ところで、この講義で最もポイントになっていたと思われるのは、私たちが「社会総体」の中で公共部門をどのように位置づけるか、すなわち福祉社会の要となる公共部門を支えるに足る「増税」を私たちがどのような意味で受け入れることができるか、ということだったと思われます。
とくにこの日本では、税金とはひたすら「とられるもの」であり、したがって「増税」とは単なる負担増であると、私たち国民は受けとりがちではないでしょうか。
そして無駄ばかりの「官」=公共部門を削減することに、今の日本はある種血眼になっているように見えます。
つまり私たちの社会においては「経済を活性化し持続可能な経済成長を実現するためには、国民や企業の負担はできるかぎり軽くなければならない」ということが、ほとんど空気のような常識=あたりまえになっているわけです。
だからこそこの点に関するいわば時代錯誤・大誤解を解くことがとりわけ必須なのだと藤井先生は力説されます。
経済的にも依然好調であるとされるスウェーデンでは、一方で実質的に国民の所得の実に75%、4分の3が公共部門に振り向けられているそうです!
これは日本の私たちから見るとたしかに「異常な高負担」に見えますが、じつはここに大きな誤解があったのです。
それは目先の負担というごく一部の側面を見たときの話に過ぎないのです。
ともかく、この高負担の社会が、安心の高度な福祉国家を実現しているばかりでなく、経済・産業的にも好調なパフォーマンスをこれまで維持し、経済のグローバル化や苛烈な国際競争に見事に対応し続けてきているという明白な事実があります。
さらにそのスウェーデンがそれらを踏まえエコロジカルにも持続可能な社会を着実に実現しつつあるのは驚くべきことです。
私たちが日本の将来を考えたときに、この事実には注目しないわけにはいきません。
この事実を見れば、高福祉→増税・高負担→社会の活力低下→国際競争力低下、という日本での常識的な考え方の枠組みは、実は「神話」にすぎなかったことがわかります。
藤井先生のお話によれば、スウェーデンの成功とは「高負担にも関わらず」ではなく「高負担の故にこそ」あった、とのことです。
この点がなにより重要であると思われました。
福祉国家レジームのうちで高福祉・高負担型の「社会民主主義レジーム」である北欧とりわけスウェーデンでは、格差を生みだし社会の持続性を損なう「市場の失敗」を調整する機能をもつものとして、公共部門の重視がひじょうに徹底しているそうです。
これはおおまかなイメージですが、いわば市場を成り立たせている「社会総体」の健全さを市場原理から守り保障するために、所得の再分配を行う強力な公共部門が築かれてきた、ということだと思われます。
このことは、上記のように経済成長を維持する「構造改革」と称して「官から民へ」という掛け声のもと、公共部門がどんどんそぎ落とされ劣化し、いまや社会的セーフティネットが機能不全ないし崩壊に陥っている不安いっぱいのわが日本にとって、きわめて示唆に富む議論ではないかと思われました。
さて、そんなスウェーデンの福祉国家実現の歴史的過程は、次のように大まかに4つのステージに分類できるそうです。
①第二次世界大戦のころの危機の時代
ときのハンソン首相は困難なかで中立政策を堅持し、暗く貧しかった時代にもかかわらず、先見の明のある福祉政策の枠組みを作りました。
②戦後の高度経済成長期
1960年ごろまで続きます。
このあたりは日本ともパラレルであったことがわかります。
③高福祉国家建設の時代
注目すべきはこの時代で、まさにここがこの講義のポイントでした。
70年代半ばまでに達成された高福祉国家の建設は、その間一貫した増税路線とともにあったことが注目されます。
④成熟期
現在の状況です。
いまやスウェーデンは高度な福祉国家のさらに先を行く「緑の福祉国家」を目指し実現しつつあるわけです。
このように、とくに持続可能な社会を目指した「③高福祉国家建設」の時期に、それを実現するための負担を国民が受け入れてきた、という事実には驚くべきものがあると思いました。
ここが私たち日本人にとってはなかなか実感的にわかりにくいところで、とくに会場の皆さんも興味をもって聴いておられたようです。
じつはスウェーデンも、福祉国家建設スタート、②の戦後の高度経済成長期におけるその時点での状況は、国民負担率という側面では日本とあまりかわるところはなかったようです。
その後のスウェーデンの顕著な増税路線は、1960年~70年代半ばごろまでのかなり短い期間での、税率・国民負担率の急激な伸びにあらわれています。
しかし、それは日本的な「痛みに耐え」というようなものではなかったことが重要だと思われました。
その背景には「負担」は「受益」を伴うものであることを国民が賢くしっかり計算・納得してきたこともあります。
また一方で増税にあたり政府が巧みに「受益感覚を植え付けてきた」という、両方の側面もあったとのことです。
一例として急カーブを描いて増加する子どもの保育施設数のグラフを示し、藤井先生は「これが受益です!」と力を込めて語っておられました。
つまり税金が上がる一方で、たとえば保育所がニーズのとおり地域にどんどんできるのを見れば、しかもそれが公費で賄われることでタダ同然で利用できるのであれば、「負担が結局はトク」と納得せざるを得ないでしょう。
面白いことに、というかじつは当たり前のことなのかもしれませんが、税をはじめ国民負担率が急激に伸びていた時期に、スウェーデンの国会選挙の投票率はずっと90%前後の超高率(!)を維持していました。
しかもこのような高負担・高福祉路線を主導した首相エランデルは、第二次大戦期の危機状況下の名宰相ハンソンと並んで、いまや「国民の父」と呼ばれているそうです。
「痛み」ならぬ「受益」をともなう高負担が、国民の高い関心と支持を得てきた証であると思われました。
ともかく、藤井先生が次々に提示されるこの国民負担率のグラフをはじめとする資料からは、よく引き合いに出されるスウェーデンの「高負担」というものが、高度福祉国家の建設という政府と国民の強い意志に裏付けられたものであったことが感じられました。
ところで、目下膨大な赤字財政を抱えている現在の日本の困難は、残念ながらエランデル時代のスウェーデンよりも相当厳しいものがあるそうです。
なぜなら、かりに高負担を私たちが甘受したとしても、現在進行形で累積しつづけている莫大な財政赤字を減らすために、それらの財源の大部分が使われざるを得ないからです。
しかし赤字減らすこともまた、若い世代、さらに将来の子どもたちの世代のためと私たちは今納得する必要があるとのことです。
財政赤字は現役世代が漫然と後の世代に押しつける未来の負担にほかならないのだから、その意味でもむしろ私たちは増税を求めて声をあげるべきであるとの、藤井先生のとくに若い世代へのメッセージは力強く新鮮に聞こえました。
ともかく、これは「増税」ということに対するとらえ方を根本から変えさせられるお話です。
さて、このように高負担に支えられたスウェーデンの高福祉はつとに有名なところですが、なかでも一体的な子育て・家族政策と女性解放政策がきわめて重要だと藤井先生はおっしゃいます。
その理由を以下に報告できればと思います。
とくにこの日本では、税金とはひたすら「とられるもの」であり、したがって「増税」とは単なる負担増であると、私たち国民は受けとりがちではないでしょうか。
そして無駄ばかりの「官」=公共部門を削減することに、今の日本はある種血眼になっているように見えます。
つまり私たちの社会においては「経済を活性化し持続可能な経済成長を実現するためには、国民や企業の負担はできるかぎり軽くなければならない」ということが、ほとんど空気のような常識=あたりまえになっているわけです。
だからこそこの点に関するいわば時代錯誤・大誤解を解くことがとりわけ必須なのだと藤井先生は力説されます。
経済的にも依然好調であるとされるスウェーデンでは、一方で実質的に国民の所得の実に75%、4分の3が公共部門に振り向けられているそうです!
これは日本の私たちから見るとたしかに「異常な高負担」に見えますが、じつはここに大きな誤解があったのです。
それは目先の負担というごく一部の側面を見たときの話に過ぎないのです。
ともかく、この高負担の社会が、安心の高度な福祉国家を実現しているばかりでなく、経済・産業的にも好調なパフォーマンスをこれまで維持し、経済のグローバル化や苛烈な国際競争に見事に対応し続けてきているという明白な事実があります。
さらにそのスウェーデンがそれらを踏まえエコロジカルにも持続可能な社会を着実に実現しつつあるのは驚くべきことです。
私たちが日本の将来を考えたときに、この事実には注目しないわけにはいきません。
この事実を見れば、高福祉→増税・高負担→社会の活力低下→国際競争力低下、という日本での常識的な考え方の枠組みは、実は「神話」にすぎなかったことがわかります。
藤井先生のお話によれば、スウェーデンの成功とは「高負担にも関わらず」ではなく「高負担の故にこそ」あった、とのことです。
この点がなにより重要であると思われました。
福祉国家レジームのうちで高福祉・高負担型の「社会民主主義レジーム」である北欧とりわけスウェーデンでは、格差を生みだし社会の持続性を損なう「市場の失敗」を調整する機能をもつものとして、公共部門の重視がひじょうに徹底しているそうです。
これはおおまかなイメージですが、いわば市場を成り立たせている「社会総体」の健全さを市場原理から守り保障するために、所得の再分配を行う強力な公共部門が築かれてきた、ということだと思われます。
このことは、上記のように経済成長を維持する「構造改革」と称して「官から民へ」という掛け声のもと、公共部門がどんどんそぎ落とされ劣化し、いまや社会的セーフティネットが機能不全ないし崩壊に陥っている不安いっぱいのわが日本にとって、きわめて示唆に富む議論ではないかと思われました。
さて、そんなスウェーデンの福祉国家実現の歴史的過程は、次のように大まかに4つのステージに分類できるそうです。
①第二次世界大戦のころの危機の時代
ときのハンソン首相は困難なかで中立政策を堅持し、暗く貧しかった時代にもかかわらず、先見の明のある福祉政策の枠組みを作りました。
②戦後の高度経済成長期
1960年ごろまで続きます。
このあたりは日本ともパラレルであったことがわかります。
③高福祉国家建設の時代
注目すべきはこの時代で、まさにここがこの講義のポイントでした。
70年代半ばまでに達成された高福祉国家の建設は、その間一貫した増税路線とともにあったことが注目されます。
④成熟期
現在の状況です。
いまやスウェーデンは高度な福祉国家のさらに先を行く「緑の福祉国家」を目指し実現しつつあるわけです。
このように、とくに持続可能な社会を目指した「③高福祉国家建設」の時期に、それを実現するための負担を国民が受け入れてきた、という事実には驚くべきものがあると思いました。
ここが私たち日本人にとってはなかなか実感的にわかりにくいところで、とくに会場の皆さんも興味をもって聴いておられたようです。
じつはスウェーデンも、福祉国家建設スタート、②の戦後の高度経済成長期におけるその時点での状況は、国民負担率という側面では日本とあまりかわるところはなかったようです。
その後のスウェーデンの顕著な増税路線は、1960年~70年代半ばごろまでのかなり短い期間での、税率・国民負担率の急激な伸びにあらわれています。
しかし、それは日本的な「痛みに耐え」というようなものではなかったことが重要だと思われました。
その背景には「負担」は「受益」を伴うものであることを国民が賢くしっかり計算・納得してきたこともあります。
また一方で増税にあたり政府が巧みに「受益感覚を植え付けてきた」という、両方の側面もあったとのことです。
一例として急カーブを描いて増加する子どもの保育施設数のグラフを示し、藤井先生は「これが受益です!」と力を込めて語っておられました。
つまり税金が上がる一方で、たとえば保育所がニーズのとおり地域にどんどんできるのを見れば、しかもそれが公費で賄われることでタダ同然で利用できるのであれば、「負担が結局はトク」と納得せざるを得ないでしょう。
面白いことに、というかじつは当たり前のことなのかもしれませんが、税をはじめ国民負担率が急激に伸びていた時期に、スウェーデンの国会選挙の投票率はずっと90%前後の超高率(!)を維持していました。
しかもこのような高負担・高福祉路線を主導した首相エランデルは、第二次大戦期の危機状況下の名宰相ハンソンと並んで、いまや「国民の父」と呼ばれているそうです。
「痛み」ならぬ「受益」をともなう高負担が、国民の高い関心と支持を得てきた証であると思われました。
ともかく、藤井先生が次々に提示されるこの国民負担率のグラフをはじめとする資料からは、よく引き合いに出されるスウェーデンの「高負担」というものが、高度福祉国家の建設という政府と国民の強い意志に裏付けられたものであったことが感じられました。
ところで、目下膨大な赤字財政を抱えている現在の日本の困難は、残念ながらエランデル時代のスウェーデンよりも相当厳しいものがあるそうです。
なぜなら、かりに高負担を私たちが甘受したとしても、現在進行形で累積しつづけている莫大な財政赤字を減らすために、それらの財源の大部分が使われざるを得ないからです。
しかし赤字減らすこともまた、若い世代、さらに将来の子どもたちの世代のためと私たちは今納得する必要があるとのことです。
財政赤字は現役世代が漫然と後の世代に押しつける未来の負担にほかならないのだから、その意味でもむしろ私たちは増税を求めて声をあげるべきであるとの、藤井先生のとくに若い世代へのメッセージは力強く新鮮に聞こえました。
ともかく、これは「増税」ということに対するとらえ方を根本から変えさせられるお話です。
さて、このように高負担に支えられたスウェーデンの高福祉はつとに有名なところですが、なかでも一体的な子育て・家族政策と女性解放政策がきわめて重要だと藤井先生はおっしゃいます。
その理由を以下に報告できればと思います。