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1808年文化五年、ペリーが浦賀に現れる四十五年前の事である。イギリス船フェートン号が長崎に侵入し、オランダ商館を襲い食料などを奪った事件である。その頃、イギリスとオランダは戦争状態に有った。イギリスのフェートン号ははオランダの重要拠点である長崎を襲撃するためオランダの国旗を掲げオランダ船になりすまし長崎湾に侵入した。勿論、これは重大は国際法違反であるが幕府はイギリスのこの不法行為に対し為す術がなかった。フェートン号の武装は高度に強力なものであり戦いになれば幕府の負けは眼に見えていたからである。それどころかその時の長崎奉行松平康英はイギリスの要求を呑み物資を与え、退去させる他はなかった。後、責任を取り切腹した。そしてこの長崎の警備の責任に有ったのが他ならぬ佐賀藩だったのである。この事件は後、佐賀藩にとってトラウマとして残る事となった。
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