持続可能な国づくりを考える会

経済・福祉・環境の相互促進関係を!

持続可能な国づくりの会 理念とビジョン(画像をクリック)

  「理念とビジョン」全文                   ダイジェスト版                  

                    

障害=ハンディキャップ=チャレンジ

2009年09月28日 | 福祉
先だって、長妻昭 厚生労働相が「障害者自立支援法の廃止」を明言しました。

2006年10月に施行されたこの法律は、身体、知的、精神の3障害に対する支援を一元化するとともに、施設や事業の再編を図り、就労支援を強化して障害者の自立を促すのを目的に施行されたものでした。

しかし、それまでの制度が所得に応じてサービス利用料を負担する「応能負担」であったのに対して、利用したサービスに応じて定率で負担する「応益負担」になったことで、もともと経済的に苦しい障害者の負担増につながるとして、根強い反発がありました。

厚労省は新しい制度について検討しているとのことですので、人が人として生きていけるような制度を期待しています。





『光とともに…―自閉症児を抱えて―』という漫画が、秋田書店から刊行されています。
著者は戸部けいこさん、2004年にはテレビドラマとしても放映されました。


ある日、ごく普通に結婚をして幸せな生活を営んでいた夫婦にひとりの男の子が生まれます。
輝くような幸せを願って「光(ひかる)」と名付けられ大切に育てられますが、母親が戸惑うような行動が目立ちはじめ、後にその子は自閉症だと診断されます。

家族は葛藤し、周囲の無理解・偏見などに苦しみますが、徐々に皆で力を合わせて一つ一つの人生のステージを乗り越えていく様子が、丁寧に描かれています。


自閉症はその漢字のイメージから、「暗い性格で引きこもる人」と思われがちなようですが、実際は、走り回ったり一瞬のスキに外に出て行ってしまったりと、とても行動は活発です。

例えば団体行動の最中にふいっといなくなってしまうこともありますが、それは「自分にとって安心できる場所」を探していなくなるのだそうです。

そこで慌てて探したりせず待っていれば、そのうち自分で戻ってくるのだというお話を先日、聞きました。

また特徴として、周りの音を選んで聞くことができないため、すべての音が耳に入ってきてしまいます。
そのため、耳をふさいだり奇声を発し、周りの音を遮断しているのだそうです。

(※もちろん、二例ともケースバイケースです。)

一見すると「なんで?」と理解しがたい行動も、実は本人には自分を守るためにきちんと意味のあることなのだそうです。
それを理解するのはとても時間と労力のかかることですが、分かることができれば一緒にいることも特別なことではなくなるのかもしれません。



光くんのお父さんは、「光の場合、“何になる”じゃなくて“何になれるんだろう?”だな」と言います。

そして障害者と健常者がともに働く社会を夢見て、「特例子会社」の設立に尽力します。

特例子会社とは、障害者の雇用に特別な配慮をした親会社をもつ子会社のことです。
一定規模以上の事業主は、「障害者の雇用の促進等に関する法律」(障害者雇用促進法)に基づいて、障害者を一定割合以上 雇用すべき法律上の義務を負っています。

その割合を障害者雇用率と言いますが、一般の民間企業で1.8%、特殊法人で2.1%、国や地方公共団体で2.1%、都道府県等の教育委員会で2.0%です。
(警察官や自衛官・保安官 その他、除外職種もあります。)

以前にスウェーデンの「サムハル」の記事でも書きましたが、日本では障害カテゴリーによる優先雇用枠はありません。

しかし重度の身体および知的障害者については、一人 雇用すると二人の雇用とみなされる決まりがあります。
2006年からは精神障害者も雇用の対象となりました。



光くんのお父さんは、
「企業にとって障害者雇用は社会貢献などという一見やさしげなレベルではもはやありませんよ。
環境問題と同じくらい必要不可欠な重要な経営テーマなのです。」
と障害者雇用の重要性を訴えています。

一般の民間企業では障害者雇用率は1.8%ですが、それを達成できないと、1人につき月5万円の雇用納付金を納めなければなりません。
そして未達成で改善努力がみられなければ、企業名が公表されます。

サムハルと同じように、決して弱者救済型の福祉という思想に基づく雇用ではなく、企業の経営戦略として雇用を促進した方が良いとの見方もあります。

そして実際に、ジョブ・コーチと呼ばれる専門知識を持った指導員のもと、多くの障害をもつ方々が働いています。



欧米では、障害者を表す言葉として、「チャレンジド(The Challenged)」という言葉が使われ、日本でも広まりつつあります。

この言葉には「挑戦すべき課題や才能を与えられた人々」という意味がこめられていて、「ハンディキャップを跳ね返す」資格を(神から)与えられた人たち、挑戦するよう運命づけられた人たちのことを指すのだそうです。

「すべての人間は、生まれながらに自分の課題に向き合う力を持っている。しかも、その課題が大きければ大きいほど、力が強い。」という思想に基づいています。

どのような言葉を使っても肯定・否定の意見はあると思いますが、事実の認識さえ誤っていなければ、偏見を持ってみることは少なくなると思います。

誰だって、自分と同じように頑張っている ―皆がそう思える社会であれば、もっと問題が少なくなるのではないかと思っています。


ご案内: 第3回シンポジウム 11月15日 新横浜

2009年09月21日 | シンポジウム
―― 当会の紹介動画は こちら ――


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【転送・転載歓迎】
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   持続可能な国づくりの会<緑と福祉の国・日本>主催

□ 持続可能な日本のビジョン――市民でつくる協力社会の理念とビジョン

【日時】 2009年11月15日(日)  13:00~16:30
【会場】 横浜市スポーツ医科学センター 大研修室
     新横浜駅より、徒歩15分程度。日産スタジアム内。
     http://www.yspc.or.jp/ysmc/access.htm    
【参加費】 一般の方1,500- 会員の方1,000-
【申込】 以下のフォームからお願いします。
     http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P5485478
      ※当日の受付もする予定ですが、事前に申し込みを
       してくださった方を優先とさせていただきます。     
【定員】 100名(申込先着順)
【お問い合わせ】 持続可能な国づくりの会事務局
           jimukyoku@jizokukanou.jp
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<当日のスケジュール> (予定)

 12:30~13:00 開場
 13:00~13:15 開会の挨拶
 13:15~13:30 理念とビジョンの試案報告
 13:30~14:30 各パネリストからのコメント
 14:30~14:50 休憩 
 14:50~16:00 質疑応答
 16:00~16:30 まとめ ご意見とアンケート記入  

<プログラム概要>

当会ではこれまでのシンポジウム等で、私たちの日本社会の将来
ビジョンは、格差と不安をもたらす競争社会の方向ではなく、安心
を生み出す協力社会にこそあること、そのような成熟した社会では
経済と福祉と環境が相互促進的になりうることを確認してきました。
そして今やその可能性がますます現実味を帯びつつあります。

本シンポジウムでは、各分野の第一人者であるパネリストと来場
のみなさんで、当会が掲げる日本の理念とビジョン=協力社会への
新しい見取り図をともにつくり上げていきたいと考えています。

<パネリスト略歴 (50音順)>

■岡野守也(おかの・もりや)氏 

 元牧師、元編集者。エコロジー、トランスパーソナル心理学などの
 編集企画に携わり、現在はサングラハ教育・心理研究所を主宰、講演、
 執筆等の活動を続けている。著書『コスモロジーの創造』 『唯識の心理学』他。

■小澤徳太郎(おざわ・とくたろう)氏

 元スウェーデン大使館科学技術部環境保護オブザーバー。
 現在は環境問題スペシャリストとして執筆、講演活動を続け、
 多くの大学の講師を務める。著書『スウェーデンに学ぶ「持続可能な社会」』他。

■西岡秀三(にしおか・しゅうぞう)氏

 国立環境研究所理事、参与等を経て現在同特別客員研究員。
 環境システム学、環境政策学、地球環境学。1988 年より現在まで
 IPCC第2作業部会副議長など歴任。著書『新しい地球環境学』(編)他。

■藤井威(ふじい・たけし)氏

 みずほコーポレート銀行顧問。大蔵省理財局長、内閣官房内政審議室長を経て、
 1997 年から2000 年まで駐スウェーデン特命全権大使としてストックホルム在勤。
 著書『スウェーデン・スペシャル[1]~[3]』他。

   ※パネリストは現時点の予定で、変更となる場合があります

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□更に詳しい内容については、当会HPをご覧ください。

  http://jizokukanou.jp
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再度のご案内です

2009年09月11日 | 学習会
ご案内しておりました、岡野守也氏の学習会が明後日に開催されます。

(※ 予定しておりました当会顧問・大井玄氏による講演は、残念ながら講師のご都合により延期となりました。
   改めて日程が決まりましたら当ブログやホームページにてお知らせします。)


岡野氏は当会の運営委員であり、サングラハ教育・心理研究所の主幹をされている方です。
心や人間性の問題を専門に研究されておられます。

心理学や宗教学・哲学などは難解なものも多くありますが、いつも聞く方にわかりやすいように工夫してお話しくださっています。


今回の講演『持続可能な社会を実現できる心とは』は、社会システムを運用している「人間」の「心」がどのようであれば、より良い社会を作れるのかということを、様々な観点から解説してくださいます。


事前お申し込みは以下の受付ファームから、当日のお申し込みは直接 会場(日産スタジアム内 中研修室)までお越しください。

皆さまのご参加をお待ちしております。


≫≫参加受付フォーム



(PDF版はこちら

環境社会の原点

2009年09月09日 | スウェーデン
※9月13日の大井玄氏の講座は延期となりました。
 代理として、岡野守也氏をお招きしお話を伺います。詳しくは、―こちら―をご覧ください。


1906~1907年にかけて、ある本が出版されました。

『ニルス・ホルゲルソンの素晴らしきスウェーデン旅行』
(Nils Holgeerssons underbara resagenom Sverige)
スウェーデンの女流作家、セルマ・ラーゲルレーヴの著書で、日本でも『ニルスのふしぎな旅』と題したアニメで人気となったお話です。


『ニルス』の本にはどのような役割があり、なぜ読み継がれるようになったのでしょうか。

「『ニルス』に学ぶ地理教育  環境社会スウェーデンの原点」(村山朝子氏・著 ナカニシヤ出版)を引用しながら、ご紹介したいと思います。



1880年、スウェーデンでは公立小学校教員組合が組織され、階級制のない統一学校運動が推し進められました。 

地名や産物だけを覚える教科書への批判から、ラーゲルレーヴに新しい教科書作成の依頼がされました。
その狙いは、「郷土の美しい自然と風土の優れた印象を与え、祖国の民であることの喜びをもたせる」というもの。

そうして、『ニルス』は小学生のための地理読本として誕生しました。



ニルス・ホルゲルソンは、スウェーデンの南端部、農業が盛んなスコーネ地方の農家の一人息子です。
動物いじめが大好きなわんぱく少年ですが、いたずらがもとで、ニルスは妖精に親指くらいの大きさにされてしまいます。
小さくなったニルスは、ガチョウの背に乗り、ガンの群れについてスウェーデン一周の旅に出ることになりました。


小さくなった途端に、動物や小さな生き物たちと話が出来るようになったニルスは、これまで知らなかったことを各地で見聞きしたり、いろいろな出来事に遭遇したりするなかで、生きとし生けるものを愛し、尊重し、助け合うことの大切さに少しずつ気付いていきます。

旅をともにしたガチョウが祭の供物として両親に殺されそうになったとき、助けようとして両親の前に飛び出すと、その拍子に妖精がかけた魔法が解け、ニルスは人間の姿に戻ります。

勇気と協調性とを身につけて、頼もしい少年に成長したニルスが無事に帰ってきたのを、両親はたいそう喜びました。



旅の中でニルスは、畑のない森の奥深くにも整然とした町があるのを発見します。
人々のくらしを支えるのは農業だけではないことを知り、農業が振るわない北の地域は何もない貧しいところであるという認識を徐々に改めていきます。

そして、それぞれの地域に鉱物や森林資源を利用した産業が形成され、その産業が都市を成長させ、人々のくらしを支えていることにも気づきます。


かつてはスウェーデンにおいても、自然環境の違いからもともとあった南北の差、あるいは都市と農村との地域差が、近代化とともに大きな経済格差となっていました。

しかしこれらの差異を、ラーゲルレーヴは地域の個性としてとらえました。
そして地域の多様性を認識し、それらを尊重することを『ニルス』のテーマとしました。


スウェーデンの厳しい風土は、人々に早い時期から気付きをもたらします。

みだりに自然に手を加えたりすれば、自然は再生力、治癒力が弱く元に戻らないこと、自然とうまくつきあっていかないと自分たちの生活そのものが危うくなること。



そうして、いまや国民性ともいうべき自然と人間との共生という環境思想が形成されました。
『ニルス』の全編に流れているのは、生きとし生けるものと大地そのものへのいたわり、そしてすべての生あるものとそれを育む大地への畏敬と愛です。

そこには、今もスウェーデンの人々が大事にしている精神が息づいています。


日本では子ども向けの冒険物語として認識されてしまっている『ニルス』ですが、そこに描かれているのは、今の私たちにも当てはまる問題意識です。

そして人間とその生活には何が必要で、どう営まれるべきか、それを教えてくれています。


最後に、ガンの隊長・アッカの台詞を。

「あんたがわたしの生活で、なにかよいことをおぼえたとしたらだね、人間はこの世の中に自分たちだけでくらしているのだと思ってはいけないと考えるだろうね。
あんたがたは大きな土地をもっているのだから、少しばかりのはだかの岩礁や沼や湿地、さびしい山や遠くの森などを、私たちのような貧しい鳥や獣が安心していられるように分けてくれることは十分にできるのだ、ということを考えてもらいたいのだよ。
わたしはこれまで、ずっと追われどおしだったのだよ、私のようなものにも、安心していられる場所があればいいと思うのだよ。」

自由に自然を満喫できる権利

2009年09月07日 | 環境
※9月13日の大井玄氏の講座は延期となりました。
 代理として、岡野守也氏をお招きしお話を伺います。詳しくは、―こちら―をご覧ください。


日本人は近代以前まで、自然とともに生き、自分たちよりも大きな存在と感じ、自然に対して愛と崇敬の念をもって接してきました。

そうして育まれた心は、私たちのアイデンティティに深く根ざしていると思うのですが、残念ながら今日では、それを思い起こす機会があまりにも少ないと感じています。

日頃から、川に入ったり、木に登ったり、草原に寝転んだりしていますか?

自然とともに在ると感じることはありますか?




そんなことを思いながら、少しスウェーデンの記事を続けたいと思います。

スウェーデンには古くから、「アレマンスレッテン:Allemansrätten」と呼ばれる世界でも珍しい慣習法があります。
日本語では、「自然享受権、万民権、万有権」と訳されています。

この法律の特徴は、「誰でも自由に自然に接触できる」こと。

人々は、たとえ私有地であっても、住宅地のすぐ近くでなければ自由に散策できるそうです。

許可なく立ち入って、野のベリーやキノコ、花などを摘むことができ、1~2晩だけならばテントを張ることも許されています。



この権利の基本原則は「責任のもとでの自由」。
ゴミを捨てたり、木の枝を折ったり、軽率な火の使い方をしたりして自然を傷つけないこと――という、当然の義務に基づいています。

ただし希少な植物の採集は禁じられていて、土地の所有者、鳥や動物の邪魔にならないように注意することが必要です。



このアレマンスレッテンは国民個々人の重要な権利ですが、商業的な目的や観光客は例外です。

スウェーデン人はずっと自然に親しんでくるなかで、天然資源には限りがあることに早くから気づいていました。
(もちろんこれは、地理的な条件も伴っています。)
そして今では、環境先進国と言われる活動で世界をリードしています。


当会の顧問である環境問題スペシャリストの小澤徳太郎氏は、「地球資源は有限である」ということを、ずっと啓蒙し続けてこられました。

しかし私たちは、世界的に見ても豊かな日常生活に慣れ、なかなか意識することがないのではないでしょうか。

自然という資源も資本主義的な搾取の対象になっています。

日本人とスウェーデン人。
ともに自然を愛し、生きてきた歴史のある国民だと思いますが…。

そこから生まれた意識の違いは、今まさに大きな行動の差に出ているのだと思いました。


参考:「スウェーデン&スウェーデン人」-スウェーデン文化交流協会

9月13日学習会・岡野守也氏講演について

2009年09月02日 | 学習会
 先日の記事でお伝えしたとおり、9月13日に予定していた当会顧問・大井玄氏による講演は、残念ながら講師のご都合により延期となりました。改めて日程が決まりましたら当ブログやホームページにてお知らせします。

 変わって同日、当会運営委員でサングラハ教育・心理研究所の主幹をされている岡野守也氏の講演「持続可能な社会を実現できる心とは」を開催します。
 皆さまのご参加をお待ちしております。


(PDF版はこちら

 現代の直面している大問題、たとえば地球環境問題は、外面の・リアルな現象であり、内面・心とは別の分野の問題だと一般的に考えられていると思われます。

 ところが氏の長年の研究に基づく社会・人文の両面にわたる科学的根拠をもった指摘によると、それは別問題どころか深く結びついた不可分の問題、さらにはコインの表裏のように一体の現象であることが、まるで「コロンブスの卵」の譬えのようによくわかります。

 そのことを、岡野氏はアメリカの思想家であるケン・ウィルバーの「四象限理論」を中心に、心とりわけ深層心理学をめぐる諸理論を援用しつつ述べておられます。

 たしかにこの視点からすると、環境問題をはじめとする私たちの社会の持続可能性の危機に対しては、人の心・動機・欲求(欲望)・目的…と人間集団の文化・常識・価値観・世界観…すなわち「内面の次元」を問題にして取り組まない限りは、外面の取り組みだけにどれほど力を注いだとしても、実効性の薄いあるいは無いものになってしまうことは、たぶん明らかだろうと見えます。

 なぜなら、そういった個人の行動や集団のシステムという外面にあらわれた問題とは、対となる内面の歪んだ構造、いわば病理によって引き起こされているものだからです。
 もともと一つだったはずの問題の、本質的に不可分な半面への理解が欠如していたのでは、まして問題の解決はおぼつかない、というその分析はきわめて理にかなっているといわざるを得ないでしょう。
 
 心がなければ社会はそもそも存在しないというのは自明なのですが、その当たり前だったはずのことがなかなか見えにくくなってしまっているという、思想的な現状があるのではないかと思われます。
 
 現在、講師の岡野氏の個人ブログで連載されている雑誌記事の再録が、ちょうどこの箇所に差し掛かっていると思われますので、ぜひそちらを参照していただければと思います。
伝えたい!いのちの意味―岡野守也の公開授業+α 「環境問題と心の成長」19

 急遽の変更となりましたが、大井玄氏の問題意識と同様のテーマに関する講演となります。重ねてぜひご参加ください。

≫≫参加受付フォーム