GOSEO BLOG

2-0が怖いのではない、お前達の勘違いが怖い

湯治とceroとカジノとプラグマティズム

2016-12-24 22:32:18 | 日記
先週テレビで、私と同世代の人が外資の投資銀行を辞めて都内で湯治ができる施設を作った話を見た。その人は「これまで通り資源を輸入して加工して輸出するというやり方は行き詰まる。モノは売れなくなる。これからは体感が重要だ」とのことでやりはじめたらしい。

月並みな表現だが「ものづくりから事づくり」という言葉と合わせて思うととてもしっくりくる。この言葉の意味が初めてしっかり腹落ちした。この方は投資銀行勤務だったというからまさに資本主義の最前線(限界、行き詰まり)を見て来た訳ですごーく説得力があった。

今日本は年間1960万人の観光客が来ていて、これを更に増やそうとしている。生活に必要なモノは行き渡った。これからはモノではなく事で勝負という路線に合っている。ちなみにフランスは年間8500万人が海外から観光に来るらしい。さすが現代思想の本家。中途半端に石油が出たアメリカよりも資本主義の先端を突っ走っている。過去いろいろ恨みを買ってたおつりでテロにも見舞われるが。

モノより事にリソースを割ける人は余裕のある人だけでヒト全体がそうできるわけではない。つまりいきなり全体が事づくりにいけるわけではない。平均体重50〜60kgくらい、一日2〜3回食べて日の三分の一は睡眠してというこのほ乳類を維持するために必要な最低限のことは必要。資本主義が行き詰まったと言っても世界のほ乳類が生命を維持するためにこれからも従来資本主義の慣性力は大きく残るだろう、その一部がモノ作りから事づくりで血が流れる部分なんだろうと思う。その慣性力はいつまで持つのか。資本主義の席取りゲームの席自体がどんどん少なくなっていく。

最近ceroというバンドの曲をよく聴く。デビューアルバムの中に入っている大停電の夜にという曲は東日本大震災の前に発表されていて、震災時の状況と不思議とリンクすることでも話題になったらしい。そのceroの最新アルバムは、アルバム全体を通じて平行世界の事を歌っている。最近ヒットしている映画「君の名は」もいわば平行世界の話でやはりこれも妙に符合する。社会が不安に覆われているときにこういう考え方が共感を得やすいということだろう。不安っつーのは席取りゲームの席自体がどんどん少なくなっていくこと。

最近日本でカジノ法案が可決された。個人的には裏にある利権のなまぐさい感じを推進派議員から感じて気持ち悪いのだが、行き詰まった資本主義の解決策としてのモノづくりから事づくりへのシフトと捉えると、これは良いことと思う。もんじゅを廃炉して別の高速増殖炉をつくるという案も資本主義という幻想を維持しつづけるための、投下する分母のエネルギーは無尽蔵という神話を保つための方便としては致し方ないと思える。私は心情的にも育ち的にも左翼なのだけども、昭和枯れすすきは避けたいという近視眼的な私の都合思想からは安倍政権の後ろで政策をコントロールする官僚の方針に賛成している。少なくとも管直人より100倍いい。福島の水素爆発で喝采を上げたヒトがいたとしたら中国人でも韓国人でもなく厚生官僚かもしれない。

昨日のTBSラジオで宮台真司さんが「プラグマティズムを実用主義と訳したのは完全に誤訳だ」と力説していた。プラグマティズムはもっと内発的なものだと。私はそれを聞いた時、エンジンの点火プラグのプラグを想起した。プラグマティズムのプラグと点火プラグではスペルが違うので関係ないんだろうけど(語源のギリシャ語でつながるのかもしれないがわからない)、プラグマティズムを点火プラグと捉えて考えるととてもしっくりくる。

自分の心の中の点火プラグに火をつけているか。行動、活動しているか。こねこねこねこね観念的に述べるだけの理屈は行動しないでよい言い訳になってやしないか。アドラーの心理学と関連して考えると更にプラグマティズムはしっくりくる。私のここ数年の仕事の姿勢はこれだし。心の点火プラグに火をつけて能動で動き、理屈は行動した後にとってつける。

資本主義の行き詰まりの中で、まるで幕末の幕府官僚の如く立ち行かなくなった幕府をそれでも維持するために働くような、毎日微小な差異を生み出し続けて経済の傾きを自転車操業でつくり続ける日々をある割り切りをもって過ごしていた中にこの「事づくり」の腹落ちは実用に使えるのではないかと思う。少なくともカジノ法案の意味付けをするのと、日々の仕事の意味付けにも。

わかってはいたけども年間500時間の英語勉強は始めてみるとしんどい。むりむりでも今日も1時間半は英語やったから安心してプラグマティズムとか書いたり、毒にも薬にもならない評論めいたことが書ける。あしたも思いつきと独りよがりを臆面無くブログに書けるよう義務を果たそうプラグマティズムで。