読書など徒然に

歴史、宗教、言語などの随筆を読み、そのなかで発見した事を書き留めておく自分流の読書メモ。

魚の目はなみだ

2008-02-23 15:08:16 | Weblog

芭蕉の句の「行く春や鳥鳴き魚の目はなみだ」というのが有るが意味が今でも良く解らない。鳥はともかく何故、魚でそれがなみだなのだろうと不思議に思っている。別れを悲しんだ句で、池の魚もなみだすると言うフレーズは陶淵明や西遊記の中にも出てくる。芭蕉は恐らくそうした陶淵明の詩に思いを及ばせたのだろうが、それでも魚のなみだは西遊記や陶淵明の時代以前に遡って何故なのか解らない。最近、鰥と言う文字についての成り立ちを白川静著「漢字百話」中公文庫のなかに見た。鰥は「かん」と読み、妻を亡くした男の意味であると言う。眔の部分は「とう」と読み目から涙の出ている象形である。魚は古代中国で女性を意味すると言う。そう言えば人魚は女で、釣った魚に餌はやらないと言う言い方はこれから来ているのかと思った。何れにせよ妻と死別した事から「魚の目に涙」が来て、別れを表現する句に用いられるようになったのかなどと思った。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿