読書など徒然に

歴史、宗教、言語などの随筆を読み、そのなかで発見した事を書き留めておく自分流の読書メモ。

思考は母語に規定される?

2010-12-31 11:02:08 | 読書
70年前の1940年、ある人気科学雑誌に発表された短い論文が、20世紀屈指の知
的流行となった。一見、その後の名声を予感させるような論文とは言えなかった。
「科学と言語学」という題名も、『マサチューセッツ工科大学テクノロジー・レビュー』の誌面も、一般市民の注意を引くものではなかった。
そして、その著者の、保険会社の化学技師にしてからが副業はエール大
学の人類学講師という肩書きにしても、国際的なスーパースターの候補には相応しく
なかった。だが、ベンジャミン・リー・ウォーフが思考に及ぼす言語の力につ
いての魅力的な考えを解き放つと、その刺激的な文章に一世代全体が虜にされ、
私たちは母語によって思考内容が制限されると信じ込んだ。

具体的なウォーフの説によれば、アメリカ原住民の言語が話者に負わせる現実
像は私たちのものとは全く違う。だから、その話者には私たちにとっては最も
基本的な幾つかの概念がどうしても理解できない。例えば、時間の流れや、対
象(「石」)とその動き(「落ちる」)の区別などだ。数十年間、ウォーフの
理論には学会ばかりか一般社会も同様に目を瞠った。影響を受けた人々は、言
語の力とされるものへの想像を逞しくして様々な主張を繰り広げた。アメリカ
原住民の言語はその話者に、アインシュタインの時間の概念を四次元として理
解する直感を植え付けるという断定や、ユダヤ教の性質は、古代ヘブライ語の
時制体系によって決定されたという理論などだ。

やがて、ウォーフの理論は厳しい現実と硬い常識という壁にぶつかった。明ら
かに、その魅力的な主張を支持する確たる証拠がなかった。反発はとても激し
く、数十年もの間、母語の思考への影響を探る試みはすべて、不評を買う愚説
として退けられた。だが、それから70年を経た今こそ、ウォーフのトラウマか
ら決別する時だ。そして、ここ数年間の新たな研究が明らかにしたように、私
たちはやはり母語を学ぶ時にある種の思考の習慣を身につけ、それが私たちの
経験を豊かな含みとしばしば驚きを伴った形で輪郭づけている。


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