持続可能な国づくりを考える会

経済・福祉・環境の相互促進関係を!

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参院選挙の結果について思うこと

2016年07月11日 | 政治

 

 今回の参院選の結果は、きわめて残念なものでした。

 それは、これで当面数年間日本の進む方向が、私たちの願っている「エコロジカルに持続可能な福祉国家」からも、「持続可能な福祉国家」からさえもいっそう遠ざかることになる、と思われるからです。

 しかし、エコロジカルに持続可能な国家からエコロジカルに持続可能な人類社会という方向は、私たちの学びえたデータと理論を元にできるだけ統合的に検討してみて、全地球的文明崩壊を避けるため・生き残ための唯一の道だと考えられるので、今後も「バタフライ効果」を期待しながら、方向提示・提案の発言を続けていきたいと思っています。

 今後も、ぜひ、みなさんのご理解・ご協力・ご参加をお願いしたいと思います。

                   運営委員長 岡野守也

 

 


民進党の綱領へのコメント

2016年03月28日 | 政治

 

 「民進党」が結成され、3月27日のHPに綱領全文が掲載されていました。      

 「持続可能な国づくりを考える会」の運営委員長として会の「理念とビジョン」を踏まえているつもりで、しかし現段階では全体討議を経ていないという意味であくまでも個人的な、コメントをしておきたいと思います。 

 何よりも憲法改悪を阻止するために、それから建前という意味ではこの綱領に大筋合意できるので、私個人としては少なくとも夏の参院選までは「注文の多い暫定的支持者」になるつもりです。 

 しかし、「持続的支持者」になるかどうかは、1つはこれからの行動に現われる本音と実行力・実績、もう1つは中期的に綱領に不足している視点が訂正・増補されるかどうかを見きわめてから決めたいと思っています。 

 まず、結党の理念の「自由」「共生」「未来への責任」は全面的に賛同できるものです。 

 (私たちの目指すもの)の一、「自由と民主主義に立脚した立憲主義を断固として守る」、二、「共生社会をつくる」、五、「専守防衛を前提に外交安全保障における現実主義を貫く」なども異議なしです。 

 次からは「注文」です。

 三の「未来への責任を果たす」のなかで、「原発に頼らない社会を目指す」という表現は原発の危険性に対しては悠長だと感じられ、せめて「原発のない社会を現実的に可能な限り早急に実現する」といった表現にしてほしかったと思います。 

 四の、「公正な分配による人への投資なくして持続可能な成長は達成できない」という視点は私たちの会の「理念とビジョン」と基本的に一致しています。

 ただいっそう明快に「福祉と経済を相互促進関係にすることはできる」「高度な産業を育てるような福祉を実施する国家=ワークフェア国家を目指す」という点が表現されているとよかったのではないかと考えます。 

 さらに、四に「市場経済を基本とし、地球環境との調和のもと、経済成長を実現する」とあるのも賛同ですが、理念として「自然との共生」が謳われるのではなく、(目指すもの)の4番目に置かれているところが私たちの会の「理念とビジョン」と比較してきわめて不十分だと考えます。

 この点は、人間と自然のつながり・一体性への本質的理解と「環境(への配慮)と経済は相互促進関係にできる」ことへの理解が不十分なためではないかと推測されます。 

 まとめて言えば、より意識的に「エコロジカルに持続可能なワークフェア国家」を目指すようになってもらいたい、という注文付きで、民進党を暫定的にしかし強く支持したい、と私は考えています。 

 運営委員、会員のみなさんのご意見をお聞かせください。 

 また会員でない方からもご意見をいただけると幸いです。

 

 以下長くなりますが、参考に民進党綱領の全文を転載します。 

****************************** 

        民進党綱領

                                                                              2016年03月27日 

 我が党は、「自由」「共生」「未来への責任」を結党の理念とする。
 私たちは、「公正・公平・透明なルールのもと、多様な価値観や生き方、人権が尊重される自由な社会」「誰もが排除されることなく共に支え、支えられる共生社会」「未来を生きる次世代への責任を果たす社会」を実現する。 

(私たちの立場) 

 我が党は、「生活者」「納税者」「消費者」「働く者」の立場に立つ。
 未来・次世代への責任を果たし、既得権や癒着の構造と闘う、国民とともに進む改革政党である。 

(私たちの目指すもの) 

一. 自由と民主主義に立脚した立憲主義を守る

 私たちは、日本国憲法が掲げる「国民主権」「基本的人権の尊重」「平和主義」を堅持し、自由と民主主義に立脚した立憲主義を断固として守る。象徴天皇制のもと、新しい人権、統治機構改革など時代の変化に対応した未来志向の憲法を国民とともに構想する。 

二. 共生社会をつくる

 私たちは、一人一人がかけがえのない個人として尊重され、多様性を認めつつ互いに支え合い、すべての人に居場所と出番がある、強くてしなやかな共に生きる社会をつくる。
 男女がその個性と能力を十分に発揮することができる男女共同参画を推進する。
 「新しい公共」を担う市民の自治を尊び、地方自治体、学校、NPO、地域社会やそれぞれの個人が十分に連携し合う社会を実現する。
 正義と公正を貫き、個人の自立を尊重しつつ、同時に弱い立場に置かれた人々とともに歩む。 

三. 未来への責任 改革を先送りしない

 私たちは、未来を生きる次世代のため、税金のムダ遣いを排するとともに、国の借金依存体質を変える行財政改革、政治家が自らを律し身を切るなどの政治改革、地方の創意工夫による自立を可能とする地域主権改革を断行する。
 原発に頼らない社会を目指すとともに、東日本大震災からの復興を実現し、未来への責任を果たす。 

四. 人への投資で持続可能な経済成長を実現する

 私たちは、市場経済を基本とし、地球環境との調和のもと、経済成長を実現する。安全・安心を旨とした上で、市場への新規参入を促し、起業を促進する規制改革を実行する。
 経済成長は幸福をもたらすものでなくてはならない。公正な分配による人への投資なくして持続可能な成長は達成できない。持続可能な社会保障制度の確立、生涯を通じた学びの機会の保障など人への投資によって、人々の能力の発揮を阻んでいる格差を是正する。それによって支え合う力を育み、幸福のための成長を実現する。 

五. 国を守り国際社会の平和と繁栄に貢献する

 私たちは、専守防衛を前提に外交安全保障における現実主義を貫く。我が国周辺の安全保障環境を直視し、自衛力を着実に整備して国民の生命・財産、領土・領海・領空を守る。日米同盟を深化させ、アジアや太平洋地域との共生を実現する。
 国際連合をはじめとした多国間協調の枠組みを基調に国際社会の平和と繁栄に貢献し、核兵器廃絶、人道支援、経済連携などにより、開かれた国益と広範な人間の安全保障を実現する。 

以上


憲法改悪が阻止できるかもしれない

2016年02月19日 | 政治

 運営委員長の岡野です。

 今日の毎日新聞のネット版を見ていたら、ようやく日本の政治に少し希望の持てるニュースがありました。

 「野党5党  安保法廃止法案を提出…国政の選挙協力で一致

 「民主、共産、維新、社民、生活の野党5党は、安全保障関連法を廃止する「平和安全法制整備法廃止法案」と「国際平和支援法廃止法案」を衆院に共同提出した。これに先立ち5党は国会内で党首会談を開き、参院選や衆院補選など国政選挙での選挙協力を進めることで合意した。

 ……夏の参院選に向け、関連法に反対する市民団体と連携しながら政権への対決姿勢を強める。

 党首会談では、民主の岡田克也代表が関連法廃止と集団的自衛権行使を認めた閣議決定の撤回▽安倍政権打倒を目指す▽国政選挙で現与党とその補完勢力を少数に追い込む▽国会対応や国政選挙のあらゆる場面で協力する−−の4点を呼びかけ、5党で合意した。

 昨夏に共産が国民連合政府構想を呼びかけて以来、民主、共産両党が選挙協力方針で一致するのは初めて。

 共産の志位和夫委員長は「参院選の(改選数1の)1人区で思い切った対応をしたい。国民連合政府の旗は横に置いて協力したい」と述べ、1人区での独自候補取り下げに前向きに応じる考えを示した。」

 とりあえず党利党略ばかりでない決断をしてくれたことについて、野党5党に拍手を送りたいと思います。

 これで、憲法改悪を阻止するためのぎりぎりの条件、〈夏の参院選で改憲勢力に3分の2を取らせないこと〉が可能になるかもしれません。

 それがなんとかなったら、「持続可能な国づくり」の理念とビジョンを担ってくれる新党の誕生に向けて可能な働きかけを、気長にやっていく時間的余裕がいくらか生まれることになりそうで、少し希望を感じたというわけです。

 しかし、手遅れにならないように、希望のあるうちに、ぜひできることをやっていきましょう。

 まずは、学習会への参加から。お待ちしています。

 


言論統制への傾き

2016年02月11日 | 政治

 

 8日、NHKの国会中継を見ていたら、高市総務大臣が以下のような発言をしていました。

 

高市早苗総務相は8日の衆院予算委員会で、放送局が政治的な公平性を欠く放送を繰り返したと判断した場合、放送法4条違反を理由に、電波法76条に基づいて電波停止を命じる可能性に言及した。」(高市総務相、電波停止に言及 公平欠ける放送に「判断」 朝日DIGITAL ’16.2.9 http://www.asahi.com/articles/ASJ286TWTJ28UTFK00W.html

 

そういえば、高市氏は去年11月にも、記者会見で次のような発言をしていました。

 

151110 高市早苗・総務大臣 記者会見

https://www.youtube.com/watch?v=itNC0Xhau3M

 

高市氏を含む安倍政権が、言論の自由を軽視している、それどころかある種の言論統制を進めようとしていることは、これらの事例からも明らかであり、きわめて危険な状況だと思います。

 

 それに対して、以下の記事のように、法的な対抗措置がないわけではないようですが、そもそも日本の現在の司法は行政・権力に対してしっかりと独立性を保っているかどうか、はなはだ疑わしいと思われます。

 

宮武嶺のエブリワンブログ ’16.2.9

高市総務相が放送法4条違反の放送局の電波停止の可能性を明言。これで「行政指導」も取消訴訟の対象に。

http://blog.goo.ne.jp/raymiyatake/e/755c0843633b7d1a9d901171fee94662

 

 こうした方向を変えるには、まだなんとか機能している議会制民主主主義・選挙制度を生かすしかないのではないでしょうか。

 

 今なら、まだ間に合うと思われます。次の選挙で何とかしたいものです。

 

 歴史の大きな岐路にあって、国民総体が間違った選択をしないことを切に祈っています。

 


憲法改悪とナチス全権委任法について

2016年02月06日 | 政治

 運営委員長の岡野です。

 すでに早くから気づいておられた方には不要でしょうが、最近までの筆者のように、本ブログの読者でまだ気づいておれらない方もいるかもしれませんので、参考までに情報提供をしておきたいと思います。

 現副総理の麻生太郎氏は2013年7月29日に都内で行なわれた講演会で以下のような発言をして、国内外から批判され、後で撤回したそうですが、現在に到るまで自民党の憲法改正(実質的改悪)のもくろみがこういう方向にあることは、全体の流れを読むと明らかだ、と私には思えますが、どうでしょうか。

 もし私の推測が当たっているとしたら、日本はきわめて危険な状況にあると思われます。

 以下は、検索した情報のなかの代表的なものです。情報は反対意見も含め、非常にたくさんありますから、ご自分でも検索して、日本の状況がきわめて危険かどうか、ご自分の判断をしてください。

 

麻生太郎「ナチスの手口に学んだらどうか」発言('13.7/28) の音声・動画

ナベテル業務日誌 京都の弁護士 渡辺輝人のブログ 2013年08月02

麻生太郎のナチス発言を国語の受験問題的に分析してみる

ウィキペディア「全権委任法」(’16.2/6現在)

 


憲法改悪の危険性について

2016年02月02日 | 政治

 運営委員長の岡野です。

 個人的事情のため、しばらく発言をしていませんでしたが、最近の日本の政治状況は非常に危険で放置しておけない状態にあると思われますので、影響力がどれくらいあるかにかかわらず、ともかく発言するだけでもしておこうという気持ちになりました。

 今夜は、1点だけ短く書いておきます。

 今、日本の政治状況はきわめて危険な曲がり角に差し掛かっている、と筆者は認識しています。

 昨年の安保関連法案の強行採決に続いて、安倍内閣は憲法改正(実質は改悪)をもくろんでいます。

 なかでも第9章「緊急事態」の条項はナチス政権における全権委任→独裁に到るプロセスに似ていると指摘されていて、筆者もきわめて危険だと考えています。

 そういう意味で、現政権に衆参両議院における3分の2以上の議席を与えることは、日本の近未来にとって致命的なものになるだろう、 日本は持続可能性からますます遠ざかることになるだろう、と深く憂慮しています。


 しかし、これはあくまで私見です。読者のみなさんも、ぜひ正確な情報を収集して、ご自分の判断をしていただきたいと思います。

 *自民党『日本国憲法改正草案』(現行憲法対照) 平成24年4月27日決定

 https://www.jimin.jp/policy/policy_topics/pdf/seisaku-109.pdf

 *「自民党憲法草案の条文解説」

 http://satlaws.web.fc2.com/92.html

 


衆議院選挙に向けて

2014年12月04日 | 政治

 運営委員長の岡野です。衆議院選挙に向けて一言書かせていただきます。

 

 14日に衆議院の選挙ということになった。

 気候変動というもっとも大きな規模の危機の時代であるにもかかわらず、不思議かつきわめて残念ながら日本には「エコロジカルに持続可能な福祉国家」を目指すという理念とビジョンのある政党がいまだに存在しないので、私も「支持政党なし・無党派層」ということになる。

 しかし、民主主義国家の国民の権利と義務として、言うまでもなく棄権はしない。

 期日前投票で、今回も安倍政権への「批判票」を投じようと思っていたら、今日の毎日新聞になかなか示唆深い記事があった。

 「衆院選:投票先に悩むアナタへ…「戦略的投票」のススメ」というタイトルの記事である。

 「師走の衆院選がスタートした。自分が心から支持する候補者に1票を投じる……それができれば一番いい。だが「自分が望む政策と同じ公約を掲げる党がない」「与党も野党も信用できない」「小選挙区に意中の候補がいない」……そんな時、棄権するしかないのか、何かできることはないのか。専門家に聞いた。」

 「混沌(こんとん)とした状況で、自分の1票を生かすにはどうしたらいいのか。考え方を整理するためまずは、ゲーム理論に詳しい早大の船木由喜彦(ゆきひこ)教授を訪ねた。/船木さんによると、自分が最も支持する候補者に1票を投じる、これをゲーム理論では「真実表明」と呼ぶ。そして、それ以外の投票方法を「戦略的投票」と呼ぶ。」

 詳しいことは記事そのものを参照していただくことにするが、なるほど「批判票」という言葉で私が考えていたのはこの「戦略的投票」とほぼ同じだなと思った。

 ぜひ、読者のみなさんにも棄権しないで、「戦略的投票」をしていただくことを強くお勧めしたい。

 そして、さらに中長期に向けてあきらめず、ご一緒に「エコロジカルに持続可能な福祉国家」を目指す新党の誕生を期待し続けたいと思う

 


第一次安倍内閣の「21世紀環境立国戦略」はどこに?

2014年09月03日 | 政治

 運営委員長の岡野です。 

 第二次安倍内閣の内閣改造のニュースが流れています。 

 安倍内閣関係のニュースを聞くたびに、思い出すのは、第一次安倍内閣の時に言っていた「美しい星50」1) 2)  や「21世紀環境立国戦略」 のことです。 

 あの話はどこに行ってしまったのでしょう? 

 第二次安倍内閣がやっていることを見ていると、あれは例によってただの建前-美辞麗句の作文にすぎなかったのだろうな、と思わざるをえません。 

 なので、改造されても、環境問題に本格的に取り組む気がないことは変わらないだろう、と予想せざるをえません(今回も安倍総理の口からは「経済最優先」という言葉が出ていました)。

 もちろん人間は、突然回心するということもあるので、必ずそうなるとはかぎっていませんし、どこかで環境問題の深刻さを実感して変わってほしいとは願いますが。 

 度重なる記録的大雨や土砂崩れや竜巻などを、ご自身で体験されたみなさん、ニュースで見聞きしているみなさん、このままで日本はだいじょうぶだとお思いですか?

 


向かうべきは社会民主主義と混合経済?

2013年05月09日 | 政治

 運営委員長の岡野です。ご無沙汰してしまいました。

 安倍政権の暴走ぶりとそれをかなり多くの国民が支持しているらしいという報道に、今は何を言っても効果はなさそうだな、とやや発言意欲を失っていましたが、当面の効果を考えず、ともかく言うべきことを言っておくべきだと思い、久しぶりに記事を書くことにしました。

 以下は、あくまで私見で、みなさんと議論するための問題提起だと思ってください。

  「エコロジカルに持続可能な国づくり」という視点から見て、今のところもっとも成功しているのがスウェーデンであることは国際的評価の一致しているところです。 

 そして、私はスウェーデンについてかなり多数の文献を学び、1度ですが現地で徹底的聞き取り調査もしてみた結果、それを可能にした思想はスウェーデンの国民性から生まれた成熟した民主主義(社会民主主義あるいは自由派社会主義)とその経済体制としての「混合経済」である、と確認するに到りました。 

 それに続いて、「なぜ、日本では社会民主主義が育たなかったのだろう?」という疑問が生じたのですが、正村公宏氏の『戦後史(上)(下)』(1985年、筑摩書房、1990年、ちくま文庫)を読んで、「なぜ」のほうは十分ではありませんでしたが、「どうして(どういうプロセスで)」ということ、「なるほど、こういうプロセスで、日本では〔マルクス主義とは重要な点で異なる〕社会民主主義が育たなかったんだなあ」ということは非常な残念感と共に了解できました。 

 さらに続いて、世界の資本主義と社会主義の歴史について、同氏の『現代史』(1995年、筑摩書房)を読むことで、大きな展望が得られた、という気がしています。 

 そのまた続きで、同氏の『人間を考える経済学――持続可能な社会をつくる』(2006年、NTT出版)を読んでみました。 

 「近年、一部の専門家は、『現代文明の発展傾向を放置すると、資源枯渇と環境破壊によって人類が滅亡する。産業主義と商業主義の圧倒的影響力によって、子供の生育環境が変質し、社会の統合力が衰弱しつつある』と警告しているが、大多数の人間が豊かさと便利さの追求に熱中し、政治家も社会の持続可能性(sustainability)を保証する文明への転換を提起しようとしないのは、価値判断が違うからではなく、状況判断が違うからである可能性が濃厚である。」(6頁) 

 「現代の社会研究と自然研究の究極の実践的目的は、文明の自己認識と自己制御のために必要な知識と知恵を蓄積し、環境破壊、核戦争、人間の指数の劣化と社会の制御不能などによって人類が滅亡してしまわないようにすることである。/文明の自己認識と自己制御という表現は、人類は、特定の状況判断と統合された目的意識にもとづいてひとつの行動を選択する可能性をもつ主体として、扱っている。そして行動の選択は、人類の共同意思を形成する巨大な政治過程を通じて実現される。地球と人類の将来を考え、大きな熱意を持ち、同時に冷静な知性を働かせて、現実を読み解き、多くの人間を納得させる信頼性の高い状況判断を示すように努力することは、社会研究者の責任である。」(7頁) 

 「経済体制をめぐる専門家の理解は、今でも混迷をつづけている。 

世界史における二〇世紀後半を「冷戦(cold war)の時代」と呼ぶのは、軽薄である。朝鮮戦争やヴェトナム戦争のような大戦争が起き、東西対立のからむ深刻な内戦が各地で繰り返されたことを想起する必要がある。二一世紀初頭の世界の多くの紛争は、東西対立の後遺症の要素を含んでいる。旧共産圏諸国の近代化のやりなおしは容易でない。共産党独裁が残した最大の否定的遺産は、政治的粛清による大量の優れた人間の抹殺であろう。 

二〇世紀後半の東側の体制は社会主義の理想と違うものであったし、西側の体制は過去の資本主義と違うものであった。一九世紀の民主主義の運動から社会主義が発生し、そこからさらにコミュニズムが発生したが、コミュニズムは、急進主義の落とし穴にはまり込んで民主政治の道を閉ざして二〇世紀の災厄のひとつになった。他方、二〇世紀後半の西洋と北欧では、民主的社会主義によって促進された改革を経て、混合経済(mixed economy)という言葉が妥当する体制が確立された。混合という表現はあいまいに響くが、混合型のシステムでなければ人間と社会の必要に合致しないことが、二〇世紀の経験によって証明された。 

経済の自由は、効率性への誘因(incentive)を刺激する基礎条件であると同時に、政治と社会と文化の自由の基盤である。市場機構(市場経済の仕組み、market mechanism)の活用は不可欠である。市場経済に欠陥があるからといって、私有財産制と市場経済を廃棄することは、問題の解決にならないだけでなく、別のタイプの災厄をもたらすことが、すでに鮮明である。 

しかし、市場機構は万能でない。市場経済は重大な欠陥を持つ。マクロの目的意識に基づく適切な方法による制御が不可欠である。二〇世紀の経験は、自由放任型の市場経済はかえって自由な社会の基盤を破壊すること、分配の構成と生活の安定を目指す改革こそが経済を安定させると同時に社会の統合を強める効果を持つことを、示している。 

混合型の経済体制のほかに選択がありえないからこそ、いいかえればたったひとつの単純明快な原理によってすべての問題を割り切ることは許されないからこそ、現実が提起するさまざまな問題を的確に受け止める鋭敏な感覚、さまざまな制度の組み合わせを絶えず見直す知恵、マクロの主体である政府の政策の有効性を高めるねばりづよい努力が、必要とされる。」(33-34頁) 

 これらの論点のうち、「大多数の人間が豊かさと便利さの追求に熱中し、政治家も社会の持続可能性(sustainability)を保証する文明への転換を提起しようとしないのは、価値判断が違うからではなく、状況判断が違うからである可能性が濃厚である」という点については残念ながら同意できません。 

 多くの人・場合に、状況を判断するための情報そのものが価値判断によって選択されているように見えるからです。 

 地球環境全体の危機について、日本のリーダーと市民の多くが、見たくないことは事実でも見ない、聞きたくないことは事実でも聞かない、という状態にあるのではないでしょうか。 

 どれほど「冷静な知性を働かせて、現実を読み解き、多くの人間を納得させる信頼性の高い状況判断説得力のある状況判断」を提供しても、それが無視されて読まれなければ、影響を与えることはないようです。はなはだ残念でもありきわめて困ったことですが。 

 しかし、「コミュニズムは、急進主義の落とし穴にはまり込んで民主政治の道を閉ざして二〇世紀の災厄のひとつになった」が、他方、「市場機構は万能でない。市場経済は重大な欠陥を持つ。マクロの目的意識に基づく適切な方法による制御が不可欠である」、だから「混合型の経済体制のほかに選択がありえない」という点については、全面的に同意しました。 

 しかし、現在の日本の安倍政権が向かっているのは、新自由主義市場経済のグローバリゼーションという、中長期で見ればうまくいきそうもない路線だ、と私には見えます。 

 日本に、本格的な社会民主主義・混合経済の潮流が育ち、できるだけ近未来に主流になることを強く願わずにはいられません。

 みなさんは、どうお考えですか? 新自由主義市場経済のグローバリゼーションに乗り遅れまいという路線で行けば、それに並行して自動的に、エコロジカルに持続可能な国、そして持続可能な世界が実現できる、と思われますか?

 

人間を考える経済学  持続可能な社会をつくる
クリエーター情報なし
NTT出版

 


安倍政権にどう向かい合うか

2013年03月04日 | 政治

 運営委員長の岡野です。

 今朝の『東京新聞』1面の「筆洗」に以下の文章がありました(改行は筆者)。

 

 小さな虫を地べたで観察し続けたファーブルは、『昆虫記』にこんな言葉を残している。

 〈人間というものは、進歩に進歩を重ねた揚句の果てに、文明と名づけられるものの行きすぎのために自滅して斃(たお)れてしまう日が来るように思われる〉

 ▼人類史で初めて投下された広島、長崎への原爆に続き、「レベル7」の福島第一原発の事故を経験した今、ファーブルの警句は原子力時代の到来を予言したのか、と思えるほど示唆的だ

 ▼東日本大震災から来週で二年を迎える。津波で家を失った被災者の大半はまだ仮設住宅で暮らしている。原発事故の避難者の多くは家に戻れるめども立っていない

 ▼「かつてない大災害だったにもかかわらず、東京で暮らしていると、人々の被災者への思いが『少しずつ風化しているのでは』と感じることがある」と本紙の「東京下町日記」でドナルド・キーンさんは危機感をにじませる

 ▼原発を動かしたい人々には、事故の風化は好都合なのだろう。経済産業省の露骨な人事が発表された。エネルギー基本計画を検討する有識者会議から、脱原発派の委員五人が外れ、推進派の学者や原発立地県の知事らに代わった

 ▼何もなかったかのように、原発回帰に向かう安倍政権の姿勢が鮮明になってきた。地震列島に五十基を超える原発を造ってきたのは自民党政権だ。その自覚のなさに驚くほかない。

 

 今、他の仕事の合間に、正村公宏『人間を考える経済学――持続可能な社会をつくる』(NTT出版、2006年)を読んでいますが、次の言葉に状況とそれにどう向かいあうべきかがうまく語られているな、と思いました。

 

 マクロの目的意識を持ち、超長期の展望を持って体制の全体をつくりかえようとする取り組みは、経済体制の改造(remodeling)と呼ぶことができる。

 改造のためには、適切な価値判断と的確な状況判断が必要である。ラディカルな思考にもとづくグラデュアルな改革が必要とされる。

 ラディカル(radical)は急進的と訳されるが、本来は根源的あるいは根底的という意味である。

 グラデュアル(gradual)は「ゆっくりやればいい」ということではない。相当の時間がかかることを覚悟し、針路の微調整を繰り返しながら、ねばりづよく着実に進める必要がある。

 相当数の人間が、生活の困難を解決するために、不合理や不公正是正するために、将来の破局を回避するために、新しい制度の導入が必要であると考えるようになると、経済体制の改造が政治の争点(issue)となる。…(中略)

 多くの人間は、改造の必要性と可能性を確信することができたときに行動を起こす。

 人々が生活の困難に耐えるほかないと考えている場合、または個人的努力によって困難をどれだけか緩和することができると考えている場合、体制の改造は政治の争点にならない。

 経済成長によって生活水準が高められつつある社会では、やがて危機が到来すると警告し、改革が切迫して必要であると主張する人間に耳を傾けるものは、少数にとどまることが多い。                                         (p.76-77)

 

 この本は2006年に出たものですが、経済成長によって生活水準が高まることを経験した日本社会では、3・11の後でもまだ、多くの国民が、「生活の困難に耐えるほかないと考えている」か、「個人的努力によって困難をどれだけか緩和することができると考えている」状態にあると同時に、新自由主義市場経済のグローバリゼーションに乗っかった経済成長の「夢よもう一度」と期待しているという状況にあるのでしょう。

 それは、とても残念ではあり、私たちとは認識が違いますが、そういう気持ちもわかるので、驚くほどのことではない、という気がしています。

 アベノミクスの成功(?)は一時的なもので、やがて、多くの人が、改造の必要性を感じざるをえず、かつ可能性を確信することができて、行動を起こすようになるはずですから、それまで、私たちは、これからもまだ相当の時間がかかることを覚悟し、ねばりづよく発信し続けていくことにしたいと思います。