持続可能な国づくりを考える会

経済・福祉・環境の相互促進関係を!

持続可能な国づくりの会 理念とビジョン(画像をクリック)

  「理念とビジョン」全文                   ダイジェスト版                  

                    

成長の限界

2006年09月29日 | 環境
 シンポジウム参加者募集を開始しました。こちらです!

 趣意書はこちらです!

 
 皆さんいかがお過ごしでしょうか。
 事務局尾崎でございます。

 さて、私事で恐縮なのですが、ローマクラブの「成長の限界」をやっと購入しました。聞いたことはあったのですが、全く読んだことはありませんでした。随分前からこの手の警告があったことと有名な資料であることを知るのみでした。私の知るところによると、ローマクラブが組織されたのは、1970年のようです。これは、環境問題の国際組織として結成されたもののようであります。

 しかし、スウェーデンは、「環境の酸性化の問題」を国際社会でとりあげるために、1968年にすでに国連初の環境会議を行うことを提案しているようです。そして、1972年には、首都のストックホルムで第1回国連人間環境会議を開きました。

 非常に早い時期からスウェーデンが、環境問題に興味を持って行動していたことが分かると思います。
 
 さらに、高度経済成長の真っ只中の1970年に行われた大阪万博で、スウェーデンをはじめとする北欧諸国は科学技術がもたらすプラスとマイナスというテーマでパビリオンを建てていたそうです。ちなみに、日本は、美浜原発が万博会場で原子の火を灯し、アメリカはアポロが持ち帰った月の石を展示していたそうです。

 言うまでもないかもしれませんが、スウェーデンと日本のこのような行動の違いは、人口ではないと思います。この行動の速さと的確さにわれわれは学ぶことがあるように思いますが、いかがでしょうか。


 以上のことは、小澤先生のHPの私の主張で知りました。先生のHPは以前にもここでご紹介しましたが、あれからいくつか修正点を加えてやっと完成したとのことです。まだの方は、一度ご覧になられてはいかがでしょうか。小澤徳太郎公式HPはこちら

 それでは失礼致します。

 いつもクリックありがとうございます。
 当初に比べてクリックしていただく方が100人ほど増えました。
 重ねて御礼もうしあげます。
 
 にほんブログ村 環境ブログへ

人気blogランキングへ 

価値観の違い

2006年09月27日 | 福祉
 シンポジウム参加者募集を開始しました。こちらです!

 趣意書はこちらです!

 こんにちは。事務局尾崎です。
 
 昨日は、電車の中より外の気温の方が低いことにびっくりしました。
 風邪をひかないようにお気をつけください。

 
 私は神奈川県で育ちまして、今も神奈川県に住んでおります。神奈川県民のおそらくほとんどの方は、東海道線を交通の手段として使ったことがあるかと思います。最近は、この東海道線は、ほとんどすべて新型車両になりました。独特の濃いオレンジと深い緑の電車を見ることはほとんどなくなりました。あの独特のデザインの車両は、高度経済成長を支えてきた感じがしました。

 日本は戦後、非常に貧しかったわけですが、わずか数十年の間で「経済大国」になりました。同じころ実はスウェーデンもヨーロッパの中で最も貧しかったようですが、経済的には大きく成功し、なおかつ「福祉大国」になりました。1993年のGDPの順位はスウェーデンが3位、日本が4位になっております。両者とも経済的な面では、成功したと言ってよいでしょう。

 しかし、その両者の原動力には、興味深い違いがあると思います。まず、スウェーデンは国民を不安から解放するために安心、安全、安定などを求めて経済発展を進め、福祉・生活大国を作ったのに対して、日本は不安の解消よりも、利便性と効率性を求めて経済大国を作りました。

 以下のように言うこともできると思います。スウェーデンは「安心・安全・安定・信頼」が価値観の基準になっており、国の政策を決める上で一つの指標になっているように思います。この良い例は、スウェーデンは12基の原子炉を2010年までに廃止すると決議したことです。
 
 それに対して、日本は「利便性・効率性・経済的な成長と競争」が価値観の基準としているように思います。地上波デジタルへの完全移行はその良い例でしょう。今までのテレビが使い物にならなくなることによってそれが大量のゴミとなる可能性があり、それは環境負荷になり、やがては人体への負荷になるという発想はどうもないようです。

 以前、家電リサイクル法に関する両国の違いについて触れました。つまり、スウェーデンではリサイクル料金を購入前に払います。日本は、リサイクル料金は後に払います。

 捨てる時にお金がかかるとなれば不法投棄が増えて、それが環境に負荷を与えて、人体負荷となって安定・安心を脅かすという価値観では、リサイクル料金は購入時に払った方が良いということになるでしょう。
 
 しかし、経済的な成長と競争・利便性・効率性を求める価値観では、リサイクル料金を購入前に払うようにすれば、製品の価格が高くなり購買意欲が下がると考えてしまうのではないでしょうか。

 この価値観の違いをみると、スウェーデンが「予防志向の国」で、「日本が治療志向の国」であることの理由も分かるような気がします。

 いつもクリックありがとうございます。

 


にほんブログ村 環境ブログへ

人気blogランキングへ

「経済活動の拡大」は、「環境への人為的負荷の増大」と、「人体への負荷の増大」を意味する。

2006年09月25日 | 経済
シンポジウム参加者募集を開始しました。こちらです!

趣意書はこちらです!


 皆様、いかがおすごしでしょうか。
 事務局、尾崎でございます。


 さて、京都議定書以降、エコロジカルな運動が大きく展開してきたことは間違いないと思います。最近では、そういった動きはテレビや雑誌において、頻繁に見受けられるようになりました。

 その中にも二酸化炭素の排出量を減らそうという活動も多くあるようです。このブログをご覧になられている方の中にも、そういった活動に参加された方もいらっしゃるでしょうし、日々の生活においてコマ目にコンセントを抜いたり、省エネ効率の良い製品を選んで購入されている方もいるかと思います。(私もその一人です)

 しかし、そういった運動の広がりや出来ることから始めるというような個々人の活動に構わず、電力会社はいつもと同じように電気を作り続けています。そして、その量は毎年増えています。ここが、非常に重要だと思います。

 なぜなら、この電力会社の作る電気の量に上限を決めるか、もしくは、減らした条件の元で、エコロジーと呼ばれる運動や出来ることから始める活動をしないとほとんど意味をなさなくなってしまうからです。今日は、このことに関して、小澤先生の本に従いながらやや詳しく書いてみたいと思います。

 それでは、なぜ、毎年作られる電気の量は増えているのでしょうか?

 結論から先に言ってしまえば、そういった政治的方針があるからです。ご存知の通り、日本は、戦後、経済を拡大することによって経済大国と呼ばれるような高度産業社会になりました。その経済を拡大するための原動力となったものは、「エネルギー」です。そのエネルギーを作るために、化石燃料を燃やして二酸化炭素を排出してきました。排出したものは二酸化炭素だけでなく、こういった社会は大量生産-大量消費-大量廃棄を常としますので、大量のゴミを生み出してきました。

 それらの排出された二酸化炭素や大量のゴミは、我々の環境に捨てられることになります。環境がこれらのゴミを自浄できるようであれば良いのですが、その許容量を超えてしまっているようです。これが環境への負荷です。そして、その環境への負荷は、温暖化や有害物質などの形で、人間に舞い戻ってきます。これが人体への負荷です。これが環境問題の本質であると言って良いと思います。

 話が少しズレましたが、何が言いたいかというと、これまでの「経済活動の拡大」は、さらなるエネルギーを必要とし、そして、二酸化炭素や大量のゴミを生み出しますので、それは「環境への人為的負荷の増大」と、「人体への負荷の増大」を意味するということです。

 言いかえれば、「経済活動の拡大」と「環境問題の解決」は両立しないということです。この経済活動の拡大は、現首相の言葉でいえば、「改革なくして成長なし」の「成長」を意味します。象徴的にいえば、「成長」と「クールビズ」は、両立しえませんし、矛盾しているということです。

 「経済活動の拡大」を最も重要な国の政策としている高度産業社会においては、市民の草の根的な運動だけでは環境問題の解決はおぼつかないようです。私たちがいまなすべきことは、経済拡大を目的とした古い考えや社会制度をそのままにして「身近なところ(こと)から始める」「できるところ(こと)から始める」ことではなくて、『経済活動の拡大』という政治的方針を変えることにあると言って良いと思います。

 そうなると、おそらく苦い顔をされる方もいらっしゃるかと思います。確かに、「私たち一人一人の力は本当にささやかであるが、そのささやかな力でも無数に集まれば、社会を動かすことができる。いままでの社会の変革はすべて、ささやかな一歩の上に築かれたものであり、『そのささやかな思い』と『行動の集積の結果』がやがて、大きなうねりとなって社会に変化が起こる」というメッセージには、「異議なし」と言いたいところですし、敬意を払いたいと思いますし、経済活動の拡大から適正に政治的方針を変えた条件のもとでは、非常に効果をもつものだと思います。

 しかし、「経済活動の拡大」を最も重要な国の政策としている高度産業社会においては、市民の草の根的な運動だけでは環境問題の解決はおぼつかないことは、先に書いた通りです。そうなると、私たちがいまなすべきことは、経済拡大を目的とした古い考えや社会制度をそのままにして「身近なところ(こと)から始める」「できるところ(こと)から始める」ことでは残念ながらないことにやはりなってしまうかと思います。

 それでは、今日はこの辺で失礼致します。今日は、気合が入ってしまいました。もう少しコンパクトにできるように心がけたいと思います。

 いつも、クリックありがとうございます。


 にほんブログ村 環境ブログへ

人気blogランキングへ



次の世代のために

2006年09月23日 | シンポジウム
シンポジウム参加者募集を開始しました。こちらです!

趣意書はこちらです!


 事務局の三谷です。
 朝晩はずいぶん涼しくなってきました。もうすぐ衣替えの時期ですね。

 前日の更新に事務局尾が書いておりますとおり、皆様には当ブログ、ならびに今秋予定の標記シンポジウムに応援いただきましてまことにありがとうございます。
 興味をお感じでしたら、ぜひ万障お繰り合わせになってご参加いただけますと幸いです。

 ますます混迷が深まりつつあるかに見える日本の現状と将来、そして客観的データをみれば厳然として否定し難いと思われる、私たちと私たちの子孫たちの将来を脅かしつつある地球環境の危機に対し、すくなくとも現実性のある解決のヴィジョンと方向性をそこに見出していただけるものと、事務局一同確信しております。

 すでに一次のご参加呼びかけに、たいへんご多忙のところ、社会的にも重要な地位にあってこのことに尽力されている方々にも多くご参加のご返事をいただき、ますますその意を強くしているところです。

 ご招待文である「記」にありますとおり、このたびのシンポジウムは、呼びかけ人の三氏に加え、国立環境研究所理事の西岡秀三先生にも発題に加わっていただき、地球環境の先行きの最新のデータにもとづく冷厳とも言える現実を踏まえながら、それに国家単位できわめて的確に対応しているスウェーデンという実例をモデルとして、そこから私たちの日本が内面と外面にわたって何を学ぶことができるかを検討するものです。

 環境の問題とはいうまでもなく、今を生きる私たちだけではなく、というよりもそれ以上にいっそう、将来の世代、つまり私たちの子どもや子孫たちの生存それ自体に関わる切迫した問題です。
 今の私たちの行動が、彼らの生をある意味決定づけてしまうというひじょうに危うい岐路に、私たちは現にあるといって決して過言ではないと思われます。

 私たちの親たちや先祖たちが――むろんその時代的制約はありながら――、次の世代によりよい豊かな社会を残そうと苦闘し努力してきた結果として、今こうして私たちはかなり豊かで自由な生活を享受することができています。
 では、今の私たちは将来の世代に、私たちが営んでいる経済活動の蓄積した結果としての悲惨なツケではなく、もっとよいものとしていったい何を残すことができるのでしょうか。
 今回の試みがそれを皆様とともに考える機会となればと願っております。

 会場は鎌倉にあります龍寶寺というお寺の営んでおられる幼稚園の講堂を予定しています(冒頭の写真)。
 それは本シンポジウムが、私たちが子供たち・将来世代に幸せに健やかに生きることができる社会を、どうやって用意してあげるのかを考え合意するための場所となるからでもあります。

 早くも2020年頃には科学的なデータにもとづいて(最近のデータではもっと早いものもあるようです)世界的な環境危機が起こるかもしれないことが予測されているそうです。
 それが事実とすれば、そういう事態はそこに集う子供たちが成人する前にもう起こってしまうことになるのですね。

 次の世代のため、重ねてぜひともご参加ご協力いただければ幸いです。

 それでは失礼いたします。


にほんブログ村 環境ブログへ

人気blogランキングへ


御礼とさらなるご案内

2006年09月22日 | シンポジウム
 事務局尾崎でございます。

 最近は、このブログを訪れてくれる方が、当初の2倍近くになってきました。日によっては、100人を越えることもあります。それに伴って、本シンポジウムの趣旨をご理解くださり参加の申し込みをして頂く方も順調に増えております。また、今回のシンポジウムには参加が困難であっても、趣旨に賛同しましたというメールも頂いており、大変嬉しく思います。また、本シンポジウムの宣伝を申し出てくれた方も数名いらしゃっいます。こちらも、また、大変嬉しく思います。重ねて御礼も申し上げます。

 まだ、参加なさるかどうかお悩みになられている方もいらっしゃるかと思います。そういう場合は、趣意書と小澤徳太郎先生の「スウェーデンに学ぶ「持続可能な社会」」(朝日選書)をお読み頂くとより有意義になると思います。

 また、宣伝をして頂ける場合は、こちらの趣意書をお使いください。PDFファイル等が必要になる場合は事務局までメールを頂ければと思います。

 シンポジウムの開催の11月19日まで、もう2ヶ月をきりました。秋の龍宝寺が、頭に浮かんできます。実に素晴らしいお寺です。是非とも有意義なシンポジウムになればよいと思っております。

 それでは、失礼致します。いつもクリックありがとうございます。

 にほんブログ村 環境ブログへ

人気blogランキングへ

スウェーデンの年金制度について

2006年09月21日 | スウェーデン
シンポジウム参加者募集を開始しました。こちらです!

趣意書はこちらです!


 こんばんは。事務局・三谷です。
 夜は寝やすくなったものの、相変わらず日中は暑い日が続きます。温暖化ということを肌で実感させられますね。
 みなさまいかがお過ごしでしょうか。季節の変わり目となります。どうかご自愛くださいませ。

今秋開催の本シンポジウムは、〈緑の福祉国家〉というふうに標題に掲げられておりますように、単に環境対策の最先進国としてだけでなく、すでに長い歴史を持ち、かつ時代とともに進化してきた福祉制度を持つ国としてのスウェーデンに学ぶものでもあります。
 というよりも、それぞれ世界の最先端をゆくその環境と福祉の政策は、持続可能な社会-緑の福祉国家という、スウェーデン社会に実現しつつある一つのヴィジョンの二つの不可分な側面であるように見えます。

 以下、そのスウェーデンの社会政策・制度について書きますことは、ほとんどが本シンポジウムの呼びかけ人のお一人である、小澤徳太郎先生の『スウェーデンに学ぶ「持続可能な社会」――安心と安全の国づくりとは何か』(朝日選書、2006年)他の著作からの最近の学びに依っています。

 日本の様々な面の現状だけを見ていると、文字通り目の前が真っ暗になりそうな昨今ですが、それに対して同書は、そうした問題にいち早く気づいて柔軟かつ現実的に対処し、そして日本が現在抱えているような課題をすでに克服したかに見える現代スウェーデンというモデルがあることを指し示し、現実的な希望に目を開かせてくれる名著です。
 まだのお読みでない方は、ぜひそちらを当たっていただければと存じます。

 煩雑になるため、以下なるべく引用の表示などは避けたいと思いますが、理解不足や情報の間違い等の不案内な記述がありましたら、それは事務局三谷の責によるものです。その際はぜひご指摘いただけますと幸いです。

 さて、私たちの老後、ひいては人生の安心を公的に保障する制度の代表とは、何より年金制度です。しかし、みなさまの多くがたぶんお感じのとおり、いま日本の年金制度の現状と先行きには大きな不安が渦巻いています。
 財源の危機、将来の給付見込みに対する現役世代の不安感・不公平感、今後を担うべき若年世代を中心とする保険料不払いの問題、ますます加速する少子高齢化による年金制度の将来それ自体の危機…おまけに主管する社会保険庁の不祥事続発と来れば、それだけ見れば不安にならないほうが能天気なのかもしれません。

 一方、スウェーデンは日本がいま経験しつつある急激な少子高齢化をすでに40年前から経験しているとのことです。
 そしてそれに対する現実的な取り組みの一環として、常に世界をリードする年金制度を創出(1913年、世界で初めて全国民を対象とした)し発展・進化させてきて、現時点において大きな成功をおさめているようです。

 一般に日本では、その高い社会保障の水準を維持するための高負担が経済の足を引っ張っているとの「スウェーデン・モデル」批判が、いまでも根強いように見受けられます。
 しかし本シンポジウム趣意書にもあるとおり、そういう「印象批評」はいまや根拠がほとんどないことは、例えばこの世紀の年金制度改革の成功という一事を見ても明らかだと思われます。

 世界的に注目され評価されているというスウェーデンの画期的な新年金制度のアウトラインは、同書に簡潔に要約・紹介されていていますので、ぜひそちらをご覧ください。
 そのことは後で引用できればと思いますが、ポイントは「現役世代の負担がそのまま将来の給付に直結する、わかりやすい国民一律の制度(ただし当然、最低保障制度はある)」ということのようです。
 それは、現役世代の不公平感を解消し、制度を維持しようという責任感とインセンティヴを醸成する上、予測される将来の経済の変動にも柔軟に対応できるよう設計されているとのことです。

 さて、このことでとりわけ目覚ましいのは、環境問題への取り組みにも見られる、問題を認識した際のスウェーデンの指導層の対応の柔軟さ・素早さ・徹底性・協調性、さらにそれを支持する国民全体の合意です。

「この年金制度改革は、『国民生活の基本的な制度の一つである公的年金制度の設計には与野党の対決を持ち込むべきではない』という現実的な考えから、保守四党と与党の社民党が協力し、二〇世紀の最後の十年をかけて十分時間をかけてまとめたものです。」(同書208頁)

 このことを見る限り、スウェーデンの指導層には、全体の長期的な大問題に対応するに当たって将来に対する明確な解決のヴィジョンを持ち、そこからバックキャストしながら、個々・日常の利害を超えて本気で「挙国一致」できるだけの資質と英知がある、と言うことができるのではないでしょうか。

 スウェーデンが自ら打ち出して力強く進めつつあるこうした諸々の先進的政策と、その実現に向けた私たちから見るとドラスティックと映るプロセス、そこではたらいている政府主導のリーダーシップとは、もちろんいろいろな違いがあるにせよ、おおまかな方向性として、私たち日本が学ぶことができるものであると思います。

 かつて敗戦後の焦土から、わたしたちの日本は“豊かなアメリカ”に憧れ恋いこがれて、彼らに「追いつき追い越せ」とがんばってここまで来たと言えます。
 その追い求めてきた豊かさに明らかな限界が見え、しかも目標であったアメリカがあいも変わらぬごう慢とも見えるユニラテラリズムに居直っているいま、迷走する私たちの社会が目指すべきモデルは他にあるように思われてなりません。
 そのモデル、いいかえれば先輩として、スウェーデンはとてもふさわしく見えるのです。


 にほんブログ村 環境ブログへ

人気blogランキングへ

誰が電気を作っているのか?

2006年09月20日 | 経済
シンポジウム参加者募集を開始しました。こちらです!

趣意書はこちらです!



 皆様、連休はいかがお過ごしでしたでしょうか。
 事務局の尾崎でございます。
 

 私は、横浜の山下公園に行ってきました。そこでたまたま新潟出身の大道芸人さんのショーが行われていました。たくさんの人だかりができているだけあってなかなかおもしろかったです。その芸人さんはショーを盛り上げるためにステレオで効果音や音楽を鳴らしたり、空が暗くなってくるとライトをつけていました。それらの電気は、お祭りの時に屋台で使われる発電機でまかなわれていました。



 私はその発電機の詳しいことは知らないのですが、おそらく、あの発電機は化石燃料を燃やしてエネルギーに変えているのだろうと思います。そして、発電機の稼動中はおそらく一定の電気が作られているのでしょう。そうなると、その過程で二酸化炭素も排出されていることになるでしょう。その大道芸人のお兄さんのショーを見ながら、彼があの場でいわゆるエコロジー活動をするには何をしたら良いのか考えてみました。皆様も、いくつか思いつくかと思います。


 まず、ショーの中で、効果音や音楽を流さないところでは、ステレオの電源を切ったらどうかと考えました。次に、電球ももう少し省エネ率の高そうなものの使用を考えました。


 ・・・・しかし、いくらステレオの電源をこまめに切ったり、省エネ率の高い電球を使ったりしても、発電機はそれにかまわず電気を作っていることにすぐに気がつきました。つまり、あの大道芸人さんがあの場でエコロジ-運動をするには、発電機によって作られる電気の量を減らさないといけないわけです。


 このことを日常生活に置き換えて考えてみます。私はつい最近まで、省エネ製品を買ったり、こまめに電源のコンセントを抜いたりすれば、二酸化炭素は減るものだと思っていました。よくよく考えてみると、それに構わず電力会社がいつもと変わらずに電気を作り続けているのであれば、残念ながら私のささやかなエコロジー運動の意味はなくなってしまうのではないでしょうか。



 私だけでなくこの文章をお読み頂いている皆様の多くは、個人で所有している発電機による電気でPCを動かしインターネットに接続してここまで来られているわけではなく、電力会社が作っている電気によってここまで来られているのだと思いますが、いかがでしょうか。

 そうだとすると、先の大道芸人のお兄さんが使っていた発電機で作られる電気の量を減らさないと二酸化炭素の排出量が減らないことと同じように、電力会社が排出する二酸化炭素の排出量を減らす必要があるのではないのでしょうか。


 京都議定書以降、多くの方の奮闘にも関わらず日本の二酸化炭素の排出量は増えています。その理由は、おそらくここにあるのかもしれません。つまり、エコロジカルな運動が大きく展開する一方で、電力会社が作ってわれわれに供給する電気の量が増えている、ということです。


 
 このように書くと電力会社だけが悪いように聞こえるかもしれませんが、そうでもないようです。なぜなら、エネルギー消費は、経済の拡大と密接に関わっているからです。故に、経済拡大路線が環境負荷を高めていると言ってもよいと思います。つまり、この経済の「拡大路線」を環境問題に十分考慮した上で、「適正路線」に変更することが今後非常に重要になるかと思います。これは「縮小」でなくて、「適正」であることにご注意ください。この路線をスウェーデンは歩んでいるようです。そして、どうやら成功しているようです。



 こう考えると、環境問題は理系の人に頑張ってもらう問題、つまり、自然科学的な問題でもあるのですが、これはむしろ、「経済、社会、政治、心理」などの文系の問題、つまり、社会科学の問題になってくるかと思います。

 

 
 それでは、失礼致します。

 ↓いつもクリックありがとうございます。

にほんブログ村 環境ブログへ

人気blogランキングへ


現実的な希望のヴィジョン

2006年09月19日 | 環境
シンポジウム参加者募集を開始しました。こちらです!

趣意書はこちらです!


当ブログをご覧のみなさま、どうもこんばんは。
9月も後半になったというのに蒸し暑い日が続きますが、お変わりはないでしょうか?

これまでその孤軍奮闘にみなさまご声援をいただいている事務局尾と、その他の仲間と共同で当事務局ブログ管理を務めております、三谷と申します。今後他の担当者とともに、それぞれ更新していくつもりですので、どうぞよろしくお願いいたします。

11月予定の標記シンポジウム開催までちょうど二ヶ月となりましたが、その準備・運営にあたって、ご案内や情報提供、PR、ご質問と回答の場として、また近況報告、事務局担当の雑感、等々の掲示板として、こちらをいっそう有効に使っていければと、事務局一同考えております。
開催準備と運営に当たる私たち実行委員はなにぶん若輩者を中心に構成されておりますので、到らぬところにお気づきでしたら、どうかお気軽にご指摘いただけますと幸いです。

さて、報道を見ても広告を見ても、そしてちょっとした日常のコミュニケーションでも、今年は以前になく「温暖化」が取り上げられるようになっていると思いますが、みなさまはいかがでしょうか。これには、そう気をつけて見ているから、というのにとどまらないものがあるのは間違いないと思います。しかも、こういうことにあまり関心のなさそうな人に聞いても、ほぼ一様に「最近の気候はおかしい」と言うのを聴きます。

もちろん以前から温暖化のことは問題として意識されてはきましたが、ここへきてその質がかなり変わってきたように感じます。これは、今年の暑さや集中豪雨等にあらわれた気象の異常が、はっきりと私たちの日常生活での実感にまでなってきたためだと思われます。
しかも、年々、加速度的に事態は悪化しているように思われます。そしてそれに対する(「何となく」「漠然と」ではあっても)危機感が、広く一般化・常識化しつつあるのが現状だといって、おそらく差し支えないのではないでしょうか。

そして、こういうブログなどをご覧になる方はおそらくすでに十分すぎるくらいご存知のように、環境に関する国際研究機関による多くの科学的・統計的なデータによれば、もはや危機的を通り越してはっきりと危機に直面するまでに到っているといわれます(詳しくは前掲の先生方の文献をご覧ください)。

このように、知れば知るほど、そしてそれを無視しようとしてももうしきれないほど、私たちの社会の現状はエコロジカルな危機にあるのは明らかで、問題のあまりの大きさと深刻さに、そして一方の私たちの小ささ・非力さに、気が滅入ってしまいそうです。

これまで個人的にはいちおう、「なるべくゴミは出さない」「買い物袋は断る」とか「『地球にやさしい』と称する商品を買う」「クルマはなるべく使わない」というような、いわゆる環境配慮的な行動を心がけてきたつもりなのですが、そうしたことが、事態をどうにかすることへの有効性という意味で、ほとんど無意味にすら感じられてしまう現状です。

(しかも社会科学的に見て、そういうもろもろの「いいこと」が、この社会でなされた場合には実際にほぼ無意味に近いというのは、ショッキングで痛いところではありますが、しかし事実であるとしかいいようがないようです)

しかし、すでに紹介されてきました環境スペシャリスト・小沢徳太郎先生の『スウェーデンに学ぶ「持続可能な社会」』に出会い、そしてシンポジウムに向けての学習会で先生から直接学び、事態は確かに相当厳しいけれども、それに対する対処のはっきりとした方向性を、すでに世界の環境最先進国であるスウェーデンが国家規模で集団的に実現しつつあることに、単なる慰めや楽観ではなく、しっかりした現実を根拠に持ったヴィジョンという意味での大きな希望を感じました。
私たちは豊かな生活(その内容の検討はさておき)を否定することなく、エコロジカルに持続可能な社会を実現することができるらしいのです。

そのことについては、すでにアップしております、小澤先生、大井先生、岡野先生による本シンポジウムの趣意書に尽くされていると思いますので、まだの方はぜひそちらをご覧いただければと存じます。

そういうわけで、事務局担当としても、また個人的にも、ぜひこのシンポジウムを開催し、ほんとうの「持続可能な社会」実現に微力でも貢献したいと考えております。
微力はイコール無力なのではなく、そして微力が集結し協力すれば、相乗的に有力・強力になる、との現実的な期待をもって。

それでは引き続きよろしくお願いいたします。失礼します。


 にほんブログ村 環境ブログへ

人気blogランキングへ

蓄積性の問題

2006年09月17日 | 環境
シンポジウム参加者募集を開始しました。こちらです!

趣意書はこちらです!


 みなさん、おはようございます。
 今日は、どのような日曜日になりますでしょうか。
 ゆっくり、一週間の疲れをとってください。

 さて、いきなりですが、本シンポジウムの趣意書を引用します。

 「専門家が警告を発し、それを聞いて理解した人々が「できることをする」ことによって、こうした環境の悪化はやや減速されたかもしれませんが、止まってはいない、それどころかじわじわと深刻化していると思われます。環境問題は私たちが豊かになるという目的のために行ってきた経済活動の結果、必然的に「目的外の結果」が蓄積し続けているものだからです。このことは、改めて確認しておく必要があるでしょう。」


 最後の『必然的に「目的外の結果」が蓄積し続けているものだからです。』は、最初の趣意書案では、『必然的に「目的外の結果」として起こるものだからです。』というような文面でした。

 しかし、三人の呼びかけ人の先生で論議した結果、この文面に『蓄積』という言葉を盛り込むことになりました。これは、あまり目立つ変更ではないのですが、実に環境問題の本質を表すものであると思います。そして、このことを理解すると、予防的アプローチの意味も理解しやすいかと思います。

 例えば、ある物質(PCBやDDT)の脳への悪影響の危険性の可能性が指摘された時に、その症状が顕著になってから対処する治療的アプローチをとったり、明確な証拠やメカニズムの解明を求めると結局のところ、その物質は放置されることになり、我々の環境にもしくは食物連鎖の頂点にいる我々人間に『蓄積』されることになってしまいます。そして、問題が起こった時には、当初よりも状況は悪化し、問題解決に多大な費用がかかることになります。場合によってはその損失は取り返しがつかなくなるでしょう。

 水俣病をはじめとする公害病や過去の様々な経験の中から学んだことは、因果関係を立証するためには多くの時間がかることと、時間をかけて調べたが因果関係はわからなかった、しかし、現実の問題として目の前に被害(者)がある(いる)という状況がしばしばあるということではないのでしょうか。

 最近では、環境ホルモンが注意欠陥他動性障害の原因になっている可能性が指摘されています。もしそうであれば、それは非常に大変なことだという危惧を個人的にもっており、それに関連したシンポジウムに足を運んだことがあります。その時に、おもしろい話を聞いたのでここに記そうと思います。(東京都神経科学総合研究所・客員研究員(神経毒性学)黒田洋一郎さんのお話でした。)


 こういった可能性を指摘すると必ずおこる反論が、「その可能性は動物実験によって示されたもので、それが人間で起こる証拠はない」というものだそうです。一見、これは正論を述べているような印象を持ちますが、よく考えてみるとおかしいことがすぐに分かります。なぜなら、人間で実験ができないわけですので、動物の命を頂いて実験をしているわけです。「人間での“実験データ‘’が得られるのは、何年、何十年もたって、その化学物質に人々が十分曝露され、統計的に十分な数の人々が実際に病気や障害を起こして、疫学調査でヒトヘの被害が証明されたときです。」そして、このことを『手遅れ』と呼ぶのだと思います。また、それは、一番の大きな被害をもたらすことになると言って良いと思います。


 最近、『予防原則』が強く言われ出した背景には、脳の発達への障害など、人間への被害などがとりかえしのつかない大きさや種類をもつ問題に関してこのように明断な証明を求めていては、被害を未然に防止できない“構造"に人々が気がついたことがあるそうです。そして、最後に、このように書かれています。


 『20世紀を代表する科学哲学者ポッパーの言葉「科学は(絶対的な)真実を述べているものではなく、人間が現実生活で当面する問題の解決のために提案したとりあえずの仮説である」を引用するまでもなく、21世紀には、こと安全性にかかわる限り、完全な証明をもとめる終わりのない科学論争よりは、「予防原則」による賢明な個人的選択や杜会的合意で決着を見るようになるであろう。』


 その社会的合意の際に、危険性の指摘された物質を禁止することで起こる経済的損失などを考慮することなどは重要なことであると思いますが、もしそこで予防的なアプローチをとらなければ、環境と人間へのとりかえしのつかない大きさや種類をもつ問題を放置しておくことになり、危険性の指摘された物質は環境や人間に蓄積されていくことになります。そして、問題が表れてからでは遅いと思います。

 故に、以上の点で、やはり予防的アプローチが今後、重要になってくるかと思います。


にほんブログ村 環境ブログへ

人気blogランキングへ

シンポジウム参加者募集を開始しました

2006年09月14日 | シンポジウム
 下記の要領で、シンポジウム「日本も〈緑の福祉国家〉にしたい! スウェーデンにまなびつつ」の一般参加者の募集を開始しました。

 環境問題をぜひ解決したい、そのために自分にできることをしたいと真剣に考えておられる方々の参加を心からお待ちしております。


                    


 本シンポジウムは、環境問題について一般的な知識をお伝えするというより、趣意書のような方向性について予め理解していただき、基本的に合意できそうだと思われる方にお集まりいただいて、その方向性を再確認し、可能ならばご一緒にその先の展開を考えていただくことを目指しております。

 そのため、シンポジウムの進行もスケジュールをきっちり決めるのではなく、ごく大まかに、開会から午前中、大井玄(元国立環境研究所所長・東京大学医学部名誉教授)、小澤徳太郎(環境問題スペシャリスト・元スウェーデン大使館環境保護オブザーバー)、西岡秀三(国立環境研究所理事)、岡野守也(サングラハ教育・心理研究所主幹)によるシンポジウムの趣意についての確認の発題、午後から4者の対談の後、出席者からのメッセージ、コメント、質問をいただく、というふうに考えております。

 また、討議内容をその場かぎりでない実りあるものにするため、ご参加のお申し込みをいただいた方には、シンポジウムの発題の内容のパンフレットを予めお送りしてお読みいただけるようにする予定です。

 皆様、それぞれに大変お忙しいことは十分承知しておりますが、なにとぞ趣旨をご理解いただいた上で、ぜひ、万障繰り合わせて、ご出席・ご参加いただけますようお願い申し上げます。

 また、意思はあるが都合で今回は参加できないという方には、ぜひ、メッセージをいただきたいと思っております。


日 時 2006年11月19日(日)午前10時~午後5時

会 場 龍宝寺 玉縄幼稚園講堂

住 所 247-0073 神奈川県鎌倉市植木129(JR大船駅より徒歩20分、バスの便あり) 
   
参加費 2000円(昼食のお弁当・お茶代を含む。お支払いは当日受付にて)


●お問い合わせ、お申し込みは、シンポジウム事務局宛にファックス(0466-86-1824)またはメール(greenwelfarestate@mail.goo.ne.jp)でお願い致します。お名前、お仕事、ご住所、お電話・ファックス番号、メールアドレスをご明記下さい。お申し込みいただいた方には後日、発題パンフレット、地図等、資料をお送りします。

 終了後、インフォーマルな二次会も行ないたいと思っております。併せてそちらへのご参加の有無もお知らせ下さい。

 申し込み締め切りは、11月15日とさせていたきます。

   2006年9月14日

 
  シンポジウム「日本も〈緑の福祉国家〉にしたい!」事務局


*ご賛同いただける方は、ぜひ、趣意書やこの記事をコピーしていただいて、たくさんの同じ気持ちの方にお伝えいただけると幸いです。


にほんブログ村 環境ブログへ

人気blogランキングへ