goo blog サービス終了のお知らせ 

持続可能な国づくりを考える会

経済・福祉・環境の相互促進関係を!

持続可能な国づくりの会 理念とビジョン(画像をクリック)

  「理念とビジョン」全文                   ダイジェスト版                  

                    

『ミュルダールの経済学』を読む 1

2016年03月07日 | スウェーデン

 運営委員長の岡野です。

 スウェーデンが計画的に緑の福祉国家=エコロジカルに持続可能な国づくりを進めていることは、すでに繰り返しご紹介してきたとおりです。

 福祉国家を創りあげることができた大きな要因として、その経済政策をリードしたストックホルム学派経済学があると考えられます。

 グンナー・ミュルダール(1898-1987)はストックホルム学派の代表的な理論家で、1920年代末から30年代にかけて政府の要職も務め、後にノーベル経済学賞も受賞しています。

 スウェーデン・モデルを学ぶ中、ストックホルム学派やミュルダールの経済学についてももっと知りたいと思っていましたが、最近、遅ればせながら藤田菜々子『ミュルダールの経済学 福祉国家から福祉世界へ』(2010、NTT出版)の存在を知りました。

 本格的な学術書なので(その割には明快な文章で一般の読者にも十分読めるものになっていますが)、関心を共有するみなさん全員に全体を読み通していただくのは難しいかもしれませんが、その要点だけでもシェアできるといいと思い、本会の会員でもある増田満氏に、私の主宰する『サングラハ』誌に紹介書評を書いていただきました。

 増田氏ご本人の承認を得て、以下何度かに分けて転載します。

 持続可能な国づくりに向けた、さらなる学びの素材にしていただけると幸いです。

     *     *     *     *     *

『ミュルダールの経済学 福祉国家から福祉世界へ(藤田菜々子 NTT出版)を読む

                    増田満

 

 カール・グンナー・ミュルダールは、スウェーデン型福祉国家形成に多大な寄与をなし、1974年にノーベル経済学賞を受賞した大学者です。

 彼の研究領域は極めて幅広く、アメリカの財団に依頼され黒人差別問題を研究したり、あるいはインドに渡り低開発国経済を研究したり、また国会議員や国連機関の委員となって自国および国際社会での政策作成に携わったりしました。このような多面性の故に、これまで彼の経済学の全体像を統合的に描くような研究はなかったそうです。そのような状況を世界で初めて打開したのが本書『ミュルダールの経済学』(2010年)です。同書で藤田菜々子氏は、ミュルダール経済学の全体像が「累積的因果関係論」を中心にして展望できると論じ、さらにはミュルダールが理想とした福祉世界というヴィジョンについて詳しく述べています。

 読後特に印象に残ったことにミュルダール経済学が平等を最高の価値だと明確に規定していることがあります。拡張しすぎた貧富の格差を是正すべきだと多くの人々が訴えている今、平等を目指すミュルダールの考えは極めて示唆に富むものだと本書は指摘していますし、私もその通りだと思いました。そこで皆様に是非本書を手に取っていただきたいと考え、以下で本書の一部概要をご紹介することにした次第です。

 ところで、「サングラハ」142号と143号でご紹介しましたピケティの税制案は、まさに格差是正を目指したもので、その目的はミュルダール経済学のものと重なります。そこで彼の考えとミュルダール経済学との比較もしてみました。また、「緑の福祉国家」という環境問題の解決も視野に入れたスウェーデン発の新しい福祉国家像を、古典的福祉国家建設に力のあったミュルダール経済学の枠組みで扱うとどうなるのかも検討してみました。

 

経済学は価値判断から独立し得ない

 

 『人間主義経済学序説』(新思索社、2007年)の著者である後藤隆一氏は、既存の経済学についてネット対談で次のように語っています。

 

 経済学は、人間を扱う学問ですから、価値や意味を問うことは避けられません。しかし、自然科学を模倣して出発した経済学は、それを避け、むしろ隠そうとしてきました。事実、経済学は、価値判断からの自由を建前としながら、功利主義哲学と自然法思想を前提としています。しかし、欲望や目的の内容を問うことを避け、その手段の効率のみを追求してきました。しかし、隠された欲望の目的は、功利主義哲学の「営利」であり、快楽の追求と苦痛の回避ですから、経済学を根元的に批判すると功利主義の批判になります。

 もう一つの隠された前提は、自然法思想で、「市場経済では、欲望を追求する個人の行動によって自動的に社会の需要と供給は均衡する」という予定調和の思想です。この思想をめぐって、経済学のイデオロギーは、自由主義と社会主義に分かれてきたと言ってもよいほどだと思います。

(ネット対談、話し手 後藤 隆一、 聞き手 山本 克郎 「小島志ネットワーク」代表幹事、 テーマ『ヒューマノミックスとは何か、そこで、何が問われるのか』より)

 

 この引用文にあるような、経済学が暗黙裡に自然法や功利主義に基づく価値判断を前提にしているという考えは、ミュルダールに強く自覚されていたことです。そこで彼はどうすれば経済学を価値判断とか政治的思弁から独立した客観的科学にできるかと問うことになります。そして『経済学説と政治的要素』(1930年)で次のように結論します。「あらゆる形而上学的要素を徹底的に切り捨ててしまえば、一団の健全な実証的経済理論が残り、そしてそれらは価値判断からまったく独立」(『ミュルダールの経済学』p.78、以下断りがなければ引用は同書からです)なので、経済学を客観的な科学にすることができるだろうと。そうして「選択された一組の価値前提」を、そのような経済学によって得られた事実に関する客観的知識につけ加えれば、政治的結論を推論できるとしたのです。

 しかしその後ミュルダールは価値判断から独立した一団の科学的知識が得られるという信念を素朴な経験主義であるとしてしりぞけます。それは次のように考えたからです。

 

 事実というものは、ただ観察によって概念や理論に組織化されるのではない。なるほど概念や理論の枠がなければ科学的事実はなく、混沌があるだけである。どんな科学的な作業にも欠くことのできない先験的要素がある。答えが与えられる前に問いが発せられなければならない。問いはいやしくもわれわれの関心の表現であり、それらは根底において価値判断である。したがって価値判断は当然、われわれが事実を観察し理論的分析を行う段階ですでに含まれており、決してわれわれが事実と価値判断とから政治的推論を引き出す段階で現れるだけではない(p.78)。

 

 たとえば、自由競争の理論や最適人口の理論といった伝統的経済理論や、経済学において頻繁に使われる「均衡」などの諸概念は、暗黙のうちに政治的に望ましいものを示していて、従って政治的偏向を含むというのです。すなわち「専門用語のほとんどが『価値を担っている』のであり、用語の直接的使用のなかに規範は隠されている」(p.72)のです。

 


スウェーデン特命全権大使渡邉芳樹さんの講演を聴いて

2012年01月14日 | スウェーデン
運営委員の森中定治です.

岡野先生,皆様,お元気ですか.
本年もどうぞよろしくお願いいたします.

先般 スウェーデン社会研究所が催したスウェーデン特命全権大使渡邉芳樹さんの,「強靭なスウェーデンの国家と社会」という講演をお聴きしました.
渡邉芳樹さんがスウェーデンで,最近のスウェーデンはいかがですかといろいろな人から聞かれて,これらの人は何を望んでこの質問をするのかと考えてきたが,それが自分なりに分かったということでした.一つは,社会民主党に代わって2006年から政権を取った穏健党によってなにかしら社会が変わったことが感じられるかという点,もう一つは,国を挙げてスウェーデン料理を世界に売り出しているが,それについてであるということでした(私の印象ですので,間違いがあるかもしれません).
穏健党は,保守自由主義の政党であり福祉政策は社会民主党の政策を踏襲しているものの,自由を重んじる政党,つまり具体的には種々の規制をなるべく緩和することで社会をより活性化しようという政党です.
お話の最後で,現代スウェーデンの深刻な社会問題の一つを述べられました.具体的で分かり易い事例でした.それは,スウェーデン国家の最も重要な事業の一つである介護事業に民間の団体が入ってきて,税金を払わないという問題です.どういうことかというと,国際金融資本から高利の融資を受けて,その融資で事業を行うのです.どれほど大きな利益を出しても.その利益と融資の金利支払い分を同じにする訳です.そうすると,財務上利益はないので,利益にかかる税金を払わなくて済みます.赤字なら税金は払えませんよね.いくら儲けても,それを融資の金利と相殺すればよいのです.こうしてスウェーデン国内からお金を吸い上げ,国際金融資本のものとなって,富が海外に出て行きます.金融でお金を儲けるということはこういうことなのですね.
これを防ぐのは,どうすれば良いでしょうか.
私に言わせれば,基本は単純,簡単です.高い金利を認めなければ良いのです.日本でも,サラ金の最高金利を低くして,国会で議論を呼んでいますね.穏健党では,自由(勝手)を尊ぶ,すなわち金利を規制するという政策が難しいのでしょう.このお話を聴いて,いずれ社会民主党に戻ると思いました.
次回は1月17日(火),「スウェーデンは原発なしでやっていける」です.これも参加の予定です.楽しみです.








環境社会の原点

2009年09月09日 | スウェーデン
※9月13日の大井玄氏の講座は延期となりました。
 代理として、岡野守也氏をお招きしお話を伺います。詳しくは、―こちら―をご覧ください。


1906~1907年にかけて、ある本が出版されました。

『ニルス・ホルゲルソンの素晴らしきスウェーデン旅行』
(Nils Holgeerssons underbara resagenom Sverige)
スウェーデンの女流作家、セルマ・ラーゲルレーヴの著書で、日本でも『ニルスのふしぎな旅』と題したアニメで人気となったお話です。


『ニルス』の本にはどのような役割があり、なぜ読み継がれるようになったのでしょうか。

「『ニルス』に学ぶ地理教育  環境社会スウェーデンの原点」(村山朝子氏・著 ナカニシヤ出版)を引用しながら、ご紹介したいと思います。



1880年、スウェーデンでは公立小学校教員組合が組織され、階級制のない統一学校運動が推し進められました。 

地名や産物だけを覚える教科書への批判から、ラーゲルレーヴに新しい教科書作成の依頼がされました。
その狙いは、「郷土の美しい自然と風土の優れた印象を与え、祖国の民であることの喜びをもたせる」というもの。

そうして、『ニルス』は小学生のための地理読本として誕生しました。



ニルス・ホルゲルソンは、スウェーデンの南端部、農業が盛んなスコーネ地方の農家の一人息子です。
動物いじめが大好きなわんぱく少年ですが、いたずらがもとで、ニルスは妖精に親指くらいの大きさにされてしまいます。
小さくなったニルスは、ガチョウの背に乗り、ガンの群れについてスウェーデン一周の旅に出ることになりました。


小さくなった途端に、動物や小さな生き物たちと話が出来るようになったニルスは、これまで知らなかったことを各地で見聞きしたり、いろいろな出来事に遭遇したりするなかで、生きとし生けるものを愛し、尊重し、助け合うことの大切さに少しずつ気付いていきます。

旅をともにしたガチョウが祭の供物として両親に殺されそうになったとき、助けようとして両親の前に飛び出すと、その拍子に妖精がかけた魔法が解け、ニルスは人間の姿に戻ります。

勇気と協調性とを身につけて、頼もしい少年に成長したニルスが無事に帰ってきたのを、両親はたいそう喜びました。



旅の中でニルスは、畑のない森の奥深くにも整然とした町があるのを発見します。
人々のくらしを支えるのは農業だけではないことを知り、農業が振るわない北の地域は何もない貧しいところであるという認識を徐々に改めていきます。

そして、それぞれの地域に鉱物や森林資源を利用した産業が形成され、その産業が都市を成長させ、人々のくらしを支えていることにも気づきます。


かつてはスウェーデンにおいても、自然環境の違いからもともとあった南北の差、あるいは都市と農村との地域差が、近代化とともに大きな経済格差となっていました。

しかしこれらの差異を、ラーゲルレーヴは地域の個性としてとらえました。
そして地域の多様性を認識し、それらを尊重することを『ニルス』のテーマとしました。


スウェーデンの厳しい風土は、人々に早い時期から気付きをもたらします。

みだりに自然に手を加えたりすれば、自然は再生力、治癒力が弱く元に戻らないこと、自然とうまくつきあっていかないと自分たちの生活そのものが危うくなること。



そうして、いまや国民性ともいうべき自然と人間との共生という環境思想が形成されました。
『ニルス』の全編に流れているのは、生きとし生けるものと大地そのものへのいたわり、そしてすべての生あるものとそれを育む大地への畏敬と愛です。

そこには、今もスウェーデンの人々が大事にしている精神が息づいています。


日本では子ども向けの冒険物語として認識されてしまっている『ニルス』ですが、そこに描かれているのは、今の私たちにも当てはまる問題意識です。

そして人間とその生活には何が必要で、どう営まれるべきか、それを教えてくれています。


最後に、ガンの隊長・アッカの台詞を。

「あんたがわたしの生活で、なにかよいことをおぼえたとしたらだね、人間はこの世の中に自分たちだけでくらしているのだと思ってはいけないと考えるだろうね。
あんたがたは大きな土地をもっているのだから、少しばかりのはだかの岩礁や沼や湿地、さびしい山や遠くの森などを、私たちのような貧しい鳥や獣が安心していられるように分けてくれることは十分にできるのだ、ということを考えてもらいたいのだよ。
わたしはこれまで、ずっと追われどおしだったのだよ、私のようなものにも、安心していられる場所があればいいと思うのだよ。」

ICEBAR TOKYO

2009年08月31日 | スウェーデン
※9月13日の大井玄氏の講座は延期となりました。
 代理として、岡野守也氏をお招きしお話を伺います。詳しくは、―こちら―をご覧ください。


スウェーデンの北部―北極圏には、トルネ川が流れています。
その川から切り出された天然氷はクリスタルにも匹敵する透明度をもち、その氷で造られた「アイスホテル」は氷のアートとして世界中で有名です。

そのアイスホテルの中には「アイスバー」があり、同じく天然氷を使って作られたグラスで、お酒を楽しむことができます。


日本でも、同じコンセプトで作られた「アイスバー東京」があります。

新橋の駅から歩いて5分ほど。
ビルの一角に涼しげな外観のお店があります。



中に入ると受付があり、そこで防寒用のケープと手袋をレンタルし、スタッフの方に着せてもらいます。



そしていよいよバーの中へ足を踏み入れると…。



一面、氷でできた部屋があり、気温はマイナス5℃。
最初のうちはケープのおかげか、思ったより寒さは感じません。



カウンターで「アイスバー東京」と「バイキング」という、いかにもな名前のカクテルを注文すると、氷で作られたグラスにきれいな液体が注がれました。



バーカウンター、テーブル、グラス、彫刻、壁もすべてが氷で作られていますが、その氷が本当に透明度が高くて美しいのです。
水草が氷の中に閉じ込められているのも、また風情があります。



ここの氷は、上記したようにトルネ川の氷を切り出し運ばれてきたものだそうです。
先日、スウェーデン大使館において乾靖氏のラップランドの体験記を拝聴しましたが、氏のお話の通りに、水がきれいで澄んでいるのだということを実感しました。

30分もすると寒くて手足がかじかんできましたが、その寒さのせいか、一向に酔いを感じません。
北国の人たちがアルコール度の強いお酒を好んで飲む気持ちがわかった気がします。



真夏にマイナス5℃の氷の部屋を維持する…というのは、とても環境負荷な感じは確かにしましたが…。
しかし、あくまでもアミューズメント。
値段も、カクテル1杯ついて、3500円!! あくまでアミューズメントということで…。

長居はできないところですが、北極圏を手軽に体験できる場所です。一度 足を運ばれてみてはいかがですか?

スウェーデン料理のお店 アルトゴット

2009年08月30日 | スウェーデン
※9月13日の大井玄氏の講座は延期となりました。
 代理として、岡野守也氏をお招きしお話を伺います。詳しくは、―こちら―をご覧ください。


先日、前職で付き合いのあった友人たちと、久し振りに再会しました。

以前から気になっていた、北欧・スウェーデン料理のお店を予約し、いざ吉祥寺へ。

そのお店は「ALLT GOTT・アルトゴット」という名前で、スウェーデン大使館のリンクにあり、行ってみたかったところです。



1980年代半ばまで、スウェーデン料理は農家で代々受け継がれてきた田舎料理だったそうです。
しかしその後、その食の起源を残したまま独創的な料理が生み出されていき、今や世界でも有名な美食の一つに数えられるとか。
その情報を裏付けるかのように、店内は満席で賑わっていました。予約しておいた甲斐がありました。

メインは、名物でもある「トナカイ肉の煮込み」料理。
一般に、世間に広く流通していない肉というのは、それ相応の味しかしないからだと思っていました。
実際、以前にオーストラリアに生息する「カンガルー」の肉料理を食べた時には、イマイチな感じで…。

しかし、赤ワインで煮込む調理人の技もあってか、このトナカイ肉は非常に美味しかったです!
店員さんから「スウェーデンでは、煮込みが一般的です」とのご指摘があったのでワイン煮にしましたが、次回はぜひステーキに挑戦してみたいです。



他にも、スウェーデンのお酒と言えば…ということで、「アクアビット」を注文。
ウォッカやテキーラのように、小さいショットグラスに入った透明なお酒が運ばれてきました。
とにかく、アルコール度が強い!冷凍保存しても凍らないとか。
ちびちびと口に運び、とてもぐいっとは飲めません…。

やはり、寒い北国なのだなぁと改めて実感しました。




店員さんに「なぜスウェーデン料理のお店を開いたのか?」と質問してみると、話せば長くなるので…と茶化されてしまいました。
いろいろあったのですね。

スウェーデン料理というと、今までミートボールくらいしか食べたことがありませんでしたが、とても奥深く、美味しいものだということを知りました。
機会があったらまた訪ねてみたいです。


次は、スウェーデンにあるアイスホテルを模した、「アイスバー東京」を目指します。

サムハルに見る障害者雇用の可能性

2009年08月28日 | スウェーデン
※9月13日の大井玄氏の講座は延期となりました。
 代理として、岡野守也氏をお招きしお話を伺います。詳しくは、―こちら―をご覧ください。


Samhall ― 「サムハル」という企業をご存知でしょうか。
これは、スウェーデンのストックホルムの中心に本社を置く企業の名前です。

設立は1980年、従業員数は2万2千人、収入は868億円を超え(2007年度)、自己資本利益率は9%、自己資本比率も38%という、収益力のある大企業です。

このサムハルの大きな特徴は2つ。

 政府が100%の株を保有する特殊法人であること、
 従業員の90%が何らかの障害を持っていること、です。


8月25日(火)、東京・六本木のスウェーデン大使館において、

 「スウェーデン・サムハルから見た、働くということ:
  3万人の障害者を雇用する企業から考える雇用問題」

と題した講演会に参加してきました。



お聞きしたところによると、98名定員の会場に、申し込みが150名程あり、残念ながら参加をお断りしたそうです。そのくらい、盛況な集まりでした。

講師に立たれたのは、(株)プロシード代表取締役社長・西野弘(にしのひろし)氏です。



スウェーデンでは、「就労と納税」はセットで考えられており、そのために「誰もが働いて納税できる」ことを目的とした、雇用の機会均等政策があります。
「pride of taxpayer」という言葉もあり、納税をして国を支えることにたいへんな誇りを持っている民族だと聞いた事があります。
それは例外なく、障害のある方も対象となっています。

「障害者」とは、何らかのハンディキャップのある人のことを指し、身体的・知的はもちろんのこと、アルコール依存症患者や麻薬中毒患者も、「精神的な障害を持つ人」と見なされています。
また、外国からの移民の人々も、「スウェーデン語を話せない」「生活習慣が違う」ハンデ(=障害)を持つと考えられているようです。つまり、「障害」という言葉には、我々日本人がもっている認識よりも幅広い内容が含まれます。

スウェーデンでは、みな何かしらのハンデを持っているのは当たり前、という前提が国民感情としてあるようで、あくまでも「一人の人間」として接し、政府もその個々の要望に応える支援策を打ち出しています。


そのひとつがサムハルです。
サムハルとは驚くべき会社です。下記をご覧ください。
 
○経営ビジョン
 障害者を積極的に採用し、その社員に成長の可能性とチャンスをもたらす魅力的な職場を創出していくこと

○企業理念
 スウェーデンにおける最も成功した企業体を目指す
 経営結果としても人間の価値を創造する面を両立させる
 我々の試みが社員・顧客・社会に対して利益を生むものでなければならない

○企業目標
 障害者雇用数の増大(実質稼働時間が政府によって決められている)
 雇用優先障害カテゴリーの充実(重度の障害者の雇用%が政府によって決められている)
 サムハルグループ外企業への転職
 企業利益の拡大

これだけを見ても、日本の障害者施設とは、大きく違うことがわかると思います。
日本では、個人の要望に関係なく、できる「作業」を与え、政府は補助金だけを出し、そこには「個人の成長の手助け」はなく、「弱者の救済」という思想があるだけです。
そして、企業の障害者雇用枠には重度・軽度のカテゴリーがなく、重度障害や複数の障害のある方々の就労のチャンスはかなり少ないのではないでしょうか。


サムハルでは企業のオーナーは政府ですが、数値目標はしっかり定められており、利益をあげるための要求もしています。
サムハルの経営者は、常にこれらの理念・目標を達成する経営のプロであり、価値のある一企業として、他企業とのパートナーシップを目指しています。

1981年には政府からの補助金は170%だったのが2008年には90%まで減少し、利益を上げ、配当までしているという実際のデータもあります。
そして現在では、製造業に3割、サービス業に4割の人が従事し、障害者であってもサービス産業への従事が可能であることを証明しています。
日本でも有名な「イケア」でも、多くのサムハルの人たちが仕事をしているとのことです。
それは、個々のハンデに応じた教育プログラムがあり、適性のある仕事を見つけ、雇用された人財の開発と管理をするマネジメントが徹底して行われているからのようです。



日本でも、このような会社は可能でしょうか?との問いに、西野氏は仰いました。
「日本で作らないかと言われることもあるが、それは無理。すぐに倒産してしまう。」
それは、「国家・国民の思想が違うからだ」というのが理由のようです。

サムハルを支える思想 ―それは、スウェーデン政府が作り上げてきた、「国家は国民の家」という思想に表わされています。
国家は良き父として、国民の要求・要望を包括的に規制・統制・調整をして、「家」の機能と役目を果たすことが図られてきました。

「誰も抑圧されることなく、助け合う社会」の目標のために、雇用格差の解消、経済的平等、教育の平等、社会福祉制度の充実、雇用保障、民主主義の確立を、政治がリードして実現してきたのが今のスウェーデンです。

西野氏は、「国家の思想を考えないと政策論だけでは無理な時代になった。」と仰っていました。
日本も今、総選挙を控え、どういう国家であるべきか、その思想が問われています。

どんなに優れたシステムがあってもそれを運用するのは人間であるということ、どういう国にするかは、国民一人一人がどういう選択をするかということ―ということを、改めて感じた2時間でした。

スウェーデン大使館の夜

2009年07月30日 | スウェーデン
東京、六本木。緑が茂る外壁の中、スウェーデン大使館があります。
北欧スタイルのインテリア・ファブリックに象徴されるような、まさに洗練された美意識のある空間です。



7月27日(月)に、大使館内オーディトリアムで行われた(社)スウェーデン社会研究所主催の第88回スウェーデン研究講座に参加しました。
88回という末広がりな、しかも大安吉日ということで、講演者もこの日を選んだということでした。



タイトルは「スウェーデンの極地からみた気候変動の実態」、石川県の白山国立公園で管理のお仕事をされている、㈲オフィス・イヌイ代表の、乾靖(いぬいやすし)さんが講師に立たれました。
この方からは、とても自然を愛しておられるという気持ちがじんわりと伝わってきます。部屋に入ったときに、「こんにちは」と優しい声で挨拶してくださったことも印象的でした。
事前に告知されていた講演タイトルは「スウェーデンをトレッキングして感じた地球環境の素晴らしさ」でしたが、こちらのタイトルにもお人柄が伺われます。



乾さんは、2007年2月に、ラップランドでのトナカイの大量死の新聞記事を目にされたそうです。
その大量死の原因は餓死。
暖冬で雨が降り、それが冷えて地面が凍り、トナカイが餌である苔を食べることができなかったからだ、と。
乾さんは「温暖化」を考えるようになった過程で、「地球の環境危機が叫ばれてはいるが、今の若い人たちに危機感を煽るだけではいけない」と思われたそうで、人々が地球上の豊かな自然へ期待し、それが生きる希望につながれば、と願っておられました。



そして、ラップランドから北極圏へのトレッキングツアーに出かけられ、そこでの体験を語ってくださいました。

※ ラップランド:Lapland
=スカンジナビア半島からコラ半島に渡る地域で、伝統的にサーメの人が住んでいる地域を指しています。
スウェーデン・フィンランド・ノルウェー・ロシアの4ヵ国にまたがっています。
※ サーメ
=かつてはトナカイの遊牧などで狩猟生活を行っていた北方少数民族です。
現在もトナカイの遊牧の52%はスウェーデンで行われているとのことでした。

ストックホルムからキルナへ、そこでバスに乗り込みます。
このバスは人間だけでなく荷物や郵便も乗せて、途中途中に運転手さんがポストに配達もしていくのだとか。
人口の少ないところだからこそですが、なんとも効率的なシステムですね。運転手さんは、一苦労かもしれませんが…。

ラップランドは水が豊かで、日本のように川・湖・沼の多い湿地の土地です。
そのおかげで、トレッキングの時にちょっとしたボトルさえ持っていれば、その辺りでいくらでも水を汲み、そのまま飲んだりお料理したりすることができるそうです。

ちょっと余談ですが、おもしろかったお話をご紹介します。
川岸でボートを待っている間、そこでサーメの方が「トナカイの焼肉のハンバーガー」という物を売っていたそうです。
その小さな小屋(お店)の看板には、「LAP DANALD」の文字が。
ラップダナルド → ラプドナルド …某有名チェーン店の名前にとっても似ていませんか?(笑)



次の年にそこに行かれた時、小屋は無くなっておりきれいなショップにリニューアルされていたそうで、商売上手だと乾さんは感心されていました(笑)。
どこにでも、商魂たくましい方はいらっしゃるのですね。

それでは戻ります。
スウェーデン政府から出されているトレッキング時のルールというものはあまり厳しくなく、自然の浄化の範囲内で自由に、また、自己責任で、ということが「自然に」行われているそうです。
山小屋の管理人の方も、「飲み水は上流で汲んで、排水は下流へ流して、洗濯はその中間でやったらいい。」という風なことしか言わないそうです。

山小屋でも多く見られたそうですが、スウェーデンでは木材資源もとても大切にされていて、廃材も家具として仕立て直したり、古い物を捨てずに使っていくことが当たり前になっているようです。
「ごみを出さずに、ごみになるものは買わない」ということが共通意識になっているんですね。

乾さんは仰っていました。
「皆が一気にエコ製品に買い替えることで、大量の不用品が発生し、工場のラインはフル稼働し、結局は増産体制になっているだけ。エコ、エコと言うけれど、この“一気にみんなで”という流れは間違っていると思います。」

また、kebnekaise(ケブネカイセ)という山についてもお話くださいました。
これはスウェーデン最高峰の氷山だそうですが、現在の標高は2110mくらい。
1906年に出版されたスウェーデンの児童文学、「ニルスのふしぎな旅(ニルス・ホルゲションの素晴らしきスウェーデン旅行)」の注釈には、ケブ<ネカイセの標高は2130mと記されているようで…。
つまり、この100年余りの間に最高峰の氷山が溶け、標高が20mも低くなっているということなんですね。



スウェーデンの方たちは、「氷山が溶けている」ということにとても危機感を持っているそうです。
もし、日本の最高峰・富士山がどんどん低くなっているとしたら、私たちもすごい危機感を持つのではないでしょうか。

乾さんはケブネカイセへの道中、何かが「わかった」と仰っていました。
「この雄大な自然を、人間がどうにかしようとするなんて無理なことだ。人間は、谷を渡っていく風のように、何の痕跡も残さずにただ通過し、立ち去っていくべきなのだ。あるがままに。」



このケブネカイセには多くのトレッキング客が登り、学生さんや女性だけのグループも多かったそうです。
スウェーデンでは小さい頃から積極的に自然に関わり、付き合い方を学んでいるようですが、これが日本だったら、子どもは標高の高い山は危ない、何かあったら誰が責任を取るのだ、と敬遠されてしまうのでしょう。
リスクがあるからあれもダメ、これもダメ、というのは淋しい教育方針ですよね。

ラップランドでは、ベリー系の植物を多く見かけ、ひとつの植物群がどこまでも果てしなく広がっています。
一方、乾さんが管理しておられる日本の白山では、さまざまな種類の植物がひしめき合って群生しているそうですが、それはむしろ、「ここでしか生息する場所がないから」という、非常に限界状態でもろい状態なのかもしれない、と仰っていました。

最後は、ロッド・スチュワートの「パープル・ヘザー」という曲をバックに、美しい写真のスライドショーで講演は幕となりました。
ロッド・スチュワートはイギリスのミュージシャンですが、彼のその曲は、ラップランドを意識して作られたのではないか…と、乾さん。
ちなみに、「パープル・ヘザー」とはヒノキ科の背の低い樹木で、ラップランドでよく見る植物だそうです。



最初のお話の通りに、私たちは遠く離れている2国のことを考え、その自然のつながりに気付き、素晴らしい地球の美しさについて思いを馳せました。
世界の植物分布図の資料によると、日本もラップランドと同じように緑に覆われた国です。
遠いスウェーデンの写真を見ながら、日本の自然と生態系のことを思う、そんな素敵な時間でした。

筆者は昨年の夏に白山を訪れましたが、再度、訪ねたいと思いました。
そして、スウェーデン・ラップランドにも、いつの日か訪れてみたいと強く思いました。

スウェーデンのボルボの副社長の環境意識

2006年10月20日 | スウェーデン
 シンポジウムの一般参加者募集の期限を延長しましたこちらです!

 趣意書はこちらです!

 皆様いかがお過ごしでしょうか。
 事務局尾崎です。

 昨日は、スウェーデンの企業について触れました。

 今日は、あの有名なボルボ(スウェーデン生まれ)の副社長が日本に来た時の面白い話をご紹介します。(大部分が小澤先生の本の引用です。)

 1990年、現在の地球産業文化研究所が、東京で「地球環境の改善と経済成長の同時達成をめざして」と題するパネル討論会を催しました。この討論会に、自動車で有名なスウェーデンのボルボ社の副社長シグバード・ホグレンさんがパネリストとして招かれました。司会者とホグレンさんの対話のなかに、日本とスウェーデンの環境問題に対する考え方の違いがみごとにあらわれていて、興味深い部分があったそうです。


 司会者 

 一番のこの問題のむずかしさというのは、被害がまだ目に見えていないことであろうと思います。私の息子くらいの世代になると、この被害に遭うかもしれない。犠牲はいまから払わなければならないという状況ですけれども、被害の見えないときに、人間を一体どう動かしたらいいのか、経営も同じことだと思うのです。そのへん、あまり切迫感のないところで人間をどうやって動かすのか、これはホグレンさんから伺いたいのですが。

 ホグレン

 まず、私は、いま、いわれたことにかならずしも合意できません。被害が見えないということはないと思います。ドイッの南部の森林を見ていただければわかると思います。あるいは、チェコ、ハンガリー、スウェーデンに来て見ていただければわかると思います。日本でも被害が目に見える形であるのではないでしょうか?(中略)こうした状況に対して、わが社やほかの多くの企業が試みている一つの方法があります。たとえ、私たち一般の人間には真の影型日がまだ見えないとしても、専門家というものがいます・専門家がその影型日について私たちに説明してくれると思うのです。北ヨーロッパの最先端の研究者と私たち経営トップとが一堂に会して、問題について討議しています。




 企業の副社長がこういった予防的見解を持っているというのは、面白い事実だと思います。現在、ボルボは公共交通に力をいれているようです。詳しくは、小澤先生の『スウェーデンに学ぶ「持続可能な社会」』に書かれていますので、ご購入された方はお読みになってみてください(P183~)。

 さて、それでは、今日はこの辺で失礼致します。
 いつもクリックありがとうございました。

にほんブログ村 環境ブログへ

人気blogランキングへ

スウェーデンの企業

2006年10月19日 | スウェーデン
 シンポジウムの一般参加者募集の期限を延長しましたこちらです!

 趣意書はこちらです!


 今日は良い天気ですね。
 最近、私はすごい忙しいです。
 何とか合間をみつけて更新しています。
 基本的には小澤先生の3冊の著作を読んで感じたことや気づいたことを書いてきました。
 さて、今日もその路線で、スウェーデンの企業について考えてみたいと思います。


 経済の持続的拡大が環境破壊の根本的な原因でありますが、そうなると、その経済を適正化させる必要があります。この適正化というのが重要です。スウェーデンの先見性は、まさにここで、経済の持続的な拡大は手放しはしましたが、生態系の自浄能力の範囲内で経済活動を適正化させたのです(これが「縮小」と「適正」の違いです)。それに成功し、GDPは毎年伸びています。


 ただ、その「適正」は、「縮小」ではありませんが、生態系の自浄能力の範囲内で経済活動を制約せざるを得ないことは確かでしょう。小澤先生がこのような話を講演会ですると企業の人から以下のような意見をいただくことがあるようです。そして、おそらく多くの方が身に覚えがあると思います。もちろん、私もあります。


「分かっているけれども、行動は別。」


 この方の素直さはある種のスガスガしさを感じます。しかし、環境問題は待ってくれません。もう少し詳しく「分かっているけれども、行動は別。」を見ていくとこういうことになりますでしょうか。


「企業の技術者としては、個人的にことの重大さは分かっていても、目の前の生活防衛のために、自分の組織の拡大のために全力を尽くす。」


 確かに、日本の社会ではごもっとも!という感じがしてしまいます。しかし、ここではっきりと主張しておきたいことは、今われわれが抱えている問題の質は、そういった先延ばしが、自分や自分の家族の将来、自分の所属する企業や組織の将来を危うくするということです。「・・・んなこと言ったってうちの社長はな~」と思う方もいると思います。それではスウェーデンの企業はどうでしょうか。


『環境保全と企業経営』東洋経済新聞社報に面白い話が掲載されました。

 7年位前に、スウェーデン最大大手の石油会社のCEOが20人ぐらいの他の会社のCEOとともに首相を訪問し、政府にガソリンや燃料に対する二酸化炭素の増税を陳情した。首相がその理由を尋ねると、イケア、アレックス、トラック会社、スーパーマーケットのチェーンなどの様々な業種の代表からなるそのグループは「我々のビジネスは将来にかかっている。廃棄物に関しては、細心の注意を払っていかなければならない。炭素に対する課税は我々が企業としてアメリカのようにエネルギーを大量に消費するような馬鹿な会社に比べて、競争面で優位に立つことができる。」

 後日、炭素の含有量がもっとも少ない燃料を開発したのが、やはりこのグループのメンバーだったそうです。


 なかなか、かっこ良い話だと思いますが、皆様はいかがでしょうか?スウェーデンの人からみれば、当たり前のことを当たり前にやっただけのことかもしれませんが。

 日本の企業も学ぶところがあるのではないかと思います。この例をみると、エコと呼ばれる日本の企業CMのほとんどが、的を外していることに気づく方も多いかと思います。

 それでは、今からパンフレットの追加発送の準備をしに郵便局に行ってきます。
 この辺で失礼いたします。
 
 いつもクリックありがとうございます。


 にほんブログ村 環境ブログへ

人気blogランキングへ

スウェーデンの原子力政策

2006年10月13日 | スウェーデン
シンポジウム参加者募集を期限を延長しましたこちらです!

趣意書はこちらです!



なにか、最近は戦々恐々とした感じがちょっと・・・・かなり気になりますね。
皆様、いかがお過ごしでしょうか。
事務局尾崎でございます。

そのちょっと気になるというのは、連日テレビを賑わせている核実験です。

ちなみに、一昔前、原子力発電の先進国は、スウェーデンでした。
しかも、彼らは他国に依存しない独自の技術で開発を進めました。

「でした」という過去形で書いたのは、1980年にスウェーデンはせっかく独自に開発した技術によって作った原発12基すべてを廃棄するという決断をしたからです。

その経緯には興味深いものがあります。
まず、スウェーデン政府は、原発の是非を問う国民投票をしました。その結果は以下の通り。

●原発容認18.9%

●条件付き原発容認39.1%

●原発反対38.7%

つまり、原発を容認する人が全体の58%でした。

おもしろいのは、この結果を参考にしてスウェーデン政府がとった行動です。彼らは原発の廃棄を決めました。40%の人が不安を感じているということや、ちょっとした技術的なトラブルなどを考慮にいれた上で総合的に政府はこの決定をくだしたそうです。もちろん、それは予防志向の観点からだと思います。


そして、結果的にその判断は正しかったようです。
なぜなら、そのちょっとした技術的トラブルが1986年のチェルノブイリ原発事故の原因になったと言われているからです。


1980年に、スウェーデンは12基の原子炉を廃棄することを決めました。より安全な道を歩むと同時に、さらに経済を成長させています。にも関わらず、エネルギーの消費量はほとんど毎年同じという「持続可能な社会」への道を着々と歩んでいます。スウェーデンは経済的繁栄も、安心も手に入れようとしているように思えます。




1990年に、日本は40基の原子炉を設置することを決めました。あれからいくつかの事故があり、そこにミサイルが飛んで来そうな緊迫した状況で不安を抱え、さらに財政赤字や年金の問題をも抱えながら「持続不可能な社会」へ進んでいるように思えます。


好景気が続き、経済の拡大を進めれば、本当に今抱えているような不安は解消できるでのか、と昨日の帰りの電車の中でしばし考えてしまいました。


にほんブログ村 環境ブログへ

人気blogランキングへ