19日、太宰治の生誕九十九年祭が青森県五所川原市で行われた。そこで思い出した話が有る。瀬戸内寂聴が「奇縁まんだら」のなかで書いていることである。寂聴が三谷晴美と言うペンネーム(戸籍名でもある)で小説を書き、原稿料を貰い始めた頃、京都から上京し三鷹下連雀の荒物屋に下宿した。近くに禅林寺と言う寺があって太宰治と森鷗外の墓が向かい合って有る。彼女はその事を三島由紀夫に報告したそうだ。三島から返事が来て、こう書いて有ったそうだ。「私は鷗外先生を非常に尊敬しています。太宰はきらいです。お詣りする時は、太宰のお墓にお尻を向け、鷗外先生にはお花を奉って下さい。」と。
19日、太宰治の生誕九十九年祭が青森県五所川原市で行われた。そこで思い出した話が有る。瀬戸内寂聴が「奇縁まんだら」のなかで書いていることである。寂聴が三谷晴美と言うペンネーム(戸籍名でもある)で小説を書き、原稿料を貰い始めた頃、京都から上京し三鷹下連雀の荒物屋に下宿した。近くに禅林寺と言う寺があって太宰治と森鷗外の墓が向かい合って有る。彼女はその事を三島由紀夫に報告したそうだ。三島から返事が来て、こう書いて有ったそうだ。「私は鷗外先生を非常に尊敬しています。太宰はきらいです。お詣りする時は、太宰のお墓にお尻を向け、鷗外先生にはお花を奉って下さい。」と。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます