おぢのニセコ山暮らし

山暮らしと世間のあれこれを書き綴ります

官僚支配国家、嗚呼ニッポン

2011年08月23日 | Weblog

午前9時の気温はプラス15度。ときおり雨がパラついておりまする。空はどんより曇り空。そのせいかどうか、起床はつい先ほど、午前8時半でござった。

昨夜は休肝日に加えて、けっこう蒸し暑い夜。なもんだからなかなか寝付けなかったせいでしょうか。一度、午前5時には目が覚めたのですが、また寝ちゃって。

気がついたら、8時過ぎじゃ。夏の疲れが残っておるのかねぇ。ハニーさんも一緒に朝寝ってことで、緊張感のない夫婦なのじゃ。というか、たいそう仲のいい夫婦でもあるのじゃ、悪いけど。

ここんとこ、しょうもないTV番組ばかりだと、モードを切り替えて、すぐさま録画してあるNHKスペシャルを見ることにしております。このNHKスペシャル、8月は先の大戦にかかわる企画がたいそう多い。

驚くのは、関係者が80代後半から90代前半で、しかも皆さん、かなりしっかりしておるってこと。昨夜もNHKスペシャル「圓の戦争」を観ましたけど、当時の関係者が、皆さん元気でびっくりなのじゃ。

横浜の旧なんちゃら銀行の関係者は、90代にもかかわらず、英字紙を読んでおった。戦中世代恐るべしでござる。

過日は「原爆投下 活(い)かされなかった極秘情報」も観ましたけど、似たりゴンベの80~90代がしっかりしておることったら。驚くばかりじゃ。

どちらもの番組も、旧日本軍がいかにデタラメか、証言からよくわかる。で、それが過去のものだといいのですけど…

「原爆投下…」では、昭和20年8月6日、情報部の現場の隊員が、特殊部隊のB29がテニアン島を出発し、ニッポンに向かっている情報をキャッチしたけれど、この情報を受けた軍上層部は、空襲警報も出ださなかった。

そう、これが広島へ原爆を落としたB29だったのに。しかも、8月9日にも、同じ信号をキャッチしておった。そして長崎で原爆がさく裂した。

あの時、現場から上がってきた情報を、速やかにさらに現場に伝えておれば、助かった命は数知れない。実際長崎では爆心地からわずか700メートルの防空壕に、たまたまいた当時の女子高生が、いまも元気に証言しておった。「空襲警報さえあれば、当時外にいた30人の仲間は助かったはず」。

当時九州で「紫電改」のパイロットだった方は、「出撃命令さえあれば、体当たりしてでもB29を落とした」と発言しておった。酷い話じゃ。

翻って、ついこの間の福島第一原発事故じゃ。水素爆発による放射線の飛散がとんでもない広がりを見せていたにもかかわらず、政府は住民には知らせなかった。情報を把握しながら、握りつぶした。

おかげさんで、どんだけの人が被ばくしたことか。かつては日本軍、いま官僚と政治家が、ニッポンを無茶苦茶にしておる。酷いなぁ、今も昔も、ニッポンは変わっておりませぬ。

過日買い求めた週刊文春臨時増刊号「東京電力の大罪」にこうあった。「日本で支援活動を行っていたロシアの原子力専門家、ウラジミールアスモロフ氏はプーチン首相に日本の現状を報告し、イズベスチア紙にこう話した」そうな。

『日本の複雑で硬直的な官僚的運用により事故への対応が遅れている。ロシア人なら5分で済んでしまうことようなことでも、日本では何も解決できない。現場から離れれば離れるほど、政策の決定は遅くなり、運営状況は悪化している』

ノーメンクラツーラをはじめとした元祖官僚国家にこうまで言われるニッポン国、「♪どうすりゃいいのさ、思案橋~」シクシク…


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