読書など徒然に

歴史、宗教、言語などの随筆を読み、そのなかで発見した事を書き留めておく自分流の読書メモ。

佐賀藩

2008-04-18 10:14:50 | Weblog

幕末、佐賀藩からの志士が少なかったのは理由が有った。藩主鍋島閑叟が藩士が志士化することを極端に嫌ったからである。佐賀藩は日本国内で藩の鎖国を行い、藩外への人の出入りを禁じた。教育と言う事がその大きな理由と目的に有った。藩は上級武士であろうと下級の者であろうと必ず藩校弘道館に入れる事を強制した。他の藩では上士だけが藩校に入れるのみであった。そしてこの藩では教育した生徒の学業の不振の者からその領地を召し上げる事までした教育恐怖政治を行ったのである。それにもまた理由が有った。それは黒船来航の四十五年前の文化五年(1808)年のフェートン号事件にまで遡る。


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