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大井玄先生のご紹介

2006年09月06日 | パネリスト
 今日、私の住んでいるところは、雨が降りました。
 そのせいか、過ごしやすい日でした。
 皆様のお住まいの地域はどうでしたでしょうか。

 今日は、大井玄先生のご紹介です。

 さて、日々の生活の中では、人とコミュニケーションをとっています。そのコミュニケーションというものは曲者で、時に私たちを喜ばせくれることもあれば、時に悲しい気持ちにさせることもあるかと思います。そんな経験は皆さんおありではないでしょうか?

 そんなコミュニケーションの上手い方法はないかと思っていたころに、私は以下のような認知症と診断されたご老人達のコミュニケーションに関するお話を読んだことがあります。

 認知症と診断された方たちのグループホームでは以下のような会話がよくみられるようです。

Aさん「主人なんてやっかいなもんです。でもいないと困るし・・・」
Bさん「そうそう、うちの息子が公認会計士になりましたんで忙しくてね」
Aさん「あら、いいじゃない浴衣をきればすてきに見えるよ」
Bさん「○○さん辛かったろうに、いつも△△さんって言ってましたよ」

 まったく話が噛み合っていないように見えるこの会話は『偽会話』と呼ばれるもので、認知症の方たちの間ではよく見られる会話なのだそうです。ご老人達はお互いの話の内容を理解しているわけではありませんが、お互いがどのような心理状態であるかを心理的に感じ取っているようです。そう考えると、先ほどの会話は、‘理解’という点では会話としては成立していませんが、‘心理的’という点では会話として立派に成立しているといえそうです。このような心理的な会話は、少し難しい言葉で、「情動的コミュニケーション」というそうです。

 この「情動的コミュニケーション」は、認知的にしっかりしている人にもあてはまるかもしれません。認知的にしっかりしているうちはコミュニケーションの心理的側面を無視して、話の内容のみが相手に伝わるものだと考えがちですが、実は、その話をする時の心理が相手に感じ取られているかもしれません。「この人嫌だな」と思っていて表情には出してないつもりでいても、相手はなんとなくそのことを感じ取っているのではないかと思われることはないでしょうか。認知症のご老人たちはそういったことを敏感に感じ取っているようで、たとえ、話の内容は分からなくても、まわりに受け入れられてないと感じるときは、その晩、せん妄状態になることがあるようです。

 故に、日々の会話の中では、話の内容だけでなく、相手の心理的側面にも気を配りながら話をすると、以前よりも、心地よい会話ができるかと思います。そして、そのことはまた、病棟において痴呆老人と心を通わすことにもなるかと思います。

 さて、これらのお話は、今日、ご紹介する大井玄先生のお話を私なりにまとめたものです。先日は、小澤先生と岡野先生ともに、特定の分野に固執するのではなく、ジェネラルで、統合的な視点にたって一つの問題を考えることを実践されてきたことを書きました。

 このことは、大井玄先生にも共通することです。大井先生の専門領域は、社会医学、一般内科、在宅医療、心療内科、環境医学が多岐に渡っております。また、大井先生は、国立環境研究所所長をおつとめになったこともおありです。それ故、今回のシンポジウムには、非常に心強い存在です。

 大井先生のコラムがこちらからご覧になれます。

 また、大井先生も『いのちをもてなす』『痴呆の哲学』など著書多数です。特に後者は、痴呆に対する考えがかわると思います。
 是非、お読みになってみてはいかがでしょうか。

 明日は、これまでご紹介した呼びかけ人の三人の先生方の出会いをちょっと記したいと思います。

 そろそろ失礼いたします。

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