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お盆

2013-08-14 | わくわく
8月13日迎え盆から16日送り盆まで4日間をお盆、いまお盆の中日8月15日を迎える、旧暦7月15日をその日とする先祖供養だ。盂蘭盆の略語とするも盂蘭盆ullambana、उल्लम्बनとは、安居の最後の日、旧暦7月15日を盂蘭盆ullambanaとよんで、父母や祖霊を供養し、倒懸(とうけん)の苦を救うという行事である、と解説がある。目連尊者の餓鬼道に堕ちた亡母への供養の伝説による。

盂蘭盆は、サンスクリット語のウランバナの音写語で、古くは、烏藍婆拏、烏藍婆那と音写され、ウド、ランブud-lambの意味がある、これは、倒懸 さかさにかかる という意味のようである。古代イランの言葉で、霊魂を意味する、ウルヴァンurvanが語源だとする説が出ている。盂蘭盆経 西晋、竺法護訳、報恩奉盆経 東晋、失訳 などに説かれる伝説によるところが日本に影響した。

盂蘭盆会のよりどころとしている盂蘭盆経は、父母恩重経、善悪因果経など、中国で成立した偽経であると考えられている。梁の武帝と同時代の宗懍が撰した荊楚歳時記には、7月15日の条に、僧侶および俗人たちが盆を営んで法要を行なうことを記し、盂蘭盆経の経文を引用していることから、すでに梁の時代には、偽経の盂蘭盆経が既に成立し、仏寺内では盂蘭盆会が行なわれていたことが確かめられる

これは、フリー百科事典ウイキペディア、盂蘭盆の項目による。

推古天皇14年、606年4月に、毎年4月8日と7月15日に斎を設ける
斎明天皇3年、657年には、須弥山の像を飛鳥寺の西につくって盂蘭盆会を設けた
同5年7月15日、659年8月8日には京内諸寺で盂蘭盆経を講じ七世の父母を報謝させた
聖武天皇の天平5年、733年7月には、大膳職に盂蘭盆供養させ、それ以後は宮中の恒例の仏事

盆会 お盆 精霊会しょうりょうえ 魂祭たままつり 歓喜会

>安居の最中、神通第一の目連尊者が亡くなった母親の姿を探すと、餓鬼道に堕ちているのを見つけた。喉を枯らし飢えていたので、水や食べ物を差し出したが、ことごとく口に入る直前に炎となって、母親の口には入らなかった。哀れに思って、釈尊に実情を話して方法を問うと、「安居の最後の日にすべての比丘に食べ物を施せば、母親にもその施しの一端が口に入るだろう」と答えた。その通りに実行して、比丘のすべてに布施を行い、比丘たちは飲んだり食べたり踊ったり大喜びをした。すると、その喜びが餓鬼道に堕ちている者たちにも伝わり、母親の口にも入った。

>安居は、雨期を意味する梵語のvārsika又はvarsa、パーリ語ではvassa を漢語に訳したものである。
本来の目的は雨期には草木が生え繁り、昆虫、蛇などの数多くの小動物が活動するため、遊行、外での修行をやめて一カ所に定住することにより、小動物に対する無用な殺生を防ぐ事である。後に雨期のある夏に行う事から、夏安居げあんご、雨安居うあんご とも呼ばれるようになった。


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