持続可能な国づくりを考える会

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質問への回答17:小澤徳太郎

2007年03月20日 | パネリスト

質問17:日本社会では企業はあからさまな競争を強いられていますが、スウェーデン社会はどうなのでしょうか。共栄共存という観点からお話が聞いてみたいです。

  2006年2月に朝日新聞社から刊行した私の本「スウェーデンに学ぶ持続可能な社会」(朝日選書792)に「スウェーデン企業の環境意識」として紹介した事例を掲げます。
 スウェーデンでは、企業も環境対策に積極的です。政府、自治体、企業、市民に、環境に対するコンセンサスが定着しているからです。そのうえ、「緑の福祉国家を実現すること」が、政治の目標となっているので、他国の企業よりも環境分野の活動に自信を持っており、環境分野の投資に積極的なのです。
 また、スウェーデン企業は「緑の福祉国家」を早くつくれば、グローバルな市場にその新しい概念や技術を輸出することができ、世界の市場競争で優位な立場に立てるとも考えています。

①ボルボ
 ボルボ社は、1989年につぎのような趣旨の「環境政策声明」を発表しています。

  ……現代人は,環境に与える影響を考えることなく、人間の生活をより快適にするために次から次へと製品を開発してきました。しかし、いまや環境問題についての一般の知識はこれまでになく高まっています。私たちはみんなが立ち止まって事態を検討し、必要な解決策を考えなければなりません。なにも行動しなかったり、間違った方向に行動したとすれば、私たちの未来も、そして次の世代の未来も危険にさらされかねません。(中略)しかも,その行動は、私たちが将来の世代のためにもっと好ましい環境をつくり出すことに貢献すべく、考え得るあらゆる段階でとるものなのです。

  そして1990年5月17日付の日本経済新聞に、「私たちの製品は、公害と、騒音と、廃棄物を生みだしています」というキャッチ・コピーで「全面広告」を打ったのです。
 この広告は第一回日経環境広告賞を受賞し、日本の環境広告に大きな一石を投じました。 この広告には、「現状で最もすぐれた、三元触媒を使った自動車用排気ガス浄化システムを世界で初めて市販車に採用したのはボルボでした」と書かれています。ここでいう「自動車用排気ガス浄化システム」とは、現在の日本のガソリン乗用車に標準装備されている排気ガス浄化システムのことです。

  1995年9月、ボルボ本社を訪問した関東弁護士連合会の調査団の感想は以下のようでした。

  ……環境担当役員は次のように述べた。「我々の車はスウェーデンの都市を破滅に陥らせつつある。これ以上、車を増やしてはいけない。ボルボはこれから公共交通に力を入れる」と。(中略)日本より桁違いに自動車の密度の少ないスウェーデンで、しかも、自動車メーカーの役員が、自ら製造する車に関して上記のように述べるのは、新鮮な驚きであり、環境問題への認識への質的な相違を感じずにはいられない。
(関東弁護士会連合会 公害対策・環境保全委員会編『弁護士がみた北欧の環境戦略と日本――「予防原則の国」から学ぶもの』自治体研究社、2001年)

②ABB 
 98年2月にスウェーデンのストックホルムで開催された日本とスウェーデンの環境問題ワークショップでの経験を、私は印象深く記憶している。ABBという世界的なエネルギー企業の副社長が講演をし、同社の世界中の顧客全体が1年間に放出している二酸化炭素は、全世界で放出される二酸化炭素の3.4パーセント(小澤注 ドイツは3.5パーセント、日本は4.9パーセント〈94年〉)を占めており、企業としてこの非常に大きな排出量を厳しく認識し、それをいかに削減するかについて同社では全力をあげているという話をしたのである。
(山本良一『戦略環境経営 エコデザイン――ベストプラクティス 100』ダイヤモンド社、一九九九年)

③エリクソン
 もう一つストックホルムで感心したのは、見学したエリクソンの工場では、有害化学物質をどのように使用し、どのように排出されて環境負荷を与えているかなどのデータを全部、市民に公開していることである。市民はいつでも工場を訪問して、環境情報を知ることができるのだ。日本に比べて、情報開示が非常に進んでいると言わざるを得ない。日本企業は、情報開示について相当に頑張らなければならないだろう。
 ABBのみならず、国際企業や大企業などに求められているのは、自分の企業がいかに地球環境に影響を与えているかという自覚を持つことである。しかも、抽象的な表現ではなく、定量的なデータに基づく認識が必要である。(前掲書)

④CO2 税の増税を求める業界
 7年くらい前、スウェーデン最大手の石油精製会社のCEOが、20人ぐらいの他の会社のCEOとともに首相を訪問し、政府にガソリンや燃料に対する二酸化炭素税の増税を陳情した。ビジネス界の要望としては、きわめて珍しいことだった。
 首相がその理由を尋ねると、イケア、アレックス、トラック会社、スーパーマーケットのチェーンなどさまざまな業種の代表からなるそのグループは、「我々のビジネスは将来にかかっている、廃棄物に関しては、細心の努力を払っていかなくてはならない。炭素に対する課税は我々が企業として、アメリカのようにエネルギーを大量に消費するような馬鹿な会社に比べて、競争面で優位に立つことができる」と答えた。
 後日、炭素の含有量が最も少ないクリーンな燃料を開発したのが、やはりこのグループのメンバーだったスウェーデンの会社であった。
(ポール・ホーケン 環境経済・政策学会編『環境保全と企業経営』東洋経済新報社、2002)

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現在、会の正式発足に向けて会則を作成中です。4月中の完成を目指しております。会則が完成したら、会員を募る予定です。(事務局齊藤) 


質問への回答16:小澤徳太郎

2007年03月17日 | パネリスト

質問16:まったくスウェーデンはすごい!何から何まですぐにでもまねたくなりますが…。日本においてこのスウェーデンモデルを実現するのに我々はまず何をしたらいいのでしょうか。

 何はさておき、まず日本の私たちがしなければならないのは、「行政の縦割り構造」を壊すこと「環境問題に対する共通認識」を共有することだと思います。

  2002年5月26日付けの朝日新聞は、旧通産省を2000年に退官し、民主党の参議院議員に転じた松井孝治氏の言葉を次のように引用しています。

 省庁間の利害対立はあくまでも「合意」で解決しようとする。さもなくば先送り。若手の問題意識から生まれようとする政策が骨抜きにされる課程を嫌というほど見てきた。「霞ヶ関だけでも課長級の千人以上が拒否権を持っている。そうした政策運営から脱却しないと、国民の視点に立った発想は生まれない」と振り返る。

  そして、それぞれが仕切られた中で、合理性を求めた結果、全体ではマイナスに働く“合成の誤謬”に陥ったのが、この10年余りの政策の迷走ではなかったのかとコメントしています。

 次に、日本政府の「温暖化対策新大綱」を取り上げてみましょう。2004年6月1日付の朝日新聞は、「ガス削減議論足踏み」という大きな見出しを掲げて、「8審議会、調整がカギ」と報じています。8つの審議会の背景には、内閣府、国土交通省、環境省、経済産業省、農水省、総務省のそれぞれの思惑がからんでおり、「京都議定書」の否定論まで取り沙汰されているそうです。

 これらの状況は、フォアキャスト的手法の問題点が表面化したと同時に、かねてより多くの人が指摘しつづけ、私も指摘している「行政の縦割構造」の問題です。8つの審議会の調整がむずかしいのは、行政の縦割構造の問題だけでなく、8つの審議会やそれらの審議会を構成している委員の間に、温暖化問題に対する「基本的な共通認識」が不十分なために足踏み状態が続いているのだと思います。

  私ももちろんそうですが、「スウェーデンに学ぼう」と提案している論者が主張したいのは、すぐれた先見性と資質をそなえた国が具体化した「概念」「ルール」「制度」「技術」などの合理性を、さまざまな角度から徹底的かつ真剣に検証することによって、将来の日本の社会の方向性を見極めよう、ということです。そして、「合理性がある、好ましい」と判断した事例に対しては、日本の現状からその方向に向かうにはどうすればよいかを考えることです。

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質問への回答15:小澤徳太郎

2007年03月08日 | パネリスト

質問15:日本が政治主導で情報を公開した意思決定システムを構築し、バックキャスティング可能な社会へ変化していくためには、何が必要でしょうか。また個人と  してできることは?

 21世紀に望ましい社会をつくるためになぜ「バックキャストいう手法」が有効かというと、20世紀後半になって自然科学が「地球の限界」と「そこに生存する人間を含めた生物が生きる条件とそれを支える資源の有限性」を明らかにしたからです。これまでフォアキャスティングな発想で経済拡大を進めてきた国がバックキャスティング可能な社会へ変化して行くには、その限界と有限性を理解しなければなりません。
 国連やそのほかの国際機関、日本政府などの公的機関が公表しているさまざまな統計資料をベースに総合的に考えると、2050年までに、次のような制約条件が浮かび上がってきます。

 ●人間の生存の主な制約条件 
①人間が動物の次元を超えられないこと。
②われわれ一般市民が宇宙空間で日常生活できる可能性はほとんどないこと。
③土壌の劣化に伴う食料の生産・供給問題が起こりそうなこと。
④地球温暖化、オゾン層の破壊、環境の酸性化、その他さけられそうもない環境面からの制約がありそうなこと。

●経済活動の中心であるモノの生産の主な制約条件
①工業用原料としての鉱物資源からの制約がありそうなこと。
②確認可採埋蔵量やピークオイル説が示唆するように、エネルギー資源からの制約がありそうなこと。
③水資源からの制約が懸念されること。
④廃棄物からの制約がありそうなこと。  

 私たちが現在の知識を基礎に将来を語るとき、21世紀の折り返し点である2050年を一つの区切りとして考えることができます。大量生産・大量消費・大量廃棄に象徴される現在の市場経済システムのもとで、「さらなる経済の持続的拡大」は2050年まで可能でしょうか。
 この可能性を議論することは、世界第2位の経済大国であり、資源の超輸入大国である日本にとって21世紀の最重要論点であると私は考えます。しかし、「いま、日本人に突きつけられている問題は何か」を論じる書物でも、このような問題はあまりとりあげられません。たとえば、文藝春秋が毎年発行している『日本の論点』は、800ページを超えるボリュームで、多くの識者がさまざまな論点についての所信を展開していますが、「経済成長はいつまで持続できるのか」という「論点」には、お目にかかったことがないのは不思議です。

  これまでの市場経済システムを維持・拡大する方向をめざすのであれば、それを支えてきた現在のエネルギー体系を、経済成長に合わせて維持・拡大していくことは、それなりに合理的な考えであると思います。
 しかし、資源の制約、エネルギーの制約、環境の制約などから、現在の市場経済システムの持続的拡大はおそらく不可能でしょうから、「エネルギー体系の転換」「産業構造の転換」「社会制度の転換」などさまざまな転換が必須だと思うのですが、みなさんはどうお考えでしょうか。不可能であるなら、早めに方向転換することが、将来を明るくすることになるでしょう。

  それでは、環境問題に対して個人に何ができるでしょうか。私は、個人にできることはたくさんあると思いますが、「対処すべき環境問題の規模の大きさ」と「残された時間の短さ」を考えると、この種の発想は問題の解決をいっそうむずかしくすると思います。
 「現行経済の持続的拡大」という国民の暗黙の了解で進められている日本の産業経済システムのもとで、個人のレベルでできることは、「一歩前進」あるいは「しないよりもまし」と表現されるように、いくらかは「現状の改善」には貢献するかもしれませんが、「21世紀の日本の方向転換」には貢献できないでしょう。いま、私たちに求められているのは方向転換のための政治的な第一歩であり、一歩前進だからです。
 1992年6月の「国連環境開発会議(=地球サミット)」や97年の「地球温暖化防止京都会議」、2002年の「持続可能な開発に関する世界首脳会議(=環境・開発サミット)」で、世界各国の首脳や代表が集まって議論したのは、もはや環境問題の解決が国民一人一人の心がけではどうにもならないところまで来ているからではないのでしょうか。

  シンポジウムの質疑応答の時に、私は個人にできること、個人がすべきことは日本もスウェーデンもほとんどかわらない、ほとんど同じだと申し上げました。
 民主的な法治国家で「ビジョン」を実現する基本的な方法は、先の図(スウェーデンの行動計画)で示したように、包括的で柔軟性のある法体系による「政策と予算の優先的な配分」です。行動計画のイニシアチブは、地方自治体にあります。このような整った行動計画の枠組みのもとで、利害を異にする国民が、共通の目標である「緑の福祉国家の実現」に、それぞれの置かれた立場で、「できるところ」から一歩一歩努力を積み重ねていけば、道はおのずから開けるはずです。
 スウェーデンの事例が示すように、たとえ個人の小さな努力も国や自治体や企業の行動と同じ方向性をもっていれば、大きな力となります。ひとり一人の力は小さくとも「調和のとれた行動は大きな力」となります。

  そこには、見落としてはいけない大前提があります。それは、政治目標(ビジョン)と市民の考えの方向性(ベクトル)が一致しているかどうかです。この大前提を忘れた現象面だけの議論は、「そのとおり」と言いたいのですが、それは一般論であって、日本の現状を考えると誤った方向に導く可能性があります。私は日本の状況を懸念しています。          

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質問への回答14:小澤徳太郎

2007年03月06日 | パネリスト

質問14:「緑の福祉国家」ビジョンの作成は科学者の合意に基づいているとのことですが、どのような科学者(団体)なのかなど、もう少し詳しくお教え下さい。

 「緑の福祉国家」というビジョンは、「環境に十分配慮した福祉国家(生態学的に持続可能な社会)を実現する」ということです。特別の科学者団体がスウェーデンにいるわけではありません。
 環境問題がどれほど切羽詰まった事態にあるのか、その現状と今後50年の展望は、これまでに公表された国際機関からの報告書からあきらかです。権威ある国際機関が90年代以降に発表した主な報告書には、つぎのようなものがあります。

①「世界環境報告 1972~92」国連環境計画(UNEP)、 1992年
②「地球環境概況 2000」UNEP、1999年
③「IPCCの第三次評価報告」気候変動に関する政府間パネル(IPCC)、2001年
④「2020年までの環境見通し」経済協力開発機構(OECD)、2001年
⑤「地球環境白書」UNEP、2002年
⑥「生きている惑星の報告」世界自然保護基金(WWF)、2002年

 なかでも、国連環境計画(UNEP)の「地球環境概況 2000」は、21世紀に人類が直面するであろう環境問題についての最も権威ある評価報告書といわれています。この報告書のポイントを挙げておきましょう。

①地上の淡水資源は、今後数十年間の需要増には対応できそうにない。
②温室効果ガス排出増による地球温暖化の防止はおそらく手遅れ。「京都議定書」 (1994年3月に発効した、地球温暖化防止のための「気候変動枠組み条約」を具体的な実施に移すために作成され、1997年12月に京都で開かれた第三回締約国会議=COP3で採択された議定書)の目標も達成が難しい。
③熱帯林の破壊は既に取り返しがつかない状態。失われた森林の回復には多くの時間が必要で、森林とともに失われた文化は永久に回復できない。
④ほ乳類の四分の一が絶滅の危機にあるなど、かつて地球上に存在した生物多様性を保つことは既に手遅れの状態。
⑤2050年には、20億人が極度の水不足に悩むことになり、世界の二酸化炭素の排出は2.4倍になる。有害物質の排出は地球全体では現在の3倍、途上国では5倍近くになると予測される。
⑥天然漁業資源は乱獲の影響で、現在年間8800万トンで頭打ちだが、2050年の需要は1億7000万トンに達すると予測される。
⑦目先の経済的な利益のためにしばしば無視されてきた環境問題を、財政、貿易、農業、投資、研究開発などに関する意思決定の中心に置くことが重要。(東京新聞1999年9月20日付)

  また、2002年7月に公表された世界自然保護基金(WWF)の「生きている惑星の報告」では、「いまの勢いで天然資源の消費が続けば、2030年までに人類の発展は下降に転ずる。資源節約やエネルギー転換など緊急の対策をとらなければ、発展を続けてきた人類の福祉や経済は2030年までに下降に転ずる」と予測し、警告を発しています。

  過去15年間に世界の自然科学者の間で地球規模の環境問題(とりわけ気候変動、日本では「地球温暖化」という)の危機的な状況についての合意がなされており、すでに自然科学者の現状把握の段階を経て、政治的行動の段階に至っています。 これらの情報は公開されたものですから、日本政府をはじめ日本の関心のある人々には入手可能なものばかりです。

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質問への回答13:小澤徳太郎

2007年03月04日 | パネリスト

質問13:西洋文化が中心の世界が根底から変わっていかなければ、環境は改善されないと思います。先生は今の現象をふまえて、未来に対して希望はありますか。ご意見をお聞かせ下さい。

 皮肉なことに、現在、世界を眺めると西洋文化の中心であったヨーロッパ諸国(EU)が最も環境の改善に熱心で、日本をはじめ東洋に位置する国々や米国はEUの後塵をはいしているように見えます。

 未来に希望があるかどうかは、これからの数10年間のG7加盟国(米国、カナダ、英国、ドイツ、フランス、イタリア、日本)とBRICs諸国(ブラジル、ロシア、インド、中国)の経済活動にかかっています。日本に限れば、団塊の世代とその子供たちの経済活動に対する意識と行動にかかっています。

 環境問題に対する知識が増えるに従って、私たちが直面している環境問題が人間活動(資源とエネルギーの利用拡大)に起因することが明らかになってきました。その深い反省からなのか、あるいは振り子の揺り戻しなのかわかりませんが、“共生”という心地よい響きの言葉の浸透と共に、「人間中心主義もしくは人間優先主義を否定し、他の生物の生存や権利を大幅に認める」という趣旨の考えが出てきました。私はこの考えに基本的には賛同するものの、「人間中心主義」や「人間優先主義」を否定することには抵抗があります。人間第一主義でもよいではありませんか。

 人間を忘れた、あるいは人間を否定した環境問題の議論はあり得ないというのが私の主張だからです。現在の環境問題の原因は明らかに近代の科学技術文明に基礎をおく近代合理主義の広がりであると私も思いますが、重要なことは近代合理主義そのものが誤っていたというよりも、人間が合理主義の発達に合わせて十分な生態学的な知識を持ち合わせていなかったことが問題だと思います。現在は生態学的な知識が少しずつ増えてはおりますが、日本ではほとんど生かされていません。

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