先だって、長妻昭 厚生労働相が「障害者自立支援法の廃止」を明言しました。
2006年10月に施行されたこの法律は、身体、知的、精神の3障害に対する支援を一元化するとともに、施設や事業の再編を図り、就労支援を強化して障害者の自立を促すのを目的に施行されたものでした。
しかし、それまでの制度が所得に応じてサービス利用料を負担する「応能負担」であったのに対して、利用したサービスに応じて定率で負担する「応益負担」になったことで、もともと経済的に苦しい障害者の負担増につながるとして、根強い反発がありました。
厚労省は新しい制度について検討しているとのことですので、人が人として生きていけるような制度を期待しています。
『光とともに…―自閉症児を抱えて―』という漫画が、秋田書店から刊行されています。
著者は戸部けいこさん、2004年にはテレビドラマとしても放映されました。
ある日、ごく普通に結婚をして幸せな生活を営んでいた夫婦にひとりの男の子が生まれます。
輝くような幸せを願って「光(ひかる)」と名付けられ大切に育てられますが、母親が戸惑うような行動が目立ちはじめ、後にその子は自閉症だと診断されます。
家族は葛藤し、周囲の無理解・偏見などに苦しみますが、徐々に皆で力を合わせて一つ一つの人生のステージを乗り越えていく様子が、丁寧に描かれています。
自閉症はその漢字のイメージから、「暗い性格で引きこもる人」と思われがちなようですが、実際は、走り回ったり一瞬のスキに外に出て行ってしまったりと、とても行動は活発です。
例えば団体行動の最中にふいっといなくなってしまうこともありますが、それは「自分にとって安心できる場所」を探していなくなるのだそうです。
そこで慌てて探したりせず待っていれば、そのうち自分で戻ってくるのだというお話を先日、聞きました。
また特徴として、周りの音を選んで聞くことができないため、すべての音が耳に入ってきてしまいます。
そのため、耳をふさいだり奇声を発し、周りの音を遮断しているのだそうです。
(※もちろん、二例ともケースバイケースです。)
一見すると「なんで?」と理解しがたい行動も、実は本人には自分を守るためにきちんと意味のあることなのだそうです。
それを理解するのはとても時間と労力のかかることですが、分かることができれば一緒にいることも特別なことではなくなるのかもしれません。
光くんのお父さんは、「光の場合、“何になる”じゃなくて“何になれるんだろう?”だな」と言います。
そして障害者と健常者がともに働く社会を夢見て、「特例子会社」の設立に尽力します。
特例子会社とは、障害者の雇用に特別な配慮をした親会社をもつ子会社のことです。
一定規模以上の事業主は、「障害者の雇用の促進等に関する法律」(障害者雇用促進法)に基づいて、障害者を一定割合以上 雇用すべき法律上の義務を負っています。
その割合を障害者雇用率と言いますが、一般の民間企業で1.8%、特殊法人で2.1%、国や地方公共団体で2.1%、都道府県等の教育委員会で2.0%です。
(警察官や自衛官・保安官 その他、除外職種もあります。)
以前にスウェーデンの「サムハル」の記事でも書きましたが、日本では障害カテゴリーによる優先雇用枠はありません。
しかし重度の身体および知的障害者については、一人 雇用すると二人の雇用とみなされる決まりがあります。
2006年からは精神障害者も雇用の対象となりました。
光くんのお父さんは、
「企業にとって障害者雇用は社会貢献などという一見やさしげなレベルではもはやありませんよ。
環境問題と同じくらい必要不可欠な重要な経営テーマなのです。」
と障害者雇用の重要性を訴えています。
一般の民間企業では障害者雇用率は1.8%ですが、それを達成できないと、1人につき月5万円の雇用納付金を納めなければなりません。
そして未達成で改善努力がみられなければ、企業名が公表されます。
サムハルと同じように、決して弱者救済型の福祉という思想に基づく雇用ではなく、企業の経営戦略として雇用を促進した方が良いとの見方もあります。
そして実際に、ジョブ・コーチと呼ばれる専門知識を持った指導員のもと、多くの障害をもつ方々が働いています。
欧米では、障害者を表す言葉として、「チャレンジド(The Challenged)」という言葉が使われ、日本でも広まりつつあります。
この言葉には「挑戦すべき課題や才能を与えられた人々」という意味がこめられていて、「ハンディキャップを跳ね返す」資格を(神から)与えられた人たち、挑戦するよう運命づけられた人たちのことを指すのだそうです。
「すべての人間は、生まれながらに自分の課題に向き合う力を持っている。しかも、その課題が大きければ大きいほど、力が強い。」という思想に基づいています。
どのような言葉を使っても肯定・否定の意見はあると思いますが、事実の認識さえ誤っていなければ、偏見を持ってみることは少なくなると思います。
誰だって、自分と同じように頑張っている ―皆がそう思える社会であれば、もっと問題が少なくなるのではないかと思っています。
2006年10月に施行されたこの法律は、身体、知的、精神の3障害に対する支援を一元化するとともに、施設や事業の再編を図り、就労支援を強化して障害者の自立を促すのを目的に施行されたものでした。
しかし、それまでの制度が所得に応じてサービス利用料を負担する「応能負担」であったのに対して、利用したサービスに応じて定率で負担する「応益負担」になったことで、もともと経済的に苦しい障害者の負担増につながるとして、根強い反発がありました。
厚労省は新しい制度について検討しているとのことですので、人が人として生きていけるような制度を期待しています。
『光とともに…―自閉症児を抱えて―』という漫画が、秋田書店から刊行されています。
著者は戸部けいこさん、2004年にはテレビドラマとしても放映されました。
ある日、ごく普通に結婚をして幸せな生活を営んでいた夫婦にひとりの男の子が生まれます。
輝くような幸せを願って「光(ひかる)」と名付けられ大切に育てられますが、母親が戸惑うような行動が目立ちはじめ、後にその子は自閉症だと診断されます。
家族は葛藤し、周囲の無理解・偏見などに苦しみますが、徐々に皆で力を合わせて一つ一つの人生のステージを乗り越えていく様子が、丁寧に描かれています。
自閉症はその漢字のイメージから、「暗い性格で引きこもる人」と思われがちなようですが、実際は、走り回ったり一瞬のスキに外に出て行ってしまったりと、とても行動は活発です。
例えば団体行動の最中にふいっといなくなってしまうこともありますが、それは「自分にとって安心できる場所」を探していなくなるのだそうです。
そこで慌てて探したりせず待っていれば、そのうち自分で戻ってくるのだというお話を先日、聞きました。
また特徴として、周りの音を選んで聞くことができないため、すべての音が耳に入ってきてしまいます。
そのため、耳をふさいだり奇声を発し、周りの音を遮断しているのだそうです。
(※もちろん、二例ともケースバイケースです。)
一見すると「なんで?」と理解しがたい行動も、実は本人には自分を守るためにきちんと意味のあることなのだそうです。
それを理解するのはとても時間と労力のかかることですが、分かることができれば一緒にいることも特別なことではなくなるのかもしれません。
光くんのお父さんは、「光の場合、“何になる”じゃなくて“何になれるんだろう?”だな」と言います。
そして障害者と健常者がともに働く社会を夢見て、「特例子会社」の設立に尽力します。
特例子会社とは、障害者の雇用に特別な配慮をした親会社をもつ子会社のことです。
一定規模以上の事業主は、「障害者の雇用の促進等に関する法律」(障害者雇用促進法)に基づいて、障害者を一定割合以上 雇用すべき法律上の義務を負っています。
その割合を障害者雇用率と言いますが、一般の民間企業で1.8%、特殊法人で2.1%、国や地方公共団体で2.1%、都道府県等の教育委員会で2.0%です。
(警察官や自衛官・保安官 その他、除外職種もあります。)
以前にスウェーデンの「サムハル」の記事でも書きましたが、日本では障害カテゴリーによる優先雇用枠はありません。
しかし重度の身体および知的障害者については、一人 雇用すると二人の雇用とみなされる決まりがあります。
2006年からは精神障害者も雇用の対象となりました。
光くんのお父さんは、
「企業にとって障害者雇用は社会貢献などという一見やさしげなレベルではもはやありませんよ。
環境問題と同じくらい必要不可欠な重要な経営テーマなのです。」
と障害者雇用の重要性を訴えています。
一般の民間企業では障害者雇用率は1.8%ですが、それを達成できないと、1人につき月5万円の雇用納付金を納めなければなりません。
そして未達成で改善努力がみられなければ、企業名が公表されます。
サムハルと同じように、決して弱者救済型の福祉という思想に基づく雇用ではなく、企業の経営戦略として雇用を促進した方が良いとの見方もあります。
そして実際に、ジョブ・コーチと呼ばれる専門知識を持った指導員のもと、多くの障害をもつ方々が働いています。
欧米では、障害者を表す言葉として、「チャレンジド(The Challenged)」という言葉が使われ、日本でも広まりつつあります。
この言葉には「挑戦すべき課題や才能を与えられた人々」という意味がこめられていて、「ハンディキャップを跳ね返す」資格を(神から)与えられた人たち、挑戦するよう運命づけられた人たちのことを指すのだそうです。
「すべての人間は、生まれながらに自分の課題に向き合う力を持っている。しかも、その課題が大きければ大きいほど、力が強い。」という思想に基づいています。
どのような言葉を使っても肯定・否定の意見はあると思いますが、事実の認識さえ誤っていなければ、偏見を持ってみることは少なくなると思います。
誰だって、自分と同じように頑張っている ―皆がそう思える社会であれば、もっと問題が少なくなるのではないかと思っています。