百は明治二十二年、岡山氏の酒造業の長男として生まれた。
祖母や母に溺愛されて育った。丑年生まれだったので
牛の玩具をたくさん買ってもらった。
「本物の牛を買ってくれ」などと言い出したらしく、
実際に牛を買ってもらうなど我がまま放題に育った。
22歳で夏目漱石を訪れ、その門下となった。
そこで鈴木三重吉、森田草平、芥川龍之介などと知り合った。
この頃から食い意地ははっていて、漱石夫人の回想録では、
ガツガツ食事をたかる百の評判は芳しくない。
が、漱石全集編纂の校閲には力を発揮し、漱石への恩は返したと言えるかもしれない。
29歳では、芥川の紹介で海軍機関学校のドイツ語教授になり、
31歳で法政大学教授となって金回りは良かったほうだが借金まるけだったそうだ。
嵐山光三郎著 「文人悪食」マガジンハウス肝より
祖母や母に溺愛されて育った。丑年生まれだったので
牛の玩具をたくさん買ってもらった。
「本物の牛を買ってくれ」などと言い出したらしく、
実際に牛を買ってもらうなど我がまま放題に育った。
22歳で夏目漱石を訪れ、その門下となった。
そこで鈴木三重吉、森田草平、芥川龍之介などと知り合った。
この頃から食い意地ははっていて、漱石夫人の回想録では、
ガツガツ食事をたかる百の評判は芳しくない。
が、漱石全集編纂の校閲には力を発揮し、漱石への恩は返したと言えるかもしれない。
29歳では、芥川の紹介で海軍機関学校のドイツ語教授になり、
31歳で法政大学教授となって金回りは良かったほうだが借金まるけだったそうだ。
嵐山光三郎著 「文人悪食」マガジンハウス肝より