持続可能な国づくりを考える会

経済・福祉・環境の相互促進関係を!

持続可能な国づくりの会 理念とビジョン(画像をクリック)

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東北は「復興」というより全面的に「新興」してほしい

2011年03月31日 | 理念とビジョン

「持続可能な国づくりの会・理念とビジョン」
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 運営委員長の岡野です。続けて、運営委員長としての〔しかし個人的〕見解を述べていきます。

 みなさん、ぜひ建設的コメントをください。


 原発の事故がいつ収束するのかわからない不安な状況の中で、報道によって次第に明らかになりつつあることがあると思われます。

 それは、政府、財界、電力会社が一貫してエネルギー需要の増大を前提とした「経済成長」を目指してきたこと、原発はひたすら増大するエネルギー需要をまかなうために危険を最小限に見積もって「安全」と言い募りながら推進されてきたことです。

 その際、危険はある程度までしか「想定」されず、確率的にまれ(?)だと思われる危険については経費節減という発想から安全対策は省略―節約されたようです。

 しかし、津波一つを例にしても、すでに書いたとおり、明治以来の津波のデータからすれば、1896年、明治三陸地震の38.2メートル、1993年、北海道南西沖地震―奥尻島津波の30メートルは「想定」されなければならなかったのではないか、と素人には思えます。

 私の住む湘南から遠くない静岡・浜岡原発について、中部電力は「緊急用の発電車両を2台、25メートルの高台に置く」ことにしたようですが(3月24日朝日オピニオン欄の静岡県知事川勝平太氏へのインタビュー記事によれば)、38.2メートルや30メートルの津波なら25メートルの高台をも呑み込んでしまことをなぜ「想定」しないのでしょうか。
 今回の津波の最高は23メートル強だったそうですから、そのくらいならぎりぎりセーフかもしれませんが。

 原発事故の背後には、「経済成長」という意味でも「経費節減」という意味でも、国民・住民の安全対策よりも当面の経済性が優先されるという体質がはっきりと読み取れます。

 しかし、当面の経済のために安全対策を節約して進められた結果、「想定外」の原発事故が起こり、極限的な経済的不利益を国民・住民にもたらしているだけではなく、企業にも政府にも大変な損失をもたらしました。

 そこには、短期の経済性―利益の追求が中長期の大きな不利益をもたらしている、というパターンが見られるようです(政府や財界、電力会社の体質が変わらないかぎり、同じパターンのことが起こるとシミュレーションできます)。

 私たちは、今、できるだけ早くエネルギー増大―原発依存の産業構造を転換して、エネルギー消費を漸減させながら、再生可能なエネルギー体系に切り替えつつ、しかもゆるやかな経済成長を可能にするという知識産業を中心とした新しい産業構造へ向かうほかないのではないか、と考えています(エネルギー政策について、私たちの仲間小澤徳太郎氏のブログに今、非常に示唆深い記事が連載されています。ブックマークから入ってお読みください)。

 産業構造を転換せず、エネルギー増大の方向を変えず、しかも原発の危険を根本的になくすというシナリオはありえない、と私には思えます。

 東北の復興もまた、そうした方向でなければ、多くの危険や限界(エコロジカルな持続不可能性)を含んだままの「元に戻る」ということになるのではないか、と危惧しています。

 そういう意味では、東北は「復興」というより、エコロジカルに持続可能な知識産業社会へと、全面的に「新興」してほしいと願っています。

 *「エコロジカルに持続可能な知識産業社会」の構想については、当会の「理念とビジョン」をご参照ください。


持続可能な国へのシナリオ

2011年03月30日 | 理念とビジョン

 岡野です。

 「持続可能な国づくりの会」に関して、個人宛でご質問とご協力お申し出のメールをいただきました。

 その質問が非常に典型的な質問だと思いましたので、個人的なお返事に少し手を加えて、ブログの読者のみなさんの潜在的なご質問へのお答えに代えたいと思います。

 (現段階で、これは委員長の個人的見解であり、委員会の統一見解ではありません。委員、会員、会員以外、どなたでもご意見をお寄せください。)


 K 様

 協力のお申し出有難うございました。

 本当に「国難」ともいうべき事態になりましたね。

 「一個人としてどう動けばいいのか」というのは、とても難しいご質問です。

 私たちが提言してきた「理念とビジョン」のような方向性を理解し実行してくれる政治的リーダーがいない(ように見える)状況で、ここまで大きな問題を抱えてしまった日本(政府)には、きわめて残念ながら即効性のある対策も、中長期にわたって有効妥当性のある対策も、打つことはできないのではないかと予想されます(予想が外れることを切に祈ります)。

 もちろん他の政党にもそうした理念とビジョンはないようですから、期待をすることができないと思われます。(この事態で「挙国一致内閣」を形成できないことが何よりも期待できない証拠だと思われます)。

 原発の収束、その後のエネルギー政策、復興政策、経済・財政、福祉、環境等の問題について、これからもいろいろ紆余曲折―混乱があり、心痛む犠牲が出続けるでしょう。本当に残念なことです。

 そういう中で「一国民として」私に考えられるのは、義援金への協力などを除けば、これまでどおり「持続可能な国づくりの会」を通じて、社会的提言を続けていくという方法のみです。

 長い目で見れば、この会(の「理念とビジョン」)への市民や知識人の理解と支持が広がり、そこに未来の若き指導者も集まってきて、やがてまったく新しい政党が結成され、それが主権政党になるというシナリオがもっとも有効だと考えています。もちろん、それがなるべく近未来であることが切望されます。

 まどろっこしく思えるかもしれませんが、それ以外の一見近道に見える道では、結局、「エコロジカルに持続可能な国」という目標からはいつのまにかずれてしまうだろうとシミュレーションしています。

 ですから、このアプローチには非常に長期の展望ときわめて気長な「持続する志」が必要だと考えています。

 明治維新のプロセスにたとえれば、うまくいくとしても、これから日本の各地で、いわば松下村塾ができる→志士たちが育つ→討幕運動が広がる→維新に到るまで、かなり長い激動の時期が続くことになるでしょうが、今の「持続可能な国づくりの会」は、まだ塾生数十人の松下村塾レベルにもなっていないくらいで、そういうプロセスで大きな役割を果たせるかどうかは未知数というほかありません。

 そういう意味で、まったく未知数ですが、「理念とビジョン」の段階で可能性を感じていただけるようでしたら、「持続可能な国づくりの会」の理解者・賛同者を増やすことに、ぜひご協力ください。

 そして、可能ならば、身近な賛同者のグループを作っていただき、「理念とビジョン」などの学習会をしながら、さらに会員を増やしていただくと有難く思います。

 まずKさんご自身からご入会いただけるようでしたら、このブログのブックマークにある入会の手続きの案内をご覧いただき、手続きをしていただけると幸いです。

 引き続き、ご理解・ご支援・ご参加のほど、よろしくお願い致します。

          持続可能な国づくりの会運営委員長 岡野守也


復興の財源について:1つのアイデア

2011年03月26日 | 理念とビジョン
●私たちの「理念とビジョン


 運営委員長の岡野です。続けて書いていきます。

 今、非常に残念ながら私たちの会も私個人も微力で、災害やまして原発事故への直接的対応はできない状態にあります。

 そんな時は、せめて募金に協力する、物資や励ましの言葉を送る、祈る、といった「自分のできること」を、黙ってやっていたほうがいいという考えもあるでしょう。それがせめてもの日本人のつつしみの美学なのかもしれません。

 この状況で、それにとどめず、あえて「理念とビジョン」を語ると、聞こえてきそうな言葉があります。

 60年代末学生闘争の頃からしばしば聞いてきたのと同じ「理屈じゃない。行動だ」という言葉です。

私の同世代の学生運動に関わった学生たちはしばしば「私たちに青写真はない。破壊の後に創造が生まれる」ととてもかっこよく聞こえるけれども不毛なセリフを叫んでいました。

 大学闘争の後、すべての人が幸せになれる社会(真の福祉国家、福祉世界)の創造は生まれないまま、今、日本がいかに危機に対して脆弱であったかが露呈されています。

その事実が、そうした発想法の不毛さを証明していると思われます。

 まず理屈で(理念とビジョンとして)「すべて人が幸せになれる社会」「安心・安全な国」とはどういうものか、しっかりと構想する必要があったのです(脱構築などではなく)。

 もちろん、青写真(設計図)は青写真であって、実際の建造物ではありません。

 しかし、大規模の建造物を建造・構築するには設計図は不可欠です。まして、日本という国家システムをどうするかには絶対に不可欠だったのではないでしょうか。

 あえていえば、そういう設計図を描かないまま、ありあわせの材料でその場しのぎを続けてきたのが(「治療志向」「フォアキャスト」「場当たり」)、戦後日本だったのではないか、と私たちは考えています。

 こういうと、「今はそんなことを言っている場合ではない」という言葉も聞こえてきそうです。

 しかし、国家という巨大システムは今日明日に方向転換できるものではありませんから、緊急事態の今こそ、緊急対応と並行して、中長期どこに向けて方向転換するか、明らかに行き詰った国家システムをどう組み換えるのか、新しい設計図を描いておかなければならないと思うのです。

 そして、私たちの「理念とビジョン」は持続可能な日本の設計図の試案です。

 読者(日本国民)のみなさん、ぜひ、熱い支持かあるいは建設的な批判をお寄せください。それが、「黙って自分にできることをする」のに加えて、みなさんにできること、やっていただきたいことです。

 どんなに少人数でも、「そうではなく、こういう国を創りたい」と国民が声を上げなければ、既成の政党と政治家はふたたび設計図なき焼け跡の復興を実行し、復興の陰で多くの国民が置き去りにされていくでしょう。

 一つの例として

 復興の財源をどうするかということが議論されはじめているようです。「増税か」「国債発行か」など。

 たくさんの募金が集まっているようですが、残念ながらもちろんそれだけでは財源としては不十分です。

 かつてまだきびしい政治経済の状況下で(1958、59年)、「国民皆保険」「国民皆年金」が構想されたように、今、「国民皆災害共済保険年金」といった制度を考えてはどうか、と思っています。

 今なら、多くの国民が「明日は我が身」「巨大災害に対して個人でできる自己防衛には限度がある」ということを痛感していますから、「国民が協力しあって将来の安心を保障しあう」ことには「増税」や「国債」よりも合意が得られやすいのではないでしょうか。

 そして、さらに基礎部分と加算部分に分け、基礎部分については強制加入、加算部分については自己決定とするといいと思います。

 基礎部分の徴収だけでもかなりの復興財源を生み出すことができるでしょうし、将来万一の場合の加算を見越して今余裕のある人がさらに積み増しをするというインセンティブをつけることができますから、さらに財源を集めることができるのではないか、と考えます。

 すぐに届く届かないは置いて、一つの声・アイデアを上げておきたいと思います。

 みなさん、どうお考えでしょう。無駄だとあきらめないで、もう一つの声を上げましょう。黙っているより、もう一歩できることですから。

 そして、一つ一つの声が集まって「国民の大きな声」になれば、やがて必ず届くべきところに届きます。

 賛成の方は、コメントをください。そして、この記事を拡げてください。


復興は確実だ! しかし…

2011年03月24日 | 理念とビジョン

 運営委員長の岡野です。今後、持続可能な国づくりに向けて持続的に記事を書いていきたいと思っています。


 すでに指摘しておられる方も多いのではないかと思いますが、今日本人が元気を取り戻すヒントとして思い出しておきたいことがあります。

 それは、ほんの60年あまり前、日本人は東京大空襲や広島・長崎の原爆の焼け跡からさえみごとに復興を成し遂げた国民であるという歴史的事実です。もちろん、16年前の阪神・淡路大震災からの復興もあります。

 それは、事実として日本人にはそれだけのバイタリティー、潜在的エネルギーがあった・今でもあるということの証拠だと考えてまちがいないでしょう。

 ですから、今回の激甚被害からも総体としてはやがて復興できることは確実だと思います。そこは、まったく心配する必要はないと思っています(もちろん大変な努力が必要なことは言うまでもありませんし、私も微力ながら協力し続けていきたいと思っていますが)。

 しかし、そこで問題なのは、焼け跡闇市的なバイタリティーだけに頼った無計画な復興では、総体としては復興できても、取り残される人も少なくないということです。

 望ましくないことですが、かつては一部の人を見捨てても社会総体は復興し生き延びた人たちで「繁栄」するというシナリオがありました。

 しかし、ここまで格差社会が深刻化し、社会がアノミー化(無規範・無連帯)している状況では、そういう競争―生き残りによる復興というシナリオ――とも言えないシナリオ――は短期には成り立っても、中長期にはむしろ社会崩壊へ到るシナリオになるでしょう。

 中長期、私たちに問われるのは、復興できるかではなく持続可能な国につながるような復興ができるかどうかだ、と私は推論しています。

 今、現地の復興のために泥にまみれ汗を流している人たち、特に次の時代を担う若者たちに、本当にご苦労さまです。しかし、ボランティアが一段落したら、次は政治に向かってほしい! と呼びかけたいと思っています。


原発依存を転換する政治的意思

2011年03月23日 | 総合

 運営委員長の岡野です。

 以下は、現時点では、私個人の意見であって、委員会でも総会でも議論―合意したものではありませんが、国家的危機というほかない時機なので、あえて発言させていただきます。

 会員の方も、それ以外の方も、どうぞ感想、意見、反論をお寄せください。


 今回の大震災―津波の被害は、住民も行政も(?)想定できないほどの規模だったといわれています。

 しかし、「専門家」にとっても「想定外」だったのかどうかについては、疑問があるようです。

 素人が検索しても、例えばウィキペディアには

 1896年 明治三陸地震 - 岩手県綾里 津波高さ38.2メートル、死者不明者22,000人。

 1993年 北海道南西沖地震 - 奥尻島津波高さ 30 メートル - 死者・不明198人。奥尻町青苗地区は壊滅。

といった記事があります。

 さらに、地震そのものは天災でやむをえないとしても、明治三陸地震の38.2メートルもさることながら、わずか18年前の北海道南西沖地震の30メートルの津波という経験さえ「想定外」として、津波の恐れのある海岸に原発を存続させることを肯定し、「安全だ」と言い募ってきた「専門家」とはいったい何なのでしょうか。

 しかも、原発が津波に弱いことはすでに2006年の国会でも共産党の質問に対する広瀬研吉経済産業省原子力安全・保安院長の答弁によって明らかになっていたといいます。(http://d.hatena.ne.jp/takase22/20110316 参照)

 その時の、二階俊博産相は「安全確保のため、省をあげて真剣に取り組むことをお約束したい」と答えたそうです。

 すでに放射性物質が漏れ東京都の水道水にも入ってしまったという結果からいえば「安全確保」はなされず、これはまさにその場しのぎの「国会答弁」にすぎなかったことが明らかになったわけです。そして、経済産業省はまさに「行政」です。

 しかし、悲しいかなそうした政府を支持してきた(まだしている?)のが多数の国民だったのですから、国民もまったく責任なしということはできません。

 では、反対運動をしてきた「市民」には責任はないのでしょうか。

 私は、これから安心・安全な「国」を望むだけでなく実際に創るためにはどうしても不可欠な認識だと思うのであえて言わせていただきますが、市民にもresponsibilityの語源的意味の対応能力(response ability)という意味で責任を果たしえなかったという責任があると思います。

 それは、原発は政財界挙げてのエネルギー政策すなわち「国策」であり、その国策を変更するには「市民の反対」ではなく、「国民の総意」が必要だという、民主主義国家の基本をどこかで忘れて、政治運動ではなく市民運動で対応していたのではないかと思うからです。

 政治の汚さ・駄目さにアレルギー反応を起こしていた気持ちはよくわかるのですが、今こそ、私たち日本国民は政治アレルギーを克服しなければならない時機に差し掛かっているのではないでしょうか。

 反対する――しかし結果として止まらない――だけでなく実際に原発を止めるには、原発依存の日本社会を方向転換させるという「政治的意思」が必要です。

 エコロジカルに持続可能な「国」を創りたいのなら、「エコ」の市民活動や環境保護の市民運動に加えて、「エコロジカルに持続可能な国家を構築する」という明快な「政治的意思」が必要であり、その「政治的意思」を貫徹できるだけの「政治的主体」つまり「政党」が不可欠なのではないでしょうか。

 私たちの会は現状ではごく少人数で微力であり、口惜しいかなただちに「政治的主体・政党」を形成する力はありませんが、しかし「政治的意思」――その内容が「持続可能な国づくりの会・理念とビジョン」です――は明快に持っています。

 そして、脱原発を含む「エコロジカルな持続可能な国づくり」への意思を共有できるみなさんとの連帯を願っています。

 まずコメントというかたちでメッセージをください。そして、「理念とビジョン」が共有できるようなら、私たちの会に参加してください。


危機を共有する「連帯性」

2011年03月21日 | 理念とビジョン

 運営委員長の岡野です。

 東北関東大震災の後、何かメッセージを発信すべきだと思いながら、正直なところ、会の運営委員長として発言するにはさまざまなためらい――特に被災しなかった人間が安全圏にいてきれいごとを言うだけになってしまわないかという――があって、個人のブログに記事を書いてきました。

 しかし、福島原発の事故のニュースを追いながら、これから放射性物質が日本列島全体に拡散することになるかもしれず(すでにある程度は漏れてしまっている)、日本人はもはや誰も安全圏にはいられない、国民全体が危機を共有することになるという意味でいやおうなしに事実としての「連帯性」が生まれつつある、そして、これから日本が真に復興するための方向性として、やはりこれまで私たちが提唱してきた「理念とビジョン」が不可欠ではないか、と改めて考えはじめています。

 そこでまず、個人のブログに書いたことを一部転載して、会のブログの読者のみなさんへのメッセージとすることにしました。
                 *
 3月11日

 日本人がこれまで体験したことのない大規模地震に見舞われました。被害状況をテレビの報道で見ていて、ほんとうに心が痛みます。
 亡くなられた方々のご冥福を心からお祈り申し上げます。
 また、まだ救助されていない方々の一刻も早い救助を強くお祈りしています。
 救助に当たっておられるみなさん、ほんとうにご苦労さまです、心から感謝します。

 それにしても、これから救助作業が完了しても、長くて大変な復興の過程が待っていることを思います。これは、東北地方の方々だけで解決する・できる問題ではなく、日本全体で取り組むほかない問題です。

 これだけ広範囲の被害が出たことが、もう、自由競争社会では日本はもたないことをいっそうはっきりさせたのではないでしょうか。
 本格的な協力社会を創り出すことなしには、災害の復興も日本経済の復興も日本社会の復興もないのではないかと思います。

 微力ながら、個人としても会としても、できることを、できるだけ続けていこう、と決心を新たにしてます。

 3月17日

 大震災からの日々、町の様子を見たり、ニュースを見たりしながら、良くも悪くもこれが日本人の国民的力なんだなあと感じています。

 政界・官僚・財界・メディアが、ともあれ挙国一致体制的に危機に取り組んでいる姿を見て、感謝とともに、日本はまだまだやれるのかもしれない、という思いもします。(一部の責任逃れ的姿勢や自分は安全圏にいてご託宣を垂れるだけの悪しき評論家的言説も見られますが。)

 感動するのは、原発事故をなんとか収束させようと命がけで取り組んでおられる方々の姿、被災地で必死に救助や復興にあたっておられる方々、ボランティアに行こうとしている若者たち、なにより混乱を起こすことなく支えあいながら耐えておられる被災者の方々の姿です。かつて阪神淡路大震災の時にも見られたことが、もっと大規模に起こっているようです。今のところ、報道をみるかぎり混乱に乗じた悪質な犯罪が頻発するといった現象もないことも、温和な日本人の国民性のためかと安心しています(まだ不安は残りますが)。

 私自身もそうですが、私のまわりにも、せめて自分にできることはと考え、まずは義援金からなどなど、ただちに実行している人がたくさんいます。
 もし、これから、こうした個々の善意を「社会的連帯のシステム」さらには「連帯・協力の社会システム」へと結集できるリーダーが現われたら、この大きな災いと犠牲をムダにすることなく次の世代の幸福へと転じることも不可能ではないという気がします。そうなったら、そうなってのみ、亡くなられた方々も浮かばれることでしょう。それが、私たちのやるべき「弔い合戦」なのではないでしょうか。

 しかし、スーパーやガソリンスタンドで見られる「買占め」現象は、日本人の悲しいミーイズムの現われです。
 今回の大震災は、大変な悲劇であることは言うまでもありませんが、あえて言えば、日本人全体を、これまでどおりのミーイズムやエゴイズムの集積から社会への崩壊へと向かうか、それとも方向を転換して新しい連帯・協力社会を構築して、本当に安心・安全な国を創りなおすのか、もはやあいまいな態度でいられない、はっきりと選択を迫られる、大きな分岐点に立たせたという意味があるのではないか、と考え始めています。
            *
 ぜひ、みなさんのご意見もお聞かせください。

大震災等のこと、および運営委員長就任について

2011年03月20日 | 理念とビジョン
3月も半ばとなりましたが、まだ夜・朝はずいぶん寒いです。

報じられているとおり壊滅的な大災害が発生しました。
「想定外」の巨大地震、根こそぎ地域社会を飲み込み運び去ってしまう大津波、そしてその危うさ・脆さを露呈した原発の本当にどこまで危険なのかはっきりしない怖さ、日々「これが日本の出来事か」と感じられる事態が進行しています。

あまりの広範な事態、いまだその数の知れない多数の犠牲者の方々の御冥福をお祈りします。
また、被災された方々の当面の安心と、長い復興のプロセスに向け、単に地域の違いでその災難に直面せずに済んでいる私たちも現状微力ながら力を尽くさねばと思います。

このような大規模・広範囲の激甚災害の復興は言うまでもなく「自分(たち)の物質的生活さえ守れればあとは知らない」というような、私たちにとってほとんど空気のように当たり前になってそれと気づきにくくなっている「バラバラ個人主義」ではなしえず、私たち日本人の間の連帯の精神が試みられる機会であるといえます。
(余談ですが、かつてまだ日本に余裕があった時代にはやった「終わりなき日常を(個々ばらばらに・勝手に・まったりと)生きろ」という言葉の前提が、すでにそれ自体「終わって」しまっていること、そのようなセリフを吐くことのできる「古き良き時代」があったのだということを、今更ながら実感させられます)

過日某知事が発言した「天罰」云々は単なる短絡であり完全に論外であるとしても、しかし近年続いてきた、そのような社会のバラバラ化・無縁化をもたらした過度の物質主義と競争主義というものが、それ自体一種のイデオロギーないし幻想であったこと、そのような古いいわば思想というか「思い込み」ではこのさき日本はにっちもさっちもいかなくなるという現実が、予測される近未来でなく、まさに現前して、激甚災害によって突然に否応なく突きつけられているのは間違いありません。
私たちが新しい連帯の原理を取り戻さねばならないことを、当会はこれまで主張してきました。

このような一見不条理にも見える自然災害に意味を読み取るとすれば(被災地の厳しい状況から離れた安全圏にいてこう語ることはきれいごとだとして、あえていうのなら)、そのための試練として私たちがともに耐え抜くことにある、ということになるのだと思います。
間違いなく日本の歴史の転換点になるこの事態に対し、どのように語ってみても「きれいごと」になってしまう感が否めませんが、かつて大災害が日本が国の方針を誤るはじまりとなった轍を踏まぬようにせねばらないことは間違いありません。

そのための目標点と針路を示した、これまでご紹介してきた当会「理念とビジョン」につきまして、多くの方にお読みいただきたいと考え、このたびウェブ上で公開することといたしました。
もちろんこれは「完全」でも「最高」でもない試案です。
しかし連帯と行動のための原理として理念とビジョンが不可欠であることがますます明らかになりつつある現在、日本におけるそのための試案ないしはたたき台として、今後さらに発展させ実行ベースに乗せるうえで、現状もっとも妥当・有効な代案であると考えているものです。

不可測・未曾有の文字通りの「国難」。つい昨日まで「国家」について語るのが何か「危ない」かのような「空気」があったのがうそのような状況であり、国家について考えることなしに私たちの未来が開けないことが、残念ながら激甚災害を通じてですが、はっきり意識されるようになりました。
ぜひお読みいただければと存じます。

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ところで、更新が長く滞っていた間(これは会の活動とは無関係に、ブログ担当の「気が向かないと書けない」「時間がないという言い訳で書かない」という先延ばし癖によるところ大で、今後改善したいと思いますが)、当会では、運営委員会や学習会などの活動を継続してきました。

大きな変更としては、会員の方向けにはすでにお伝えしていることですが、本年2月に、当会の発起人であり、かつ一貫して主たる推進者であった岡野守也運営委員が、会の代表者として運営委員長に選任されたことです。すっかり遅くなりましたが報告します。

これは、これまでの緩やかな事務局制・運営委員合議制の集まりというかたちでは、時代の危機状況に対してもはや有効ではないという認識からくるものです。
試案ですがいちおう確立した『理念とビジョン』で示した、持続可能な国づくりの日本版、いわば「和の国・日本」に向けた、外面だけでなく内面、個人だけでなく集団にわたる取り組み(四象限説:詳しくは08年シンポジウム論集『持続可能な国家のビジョン』当該論文参照)の見取り図を、単に「いいお話」の言説として「のたまう」だけでなく、主張を鮮明にしはっきりと打ち出し、その実現めざすバックキャスティングのため、運営委員会一同で真剣に討議を重ねた結果によるものです。
皆様の忌憚のないご意見いただければ幸いです。

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岡野・新運営委員長からのメッセージ
(当会メーリングリスト 2011.3.18)
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まだみなさんにちゃんとご挨拶していませんでしたが、考えるところがあり、2月の運営委員会で自薦で運営委員長就任を申し出て、ご承認いただきました岡野守也です。
ちゃんとしたメッセージを発信しなければと思いながら、いろいろ考えていたところに、今回の大地震でした。
自分のブログ (http://blog.goo.ne.jp/smgrh1992) に震災に関わって記事を書いていますが、こちらでみなさんにもお伝えするのを失念していました。本当に失礼しました。
大変お手数ですが、ご覧いただけると幸いです。
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「持続可能な国づくりの会」はまだ小さな会で微力ですが、微力でも協力すれば大きな力になります。
私たちの会にできるのは、何よりもこれからの日本を連帯・協力社会へと方向づける理念とビジョンをいっそう強く発信していくことだと考えていますが、具体的な支援についてもできることからやっていきたいと思っています。
みなさんのご協力を心からお願い致します。


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また、去る2011年3月6日に、立教大学経済学部教授で、著名な福島清彦先生をお招きし(於・サングラハ教育・心理研究所藤沢事務所)、「炭素循環の回復」と題した講義を行っていただき、その後意見交換等を行いました。このことについては回を改めてご紹介したいと思います。