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しちせき

2024-07-07 | 思い遥かに


0707 都知事選挙が行われる。50人を超える、56人だったか、候補者がいてそれでなおこの人とならないから、人材にかけるか、首都には混とんとする何か。開票が午後8時になるが、その瞬間に当選者がわかるという出口調査がある。それがどれくらいのタイミングになるか、8時をすぎてなにほど、興を添えるのかどうかわからないが、選挙の集計を待たずして選挙速報となるからそのあとのメディアの情報番組には何がある。

 
中国の、シチセキ と、日本の、たなばた とは、似て非なるものか、伝承がそれぞれであるから、中国の伝説が日本に影響した時期によってもたらしたもの、後付けのように加えられていくものがあるかもしれない。
節句7月7日、宮中乞巧奠 、民間七夕まつり

七夕伝承 しちせき 読みが出ないワープロ辞書、どうなっているかな。

中国神話伝説の牛郎織女を見ると――

ウイキペディアの項目より
>牽牛織女の伝説は後漢以降の文献に見える。『淮南子』俶真訓に「織女」の名が見え、班固『西都賦』には「左牽牛而右織女、似雲漢之無涯」という。
唐末の韓鄂『歳華紀麗』に引く後漢末の応劭『風俗通』逸文には「織女は七夕の日にカササギを橋として河を渡らなければならない」といっている。
>明の馮応京著『月令広義・七月令』の引く梁の殷芸『小説』
>京劇などで演じられる『天河配』

七夕の項 同上、ウイキペディアより
>六朝・梁代の殷芸(いんうん)が著した『小説』には、「天の河の東に織女有り、天帝の女なり。年々に機を動かす労役につき、雲錦の天衣を織り、容貌を整える暇なし。天帝その独居を憐れみて、河西の牽牛郎に嫁すことを許す。嫁してのち機織りを廃すれば、天帝怒りて、河東に帰る命をくだし、一年一度会うことを許す」(「天河之東有織女 天帝之女也 年年机杼勞役 織成云錦天衣 天帝怜其獨處 許嫁河西牽牛郎 嫁後遂廢織紉 天帝怒 責令歸河東 許一年一度相會」『月令廣義』七月令にある逸文)という
  上記、明の馮応京著『月令広義・七月令』

たなばた との読みは、熟字訓、常用漢字表の備考に掲げるので、学習することになるが、比較的単純な言語現象とはこれいかに、それでも、日本の伝承はわからない。

https://kotobaken.jp/qa/yokuaru/qa-14/
>一方、あまりはっきり知られていませんが、日本ではもともと棚を設けてお供えし、神様の到来を待って祈ったのではないかという説があります。そこには機織りの若い女性が関わったそうです。また、この時期の農耕行事や、今でも行なわれるお盆の、先祖や死者の霊の里帰りを迎えたり、もてなしたりする行事とも、重なったと考えられそうです。それが和語の「たなばた」です。
このように、中国の「シチセキ」と日本の「たなばた」の思想や文化習慣の違い、あるいは両者の混合や発展は、言葉の問題というより事柄そのものの問題です。
  「七夕」 2013.07.17 山田貞雄
  ことばの疑問 よくあることばの質問

https://ameblo.jp/inarizus1-gomadang0/entry-12691352023.html
>日本では古来の棚機津女 (たなばたつめ)の伝説があり、中国で行われた行事の伝来に伴って、「たなばた」(棚機、棚幡、七夕)と呼ばれる行事が成立したといわれています。奈良時代から、相撲御覧、七夕の詩賦、乞巧奠 (織女に対して技芸上達を願う祭)などが行われており、宮中では、清涼殿の東の庭に敷いたむしろの上に机を4脚並べて果物などを供え、ヒサギの葉1枚に金銀の針をそれぞれ7本刺し、五色の糸をより合わせたもので針の穴を貫く行事が行われていました。さらに、一晩中香をたき灯明を捧げて、天皇が庭の倚子に出御して牽牛と織女が合うことを祈る行事も行われていました (星祭り、二星会合)。貴族の邸では願い事を梶 (かじ)の葉に書く風習もあったといわれています。七夕飾りの風習は江戸時代に成立し (6月末の大祓に設置される茅の輪の両脇の笹竹にちなむ)、短冊に願い事を書き笹竹に飾り、短冊等を付けた笹竹を屋上に立てるものであったものが、明治以降に軒下に飾る方式に変わっていったものと考えられます。また、笹竹の葉を海に流す風習もあります。
  伝統的七夕とその関連行事について
  2021-08-12  カタギリノエンレイソウ広報








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