日本での初の洋式軍艦同士の海戦が行われたのは明治元年一月四日のことで、四国の阿波沖であった。オランダ帰りの榎本武揚率いる幕府軍艦「開陽」と薩摩軍艦「春日」が交戦した。「春日」にはまだ、少年の感じが抜けない薩摩藩士、東郷平八郎が左舷の大砲を担当していた。双方とも、二千八百メートルで砲火を開いたが、「春日」が速力が優勢で「開陽」を振り切ったため海戦は終わった。この海戦中、双方の軍艦の砲弾は一発も命中しなかった。以来、東郷には、「弾と言うものは、容易にあたるものではない」と言う苦い経験が残ったそうである。
司馬遼太郎著「坂の上の雲」より
司馬遼太郎著「坂の上の雲」より
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