持続可能な国づくりを考える会

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農業革命”スマートアグリ”?

2013年05月23日 | 経済

 運営委員長の岡野です。

 NHKTVの「クローズアップ現代」の「農業革命“スマートアグリ”」(5月20(月)放送)を見て、考えたこと、感じたことを書きます。

 最初のところで、「最新のIT技術で常に栽培に最適な環境を実現する、「スマートアグリ」です。
このスマートアグリを桁違いのスケールで行っているのが、世界第2位の農業輸出国オランダ。
巨大な農業用ハウスでは、二酸化炭素の濃度や地中の温度など500項目以上が自動で管理されています。」と言われていました。

 見てみて、「へえ、なるほど、おもしろい! オランダはそういうことをやっているんだ」となかなか感心させられる番組でした。

 日本で、TPP参加を前提にして輸出主流の「攻めの農業」を考えるとしたら、こういう発想が参考になるのでしょう。

 そういうレベルでは、確かに革命的だと思いました。

 しかし、こういう農業をすることで、ほんとうに国土保全ができるのか、地方に新しい雇用が創出できるのか、何よりまたしてもエネルギーの消費量を増やすだけになるのではないか……などなど疑問がいろいろ湧いてきました。

 さらに個人的好みで言えば、こうした「大規模野菜工場」で人工的に生産された野菜を食べるのはどうも気が進みません。

 対照的に、かつて、故福岡正信さんの「自然農法」の山の道端に生えていた絶品の大根の味を思い出しました。

 みなさんは、このスマートアグリを、どう考え、どう感じられますか。

 


人類の転換ポイント

2013年05月19日 | 理念とビジョン

運営委員の森中定治です.

5月18日の毎日新聞に掲載された川柳です.

「生まれた地違っただけで敵味方」久喜 宮本 佳則 18.5.2013 仲畑流万能川柳

この句に,戦争のもつ理不尽がストレートに出ています.

異なった地に産まれたという縁によって殺しあうということは,戦争の絶対的な愚かさ,戦争のもつ真の意味を表しています.しかし,戦争の抑制,廃絶は他人への行為のなかにあるのではなく,自らのなかにある“物欲”との戦いでしょう.

 

「貧乏なひととは、少ししか ものを持っていない人ではなく、 無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ」

(ウルグアイ,ムヒカ大統領,7.2012のリオ会議(Rio+20)でのスピーチ)

http://hana.bi/2012/07/mujica-speech-nihongo/

 

ここに戦争の究極の意味があると私は思います.

戦争を無くす唯一の方法は,人間の物質的な欲をコントールすることです.

何をすればよいのかを認識できなければ,それは不可能でしょうが,人間が何をするかを明確に知れば,それは可能でしょう.人間はそれくらいの力を持っていると私は思います.

人類史の転換ポイントになります.

結婚式やその他いろんな式や記念に,様々の商品が満載のカタログをもらいます.欲しいものを自由に選ぶことができます.しかし,注文しようとしても本当に欲しい品物,心からこれだ!と思う品物はもうほとんどありません.狭い家で置く場所もありません.しょうがないので,消耗品でももらっておこうかということになります.
一方で,私は声楽(テノール)を習い始めて1年,この4月にコンクールで入賞しました.今日もアンネット先生のレッスンを頂きました.6月は再度コンクール,7月は発表会が2回あります.もういくらでも歌を覚えたい.こちらには無限の欲求があります.
生命をもつものとして安寧を保ち,次世代を育てそして人間らしい日々を送る.それ以上の物質的な欲望とはさよならし,資源とエネルギーを使用しない欲求にシフトする時が,そろそろ来ているのではないでしょうか.


向かうべきは社会民主主義と混合経済?

2013年05月09日 | 政治

 運営委員長の岡野です。ご無沙汰してしまいました。

 安倍政権の暴走ぶりとそれをかなり多くの国民が支持しているらしいという報道に、今は何を言っても効果はなさそうだな、とやや発言意欲を失っていましたが、当面の効果を考えず、ともかく言うべきことを言っておくべきだと思い、久しぶりに記事を書くことにしました。

 以下は、あくまで私見で、みなさんと議論するための問題提起だと思ってください。

  「エコロジカルに持続可能な国づくり」という視点から見て、今のところもっとも成功しているのがスウェーデンであることは国際的評価の一致しているところです。 

 そして、私はスウェーデンについてかなり多数の文献を学び、1度ですが現地で徹底的聞き取り調査もしてみた結果、それを可能にした思想はスウェーデンの国民性から生まれた成熟した民主主義(社会民主主義あるいは自由派社会主義)とその経済体制としての「混合経済」である、と確認するに到りました。 

 それに続いて、「なぜ、日本では社会民主主義が育たなかったのだろう?」という疑問が生じたのですが、正村公宏氏の『戦後史(上)(下)』(1985年、筑摩書房、1990年、ちくま文庫)を読んで、「なぜ」のほうは十分ではありませんでしたが、「どうして(どういうプロセスで)」ということ、「なるほど、こういうプロセスで、日本では〔マルクス主義とは重要な点で異なる〕社会民主主義が育たなかったんだなあ」ということは非常な残念感と共に了解できました。 

 さらに続いて、世界の資本主義と社会主義の歴史について、同氏の『現代史』(1995年、筑摩書房)を読むことで、大きな展望が得られた、という気がしています。 

 そのまた続きで、同氏の『人間を考える経済学――持続可能な社会をつくる』(2006年、NTT出版)を読んでみました。 

 「近年、一部の専門家は、『現代文明の発展傾向を放置すると、資源枯渇と環境破壊によって人類が滅亡する。産業主義と商業主義の圧倒的影響力によって、子供の生育環境が変質し、社会の統合力が衰弱しつつある』と警告しているが、大多数の人間が豊かさと便利さの追求に熱中し、政治家も社会の持続可能性(sustainability)を保証する文明への転換を提起しようとしないのは、価値判断が違うからではなく、状況判断が違うからである可能性が濃厚である。」(6頁) 

 「現代の社会研究と自然研究の究極の実践的目的は、文明の自己認識と自己制御のために必要な知識と知恵を蓄積し、環境破壊、核戦争、人間の指数の劣化と社会の制御不能などによって人類が滅亡してしまわないようにすることである。/文明の自己認識と自己制御という表現は、人類は、特定の状況判断と統合された目的意識にもとづいてひとつの行動を選択する可能性をもつ主体として、扱っている。そして行動の選択は、人類の共同意思を形成する巨大な政治過程を通じて実現される。地球と人類の将来を考え、大きな熱意を持ち、同時に冷静な知性を働かせて、現実を読み解き、多くの人間を納得させる信頼性の高い状況判断を示すように努力することは、社会研究者の責任である。」(7頁) 

 「経済体制をめぐる専門家の理解は、今でも混迷をつづけている。 

世界史における二〇世紀後半を「冷戦(cold war)の時代」と呼ぶのは、軽薄である。朝鮮戦争やヴェトナム戦争のような大戦争が起き、東西対立のからむ深刻な内戦が各地で繰り返されたことを想起する必要がある。二一世紀初頭の世界の多くの紛争は、東西対立の後遺症の要素を含んでいる。旧共産圏諸国の近代化のやりなおしは容易でない。共産党独裁が残した最大の否定的遺産は、政治的粛清による大量の優れた人間の抹殺であろう。 

二〇世紀後半の東側の体制は社会主義の理想と違うものであったし、西側の体制は過去の資本主義と違うものであった。一九世紀の民主主義の運動から社会主義が発生し、そこからさらにコミュニズムが発生したが、コミュニズムは、急進主義の落とし穴にはまり込んで民主政治の道を閉ざして二〇世紀の災厄のひとつになった。他方、二〇世紀後半の西洋と北欧では、民主的社会主義によって促進された改革を経て、混合経済(mixed economy)という言葉が妥当する体制が確立された。混合という表現はあいまいに響くが、混合型のシステムでなければ人間と社会の必要に合致しないことが、二〇世紀の経験によって証明された。 

経済の自由は、効率性への誘因(incentive)を刺激する基礎条件であると同時に、政治と社会と文化の自由の基盤である。市場機構(市場経済の仕組み、market mechanism)の活用は不可欠である。市場経済に欠陥があるからといって、私有財産制と市場経済を廃棄することは、問題の解決にならないだけでなく、別のタイプの災厄をもたらすことが、すでに鮮明である。 

しかし、市場機構は万能でない。市場経済は重大な欠陥を持つ。マクロの目的意識に基づく適切な方法による制御が不可欠である。二〇世紀の経験は、自由放任型の市場経済はかえって自由な社会の基盤を破壊すること、分配の構成と生活の安定を目指す改革こそが経済を安定させると同時に社会の統合を強める効果を持つことを、示している。 

混合型の経済体制のほかに選択がありえないからこそ、いいかえればたったひとつの単純明快な原理によってすべての問題を割り切ることは許されないからこそ、現実が提起するさまざまな問題を的確に受け止める鋭敏な感覚、さまざまな制度の組み合わせを絶えず見直す知恵、マクロの主体である政府の政策の有効性を高めるねばりづよい努力が、必要とされる。」(33-34頁) 

 これらの論点のうち、「大多数の人間が豊かさと便利さの追求に熱中し、政治家も社会の持続可能性(sustainability)を保証する文明への転換を提起しようとしないのは、価値判断が違うからではなく、状況判断が違うからである可能性が濃厚である」という点については残念ながら同意できません。 

 多くの人・場合に、状況を判断するための情報そのものが価値判断によって選択されているように見えるからです。 

 地球環境全体の危機について、日本のリーダーと市民の多くが、見たくないことは事実でも見ない、聞きたくないことは事実でも聞かない、という状態にあるのではないでしょうか。 

 どれほど「冷静な知性を働かせて、現実を読み解き、多くの人間を納得させる信頼性の高い状況判断説得力のある状況判断」を提供しても、それが無視されて読まれなければ、影響を与えることはないようです。はなはだ残念でもありきわめて困ったことですが。 

 しかし、「コミュニズムは、急進主義の落とし穴にはまり込んで民主政治の道を閉ざして二〇世紀の災厄のひとつになった」が、他方、「市場機構は万能でない。市場経済は重大な欠陥を持つ。マクロの目的意識に基づく適切な方法による制御が不可欠である」、だから「混合型の経済体制のほかに選択がありえない」という点については、全面的に同意しました。 

 しかし、現在の日本の安倍政権が向かっているのは、新自由主義市場経済のグローバリゼーションという、中長期で見ればうまくいきそうもない路線だ、と私には見えます。 

 日本に、本格的な社会民主主義・混合経済の潮流が育ち、できるだけ近未来に主流になることを強く願わずにはいられません。

 みなさんは、どうお考えですか? 新自由主義市場経済のグローバリゼーションに乗り遅れまいという路線で行けば、それに並行して自動的に、エコロジカルに持続可能な国、そして持続可能な世界が実現できる、と思われますか?

 

人間を考える経済学  持続可能な社会をつくる
クリエーター情報なし
NTT出版

 


4.27学習会 『持続性の条件 ~人類平和の可能性を根本から考える』 報告及び頒布のお知らせ  

2013年05月06日 | シンポジウム

 ●学習会CD・DVD頒布のお知らせ

   『持続性の条件 ~人類平和の可能性を根本から考える』

    4/27開催の標記学習会は、人類平和に関する根源的な課題について、会場の皆さんと深い議論を共有することができました。ご希望の方はCD・DVDでご視聴いただくことができます。

   DVD(2枚)頒布価格3,500円、CD(2枚)3,000円

【学習会テキストより】

 私たち人類は、おそらく一万年以上前から戦争を続けており、二十世紀には史上最大の戦争を二度も行ない、そして二十一世紀になっても戦争の廃絶すなわち世界規模の平和を実現することができていません。それどころか、世界の各地で内戦は続いており、またより大きな戦争に到りかねない国際的対立が続いています。
しかし、いうまでもなく永続的平和は人類社会の持続の不可欠の基本的条件です。今回は、「人類的平和の可能性を根本から考える」というサブタイトルをテーマに発題講演をさせていただき、その後でみなさんとご一緒に討論しながら、可能ならば認識を共有し、さらに深めていきたいと思っています。

   (講師 岡野守也(当会運営委員長))

 

 ◆ご注文方法

 頒布品をお求めの方は事務局まで、①氏名 ②住所 ③電話番号を明記の上、メールにてご注文ください。後日、振替用紙とともに頒布品をお送りします。

  ・事務局メール: jimukyoku@jizokukanou.onmicrosoft.com

 なお、頒布作業はボランティアが行なっているため、録音・録画の質等が万全でない場合がございますが、ご理解のほどお願いいたします。