界のモデル 上勝町

2009年06月09日 | 上勝町
昨日、TBS系月曜ゴールデン枠にて、「おふくろ先生の診療日記2」が放送されました。
先だってもご案内させていただきましたが、ご覧になりましたでしょうか?



当会でも昨年秋、運営委員数名で視察旅行に赴いた折りに撮影されていたので、上勝町の秋色に染まった景色を懐かしく観ていました。鮮やかな紅葉でしたね。



このドラマは徳島県上勝町の地域再生の物語を、実際の出来事を元に描かれていました。
とりわけ小林稔侍さんが演じておられた営農指導員の「横川さん」の人物像は、「株式会社いろどり」の「横石知二氏」がモデルとなって作られています(もちろん、かなりの脚色はありましたが・・・)。

木の葉によってビジネスを興そうと町の人たちを説得するも、「葉っぱをお金に変えるなんてタヌキじゃあるまいし!」と断られる場面や、職を辞そうとしていた矢先に大量の嘆願書が集まる感動の場面などは、実際にあったお話だと伺っています。
(でも本当に、葉っぱを持ったタヌキが町のキャラクターになっているのがおもしろいです!)



上勝町が「葉っぱビジネス」と称して料理のつまものの「いろどり」ブランドを確立し、市場シェアの7割を獲得するまでのサクセスストーリーは、今までにも数々の本やメディアで紹介されてきました。
そこには地域にある物・いる人を活用し、そこに住む人々の手で内部から地域の活性化を図ろうとする住民の思いの力や、なんでも「できる」と信じて邁進していくリーダーへの強い信頼があったようです。

まさに上勝町はドラマのようなまち作りを体現してきました。ですから、そのままの出来事がドラマになるんですね。

上勝町は今、持続可能なまちづくりのモデルとして、日本のみならず世界のお手本になろうとしています。その高い理想の元、リーダーである笠松和市町長は昼夜を問わず全国を奔走しておられます。そして、ご多忙ながら当会の運営委員としても活動にご参加いただいています。



大都市圏から遠く離れた人口2000人の町に、なぜ4700人近い視察者(2008年度)が訪れるのでしょうか?
「ゼロ・ウェイスト宣言」によるゴミの削減はどのように可能になったのでしょうか?
そして地方の目指すこれからは・・・?更に国の政策としてやっていくべきことは・・・?


当会の次回の連続公開講座は笠松和市町長を講師にお招きし、これらのことをたっぷりと語っていただきます。
7月19日(日)13時から16時半、横浜市スポーツ医科学センター・大研修室にて開催いたします。
(参加費・・・ 一般:1500円 会員:1000円)

質疑応答の時間もご用意してあります。先着100名の定員ですので、-こちらの受付フォーム-からぜひお申し込みください。

(以下の画像をクリックすると詳しい内容がご覧になれます)


今週末(6月13,14日)、お台場メディアージュで徳島・上勝フェアがあります。
横石さんのトークセッションもあるので、興味のある方は足を運ばれてみてはいかがでしょうか。
ちなみに、上記の広告がどこかに置いてありますので、良かったら探してみてください!

上勝町ドラマ 6月8日(月) TBS系 21時より放送 

2009年06月07日 | 上勝町
上勝町を舞台にしたドラマJNN開局50周年番組「おふくろ先生の診療日記」が、6月8日(月)21時より放送されます。

このドラマは、私たちが上勝町視察をした時にも撮影されていました。

その後、7月19日(日)には、当会主催で上勝町 笠松和市町長の講演会が開催されます。



持続可能な国づくりの会主催 徳島県上勝町 笠松和市町長 講演会 

日時:2009.7.19(日)13:00~16:30

会場:横浜市スポーツ医科学センター 大研修室 定員100名
     
受講料:一般1,500円 会員1,000円

申込:お申し込みは―こちらのフォーム―からお願いします。
  

■笠松和市氏
徳島県勝浦郡上勝町長。上勝町で生まれ育ち、
町役場勤務の後、01年に町長就任、09年3選。第三セクター(株)いろどりほか三社の代表取締役を務める。

■上勝町
「ゼロ・ウェイスト宣言」により現在約80 %のごみを再資源化。
つまものの彩農場いろどり等で全国的に有名。多数の視察者が訪れる。
第3回マニフェスト大賞共通部門特別賞・地域環境政策賞(08 年)他受賞多数。
人口2千人。

詳しくは会のHPをご覧ください。

皆様の参加を、スタッフ一同お待ちしております。

治山治水の意味: 上勝町視察旅行の記録(18)

2009年03月08日 | 上勝町

さて、笠松町長の先導のもと、私たち視察メンバーは途中の渓流にかかる橋(?)をこわごわ渡りました。





ちょうどその橋を渡りきったところで斜面を見上げた画像です。

放置されたままになっている木々が、なんとも寒々しい印象を与える場所です。
ここで町長からの御説明がありました。







過剰な植林は、上記のようにもともと計画的な間伐を前提としていたのですが、林業が崩壊し生業として成り立たなくなってしまった今では、間伐ひとつ行なうにも国の補助が必要になってしまっているそうです。

しかし山林のほとんどが私有林である上勝町は、国の補助では管理ができないという事情もあるとのことです。

さらに、現在林業従事者は、徳島では600人にまで急減し(国土の7割を山林が占めるこの日本でわずか4万7千人)、しかも高齢化が急速に進行していて人手そのものが足りません。

山に入ってからずっと見かけている、画像のように放置されている多数の木々が気になっていたのですが、これらは倒木や間伐材が運び出せないまま、また運び出せても販路がないため、やむを得ず放置されたものです。

なんと表現したらいいのでしょう。ともかく荒れ果てた感じがします。

このように倒れたり伐採されたまま放置された木材が、現地ではとても問題になっているのだそうです。
そこがよくわからなかったので町長に質問しました。
放置された木材の何が問題なのでしょう?





これら放置された倒木が、土石流のような土砂災害の温床となってしまうのが、なにより大問題だとの笠松町長のお答えでした。

倒木が土石流を起こす…?
レジャー以外山に縁がない私たちの多くが初めて聞く話でした。





放置された木材は、やがて台風や集中豪雨で大量に谷川に流入することとなり、土石流を引き起こす原因となるとのことです。

川の土砂がいわばダムのようにいったんせき止められ、いっぱいになってから決壊するのをイメージするとわかりやすいと思います。
つまり、放置された木材は土砂災害を引き起こしかねない危険物なのです。

実際、自然現象だと一般に思われている土砂災害の多くが、このような原因によって引き起こされていることを御存知でしょうか?

たとえば徳島県では上記のような土石流、山林と土壌の劣化による山崩れ、山の保水力低下による河川の氾濫や水害が、近年とみに多発しているそうです。

「治山治水」という言葉がありますが、その意味がはじめて実感されます。

山林の木々を適宜伐採するという、かつて林業に従事した人々が当たり前のこととして行ってきた営みが、山を保全し水源を維持し、そして自然災害を防止するために、とても重要で不可欠な意味を持っていたことがわかります。

山の異常事態: 上勝町視察旅行の記録(17)

2009年03月05日 | 上勝町
なぜ上勝の山林は、このように不自然・不健全な「線香林」になってしまったのでしょうか?

笠松町長によれば、山林がこのように貧弱な状態に陥ったのは、なにより産業としての林業の衰退・崩壊で山に人の手が入らなくなったためであるとのことです。

もともと樹木が混み合ってきた森林では、樹木の生育を促し維持するために、枝打ちをするだけでなく、木々を適宜間引く伐採をする必要があります。(「間伐」といいます)
もちろん人為的に過密に植林された木々はなおさらでしょう。

本来はこのような人工林を生んだ国の政策である植林計画でも、定期的な間伐が予定されていたそうですが。

そのように間伐することによって、林の下層や地面にまで日光が届くようになり、全体の木々は健全に生長することができます。

しかし、すでにご説明したことの繰り返しとなりますが、一時期の需要見通しで過剰な造林をおこなったにもかかわらず、その後国は政策を変え、規制緩和・輸入自由化で優良な外国産木材が安価に輸入されるようになり、木材の市場価格は暴落してしまいました。
これでは単価と人件費が相対的に高くならざるをえない国産木材は売れなくなってしまいます。

かつては間伐のように木材を切り出すことで林業家は収入を得る事ができたわけですが、こうして生業そのものが成り立たなくなってしまったのでした。

国策に沿って多大な労力とお金をかけて造林しながら、国の政策転換によってそれが無駄になるばかりか、適切に管理することができなくなったために、山林はこのような無残な姿になってしまったわけです。

戦後、山林と山村はずっと国の政策に翻弄され続けてきたといっていいでしょう。

また、人工的に過密に植林されながら適切な間伐が行なわれなくなった山林では、日光が地面に届かなくなったことにより、下草も生えないようなきわめて貧弱な下層植生になってしまいました。

その状態は画像でも容易に見て取れるでしょう。
落ちた杉の枝だけが散乱しているこの森からは、たしかにとても荒涼とした異様な印象を受けます。





誇張ではなく、これは確かに森の異常事態だという感じがします。
「緑の砂漠」という表現が、そう言われてみるとなるほどぴったりです。

これでは森の動物たちがエサを得られず人里に下りて来ざるをえないというのもよくわかります。
そんな動物たちが傷つけたものと思われる、木の幹や若木の画像です。





あたりを見回しても、動物たちの口が届く範囲に下草など食糧になるような植物はほとんど見当たりません。
動物たちは飢えて当たりかまわず牙を立てているのでしょう。
その跡が痛々しく感じられます。

「緑の砂漠」は、じつは生き物たちの生存そのものを脅かしているようです。

一見森は緑が豊かに見えます。
しかし単調に密集して生えたもやしのような木々と、その足元の植生のあまりの貧弱さ…生物多様性を保つどころではありません。

今回御説明を受けてはじめて気づいたのですが、たしかに「緑の砂漠」とはこのようにまぎれもない事実なのだと見えます。


さらに問題は、線香のように木々が貧弱になり下草も生えなくなった状態の山林では、土壌の保水力が低下してしまうことです。
そのため、多少の風雨で表土が簡単に流出してしまいます。

そしていったん土砂流出が発生すると、その回復には何百年、さらに千年単位もの時間が必要となるのだそうなのです。
つまり少なくとも何百年もかけないと、いったん破壊された山の自然は回復しないということでしょう。

このような「不自然な」森で、いまや非常に危機的な事態が進行しているのだと知って、とても怖くなりました。

「不自然」な山林: 上勝町視察旅行の記録(16)

2009年02月18日 | 上勝町


 この山中の視察では、ちょっと山道に入る程度なのかと思ったら意外にも奥のほうまで、ちょっとしたハイキングという感じで歩くこととなりました。



 先頭を行く笠松町長は変わらずスーツに革靴姿のままですが、そんなことはお構いなしとばかり、後ろを振り返りつつ、要所で立ち止まりつつ、跳び跳ねるかのごとく前へと進み、たいへんエネルギッシュに説明してくださいます。



 画像は途中の山道で見かけたもの。
 町長によればタヌキの「溜めフン」というのだそうです。
 タヌキは繰り返し同じ場所でフンをする習性があり、これを縄張りの目印にしているようです。

 こういう事情にも詳しい笠松町長は、昔、少年のころは山によく入り、林業のお手伝いもされたとのことですが、今では山にすっかり人のすがたを見かけなくなってしまった、と嘆かれます。


 さて、このように一見何の変哲もない、たぶん私たちの多くが遠足やハイキングなどでよく見かけるような山林の風景だと思います。
 ご覧の皆様はいかがでしょうか?

 じつはこれこそが問題で、この林は「自然」なものではなく、「人工的」できわめて「不自然」なすがたであるとの事です。

 上勝町は町域の大部分はこの森のような人工林に覆われていますが、それはさきにも説明したように戦後~高度成長期の国策で、建築物の需要増大に対応するために、杉や檜の植林が全国的に広く行なわれたものです。(「拡大造林」と呼ばれます)

 つまりこの林は古来からある固有・自然のものではなく、ある一時期に集中して、人工的に大量に植林されたものなのです。
 その結果が、私たちが見ているこの森の姿だといえるでしょう。



 規則的・計画的に、一定の間隔をもって非常に稠密に植林されていることが、たしかに素人目によくもわかります。
 そして一本一本の木が、ほとんどどれも同じように、細くてなんとも頼りなく見えます。





 杉の木はずっと上まで枝も葉もありませんから、目の前にはまるでびっしりと細い列柱がそびえているように見えます。
 そしてふと見上げると、たくさんの杉の木が作る直線が一点に集中し、目がくらくらするような錯覚に襲われてしまいます。 


 これはかつての棚田の跡に植林された杉林の光景です。階段状に段々になった石垣が棚田の畦にあたります。





 このような棚田跡の杉林が、道沿いの両脇にかなりずっと続きます。
かつてはこんな山奥まで立派な棚田が築かれていたことに素直に感動を覚えます。
 当たり前ですがこれが作られたころには自動車もなく、人手だけで築きずっと維持してきたのです。
 いったいどれほどの労力がここに注ぎ込まれてきたのでしょうか?

 それが今や人工林にすっかり覆われてしまっている姿を見て、ずっと積み重ねられ維持されてきた山村の景観も人々のライフスタイルも、わずか数十年で激しく変化してしまったことを実感します。


 このような山林の姿を「線香杉」というのだと町長は説明されました。
 「線香杉」…あまり聞かないこの言葉、皆さんはご存知だったでしょうか。
 筆者はてっきり線香の材料をとるのに使われる杉の林なのかと誤解していました。

 そうではなく、間伐が行われなくなってしまったことにより、細く弱い木が林立してしまった、このような状態を「線香林」というのだそうです。
 たしかにいわれてみれば、か細い木が頭上ずっとまっすぐに林立しているその様は、「線香」という例えがぴったりです。

 その一本一本はとても弱々しく、まるでもやしのような感じがします。

緑の砂漠、動物との戦争~森林の視察へ: 上勝町視察旅行の記録(15)

2009年02月03日 | 上勝町
《上勝町視察記録の連載について、間違えて先日1回分を飛ばしてアップしてしまいました。このたび飛ばした分を新たに加えて、再度第14回としてアップしております。なお都合により更新が滞っていますが、ペースはともあれ続けていきたいと思います。よろしければ上勝町の旅、お付き合いください。》



林業の衰退―崩壊によって上勝町のような山間部の町村は、いったいどのような事態に直面しているのでしょうか?

笠松町長がそれについておっしゃったことで、ひじょうに印象深く聞こえたのが、「動物との戦争」、そして「緑の砂漠」という言葉です。

高度成長期の国策で、木材を大量に生産するため杉などの人工林の過密な植林が奨励され、全国的にひじょうに盛んに行われたのだそうです。

しかし先述の理由で、その後人手が入らなくなり間伐も行われなくなってしまったため、過密に植林されたまま放置された山の内部では、木々が密集して高く伸びる一方、そのために日光がさえぎられ森林の下層まで日が当らなくなり、地面には下草も生えなくなってしまいました。

(上勝町は当時国の政策に「とてもすなおにまじめに」従って、一生懸命全町域にわたって植林してしまった、とのことです。)

すると山の動物たちの食糧がなくなってしまいます。
そのためにエサを求めて山を下り、人里に入り込むようになった「害獣」は、ついに農作物を食い散らかし人間にも危害を加えるようになります。
その対応に現地の方々は大変苦慮されています。

上勝町では、トタンなどの柵による防御だけでは動物の侵入を防ぎきれないため、電気柵(電気ショックで動物を制止する)による害獣防御まで行っているそうです。
「害獣防御」――あまり耳にしたことのないそうした言葉に、なんともただならぬものを感じます。

また猟師の方に相当の報酬(シカは一匹2万円、サルは4万円、等々)を町費から支出し、害獣駆除を行わざるを得ないそうです。
それでも猟師の人手が足りないそうですが…。

それによって上勝町だけでも毎年相当数の動物たちが「処理」されているとのことです。
このことについて、笠松町長は「かわいそうだけどしかたない」とおっしゃっていました。

たしかにかわいそうです。
ただ餌に飢えて人里に降りてきただけの動物たちにとっては受難といえます。
しかしそうすること以外に有効な代案がない限り、地方自治体にとっての大問題への切迫した対応を、単にはどうこうと議論したり、まして批判したりすることはできないと、その被害の大きさをお聞きして思いました。

動物との「戦争」とは、きわめてリアルな比喩としておっしゃっているのだと実感します。
(なお害獣駆除においてはイノシシと間違って人が撃たれて死んでしまう事故が、この前日にも報道されていました。)

そのよしあしを論じていてもまったく意味がありません。
そうではなく、真の問題は動物の食糧が乏しくなってしまった山林、「緑の砂漠」のほうにあるのです。


さて、ここでいったん説明を終えられ、笠松町長が役場に電話され、急遽FAXで取り寄せて下さった私たちの視察日程がこちらです。



視察先と日程ついては町長にご一任し、大まかにイメージしていただけでしたので、この時点で具体的にどちらを訪問することになるのかを、私たちは始めて知ることになりました。

じつは実際の視察先はこの日程とはずいぶん変わってしまい、あとで見ると拝見できなかったところがずいぶん多かったのは、ちょっと心残りなところです。

このあと、午前中には2番目の「緑の砂漠の状況」の視察が主となります。
ほかにも、訪問できなかった(株)もくさん・森林組合木材共販所では、木材価格の状況の視察も組み込まれていたようです。
林業の危機状況と山林の荒廃を現場で体験することが、この視察ではひじょうに重要だったことがわかります。

時間がなく早々に次の視察場所に移動せねばならなかったのですが、待ち合わせに上勝町産の木材がふんだんに使われたこの施設を選ばれたのも、思えばそういうことだったのでしょう。



さて、一行は昨夜と同じく笠松町長の自家用車を先頭に、次の見学地へと向かいます。
何が待っているのでしょうか?



*****************************



 県立・千年の森ふれあい館より車でおよそ15分、広い町内の道路をずいぶん走り登った途中、峠道という感じのカーブのところで先頭の笠松町長の車が止まりました。

 ここが次の視察場所の山林であるとのことです。



 ほとんど車の通らなそうな峠道の、その両側に立ち並ぶ杉の人工林。
 東京近郊でもよく見かけるような、どこといって他と変わりのない山林ではないかと、このときは思われました。
(実際全国的に同じような状況ということですから、じつは「他と変わりない」ことこそが大問題なのですが)

 ただ写真のように倒れた木が多く見えたので、立ち枯れたものなのか町長にお尋ねしたところ、あれは間伐されてそのままになっている木だとのことです。
 間伐した木が、そのまま放置されているのでしょうか?



 一行は道路わきの遊歩道となった林道に入っていきます。
 最初は視察ということでちょっと森に入るのかな、くらいに思っていたのですが…。

 するとすぐにきれいな滝が見えてきました。





 小さいけれど素晴らしい眺めの滝の下の流れの水は澄み、秋の落ち葉が浮かんでいてきれいです。
 案内によると「北ヶ谷の滝」というのだそうです。 

 ここで笠松町長からご説明があり、日程表(中山用水沿いの森林の状況視察)にあるように、これから山道を案内するので、森林の現状をよく見ていただきたいとのこと。



 なお一昨年、当時の菅総務大臣が視察で上勝町を訪れた際、やはり町長が同じように案内され、山林の「緑の砂漠状態」を見てもらったのだそうです(ただしここに近い別ルート)。

 また同年(07年)には中村敦夫氏や後藤田正純氏も同じように上勝の森を視察しているとのことです。

 まず影響力のあるVIPや有名人にこそ、このひどい現状を知ってもらいたいという思いからだったそうです。


 重要なことは、山林は水源涵養や治水、土壌保全による土砂災害防止という機能をずっと果たしてきたということです。
 そのように全国の山林が持続可能な国土形成のための公益的機能を果たしてきたと、町長は説明されます。

 険しい山間に位置する上勝町は総面積の9割を森林が占めていて、農業とともに林業がずっと主要産業でした。

 山林が健全な状態を維持してきたこと、それによって人里を守る公益的な機能をずっと果たしてきてくれたのは、なによりその林業によって適切な量の木が伐採され手入れされてきたおかげだったとのことです。

 「環境保護」と聞くとよく抱きがちな「森の木を(切らずに)守れ」というような単純なイメージは、ずいぶん実態と違うようだと感じます。

 そして山林はかつて、町の主産業・林業を支えてきただけでなく、豊かな生態系によって山の動植物の幸を地元にもたらし、燃料である炭というかたちでエネルギー供給してきました。

 上勝町の山林は、つねに人とともにあった森でもある、とのことです。

 いま視察している上勝町の森がまさにそうであったように、日本の山林の多くは元来、単なる自然のままの原生林ではありません。

 そうではなく、人間がともに生きながら手を入れることによって、長い時間をかけてはじめて維持されてきた人工林なのだそうです。

 たぶん、それが「里山」ということばの本来の意味なのでしょう。
 それがいったいどのように変わってしまったというのでしょうか?

 笠松町長を先頭に、私たち一行はどんどん森に分け入っていきます。







山林の視察 その1 :上勝町視察旅行の記録(14)

2009年01月13日 | 上勝町
 県立・千年の森ふれあい館より車でおよそ15分、広い町内の道路をずいぶん走り登った途中、峠道という感じのカーブのところで先頭の笠松町長の車が止まりました。

 ここが次の視察場所の山林であるとのことです。



 ほとんど車の通らなそうな峠道の、その両側に立ち並ぶ杉の人工林。
 東京近郊でもよく見かけるような、どこといって他と変わりのない山林ではないかと、このときは思われました。
(実際全国的に同じような状況ということですから、じつは「他と変わりない」ことこそが大問題なのですが)

 ただ写真のように倒れた木が多く見えたので、立ち枯れたものなのか町長にお尋ねしたところ、あれは間伐されてそのままになっている木だとのことです。
 間伐した木が、そのまま放置されているのでしょうか?



 一行は道路わきの遊歩道となった林道に入っていきます。
 最初は視察ということでちょっと森に入るのかな、くらいに思っていたのですが…。

 するとすぐにきれいな滝が見えてきました。





 小さいけれど素晴らしい眺めの滝の下の流れの水は澄み、秋の落ち葉が浮かんでいてきれいです。
 案内によると「北ヶ谷の滝」というのだそうです。 

 ここで笠松町長からご説明があり、日程表(中山用水沿いの森林の状況視察)にあるように、これから山道を案内するので、森林の現状をよく見ていただきたいとのこと。



 なお一昨年、当時の菅総務大臣が視察で上勝町を訪れた際、やはり町長が同じように案内され、山林の「緑の砂漠状態」を見てもらったのだそうです(ただしここに近い別ルート)。

 また同年(07年)には中村敦夫氏や後藤田正純氏も同じように上勝の森を視察しているとのことです。

 まず影響力のあるVIPや有名人にこそ、このひどい現状を知ってもらいたいという思いからだったそうです。


 重要なことは、山林は水源涵養や治水、土壌保全による土砂災害防止という機能をずっと果たしてきたということです。
 そのように全国の山林が持続可能な国土形成のための公益的機能を果たしてきたと、町長は説明されます。

 険しい山間に位置する上勝町は総面積の9割を森林が占めていて、農業とともに林業がずっと主要産業でした。

 山林が健全な状態を維持してきたこと、それによって人里を守る公益的な機能をずっと果たしてきてくれたのは、なによりその林業によって適切な量の木が伐採され手入れされてきたおかげだったとのことです。

 「環境保護」と聞くとよく抱きがちな「森の木を(切らずに)守れ」というような単純なイメージは、ずいぶん実態と違うようだと感じます。

 そして山林はかつて、町の主産業・林業を支えてきただけでなく、豊かな生態系によって山の動植物の幸を地元にもたらし、燃料である炭というかたちでエネルギー供給してきました。

 上勝町の山林は、つねに人とともにあった森でもある、とのことです。

 いま視察している上勝町の森がまさにそうであったように、日本の山林の多くは元来、単なる自然のままの原生林ではありません。

 そうではなく、人間がともに生きながら手を入れることによって、長い時間をかけてはじめて維持されてきた人工林なのだそうです。

 たぶん、それが「里山」ということばの本来の意味なのでしょう。
 それがいったいどのように変わってしまったというのでしょうか?

 笠松町長を先頭に、私たち一行はどんどん森に分け入っていきます。





林業の崩壊 : 上勝町視察旅行の記録(13)

2008年12月27日 | 上勝町
引き続き場所は県立・ふれあい館、笠松町長による私たち視察メンバーへのご説明が続きます。

そのように上勝町をはじめ日本全体の林業が成り立たなくなった原因は、一言でいうと「市場原理主義」の横行にあると町長はおっしゃいます。
このことに詳しくなかった私たちにとっても、説明をお聞きし、確かにそのことは明白であると思われました。

なぜ林業が崩壊したか――それは貿易のいっそうの自由化により、アメリカ、カナダはじめフィリピン等東南アジア諸国など世界中から、外国産木材が現地で精密に加工されたうえで格安の価格で入ってきてしまい、木材の市場価格が大幅に下落してしまっていることに尽きる、とのことです。

それに対し国産の木材は人件費をはじめ経費が相対的に非常に高くついてしまうため、外国産木材にはほとんど太刀打ちできず、国内では20%しか利用されていません。




このように「林業はすでに産業として成立していない」のだそうです。

そしてそのような危機に、残念ながらわが国の政策はずっと無策といっていいほどのなげかわしい状況であったようです。

というよりも市場原理主義の線に沿って進められてきたこれまでの政府の政策そのものがこの状態を招いているのだとのこと。

つまり林業が国土保全のために果たしている山林の維持という公益的機能について、ほとんど考慮されないままずっと進められてきた、むき出しの貿易自由化の促進とグローバルな価格自由競争の放置、これこそが山林をここまで荒廃させた当の原因であると、町長は義憤を込めておっしゃいます。


林業がいかに衰退ないし崩壊してしまっているか、それによりいかに国土・森林が荒廃してしまっているかは、恥ずかしながらこのご説明を聞くまで私たち視察メンバーの多くがあまり意識していなかったことです。

たとえば、かつて最盛期には約600人を数えた上勝町の林業従事者は、現在ではわずか20名弱に減少してしまいました。
徳島県全県でも600人にまで減少してしまっているとのことです。
2005年の国勢調査では全国の林業従事者は47,000人、うち約30%が65歳以上の高齢者で、高齢化は急速に進んでいるそうです。

日本の広大な森林面積に対し林業従事者が今やわずかに47,000人ということですから、いかに日本の山林に人手が入らなくなってしまっているかが、この数字だけでもわかります。

日本は国内の需要を満たして余りある木材が毎年備蓄されていながら、木材の自給率はわずか2割という状況にあるのだそうです。
世界第3位の森林面積割合を誇るわが日本が、皮肉にもいまや世界最大の木材輸入国になってしまっているのです。

(日本の国土の森林面積割合は67%、1位・2位はこれまた皮肉にもスウェーデンとフィンランドだそうです)


私たち日本人は市場の価格競争でたしかに自由に安いモノを消費し享受できるようになりました。

しかしその半面で、その市場原理主義こそが国土保全の重要な機能を担う林業を崩壊させ森林を荒廃させてしまったこと、
そんな日本に木材を輸出する東南アジアでは急速な森林の減少が深刻な環境危機を現に招いていること、
さらに世界全体ではわずか一年で日本国土の1/3の面積の森林が減少していることなど……
そのご説明から町長の心からの慨嘆が私たちにも伝わってきます。

そのように、日本の森林の荒廃とは、単に一地方や国内の問題というにとどまらず、経済のグローバル化へと狂奔してきた世界の状況と、不可分につながった深刻な問題であるのだと感じます。



山林の危機 : 上勝町視察旅行の記録(12)

2008年12月24日 | 上勝町
やがて笠松町長が自家用車にてふれあい館に到着されました。

役場に寄ってからいらしたらしく、変わらずの背広姿で、たびたびかかってくる胸元の携帯電話に対応されておられました。やはりたいへんお忙しいのだと感じられます。
この日は日曜日(しかも3連休の中日)のはずですが・・・。

政治家の方の激務ぶりというのはうわさには聞いていましたが、まったくそのとおり(というかそれ以上)だと一同早くも深く納得した次第です。

にもかかわらず、町長みずから本日の視察に一部を除き同行していただけるとのことで、恐縮と同時に文字どおり何とも有り難いことだと感じました。


さて、挨拶もそこそこに町長が視察の第一のポイントについて説明してくださいました。

それは端的に、

○ 日本の林業はすでに経営が成立していないという意味で事実上崩壊しているといって過言でなく、
○ 林業の崩壊により日本全国の山林はいわば「緑の砂漠」状態にあり、
○ そこから起こる様々な問題で地方は現在非常な苦境の真っただ中にある、

ということです。

結論を先にいうと、ともかく上勝町をはじめ日本の山林と林業が、ひいては日本の国土保全政策そのものが、すでに相当以前から大ピンチにあるということです。


上勝町長が第一に説明されたこと、つまりこの上勝町視察において最も知っておいてほしいことが、なにより山林と林業の現状であることが、私たちには意外でした。

意外に感じられたというのには、もちろん町長が説明されたような山林の危機状態を、都市に住む私たちがこれまであまりに意識してこなかったということもあります。

(たとえばそのことについての情報が、ネットをはじめちょっと調べればすぐにわかることであるにもかかわらず。しかもその情報をたとえ得たとしても、実感は湧かないかもしれません。想像力の欠如です。)

上勝町の視察のポイントとは、まず何よりよく知られている“葉っぱビジネス”の「いろどり」とか“ゼロウェイスト”などの画期的な取り組みにあるはずだ、と思っていました。
それがなぜ、まず第一に山林なのか?

しかしこの説明と実際の山林の視察で、それは実は意外でも何でもないことがすぐにわかりました。

それほど、「緑の砂漠」とは衝撃的な光景でした。
(私たちにとってそれはじつは見慣れた光景なのですが・・・説明を受けて初めてそれとわかる、とても恐ろしい事実です。)


笠松町長は「たとえば」と、立っておられる脇のふれあい館の柱を叩いて示され、おっしゃいました。
「この柱をはじめ建物全体が上勝産のスギ材でできているけれども、でも実際に日本でどのくらい国産のスギ材が使われているか、みなさん知っていますか?」

(実際には町長はすべて徳島弁そのままで語っておられます。残念ながら初めて徳島を訪れたわれわれメンバーには再現不能な部分もありますので、ご了解ください。この点、東京でお会いした際もまったく変わらず徳島弁で一貫しておられました。いわゆる「郷土愛」や「地方の矜持」を示されてのことと受け取れられるかもしれませんが、そういった気負いめいたものは感じられません。その語りには素朴な独特の魅力があります。)

――そう問われ、エコロジカルな持続可能性ということをずっと勉強してきたにも関わらず、現実の日本の森林のこと、林業のことを、(すくなくともこの記事の筆者は)ほとんど考えてこなかったことに思い当ります。

きっと杉が主体である人工林の山林が国土の多くを覆っているのだから、たくさん使われているに違いないし、緑・森林があることは良いことだと単純な発想でした。

読者皆様は「国産スギの使用状況」をおわかりでしょうか?







「実際には国産のスギ材は当の日本ではほぼまったく使われていない」のだそうです。

たとえば笠松町長は、町議会の正副議長が上京したとき両者に「東京で国産のスギ材がどの程度使われているのかを実際に見てきてください」とお願いをされたのですが、しかしどこにも見つけることができなかったそうです。

結局、きわめて皮肉なことに霞が関の農林水産省本省庁舎の玄関先にだけ、しかも申し訳程度に国産スギ材が使われているのを発見した、とのことです。
(しかも、農水省があえて使っているのは地方に気を使ってのことだろう、とのことです…)

さきにふれたように、上勝町は全域の85%が山林に覆われ、しかもそのうち83%が杉の人工林となっています。

かつて上勝では主産業の林業が栄え、この山間部にもかかわらず6000人を超える人口がありました。
そして林業の盛衰は上勝町の盛衰でもあったとのこと。

その林業が、なぜいま崩壊状態にあるのか?
そもそもなぜ国土を覆っているはずのスギ材が使われないのか? 
それがなぜ「緑の砂漠」状態をまねいてしまっているのか?


その説明にあたり町長が示されたのが、「日本の経済連携協定(EPA)交渉―現状と課題―平成20年10月」という資料でした。
(外務省HPのhttp://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/fta/pdfs/kyotei_0703.pdf参照。視察メモよりこの資料にたどり着きました。EPAについて末尾に説明を載せています。)





いま日本政府にとって、アジア諸国を中心とした諸外国との外交方針の焦点となっている課題だそうですが、そのポイントはアジア諸国とのカネ・モノ・ヒト・サービスの交流をこれまでよりいっそう推し進め「自由化する」ということにあるとのことです。

これが上勝町のような地方自治体にとっては大問題であると。
なぜなら林業の崩壊を招いた最大の原因が、その「自由化」の流れそのものにあるから、というのです。



●EPAについて
経済連携協定(EPA:Economic Partnership Agreement)とは、2つ以上の国(又は地域)の間で、自由貿易協定(FTA:Free Trade Agreement)の要素(物品及びサービス貿易の自由化)に加え、貿易以外の分野、例えば人の移動や投資、政府調達、二国間協力等を含めて締結される包括的な協定をいいます。
(中略)
我が国は、WTOを中心とする多角的貿易体制を補完し、貿易自由化や経済活性化を図る上で、経済連携を推進することが重要であるという基本スタンスの下、東アジアを中心とした経済連携の推進に取り組んでいます。
(以上、財務省のHPより転載したものです)