持続可能な国づくりを考える会

経済・福祉・環境の相互促進関係を!

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5月17日の学習会のご案内

2009年04月18日 | 学習会
来たる5月17日(日)に開催予定の当会主催学習会について次のとおりお知らせします。
皆様のご参加をお待ちしております。

(詳しくは画像をクリックしてください。)



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パネルディスカッション
なぜスウェーデンにそれができたのか
~人も自然も幸福な国~

≪パネリスト≫

岡野守也氏
(思想家、サングラハ教育・心理研究所主幹)

小澤徳太郎氏
(環境問題スペシャリスト、元スウェーデン大使館環境保護オブザーバー)

藤井威氏
(みずほコーポレート銀行顧問、元駐スウェーデン大使)

  ※西岡秀三氏は海外出張のため欠席となりましたので、ご承知おきください。

日時
2009.5.17(日)13:00 ~17:00

お申込み
受付フォームまで

受講料
一般の方 1,500円
会員の方 1,000円

当日のスケジュール(予定)
①当会運営委員・岡野守也氏による発題講演(約30 分)
②パネルディスカッション(約2時間)
③質疑応答その他(約1時間)

※パネリストは現時点の予定で、変更となる場合があります。

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このたびの学習会は、当会の推進者でもある先生方をお招きしての、パネルディスカッションを企画しました。

最近ではマスコミ等でも「スウェーデン型モデル」ということがよく取り上げられるようになりました。

ビジョンを見失い不安に満ちた私たちの日本にとっての新しいモデルが、ほかならぬスウェーデン・北欧型社会にある、その実現をめざそうという機運が高まってきているあらわれだと思われます。

これまで見てきましたように、スウェーデンの「緑の福祉国家」に向けた高度な達成は各種の報告やデータからも明らかです。

環境危機に突入した高度産業社会に住む私たちが、環境と経済の両立を実現しつつあるかの国から学ぶことはきわめて多いと言わざるを得ないと思います。

しかしなぜスウェーデンにはそれができたのでしょうか?

それを可能にした要因とはいったい何だったのでしょうか?

そして他国、とりわけこの日本との決定的な違いとは、はたしてどこにあるのでしょうか?

よくいわれる「国の規模が小さいからできた」とか「地政学的な有利さがあったから実現できた」などという説明では到底納得しきれない、なにか本質的な要因・条件がそこにはあるのではないかと思われてなりません。

スウェーデンの取り組みを学んだ誰もが気になるそんなかの国の「秘密」に、各分野の第一人者が共同で挑みます。

これまで学んできた社会・経済・政治システムという「外面」の話に加え、さらに歴史や文化、宗教性、国民性といった「内面」の領域にも踏み込んだ、エキサイティングな議論が期待されます。

重ねてになりますが、皆様ふるってのご参加をお待ちしております!

(持続可能な国づくりの会〈緑と福祉の国・日本〉事務局)



学習会「スウェーデン型社会という解答」について (3)

2009年04月12日 | 学習会
さて、一般に日本の社会保障は貧弱とされていますが、はたして数字で見る実態はどうなのでしょうか?

日本の社会保障水準の現状は、たしかに米国をのぞく先進諸国に比べ社会保障給付の対GDP比の割合がかなり低いのを見てもわかる通りです。
しかし単に低いだけではないようです。



たとえば図(講義で配布された厚生労働省資料)のように社会保障給付についての支出の割合でみると、「医療」「年金」部門では日本は曲がりなりにも先進国レベルにあるといえるのだそうです。

では何が足りないかというと、圧倒的に不足しているのが「福祉」部門への支出です。

同じグラフで見ると、西欧の福祉国家が10%弱、スウェーデンが14.4%なのに対し、日米は福祉への支出のGDP比はまるで申し合わせたかのようにそろって、わずか3%前後です。

低レベルといわれる日本の社会保障とは、ここが決定的な差になっているといえます。
藤井先生によれば、ここに気づくことがとても重要とのことです。
 こうして数字ではっきり示されると、日本が「福祉国家」というには到底及ばない現状にあることに、やはり納得させられざるをえません。


さて、とりわけ藤井先生は重点を置いて語られたのが、子育て・家族・女性政策についてでした。
上に述べました日本における福祉部門への公的支出の割合の低さは、これら家族関係支出でとくに際立っています。
この点については、日米とヨーロッパ福祉国家との対比は非常にはっきりしています。



「ヨーロッパ型福祉国家」である諸国に対し、日本と米国の出産・育児関係に対する公的支出の際立った低さが、お分かりいただけるでしょうか。
(日本はGDPのわずか0.75%)

蛇足なようですが、この図表からも、日本がアメリカ型モデルを追随してきたことの結果が見て取れるように思われます。

ところで、なぜ藤井先生がとりわけ家族・子育て政策に注目されるかというと、それが「社会の持続可能性」ということにもっとも直接にかかわるからです。

「人口置き換え水準」という耳慣れない言葉が頻繁に使われていましたが、これは「人口を維持できる出生率の水準」ということを意味しています。
当然ですが、将来を担う子供たちが十分な数だけいてくれなければ、社会は持続できません。
社会の持続可能性を議論するうえで、これはじつはもっとも基本的で、重要な事実だと思われます。

その「人口置き換え水準」の出生率とは、おおざっぱにいってちょうど「2」であるとのこと。
つまり大人になった男女から2人以上の子が生まれて、はじめて中長期的に社会は維持できる、ということです。

いいかえれば、社会を営み次世代に伝えていくという責任を持つ人間としての私たちには、こどもを2人以上生み育てることが本質的には求められているわけです。
つまりその意味で「義務がある」といってもいいかもしれません。

これは聞けば当たり前のようですが、いまの風潮ではなかなか見えにくく忘れられがちになっている事実ではないでしょうか。

ともかく持続可能な社会を実現するための第一条件として、若い人たちが自発的に健全に子供を産み育てられる社会の環境整備が、なにより必要であるわけです。
そしてその条件がきわめて貧弱になってしまっている日本の現状があります。

このままでは社会を持続するできなくなってしまうという危機感が、藤井先生のこの講義全体に、にじんでいたと思います。


だからこそ、私たちはそのことについて成功を収めつつあるヨーロッパの福祉国家に学ぶ必要があるわけです。
もちろんそのために各国で目指してとられてきた政策には、冒頭説明のあった「福祉国家レジーム」の類型によって各国にずいぶん違いがあり、一様ではありません。

たとえば伝統的に「個人の自立」を重視する社会民主主義レジームのスウェーデンでは、これまで女性の解放―自立をめざす政策がずっと採られてきました。
そのため家族政策に関しても、どちらかというと女性の権利そのものの向上を目的として実施されてきたという面が強いとのことです。

たとえば先の家族関係支出の国際比較のグラフで、スウェーデンでは「保育・就学前教育」の割合が際立って多いことがわかります。(これは日本でいう保育園・幼稚園・子育てヘルパーなどの、育児サービスを指します)

さらにスウェーデンは最近(90年代以降)、就学後の子供たちの居場所(After school centres)を急増させています。
これらはいうまでもなく子供を持った女性が働きやすいようにととられた措置です。

藤井先生はこのような教育とケアを兼ねた濃密な子育てサービスを、「エデュケア」という印象的な言葉で表現しておられました。
ではその結果はどうだったでしょうか?

驚くべきことに今やスウェーデンでは、子供を持つ女性の就労率は、そうでない女性を上回っているばかりでなく、男性とほとんど同じか時期によっては高い水準にあります。
スウェーデンにおける女性の就労・自立に向けた取り組みがきわめて徹底したものであったことがわかると思われます。



また、この「男女別労働力率の推移」のグラフを見る限り、1960―70年ごろまでの就労率は、

子供のある女性 < そうでない女性 ≪ 男性

という日本ともあまり変わりない状況だったようですから、それ以降の「高度福祉国家建設期」における変化がいかに急激だったかがよくわかります。

藤井先生によれば、このグラフの伸びが先に掲げた増税など国民負担率の伸びとちょうど並行しているのは、増税―受益の必然的な、まさに目に見える相関にほかならないとのことです。
グラフを一目して明らかなように、この議論にはきわめて説得力があると感じられました。

では一方で出生率(合計特殊出生率)のほうはどうでしょうか?
これに関しては、60~70年代以降の減少傾向を食い止め、大きな上下を経験した後、最近になり「置き換え水準」に向け再び持ち直してきている(1.85)というのが現状のようです。
しかしいずれにせよきわめて低い水準のままとどまってしまいっている日本(1.32)と比較すれば羨むべき状況といわざるをえません。

もちろん価値観・家族観の違いは当然あり、スウェーデンの取り組みはそのまま日本に適用できず、またそうする必要もないでしょう。

しかしこと出生率の回復というここでの問題に関する限り、「女性は子供を産み育てるため家庭にあるべきだ」「出生率の低下は女性の社会進出が原因だ」という主張は、国際比較の観点からは必ずしも真とは言えないようです。

注目すべきは、逆に少なくとも「先進国」とよばれる高度産業社会では、母親が安心して働きながら子育てができる社会のほうが出生率がいい(=社会が持続可能である)という統計的事実が、結果として出ていることだと思われました。


一方、価値観に関して家族主義を維持しつつ、子育て世代に対する家族単位での巧みな支援を行うことにより、「人口置き換え水準」を実現する目覚ましい出生率回復に成功したフランスの事例も紹介されました。

これは主に税制が育児政策として活用され成功をおさめた事例です。
これについては藤井先生の娘さん(フランス在住)の家計をもとに実例に沿って説明がなされました。
(「『機密漏洩』だといつも娘に怒られる」といたずらっぽく笑って紹介されました)

このフランスが導入した「N分のN乗方式」と呼ばれる所得税の方式は、簡単に言うと子供を多く育てている家族にきわめて得になるようになっている税制です。
「得になる」というのは「比較的」「負担が少ない」どころではなく文字通りの話です。
例えば講義で示された藤井先生の娘さんの世帯のように、夫婦に子供3人の場合には控除額が納税額を上回ってしまいます。
つまり「税務署に行って、お金がもらえる」わけです! 
ともかく多く子供を持てばそれだけ急カーブを描いて優遇される構造になっているとのことです。

一方でフランスではここ20年以上、児童家族関係に対する各種給付もまたほぼ一貫した伸びを示し、いまではGDP比3%以上に達しています。
日本はというと、先に見たようにわずかに0.75%、フランスの4分の1にすぎません。

ところでフランスにおける出生率の劇的な改善は、これらの子育て・家族政策がとられてからかなり時間が経って、2000年以降になってようやく顕著になってきた現象です。
これは、対策をとった時点から数字にあらわれるようになるまでに時間がかかる「遅行性」という性質があるから、とのことです。

このことは、出生率の回復のような社会全体で時間をかけて行うべき事業には、目先の数値に右往左往してブレてしまわないだけの中長期的な視座を、なにより政治が持つ必要があることを示していると思われました。


このように、例示されたスウェーデンとフランスの子育て・家族政策の実例からは、それぞれが別個に特異な政策をとっているように一見して見えます。

しかしむしろ、いずれもが社会の持続可能性のために、子育て世代が子どもを生み育てる際の「機会コスト」を限りなく零に近づけようと目指していることに変わりはない、という点こそが重要であるとのことです。

つまり同じヨーロッパでも、先述の価値観を含めた「レジーム」の違いが国によってかなりはっきりしているわけですが、しかしタイプこそ違え、目指すところは同じ「福祉国家の実現」ということに、ヨーロッパ先進諸国の常識の水準はすでになっているわけです。

面白いことに、藤井先生がフランスの当局の人に「だれがこのようなすぐれた制度を考え出したのですか?」と問うたところ、誰もはっきりと答えられなかったそうです。
そのことについて「結局、公共部門にどこまで認めるかにかかっているようです」と分析されていたのが印象的でした。
ここでも日本におけるのとは相当異なる公共部門に対するとらえ方があるようです。


それではこの日本で、出産・子育てにかかる「機会費用」とは、はたしてどのくらいなのでしょうか?
このことは、資料として配布された内閣府発行の『経済財政白書』がはっきりと示しており、以下はそこからの数字です。
藤井先生によれば「『(経済労働)白書』の価値はこれだけで十分!」とおっしゃるほどに重要な分析であるとのことでした。

日本では子育てをしつつ女性がそれまでの就労を継続することがひじょうに困難であることはまちがいありません。

そして白書によれば、日本における女性(大卒女子のケース)の「出産・子育てによる就業中断にともなう就業所得逸失額」は、

8500万円(再就職できた場合)
~2億4000万円(パート就労となった場合)

にも上るのだそうです。

藤井先生は「このこと一つをとっても、これでは日本では若い人が子供を産むことはできない!」と声を大にしておっしゃっていました。

だからこそ、安心して子供を生み育てられるようにするためには、やはりまず若い世代が増税に賛成せねば状況は変わらないことに、私たちは気づく必要があるそうです。

そして既得権層である年配者層は、自分たちの老い先ばかりでなく、自分たちが膨大な負担を押し付けている子供たち・孫たちの将来世代のこともしっかり考えて、やはり増税で相応の負担を引き受けるべきいわば「世代的義務」がある、とのことでした。

つまり税金とは、たんに「受益と負担」の話にとどまらない、世代間の所得再分配=世代的な助け合いという、社会の持続可能性のために不可欠な機能を持っている、と。

増税は今必要とされている持続可能な社会の実現のために本質的に必要なものである――この藤井先生の結論によって、私たちの中にもあった増税ということに対する誤解・アレルギーが論破され、また大きな視野が開かれたように感じました。