持続可能な国づくりを考える会

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蓄積性の問題

2006年09月17日 | 環境
シンポジウム参加者募集を開始しました。こちらです!

趣意書はこちらです!


 みなさん、おはようございます。
 今日は、どのような日曜日になりますでしょうか。
 ゆっくり、一週間の疲れをとってください。

 さて、いきなりですが、本シンポジウムの趣意書を引用します。

 「専門家が警告を発し、それを聞いて理解した人々が「できることをする」ことによって、こうした環境の悪化はやや減速されたかもしれませんが、止まってはいない、それどころかじわじわと深刻化していると思われます。環境問題は私たちが豊かになるという目的のために行ってきた経済活動の結果、必然的に「目的外の結果」が蓄積し続けているものだからです。このことは、改めて確認しておく必要があるでしょう。」


 最後の『必然的に「目的外の結果」が蓄積し続けているものだからです。』は、最初の趣意書案では、『必然的に「目的外の結果」として起こるものだからです。』というような文面でした。

 しかし、三人の呼びかけ人の先生で論議した結果、この文面に『蓄積』という言葉を盛り込むことになりました。これは、あまり目立つ変更ではないのですが、実に環境問題の本質を表すものであると思います。そして、このことを理解すると、予防的アプローチの意味も理解しやすいかと思います。

 例えば、ある物質(PCBやDDT)の脳への悪影響の危険性の可能性が指摘された時に、その症状が顕著になってから対処する治療的アプローチをとったり、明確な証拠やメカニズムの解明を求めると結局のところ、その物質は放置されることになり、我々の環境にもしくは食物連鎖の頂点にいる我々人間に『蓄積』されることになってしまいます。そして、問題が起こった時には、当初よりも状況は悪化し、問題解決に多大な費用がかかることになります。場合によってはその損失は取り返しがつかなくなるでしょう。

 水俣病をはじめとする公害病や過去の様々な経験の中から学んだことは、因果関係を立証するためには多くの時間がかることと、時間をかけて調べたが因果関係はわからなかった、しかし、現実の問題として目の前に被害(者)がある(いる)という状況がしばしばあるということではないのでしょうか。

 最近では、環境ホルモンが注意欠陥他動性障害の原因になっている可能性が指摘されています。もしそうであれば、それは非常に大変なことだという危惧を個人的にもっており、それに関連したシンポジウムに足を運んだことがあります。その時に、おもしろい話を聞いたのでここに記そうと思います。(東京都神経科学総合研究所・客員研究員(神経毒性学)黒田洋一郎さんのお話でした。)


 こういった可能性を指摘すると必ずおこる反論が、「その可能性は動物実験によって示されたもので、それが人間で起こる証拠はない」というものだそうです。一見、これは正論を述べているような印象を持ちますが、よく考えてみるとおかしいことがすぐに分かります。なぜなら、人間で実験ができないわけですので、動物の命を頂いて実験をしているわけです。「人間での“実験データ‘’が得られるのは、何年、何十年もたって、その化学物質に人々が十分曝露され、統計的に十分な数の人々が実際に病気や障害を起こして、疫学調査でヒトヘの被害が証明されたときです。」そして、このことを『手遅れ』と呼ぶのだと思います。また、それは、一番の大きな被害をもたらすことになると言って良いと思います。


 最近、『予防原則』が強く言われ出した背景には、脳の発達への障害など、人間への被害などがとりかえしのつかない大きさや種類をもつ問題に関してこのように明断な証明を求めていては、被害を未然に防止できない“構造"に人々が気がついたことがあるそうです。そして、最後に、このように書かれています。


 『20世紀を代表する科学哲学者ポッパーの言葉「科学は(絶対的な)真実を述べているものではなく、人間が現実生活で当面する問題の解決のために提案したとりあえずの仮説である」を引用するまでもなく、21世紀には、こと安全性にかかわる限り、完全な証明をもとめる終わりのない科学論争よりは、「予防原則」による賢明な個人的選択や杜会的合意で決着を見るようになるであろう。』


 その社会的合意の際に、危険性の指摘された物質を禁止することで起こる経済的損失などを考慮することなどは重要なことであると思いますが、もしそこで予防的なアプローチをとらなければ、環境と人間へのとりかえしのつかない大きさや種類をもつ問題を放置しておくことになり、危険性の指摘された物質は環境や人間に蓄積されていくことになります。そして、問題が表れてからでは遅いと思います。

 故に、以上の点で、やはり予防的アプローチが今後、重要になってくるかと思います。


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