持続可能な国づくりを考える会

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質問への答え7:小澤徳太郎

2007年01月30日 | パネリスト

質問7:市民の意識の高さを生み出すものは何か。

 世界に共通する環境問題、エネルギー問題、そのほかの経済・社会問題に対して、スウェーデンがほかの先進工業国とは一味違う先進性のある取り組みを展開するのは、私は人口の大小や経済規模の違いというよりむしろ、「国民の意識」と「民主主義の成熟度」の問題だと思います。

  スウェーデンには古くから、民主主義を支え、健全に機能させるための制度が形づくられていました。たとえば、

①「情報公開制度」(240年前の1766年から)、
②行政、国会、マスメディアのチェック機能である「オンブズマン制度」 (196年前の1810年から)、
③投票率80%を超える「国会議員選挙や地方議員選挙」、
④省益をともなわない政治主導の「中央政府の行政組織」、
⑤世界で最も非中央集権的な「地方分権制度」(1974からの「課税権」と 「税率の決定」、79年からの「起債権」および93年からの「自治体の自由裁 量で使える一括交付金」の導入)、
⑥伝統的な「市民参加・男女共同参画」、
⑦開かれた民主主義に支えられた国会・地方議会を中心とする「合意形成システ  ム・意思決定」

などです。

  もう一つは教育です。スウェーデンでは、“いつでも、どこでも、誰でも、無料で”学べる社会ができています。安倍新首相が掲げている「再チャレンジできる社会」がすでに存在しているのです。

  橘木俊詔・京都大学大学院経済学研究科教授の最新著「格差社会 何が問題なのか」(岩波新書 2006年9月20日発行)によれば、公的教育支出は、対GDP比で比較した場合、先進諸国19カ国の中で日本は18位(4.1%)で最低レベルだそうです。1位がデンマーク(8.4%)、2位スウェーデン(7.5%)、フランス(6.0%)、英国(5.0%)、米国(4.9%)・・・・・・・

  橘木さんは次のように述べています。日本は、公教育への公共支出が異常に低い国です。にもかかわらず、現在さらなる支出削減が進行しています。こうなってくると、日本の教育それ自体が心配にさえなってきます。どこの国でも、次世代を担う優れた国民を育成するために、公的な教育支出はある程度のレベルを確保しています。しかし、日本の現状は、そうした世界の事情とはまったく逆の方向へ向かっているのです。                                   

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質問への回答6:小澤徳太郎

2007年01月30日 | パネリスト

質問6:スウェーデンの政治主導を支えるものは何か。

 民主主義の原則に基づく政治の仕組みであり、間違いなく選挙だと思います。
 1970年(昭和45年)、スウェーデン国会は1866年(江戸時代の慶応2年)以来の伝統を持つ二院制(第一院:150人、任期8年、第二院:230人、任期4年)を一院制(350人:任期3年)の直接・比例代表選挙に切替えました。
 1973年9月の選挙で左派ブロックの合計議席数(社民党:156、共産党:19)と右派ブロックの合計議席数(保守党:51、中央党:90、自由党:34)がまったく同数の175議席になる事態が生じました。当時、国会内では、ブロック間競合が定着していましたので、「表決による決着」の便宜のため、76年の選挙から国会の総議席数を一議席減らして349議席に変更しました。投票日は3年おきの9月の第3日曜日と決められています。

  在住外国人の選挙権・被選挙権は76年の選挙から次の条件を満たしていれば、スウェーデン在住の外国人にも地方議会選挙での選挙権、被選挙権および国民投票への参加権が与えられるようになりました。

①年齢が18歳以上であること。
②選挙前の3年間スウェーデン国内で生活していたこと。
③選挙区での教会登録を6月1日時点で行っていること。

  スウェーデンの民主主義政治にとって最も重要なのは国会です。あらゆる機会をとらえて、国民の政治参加を進めてきたスウェーデンにふさわしく、選挙の投票率は極めて高いものです。
 1940年代以降の投票率をながめてみますと、1944年(昭和19年)の71.9%を最低に、50年代は70%台、60年代は80%台、70年代に入90%を越えます。80年代にはやや降下しますが、それでも80%台を維持しています。直近の2006年9月の投票率は81.9%でした。このことは国民の考えが国政に反映しやすいことを示しているものと思われます。

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質問への回答5:小澤徳太郎

2007年01月27日 | パネリスト

質問5:スウェーデンが世界に先駆けて緑の福祉国家を目指そうとする優れたリーダーをなぜ選ぶことができたのかが、日本の現状と比べて知りたいところです。既に長年をかけて福祉国家を完成させて実績がベースにあったとは思いますが、これらの方向性を形成する原動力となった国民の考え方がどのような努力と過程によって出来上がったかを、日本の今後の進め方の指針としてお聞かせ下さい。

  日本とスウェーデンは世界の歴史の中で経済的に成功した代表的な国であったと思います。ここで、両国が経済的に成功した原動力を考えてみましょう。いろいろな理由が考えられますが、私は両国の発展の原動力は同じではなく、むしろ正反対だったと思っています。キーワードは「不安」です。

  スウェーデンは公的な力によって、つまり社会制度によって、国民を不安から解放するために安心・安全・安定などを求めて経済的発展を進め、「福祉国家」をつくり上げたのに対し、日本は不安をてこに効率化・利便さを求めて「経済大国」と呼ばれるまでに経済的発展をとげたのです。激しい「競争」が不安を作り出す大きな原因であることは容易に理解できるでしょう。

 「競争」は、これまでスウェーデンではあまり好ましいこととは考えられませんでした。好ましいかどうかは別にして、日本では「競争」という要因が社会を動かす大きな力になってきたのとは対照的です。日本では、「競争」と「効率化」が経済成長の要因と考えられています。効率を高めるためには、競争が最も効果的だとされています。
 日本の経済紙・誌やマスコミが好んで使う「生き残り」という言葉がありますが、生き残る者がいるということは同時に、敗者(犠牲者)を出すことも意味しています。
 このあたりは、日本とスウェーデンの相違点の一つでしょう。「競争」の原理を採用すると、勝っている場合はある程度いいのですが、それでも、かなりの緊張を強いられます。人間の社会ですから、スウェーデンにもさまざまな競争があるのは当然ですが、その程度は、日本に比べてそれほど強くないといえるでしょう。

 スウェーデンは米国と同じように、日本に比べると個人の自立性が高く、自己選択、自己決定、自己責任の意識が強い国です。20世紀のスウェーデンは、国や自治体のような共同体の公的な力や、労働組合のような組織の力を通して、個人では解決できないさまざまな社会問題を解決してきたのに対し、米国は、個人の力による解決に重きをおいてきました。米国は、個人の力に根ざした競争社会であるのに対して、スウェーデンは自立した個人による協力社会をめざしています。

  スウェーデンが60年代に築き上げた「福祉国家」(旧スウェーデン・モデル)で強調されたのは福祉国家の基本理念としての「自由」「平等」「機会均等」「平和」「安全」「安心感」「連帯・協同」「公正」などの8つの主導価値でした。80年代後半には旧スウェーデン・モデルは国内外の時代の変化に対応してきたためすでに変質していましたが、その基本的な考えは、つぎの3点に要約できます。

 ①スウェーデンの福祉制度はすべての国民を対象にしていること。日本のような  国民の「最低生活保障」ではなく、「一定の生活水準」を保障するもので、「基  礎所得保障」と「所得比保障」を組み合わせたものといえる。

 ②すべての国民が外国人を含めて基本的な安心感を保障されていること。

③80年代までのスウェーデンは、福祉社会の維持・発展を非常に高い税金で運  営してきたこと。このことは日本で、「高福祉・高負担」として知られている。

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質問への回答4:小澤徳太郎

2007年01月25日 | パネリスト

質問4:大切なお話をうかがい、誠にありがとうございます。ただ人口800万人のスウェーデンであるからきめの細かい環境政策が出来るとの考えもあります。人口1億2000万人の日本ではどのようにしたらよろしいのでしょうか。

 スウェーデンにできて日本にできない問題に直面すると、「スウェーデンは人口900万だが、日本は1億2000万、それに経済規模も違うし……」という反応を示す識者が、日本にはかなりいます。しかし、この発想はあまりに表面的な解釈ではないでしょうか。

  現実問題として800万人(現在は900万人を超えています)のスウェーデン人と1億2000万人の日本人が国の政策決定に参加しているわけではありません。スウェーデンも日本も直接民主主義の国ではなく、間接民主主義の国です。
 ですから、現実の国の政策決定に携わっているのはスウェーデンでは選挙で選ばれた349人(一院制)の国会議員、日本では722人(衆議院:480人、参議院:242人)です。あえて比較をするなら349人対722人ということになります。

  経済産業省・経済産業研究所の小林慶一郎研究員が「現代」(2002年12月号)で、スウェーデンに対する典型的な日本の反応を報告しています。

 1999年に筆者が、迅速な不良債権処理でV字型の経済回復を達成したスウェー  デンの事例を政府関係者に説明したときに、一人の出席者は「スウェーデンは所詮小国だから、巨大で複雑な日本経済とは比べものにならないだろう」と発言した。
 スウェーデンはヴィクセルやヘクシャー、オリーンなど世界的な経済学者を輩出し、1930年代の世界恐慌をいち早く脱出することに成功した経験を持つ、経済政策の最先進国だ。しかし、「経済大国日本」の自負に慣れた日本の経済官庁には、アメリカ以外の国を日本の比較対照にすること自体ばかばかしい、という不遜な空気が蔓延していたのである。

  900万人と1億2000万人の人口の差、1%と16%の世界経済に占める割合の差は、たしかにスウェーデンが日本に比べれば、人口や経済の規模でまぎれもない小国であることを示しています。しかし、日本がいまだに処理しきれていない不良債権問題が、スウェーデンでは一年で解決したのは、「スピード」「与野党間の協力」「透明性」があったからで、これらは明らかに日本にはなかった要因です。

  同じ方針や方法で同じ問題を解決しようとするときには、人口が少ない小国のほうが有利なのは当然です。しかし、こと不良債権処理に関しては、スウェーデンには、日本にはなかった発想や方法論や手腕がありました。また、世界が賞賛するスウェーデンの「新公的年金制度」(1999年施行)と日本の「改正年金制度」を比べてみれば、その違いは、人口や経済規模の大きさの違いではなく、考え方の違いであることが、さらによくおわかりいただけるはずです。このようなときに、人口規模が違いすぎるとか、経済規模が異なるという表面的な言い訳は、成り立ちません。

  スウェーデンをすべてまねしよう、という議論に対してなら、「人口や経済規模にこれだけ差があるのだから、まねすることはできない」というのは正しい判断だと思います。               次回へ

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質問への回答3:小澤徳太郎

2007年01月24日 | パネリスト

質問3:スウェーデンにおける国家ビジョンに関する合意について、利害の対立はなかったのか。日本や米国では明らかに対立すると考えられる学識者と財界の利害対立をどのように乗り越えたのか。

  私たちの社会は利害の異なる国民の共存で成り立っていますが、国民すべての生存に共通する環境問題の解決のためには、国民(行政、企業、消費者など)の間に、まず「環境問題への共通認識」が確立され、つぎに整合性のとれた行動の前提となる「合意形成」がなされなければなりません。

  1972年6月の第一回国連人間環境会議でホスト国をつとめたスウェーデンでは、福祉国家を維持する過程で、「環境問題に対する基本認識」が、すでに中央政府・地方自治体、学者、財界、企業、労働組合、住民、一般市民の間で共有され、立法・行政・司法を通して、生活意識のネットワークに幅広く組み込まれていました。スウェーデンは、他の先進工業国よりも「緑の福祉国家」の実現をめざすために必要な社会制度が整っていたというわけです。
 重要なので繰り返しますが、スウェーデンの環境問題への迅速な対応が可能なのは、すでに国民の間に「健全な環境は基本的人権である」という認識、「環境問題が人類の生存を脅かしかねない、全人類共通の問題だという認識」がすでにできあがっているからです。ですから、具体的な政策や対策を立てるにあたっても、かならずしも一枚岩ではないさまざまな立場の国民の間に、他国に比べて容易に合意形成ができるのです。

 先進工業国、途上国を問わず、ほとんどの国で政府とNGOは共通の問題に対してしばしば意見が異なり、対立することが多いのですが、成熟した民主主義を求めて早くから合意形成で試行錯誤を続けてきたスウェーデンでは、政府とNGOの関係は協調的で良好です。これは政府、自治体、企業、市民の間ですでに環境に対するコンセンサスが国内に広く定着しているからです。
  「合意形成」を、以下のように分類して定義すれば、環境問題において「予防志向」がなぜ有効なのか、よりよく理解していただけると思います。

①「予防的」合意形成(予防志向の国の発想)
 これは科学的知見がかならずしも完全ではなくても、これまでに得られた「科学的知見」や私たちが生まれながらに持っている「知恵」と、これまでに獲得した「経験則」や「自然法則」などをよりどころに、「予防的な発想」で早めに論理的に合意をめざすものです。
  当然のことながら、合意形成には議論の余地がありますので複数の方向性が示され、選択の余地が生まれます。ですから、誤りに気づけば方向転換の可能性が残されています。
 スウェーデンはこの傾向が強い国です。

 ②「治療的」合意形成(治療志向の国の発想)
 これは事態が悪化し、なんらかの対症療法を施さざるを得ない状況に追い込まれてから、「治療的発想」で合意をめざすものです。形のうえでは合意形成とはいうものの、実態は「先送り」の結果にすぎません。問題の兆候が見えはじめてから合意形成の形となるまでに時間がかかり、その間に事態は悪化します。しかも、合意形成に達したときには待ったなしの状況に追い込まれているため、議論の余地はなく一つの方向にまとまりやすいのですが、間違っていると気がついたときには、方向転換の余地はほとんどないといってよいでしょう。日本はこの傾向が強い国です。

  大多数の国民に共通であるはずの環境問題の議論も、多くの場合、不毛の議論を繰り返し、不統一に終わるのは、私たちが、何が環境問題の基本的な問題(本質)で、何が周辺的な問題であるかを見極める能力に乏しいからです。ですから、当面の基本的な問題を簡潔に、しかも明確に設定することが私たちの決定を容易にすることができます。たとえば、現在、決定が難しい場合でも、本質が見えていれば継続的研究や調査の方向性をはっきりさせることができます。

  日本は国際的に見ても、国民の合意形成を図るための基盤が最も整っている国だと思われます。例えば、 
(1)言葉(日本語のみで十分)
(2)教育の達成度(識字率や通学年数)
(3)情報の伝達手段(ハードな面)
(4)均一性
 などです。それなのに、なぜダメなのでしょうか?

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質問への回答2:小澤徳太郎

2007年01月23日 | パネリスト
質問2:スウェーデンの電力エネルギー源は主に何に依っているのか。

 1980年の「原子力に関する国民投票」の結果に基づいて、99年11月にバルセベック原発の1号機(出力約60万キロワット)、2005年5月に同2号機(出力約60万キロワット)を廃棄のために運転を停止しました。政治的な判断で、順調に稼働していた民間の原発を廃炉としたのは、世界で初めてのケースです。

  現在、スウェーデンでは原子力(39%)と水力(55%)で国の電力の94%を供給しています。一次エネルギーの30%強がすでに再生可能エネルギー(水力、バイオマス、風力など)で、再生可能なエネルギーによるいっそうのエネルギー体系の転換が図られています。地球温暖化防止対策や酸性雨対策のために、「CO2や二酸化硫黄、窒素酸化物を出さない発電システム(発電燃料に占める非化石燃料率が高い発電システム)」という日本の判断基準では、スウェーデンの発電システムは理想的な発電システムといえるでしょう。

  しかし、「世界で最も安全性の高いスウェーデンの原発を意図的に廃止し、水力発電も現在より増やさない」とするスウェーデンには、「原発や化石燃料を使用する火力発電は緑の福祉国家の電源としてふさわしくない」という科学的判断に基づいた明確な政治的判断があります。緑の福祉国家を支えるエネルギーの転換政策は、97年および2002年6月に国会で承認されたエネルギー政策に基づくものです。                                      

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シンポジウム質問への回答1:小澤徳太郎

2007年01月23日 | パネリスト

 さて、今回からシンポジウム参加の皆さんからいただいた質問にに対して私の考えをお伝えしたいと思います。

 私たちの社会では、さまざまな問題が同時進行しています。そのほとんどは、“相対的” であり、“絶対的”ではありません。同じ情報を与えられても、その解釈は人によって異なります。ですから、皆さんからいただいた質問に対する答えは決して一つではなく、いくつかあるはずです。問題の把握の基本としては「全体とその部分」、「目的と手段」、「長期と短期」、「質と量」などを混同しないこと、両側面を考えること、重要なことは、「選択」と「優先順位の設定」だと思います。

 私がいただいた質問では、質問者の方々がどのような視点(あるいは立場)で質問を書いたのかわかりませんので、ここでは皆さんの質問を読んだときに真っ先に私の頭に浮かんだ考えをお伝えします。ですから、別の機会に同じ質問を受ければ、別の考えをお伝えすることになるかも知れません。再質問は大歓迎です。

 同じ資料を参考にしても判断基準が異なれば、結論が違ってきます。ですから、同じテーマに対して、みなさんの考えが私の考えと大きく異なるようであれば、大いに議論しましょう。議論を通して私自身の誤りを正すことができるし、「環境問題に対する共通の認識」と「持続可能な社会の構築」の必要性を分かち合うことができると思うからです。

質問1:環境問題に関する日本とスウェーデンの国の意識の差はどこからくるのか。

 一言でいえば、20世紀に人体被害を伴う激しい「公害」を経験した経済大国「日本」と20世紀に国民の安心と安全を追求した福祉国家「スウェーデン」の差ということになるでしょう。ここでは、環境問題に関する両国の意識の差を環境分野の基本法に絞って検証してみます。作られた法律に自ずから環境問題に関する意識の差が出てくるはずだからです。

 1967年(昭和42年)に制定された日本の「公害対策基本法」は、93年11月に制定された「環境基本法」に置き換えられましたが、公害対策基本法の下で制定された大気汚染防止法や水質汚濁防止法などのいくつかの法律群はいまなおそのまま生き続けています。スウェーデンの「環境保護法」は既存の14の法律とともに統合・整理され、98年に21世紀前半の環境問題に対応する「環境法典」へと進化しました。

 日本の「公害対策基本法」に対応するスウェーデンの環境分野の基本法は2年後の69年に制定された「環境保護法」でした。環境保護法は環境に有害な活動を規制する法律で、「環境アセスメント」という言葉こそ使われていませんが、日本流に言えば87年の「天然資源の管理に関する法律」と共に、実質的には環境アセスメントの重要な根拠法の一つとなっていました。今となれば、この2つの法律はほとんど同じ時期に制定されたものでしたが、過去25年間、両国の環境行政を支えてきた2つの法律の根底にある考え方、つまり、「環境問題に対する認識」が大きく異なることがわかります。

  第一の相違点は、法律のアプローチが正反対と言ってもよいほど異なることです。日本のアプローチは、問題が起こってから同一の問題が二度と起こらないようにという「再発防止の発想」で法律が制定されています。つまり、「過去に問題を起こしたものが何か」という治療的視点で法律がつくられているのです。この法律では、「典型7公害」と称して、「大気汚染、水質汚濁、土壌汚染、騒音、振動、悪臭および地盤沈下」という現象面が対象となり、その対象への技術的な対策が求められました。
  一方、スウェーデンのアプローチは、「人間の活動は基本的には汚染活動である」と認識して、「問題をおこす可能性があるものは何か」という予防的視点で法律がつくられました。
 つまり、法律のカバーする範囲が日本の法律は狭く、必要が生じたときに法律を改正し、対象を追加していく手法をとっていたのです。これに対してスウェーデンの法律は「人間の活動は基本的には汚染活動である」と大きな網をかけました。

 このことを最近の法的対応で確認しておきましょう。2001年4月に日本では世界に先駆けて「家電リサイクル法」が施行されました。3ヶ月遅れて同年7月にスウェーデンで同じような目的の政令「電気・電子機器に対する製造者責任制度に関する政令」が施行されました。日本の法律では、対象となる製品は「電気洗濯機、冷蔵庫、テレビおよびエアコン」の4品目です。現在、対象となる品目を増やすかどうかの検討をしています。
 リサイクル費用は廃棄時に払うことになっています。
 一方、スウェーデンでは日本の対象である4品目を含めて建物に固定されていない電動機器のほとんどすべてが対象になっています。この制度では、建物に固定されていない電動機器のほとんどすべてが対象となります。具体的には、家庭用電気・電子機器(電動工具、庭用機器を含む)、IT機器・OA機器、通信機器、テレビ・オーディオ・ビデオ機器、カメラ・写真関連機器、時計、ゲーム機・おもちゃ、医療機器、照明器具・ランプ(蛍光灯などを含む)および実験器材の10の製品グループに属するものです。
 リサイクル費用は新製品の価格にすでに含まれていますので、廃棄時は無料です。

 第二の相違点は、スウェーデンの環境保護法には日本の大気汚染防止法や水質汚濁防止法などが定めている「一律の排出基準」が原則的にないことでした。一律の排出基準を定めなかった主な理由は、排出基準を一度決めると「新しい科学的知見」や「汚染防止技術の進展」に伴って排出基準を遅延なく改定する必要が行政側に生ずること、既存の排出基準を改定して、新な排出基準を設定するには時間がかかることからでした。
 また、一度、法に適合した汚染防止機器を設置した企業はさらに高性能で、経済的にもすぐれた汚染防止機器が市場に現れても、自発的にすぐれた技術に置き換えるとは限らないからです。
 スウェーデンのアプローチは、「実際の汚染物質の排出量は市場にある最善の汚染防止機器の性能に左右される」という技術に対する現実的な考え方に基づくものでした。別の言い方をすれば、汚染の発生源抑制主義です。つまり、汚染対策は外部に排出するものに対して対策を施すよりも、まず発生を最小限にすることが重要だという考えによるものです。
 公害対策基本法の運用により、日本では排煙脱硫装置や排煙脱硝装置のような大気汚染防止装置に代表される後付の技術(いわゆるEnd-of-Pipe Technology)が非常に発達しましたが、反面、将来の「持続可能な社会」に必要とされるクリーンな生産技術(いわゆるCP Technology)の発達には目覚ましいものが見られませんでした。
 逆に、スウェーデンの環境保護法はクリーンな生産技術の開発に大きな貢献をしました。環境保護法は「環境に有害な活動」を開始する時点でそのとき入手可能な最良の、しかも経済性を伴う技術で「環境への人為的負荷」を最小限にするよう求めていました。

  要約すると、日本の法律に共通の特徴が二つあります。一つは治療的視点で法律をつくるために、法律の制定が遅くなる傾向があること、もう一つは法律の適用対象が狭いということです。その結果、何が起るかといいますと、必ず法律ができる前に被害(者)や犠牲(者)が出ること、法律はできたものの適用対象を拡大する前に別のタイプの被害(者)が出ることです。

 日本とスウェーデンの環境問題を考える際に理解すべきことは、環境問題に対する基本認識の相違とその相違に基づいた法体系により、極論すれば、日本は社会の中に「汚染」を、スウェーデンは社会の中に「汚染防止のネットワークのシステム」と「そのシステムを支える技術」を蓄積してきたということです。

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私の話の要点7:小澤徳太郎

2007年01月19日 | パネリスト

日本について


①橘木俊詔・京都大学大学院経済学研究科教授によると、公共部門の提供する社会保障が 日本と同じように小規模なのは米国で、このことから日米両国は“非福祉国家の典型国”であるという。

②予防志向の国「スウェーデン」に対して、日本は「治療志向の国」である。このことは 政策の国「スウェーデン」対策の国「日本」と言い換えてもよいだろう。

日本は21世紀型の「持続可能な社会」へ向かう法体系を未だ整備していない。治療志 向の国の発想では、ことが起こらなければ新しい法の制定は難しいのかも知れない。
日本の21世紀前半のビジョン「持続的な経済成長」は、20世紀社会を延長した考え 方なので、法体系の大幅な変更を必要としない。したがって、立法分野では必要に応じ て既存の法を改正することが中心となる。なぜなら、日本は20世紀型の「持続的な経 済成長」(経済の持続的拡大)のための法体系の整備に熱心だからである。このことは次 の④および⑤からも明らかである。

④2006年9月29日、小泉政権を引き継いだ安倍首相は「所信表明演説」を行った。 約 8700字の演説で21世紀のキーワードであるはずの「持続可能」という言葉は「持続可能な日本型の社会保障制度を構築すべく、制度の一体的な・・・・」という文脈の中でたった一度出てくるのみである。

⑤安倍首相(自民党総裁)は「美しい国へ」(文藝春秋 2006年7月)を出版し、 中川秀直・自民党幹事長は「上げ潮の時代」(講談社 2006年10月発行)を出版した。中川氏の著書の「はじめに」には、「成長なくして日本の未来なし」を掲げる安倍晋三政権が発足した、「改革」の小泉政権から「成長」の安倍政権へ、名目4%成長で成長していけば、18年でGDPはいまの500兆円から1000兆円に倍増し、そのとき日本の生活水準は2倍になっている、そして、経済成長は、格差是正の良薬でもあるという。

しかし、「美しい国へ」も「上げ潮の時代」も、環境への視点はほとんど無いに等しい。 「上げ潮の時代」には、「これ以上の経済成長は地球環境に負荷をかける。ならば、世界に冠たる日本の環境技術で今後生活水準があがる国でも、経済成長と環境保全を両立  できるようにすればよい」という記述がある。ここに日本の21世紀社会の舵取りを任されている政治家の環境問題に対する認識が読み取れる。

⑥毎月前半に内閣府が公表する「景気動向指数」がある。この指数は1960年頃に創設  され、80年頃に現在の指数に定着した。完全に高度成長期の遺物である。この指数の  推移に経済官僚や民間のエコノミストは一喜一憂しているが、この指数は経済拡大を前提にしているため、環境への配慮がまったくない。

さらに、詳しくは、シンポジウムの発題特集、私の本「スウェーデンに学ぶ持続可能な 社会安心と安全の国づくりとは何か」(朝日新聞社 「朝日選書 792」 2006年2 月発行)、私のホームページ(http://www7a.biglobe.ne.jp/~backcast/)を参照してくだ さい。次回から、いただいたご質問に対して私の考えを述べます。

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私の話の要点6:小澤徳太郎

2007年01月18日 | パネリスト

 今回からはシンポジウムのおさらいです。シンポジウム当日の午前中には「スウェーデンについて」、午後には「日本について」、短い時間でしたが私の理解している基本認識の一端をお話しました。その要点は次の通りです。

 スウェーデンについて
①スウェーデンが年金や医療などの社会保障制度の充実した「福祉国家」であることは、 よく知られている。しかし、「福祉国家」という人間を大切にする社会のあり方は20世 紀的で、21世紀には人も環境も大切にする「緑の福祉国家(生態学的に持続可能な社 会)」に転換しなければならない、これが、スウェーデンの描く21世紀前半のシナリオ である。
②スウェーデンは経済成長を前提にした20世紀型の「福祉国家」の限界を強く認識し、80年代中頃から21世紀前半に予想される厳しい経済・社会的変化にも十分に耐えら  れる21世紀型の「持続可能な社会」を模索してきた。
③フロント・ランナーであるスウェーデンには、参考にするモデルがない。開かれた民主 主義、福祉、環境、教育やIT、バイオなどの先端技術で世界の最先端を行くスウェーデンは他国から学べないので、自ら考え、行動している。
④「科学者の合意」と「政治家の決断」によって、スウェーデンは21世紀前半のビジ  ョンとして「緑の福祉国家の実現」を掲げた。
ビジョンとして掲げられている「緑の福祉国家の実現」は、「旧スウェーデン・モデル」が賛否両論はあったものの世界の福祉政策にとってのモデルであったのと同じように、21世紀前半の「持続可能な社会のあり方」を先駆的に提案するものといってよいであろう。
⑤スウェーデンが考える「持続可能な開発」とは、「社会の開発」であって、日本が考える   「経済の開発」、「経済の発展」あるいは「経済の成長」ではない。
⑥緑の福祉国家には「社会的側面」、「経済的側面」および「環境的側面」の3つの側面が ある。スウェーデンは高度な「福祉国家」を実現したことにより、「社会的側面」と「経 済的側面」は基本的に満たしているが、「環境的側面」は、これまで世界の最先端を行っ ていたとは言え、まだ十分ではなかった。そこで、「緑の福祉国家の実現」のためには「環 境的側面」に政治的力点が置かれることになる。
⑦ビジョンの実現のために、図に示すような行動のための枠組みの整備がなされた。  環境の質に関する16の政策目標が策定された。それぞれの政策目標に対して、「環境の 質」「達成時期」「担当行政機関」が具体的に決められている。最終目標年次は2020 ~25年である。

   これが、今後の「緑の福祉国家」の環境的側面の行動指針となる。その目標を達成する ために「緑の福祉国家」への転換政策(地球温暖化防止への対応、オゾン層保護への対  応、税制の改革:課税対象の転換、エネルギー体系の転換:原発の新設はなく、脱石油  を含めた化石燃料からの脱却、新しい化学物質政策の策定、廃棄物に対する製造者責任  制度の導入、持続可能な農業・林業・漁業、都市再生・都市再開発)などが策定され、予算がつけられている。

 ⑧世界が注目し、賞賛するスウェーデンの「99年の年金改革」や「緑の福祉国家への転換」  の試みは、スウェーデンの歴史、文化、伝統、風土、社会的・経済的現状や価値観を踏ま  えて、スウェーデンの国民と政治家が「将来の安心と希望への近道」のために自ら考え、  選択した結果である。 新スウェーデン・モデル「緑の福祉国家」はスウェーデンの政治家によるスウェーデンの ための新モデルであるとは言え、21世紀前半の社会を展望するとき、他の先進工業国の参考になる“高い普遍性をもったモデルの一つ”であることは間違いない。
⑨1996年9月17日、乗員・乗客884万人を乗せたスウェーデン号は、「21世紀の安心と安全と希望」を求めて周到な準備のもとに目的地である「緑の福祉国家」へ向けて出港し、現在、順調に航行を続けている。航行中予期せぬ難問に遭遇し、場合によってはグローバル化の荒波にのみ込まれ、沈没してしまうかもしれないが、順調に行けば、目的地に到着するのは2025年頃とされている。

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私の話の要点5:小澤徳太郎

2007年01月17日 | パネリスト
フォアキャストする日本、バックキャストするスウェーデン
 フォアキャストする日本のビジョンは「持続的な経済成長」です。「改革なくして成長 なし」という表現は、相変わらず「金の流れ」に判断基準が置かれていて、20世紀型社 会の発想の域を出ていません。
  バックキャストするスウェーデンのビジョンは「緑の福祉国家の実現」です。ここでは、経済の動きを従来の「金の流れ」だけでなく、「資源・エネルギーの流れ」も同時に見ていこうとしています。スウェーデンは理想主義の国ではなく、理念に基づいた長期ビジョンを掲げ、当たり前のことを当たり前のこととして行動する現実主義(プラグマティズム)の国なのです。
 どちらのビジョンを選ぶかは、国民の選択の問題です。スウェーデンは、科学者の合意 と政治家の決断によって、「生態学的に持続可能な社会への道」を選択しました。
 フォアキャストする日本は技術で「自然法則」に挑戦しようとしているように見えます。 バックキャストするスウェーデンは、人間がつくった仕組みを「自然法則」に合わせる 方向へ変えていこうとしています。この対照的な相違は「環境問題に対する基本認識の相違」と下図に示した「環境問題の社会的な位置づけの相違」にすべての根源があります。


  フォアキャスト的手法では、むずかしい問題は「先送り」をせざるを得ないし、経済の 拡大をめざした20世紀の制度の抜本的変革がないままに、企業や市民がそれぞれの立場 で毎日努力しても、その結果は全体として「不安と絶望の未来」へ向かわざるを得ません。  バックキャスト的手法で政策をつくり実行に移せば、毎日の努力が「安心と安全な希望 の未来」をめざすことになります。

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