持続可能な国づくりを考える会

経済・福祉・環境の相互促進関係を!

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警告はすでに1972年に

2019年10月22日 | 環境

 運営委員長岡野です。

 

 台風・豪雨はそれだけで起こっている問題ではなく、地球環境問題の一環です。

 そして、地球環境問題に関する警告はすでに1972年に国連人間環境会議「人間環境宣言」でも、次のようになされていました(改行岡野)。

 

 「(6)我々は歴史の転回点に到達した。いまや我々は世界中で、環境への影響に一層の思慮深い注意を払いながら、行動をしなければならない。

 無知、無関心であるならば、我々は、我々の生命と福祉が依存する地球上の環境に対し、重大かつ取り返しのつかない害を与えることになる。

 逆に十分な知識と賢明な行動をもってするならば、我々は、我々自身と子孫のため、人類の必要と希望にそった環境で、より良い生活を達成することができる。

 環境の質の向上と良い生活の創造のための展望は広く開けている。

 いま必要なものは、熱烈ではあるが冷静な精神と、強烈ではあるが秩序だった作業である。

 自然の世界で自由を確保するためには、自然と協調して、より良い環境を作るため知識を活用しなければならない。

 現在及び将来の世代のために人間環境を擁護し向上させることは、人類にとって至上の目標、すなわち平和と、世界的な経済社会発展の基本的かつ確立した目標と相並び、かつ調和を保って追求されるべき目標となった。」

 

 半世紀近く経って、とても残念なことに事態は改善されていないどころか、悪化の一途をたどっているように見えます。

 それは、宣言の言葉を借りて言えば、「十分な知識」を学び、「懸命な行動」をするため基礎・動機となる「熱烈ではあるが冷静な精神」が足りなかったためなのではないでしょうか。

 誰に? 広く言えば人類総体ですが、より狭く正確に言えば、誰よりも多くの国の、特に政財界のリーダーたちに、ということだと思われます。

 いろいろ調べてみると、知る気・精神さえあれば、さまざまな研究機関が公表している情報・知識は十分すぎるくらいあるようです。

 そして、知れば、なぜ、どんな、どのくらい深刻な問題が起こっているのかは、すぐにわかると思われます。

 問題は、十分に知ろうとする気がないところだ、と筆者には見えます。

 では、どうすればいいのか? そこを、みなさんと一緒に考えていきたいと思っています。

 そこを考えるという点が、環境関係の政府組織や研究機関や民間団体は無数にあるにもかかわらず、もう一つ別に私たちのグループが存在する意味だと考えています。 


台風に思うこと:あえて言えば想定内だった

2019年10月19日 | 環境

 運営委員長の岡野です。

 いろいろな事情で長らく休止していたブログ更新を、少しずつ再開することにしました。

 大きなきっかけは、9月9日関東地方に上陸し、千葉県を中心に甚大な被害をもたらした台風第15号、追いかけるように10月12日伊豆半島に上陸し、関東地方、福島県等を縦断し、広範囲で甚大は被害をもたらした(まだその影響が続いている)台風第19号のニュースです。

 亡くなられた方のご冥福をお祈りし、遺族のみなさん、被災者のみなさんに、心からお見舞い申し上げ、一日も早い、復旧ー復興をお祈りしています。

 しかし、こんな時に言うのが適切かどうかわかりませんし、えらそうに聞こえるかもしれないのですが、あえて言うと、私たちにとって、こうした台風や雨の強大化は「こんなことになるとは思ってもみなかった」「想定外」のことではありません。

 IPCC他の専門機関・専門家の警告に耳を傾ければ、それはいやでも(確かにいやなのですが)「想定せざるをえない」ことだと思ってきました。

 そして、非常に心配し、なんとかできないのかと考え、2006年に会の活動を開始する時点で、会のメンバーは、

 「多くの警告や専門機関、専門家、民間活動家も含めた多くの人々の努力にもかかわらず、この数十年、世界全体としての環境は悪化の一途をたどっています。

  例えば、地球温暖化―異常気象、オゾン層の破壊、森林の減少、耕地・土壌の減少、海洋資源の限界―減少、生物種の激減、生態系の崩壊、化学物質による大気・耕地・海洋の汚染、核廃棄物や産業廃棄物から生活ゴミまでの際限のない増加などなど、どれをとっても根本的に改善されているものはないのではないでしょうか。」(シンポジウム『日本も〈緑の福祉国家〉にしたい!―スウェーデンに学びつつ』趣意書より

という認識を共有していました。

 そして、根本的な解決への第一歩として、

 「私たち日本人が今スウェーデンから学ぶべきものは、なによりも国を挙げて「緑の福祉国家」を目指しうる国民の資質とその代表・指導者たちの英知と倫理性だと思います。


  きわめて残念ながら当面日本には、「緑の福祉国家」政策を強力に推進できるような国民の合意も政治勢力も見当たりませんし、すぐに形成することも難しいでしょうが、環境の危機の切迫性からすると早急に必要であることは確かだと思われます。


  本シンポジウムは、そうした状況の中でまずともかく、方向性に賛同していただける方、あるいは少なくとも肯定的な関心を持っていただける方にお集まりいただき、近未来の日本の方向指示のできる、ゆるやかではあるが確実な方向性を共有するオピニオン・グループを創出したい、という願いをもって開催致します。 」(同上)

という趣旨で、シンポジウムを開催し、以後、活動を続けました。

 けれども、きわめて残念なことに、これまで大きなオピニオン・グループの創出にはまったく到っていません。

 そういう意味で、活動の効果はなかったと言わざるをえません。

 そうした状況の中、メンバーたちもそれぞれの事情で積極的な活動をすることが難しくなってきたため、活動は無期限休止状態になっていました。

 しかし、今回の二度の台風の激甚災害のニュースを見ながら、もう一度、「効果のあるなしにかかわらず、言うことは言ってみよう。やれることはやってみよう」という気持ちになりました。

 そして、19号の関東直撃の後、まず自分のブログに以下のような記事を書きました。ここにも掲載させていただきます。   

            * 

 またしても記録的な台風でした。

 型どおりの言葉になってしまいますが、亡くなられた方々のご冥福をお祈りし、被災された方々に心からお見舞い申し上げます。

 今のところ、親族、友人、知人には被災した人はいないようで、たくさんの「無事でした」という知らせをいただいています。

 その一つに次のような返事をしました。

 「こんばんは。 

 無事でよかったですね。

 それにしても、あまりにも広域の激甚災害で心が痛みます。復興に時間がかかりそうです。

 そして、こういう被害が今後ますます増えるかと思うと、非常に心配です。 

 地球全体が後戻りできないところまで行く前に、意識と行動と社会システムの根本的変容が起こることを祈らずにはいられません。 

 特に日本人にとって、この二連続の大型台風が心に響く警告になれば、まだ亡くなった方も報われるのではないでしょうか。」

 地球環境はこの十年が正念場だと科学者は言っています

 耳を傾け、危機感をもって理解し、そして適切な行動をしたいものです。

            *

 今後、旧メンバーと相談しながら、まずは学習会から活動を再開したいと思っています。

 具体的になったら、お知らせしますので、危機認識と危機感を共有できる方はぜひご参加ください。

 

 


NHKスペシャル・新シリーズ「巨大災害1」を見ました

2014年08月30日 | 環境

 運営委員長の岡野です。

 今、「第1集 異常気象 "暴走"する大気と海の大循環』」を見終わったところです。

 知っていたことと知らなかったことを含めて、やはり事態は予想より早く深刻化しつつあるのだと実感しました。

 NHKに対する感想が3つ。

 よくここまで調べて報道してくれている、さすがNHK、という感想。

 なぜ、こういうシビアな番組にいつもお笑いタレント(今回はタモリ)を起用するのか、という否定的疑問。

 CO₂の削減は、もはやできるできないの議論をしている場合ではなく、人類が生き延びるためには、ねばならないという話なのだ、という強いメッセージがないのは、なぜか、という、これまた否定的な疑問。

 たぶん再放送があると思いますので、見なかった方はぜひ見て、危機感を共有することができれば、と思います。


異常気象の報道

2013年09月04日 | 環境

 岡野です。 

 記事を更新しなければ・したいと思いながら、個人的事情(神奈川県から香川県へ転居)のためなかなかできないでいました。

 ようやく引越し後の片づけも目途がついたので、少しずつ書いていこうと思っています。

 この夏の猛暑や記録的豪雨、そして竜巻など、どう考えても、温暖化の進行による異常気象だと感じていました。

 被害に遭われたみなさまに心からお見舞いを申し上げます。

 しかし、それにしては、メディアでは個々の出来事の報道がほとんどで、はっきりした「異常気象」や「温暖化の進行」の報道があまりないのではないか(私が見ていないだけ?)と思っていたところ、ようやくという感じで8月28日(水)、NHK・クローズアップ現代で「連鎖する”異常気象” 地球でいま何が」というテーマの報道がありました。http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail02_3392_1.html

 残念ながら、ここでも「だからどうすればいい」という話はまったくありませんでしたが、状況の分析と説明としてはよくまとまっていてわかりやすかったと思います。 

 ご覧にならなかったみなさん、ぜひ共有してください。  

 なかでも気象庁の異常気象分析検討会の代表で東京大学・大気海洋研究所教授の木本昌秀氏は、はっきりと「確かなことは、地球温暖化、気温が上がる、これは誰もが分かると思いますが、同時に、今年起こったような雨が強い、集中豪雨が起こる、あるいはゲリラ豪雨が増える、こういうことも予想されます」と言っていました。 

 当面の景気対策、中期の財政と福祉のバランス、そして長期の環境問題の解決は、決して別々の問題ではなく、したがって個別に取り組むだけではなく総合的・統合的に取り組む必要があり、総合的・統合的取り組みのための社会システムの顕著な成功例としてスウェーデン‐北欧モデルがあるにもかかわらず、依然として日本人とりわけリーダーたちの目が向かない(らしい)ことに、残念感が改めて強くなるこの夏でした。 

 香川県も、今夜にかけて大雨・洪水注意報が出ていて、庭は水浸しです。被害がなければいいのですが…… 

 みなさんもご無事であられますようお祈りしています。

 


人間の作り出したものが人間の生命を脅かすという矛盾

2011年06月20日 | 環境

 運営委員長の岡野です。以下、個人のブログの記事ですが、本会のテーマと全面的に重なっていますので、転載します。


 
 市川定夫氏のことは、放射能がムラサキツユクサに及ぼす影響を明らかにした実験のことで少しだけ知っていましたが、著書をちゃんと読んだことがありませんでした。

 今回の一連の学びの中で、5月29日のブログ記事に掲載させていただいた「自然放射能と人工放射能のちがい」についてのコメントが非常に示唆的だったので、もっと知りたいと思い、『新・環境学 現代の科学技術批判――生物の進化と適応の過程を忘れた科学技術 Ⅰ』藤原書店、2008年』を読んでみました。

 感想を一言で言うと、この巻だけでも、環境問題のもっとも基本的なポイントについてきわめて明快に気づかせていただいた、という思いです(Ⅱ、Ⅲも続けて読むつもりです)。

 そのもっとも基本的なポイントとは、以下のようなところでした(強調の赤字は筆者)。


「……この地球上には、ウイルスからヒトまで、実に多様な生物が生息しており、これら生物では、分子レベルから、生態系レベルまで、さまざまな生命現象が見られる。そうした生命現象の主役を担っているのは、たんぱく質と核酸であり、たんぱく質が生命現象の現場での担い手として、核酸のうち、DNA(RNAウイルスを除く)がそのたんぱく質を合成する設計図(遺伝情報)として、RNAがその設計図に基づくたんぱく質分子合成役として、それぞれ重要な働きをしている。」(26頁)

 「そして、こうしたさまざまなたんぱく質のすべてが、DNAの遺伝情報に従って合成されるのであるから、生命現象は、遺伝子の働きの綜合結果といえるのである。」(58頁)

 「このように、生物は、実にさまざまな自己防御機能をもっている。これらはすべて、進化の途上で環境との長い接触を通じて築き上げてきたものである。したがって、自然界に存在した、生物が遭遇することができた要因に対してのみ、このような多様な防御機能が築き上げられたのであり、そうした防御機能を獲得した生物種のみが適応種として繁栄してきたのである。最も重要なのは、自然界にはまったく存在しなかった人工的なものに対しては、生物の長い進化と適応の過程で、どの生物もかつて遭遇する機会がまたくなかったのであるから、そうした防御機能をまったくもっていないということである。」(71~71頁)

 「経済性または経済効率を最優先してきた現代社会は、科学技術の適用もその範疇で取捨選択してきたし、多くの場合、個々の時点での経済性や経済効率を最優先してきた。どちらがより経済的かという科学技術の適用こそが、現在の環境問題をもたらしたのである。同じことは、消費者としての一般市民にもあてはまる。何があるいはどちらがより安価に入手でき、より利便性に優れ、より快適なのかが、すべての尺度であった。
 しかし、そうした経済優先主義や利便追求思考は、最も重要な視点を忘れ去っていた。それは、近代科学技術の適用が、恵まれた地球の自然環境の中での、ヒトを含むあらゆる生物の進化と適応の過程をすっかり忘れたものであったという視点である。……
 本巻の第二章で簡潔に述べ、第二巻、第三巻で詳述するさまざまな問題点は、いずれも人工的なもの、つまり生物が長い進化と適応の過程でかつて遭遇したことのないものに対して、遭遇したことがないゆえに適応を知らず、それゆえまったく適応できなかったり、進化の過程で獲得してきた自然環境に存在したものに対する優れた適応がかえって悲しい宿命となったり、誤った反応をしてしまったりして、生態系が破壊され続けてきたことを明示している。
 自然環境中に存在しなかった人工化合物が生体内で分解も排出もされずに蓄積したり、人工化合物を生体内で有害なものに変えてしまったり、これまで安全であった元素につくり出された人工放射性核種が生体内で著しく濃縮されたり、さまざまな人工条件が生態系を破壊する例は、いずれも、私たちの科学技術というものが、生物の進化と適応の過程を忘れたものであったことを訴えている。
 最新のバイオテクノロジーもまた、生物の進化と適応の過程を忘れたまま、人為的な手を加えた生物を次々と産み出しつつある。
 このように、人工化合物、人工放射性核種、人工的条件、人工生物など、さまざまな人工的なものが、細胞内で遺伝子DNAを破壊し、個体に性の撹乱と免疫毒性をもたらし、生態系を破壊し、さらに地球規模でも環境を破壊しているのである。私たちは、生物がその進化と適応の過程でかつて遭遇したことがまったくなかったこうした人工的なものがもつ意味を、緊急かつ真摯に問い直す必要がある。」(98~100頁)


 そうした、人間が作り出したものが人間の生命を脅かすという根本的な矛盾を乗り越えることによってのみ、国も世界も持続可能になる、そこを乗り越えられなければ持続可能な国も世界もありえない、ということだと、改めて根本的な問題点についてはっきりと了解したという気がしています。




新・環境学 1―現代の科学技術批判
市川 定夫
藤原書店



浜岡原発、当面、最悪の事態だけは回避?

2011年05月06日 | 環境
 運営委員長の岡野です。


 昨日の海江田大臣の浜岡原発視察の後、ほとんど期待していなかったのですが、うれしい予想外のニュースで、先ほど、菅総理が会見を行ない、浜岡の原発すべてを停止するよう要請するとのことです。

 言うまでもなく、停止しても完全に安心ではありませんが、それでも稼働中よりはましです。

 とりあえず、最悪の事態は避けられる可能性が出てきました。よかったですね。ずっと脱原発運動をしてきた親しい方からも、ひとまずよかったですねと連絡がありました。

 これは、最近の菅総理の言動の中でもっとも評価できるものだと思います。私も、少しだけ見直しました。俗に言うと、これで菅さん、やっと株が上がりそうですね。

 しかし、完全な安全対策が取られるまでの停止ということですから、まだ先があります。廃炉にまで漕ぎつけなければ、本格的に安心ではないと思われます。

 今日も、いろいろネット検索―学習をしていたところでした。すでにご存知の方も多いと思いますが、念のため、ご紹介します。


「浜岡原発が危険です」

「迫り来る大地震活動期は未曾有の国難である」衆議院予算委員会公聴会で石橋教授が原発震災を強く警告(全文)2005年2月23日

「ここがヘンだよ中部電力!~石橋教授の大反論」

「東北地方太平洋沖地震を踏まえた浜岡原子力発電所の対応」(中部電力HPより)


 さらに、できる発言、行動を続けたいと思っています。


風力発電という希望

2011年04月26日 | 環境

 運営委員長の岡野です。


 原発の恐ろしさを先に書いたので、遅れましたが、すでにご存知の方も多いとおり、21日の環境省の発表はとても希望のもてるものでした。

 「環境省は21日、国内で自然エネルギーを導入した場合にどの程度の発電量が見込めるか、試算した結果を発表した。風力発電を普及できる余地が最も大きく、低い稼働率を考慮しても、最大で原発40基分の発電量が見込める結果となった。」とのことです。(詳しくはこちら

 現状の原発54基-40基=14基

 つまり、地震-津波の危険、老朽度などを考えて緊急度の高いものから廃炉にし、風力発電に取り替えていき、その間に14基分、他の自然エネルギーを開発すればいい、ということになります。

 昨日、石原都知事が保坂展人氏が脱原発を提唱して世田谷区長に当選したことについて、「原発なしでどうやって日本のエネルギーをまかなうんだ」といった発言をしていましたが、環境省の発表を知らないのでしょうか、それとも知っても、自分の考えに合わないので無視するのでしょうか。

 リーダーの判断能力が問われる時代になっていると思います。


自由に自然を満喫できる権利

2009年09月07日 | 環境
※9月13日の大井玄氏の講座は延期となりました。
 代理として、岡野守也氏をお招きしお話を伺います。詳しくは、―こちら―をご覧ください。


日本人は近代以前まで、自然とともに生き、自分たちよりも大きな存在と感じ、自然に対して愛と崇敬の念をもって接してきました。

そうして育まれた心は、私たちのアイデンティティに深く根ざしていると思うのですが、残念ながら今日では、それを思い起こす機会があまりにも少ないと感じています。

日頃から、川に入ったり、木に登ったり、草原に寝転んだりしていますか?

自然とともに在ると感じることはありますか?




そんなことを思いながら、少しスウェーデンの記事を続けたいと思います。

スウェーデンには古くから、「アレマンスレッテン:Allemansrätten」と呼ばれる世界でも珍しい慣習法があります。
日本語では、「自然享受権、万民権、万有権」と訳されています。

この法律の特徴は、「誰でも自由に自然に接触できる」こと。

人々は、たとえ私有地であっても、住宅地のすぐ近くでなければ自由に散策できるそうです。

許可なく立ち入って、野のベリーやキノコ、花などを摘むことができ、1~2晩だけならばテントを張ることも許されています。



この権利の基本原則は「責任のもとでの自由」。
ゴミを捨てたり、木の枝を折ったり、軽率な火の使い方をしたりして自然を傷つけないこと――という、当然の義務に基づいています。

ただし希少な植物の採集は禁じられていて、土地の所有者、鳥や動物の邪魔にならないように注意することが必要です。



このアレマンスレッテンは国民個々人の重要な権利ですが、商業的な目的や観光客は例外です。

スウェーデン人はずっと自然に親しんでくるなかで、天然資源には限りがあることに早くから気づいていました。
(もちろんこれは、地理的な条件も伴っています。)
そして今では、環境先進国と言われる活動で世界をリードしています。


当会の顧問である環境問題スペシャリストの小澤徳太郎氏は、「地球資源は有限である」ということを、ずっと啓蒙し続けてこられました。

しかし私たちは、世界的に見ても豊かな日常生活に慣れ、なかなか意識することがないのではないでしょうか。

自然という資源も資本主義的な搾取の対象になっています。

日本人とスウェーデン人。
ともに自然を愛し、生きてきた歴史のある国民だと思いますが…。

そこから生まれた意識の違いは、今まさに大きな行動の差に出ているのだと思いました。


参考:「スウェーデン&スウェーデン人」-スウェーデン文化交流協会

持続可能なライフスタイル? ~木の花ファミリー~

2009年02月07日 | 環境
静岡県の富士山麓に、「木の花(このはな)ファミリー」という名前のコミュニティがあります。構成員は子どもからお年寄りまで50人強、ファミリーという名の示す通り、血縁を超えたひとつの家族として暮らす理念共同体です。

今回、立教大学の学習会でお世話になりました佐野淳也准教授のご紹介を受け、「持続可能」な暮らし方を実践している木の花ファミリーに見学に行ってきました。

そこは、葛飾北斎の富嶽絵図を思い起こさせるような、美しい富士と空を望む場所でした。まるで、いつも富士山に見守られているかのようです。



ファミリーの方はそれぞれが適性に沿った役割を持ち、農業や養鶏・家事などのお仕事をされています。話し合いで民主的に、その時の状況に応じた必要な役割や作業、方向性を決定していく形式がとられています。
お話によると、税法上は皆が個人事業主として登録しており、収益は平等に分配する仕組みだそうです。

私たちを案内しお話を聞かせてくださったのは、「こうちゃん」という男性の方でした。(ここでは皆がニックネームで呼び合い、肩書や条件抜きの「1人の人間」として尊重し合っているように見られました。)
こうちゃんは、お会いした時は物静かに見えましたが、案内をしてくださっている間はずーっと喋りっぱなしのパワフルな方でした。
きっと伝えたいことが数限りなくあるのだろうということが、ひしひしと伝わってきました。



こうちゃんの飾らないお人柄と笑顔にとても親しみを感じ、私たちが抱いていた疑問を率直に尋ねることもできました。

ここを訪れる前に、私たちは漠然としたイメージを持っていました。

 ・環境に配慮するあまり、前時代的な生活スタイルなのではないか?
 ・社会動向から離れたところにいるのではないか?
 ・自分たちの幸福だけを追求している閉鎖的なコミュニティなのではないか?

それは「エコヴィレッジ」と呼ばれていることや、理念共同体ゆえに思想が純化された人たちだけが集まるという固定観念のせいだったかもしれません。
しかし、ファミリーの中身は、私たちの勝手な思い込みとは違う形のものでした。

そこは、一つの社会としてシステムが構築されています。

EDE(エコヴィレッジ・デザイン・エデュケーション)と称した、皆さんが実践して得てきたことを広く社会に提供する学びの場があるようです。
「まことの家」・「ひまわりハウス」などの療養施設・デイサービスの建物では、子どもたちも混じってケアと世代間の交流がなされています。
また、何らかの事情で心のケアが必要な方を短期で受け入れることもあるそうです。



他人のためになることを考え、自分もいきいきと生きていける方法、それを実践していった結果として今の形態になったようです。それがいつのまにか「エコヴィレッジ」と呼ばれるようになったということで、ファミリーの方は特にエコヴィレッジを目指して始めたわけではないということが分かりました。
確かに、そのような枠はとっくに超えているように感じました。

ここでもっとも大切にされていることは、「つながりと調和」ということだと思います。人と人とのつながり、生き物とのつながり、また、あらゆる存在・現象・時間・空間的なつながり…。すべてはつながりの中にあり、つながっているから「在る」、その存在がすべて大切なものであり、敬愛し合うことで調和が生まれている…そのことを日常的に、実感として得ていらっしゃるように見受けられました。





「人はいることが存在意義である。ただいるだけということではなくて、たとえ病気で動けなくても、その存在が他人に影響し、人はそこから学び取ることが必ずあるから。」という言葉からもそれが感じられます。

これは、私たちの会の発起人である岡野守也氏の提唱している「コスモロジー理論」と、とても似たところがあります。
(詳しくはこちらをご参照ください → http://blog.goo.ne.jp/smgrh1992/)

こうちゃんのお話(他の方とゆっくりお話をする時間がなかったのでわかりませんが)によると、
「世界は常に変わっていっている。温暖化によって地球がその姿を変え、結果として人間の生活が成り立たなくなっても、それもまた世界のあるひとつの姿であるにすぎない。原始の古代、地球上は二酸化炭素だらけで、それが酸素に変わって生命が誕生した。再び酸素がなくなって二酸化炭素だらけになっても、まったくおかしなことではない。」
という観点に立っていらっしゃるようです。

この点が、「人類と生物の持続可能な社会」づくりを模索している私たちの会の指針と、大きく違うところだと思いました。

木の花は、「来るものは拒まず、去るものは追わず」を信条としているようです。そのようにして純化されていく組織は珍しくありません。しかしながら共同体としては可能なことですが、それが国という単位だと、たとえ理念に合わなくても去っていけるわけではありません。国家レベルではどうしていったら良いのか、とても考えさせられる機会になりました。

それにしても、とても穏やかで居心地の良いところでした。それはまさに「理想郷」といった感じで、憧れの念を抱かされます。次に訪れる時は宿泊して体験してみたいと思いました。

こうちゃんさん、同行の皆様、有り難うございます。





北極海の氷:等身大の実感と地球大のデータ

2008年09月19日 | 環境

 運営委員の岡野です。

 以下は、前回同様、自分のブログにも書いた記事ですが、ぜひ、こちらの読者にも読んでいただきたいく、転載させていただきます。


 去年に比べると今年は残暑がきつくないようです。

 そうすると等身大の実感レベルでは、「温暖化はそれほど進んでないのかな?」という気がしてきかねません。

 しかし、グローバルつまり地球大のスケールではどうなのか、意識的にデータを追う努力が必要です。

 私は、7月22日に「この夏、北極の氷が消滅する?」という記事を書きました。

 9月中旬がもっとも氷が少なくなる時季だとのことで、気になっていたので、ネット検索してみたところ、不幸中の幸い、完全消滅は免れていました。

 しかし、9月16日付けのweathernewsのプレス・リリースでは、

「観測史上初!北極海(北東・北西)の海氷が消滅」という見出しで、

「株式会社ウェザーニューズ……のグローバルアイスセンターでは、9月10日、北極海北東部のロシア側航路(北東航路)に沿って海氷が消滅していることを確認しました。先月18日、北極海北西部のカナダ側航路(北西航路)に沿って海氷が消滅し北極海の海氷が観測史上最も早く減少していることを当アイスセンターで確認しましたが、両側(北東・北西)の海氷が消滅したのは1978年に始まった衛星による観測史上初。地球温暖化による影響であると考えられます。」

 「北西航路のあるカナダ側、北極海西側では、8月下旬(8月27日)に2007年の最小面積を抜いて観測史上最小面積となりました。北極海全体では2007年に次いで氷が少ない状態が継続しています。海氷の融解が2007年に迫る勢いで進んでいたため、観測史上最小面積となる可能性もありましたが、その後は横ばいの状態が続いています。」

 「海氷面積が最小になる例年9月中旬頃を過ぎると、北極海周辺では気温・水温が次第に低下し、海氷の面積は増加に転じます。当アイスセンターでは、北極海の海氷が今後どう変化していくか、引き続き監視していきます。」

とのことでした。

 心配されたような最悪の事態ではなかったけれども、事態が悪化していることはまちがいないと思われます。

 日本では洞爺湖サミットで「リーダーシップを取る」と言っていたリーダーがあっさりと政権を投げ出してしまった政治的空白状況、ニューヨークの株価の下落は続いています。

 食という人間の生存のもっとも基礎部分でも、日本人の倫理的崩壊は進んでいます。大臣、次官の辞職で済むような問題ではないと思います。

 その他、問題は山積です。

 しかし、私たちの向かうべき方向ははっきりしていますから、あわてず騒がず、前進していきます。

 気づいた日本国民のみなさんのご参加を、心からお待ちしています。