読書など徒然に

歴史、宗教、言語などの随筆を読み、そのなかで発見した事を書き留めておく自分流の読書メモ。

9.11日本人犠牲者家族の生き方

2011-09-24 10:36:04 | 暮らしの中で
米同時多発テロでは、多数の外国人も亡くなった。10周年が近づくにつれ、家族は、心を癒す道のりが困難だったことを思い出す。日本でも、犠牲者の家族がこれまでの日々を振り返っている。

日本人家族のために尽くす

 住山 一貞さんの一人息子、陽一さんは、9月11日の同時多発テロでで亡くなった24人の日本人犠牲者の1人だ。陽一さんは当時34歳で、日本の銀行の米国事務所にいて犠牲になった12人のうち、最年少だった。

 64歳の住山さんは犠牲者の親の中では若いほうだ。したがって、亡くした家族の思い出を保つため、一生懸命働く責任があるという思いに駆られるという。 9年前に引退してから、住山さんはこのことに最も時間を使ってきた。日本の家族のためのウェブサイトをつくり、日本や海外でのニュースやさまざまなできごとを並べている。息子を捜した経験についての短歌を書き、作曲もした。その中には、陽一さんに捧げる「レクイエム」もあり、妻のマリさんが演奏している。

 同時多発テロ10周年に向けて、中野区の勤労福祉会館で展示会も開いた。東京中心部の騒々しさから離れた、静かな住宅街での小さな展示会だ。テロ当日の恐怖をとらえたプロの作品から、住山さんがニューヨークを訪れて撮影した写真まで、20点ほどが展示された。

 住山さんは、「何かやっていないと、いられないもんですから。自分の悲しみを何かの形で現したいんです」と語る。

 米国では犠牲者の家族が強いきずなで結ばれているが、日本ではそうした関係はできなかった。国中に散らばり、めったに会うこともない。日本の家族のための公式な組織もない。最も活発に活動しているのが住山さんで、22家族と連絡を取り合っている。残りの2家族は海外にいるため、居場所を知るのが難しいという。

 住山さんは、「皆さん、特に親の世代は気持ちの中に深い悲しみを抱えている。他の方と一緒に話すとまた思い出したりするので、じっとしていたい方も多い」と話す。「そういう方を無理に引っ張り出して『会を作りますか?』ということはできない」

 地球を半周してグラウンド・ゼロを訪れる家族は、年々少なくなっている。13時間の飛行は年配者にとっては苦痛で、幼い子供を抱えた女性には困難だ。そして渡米したら外国語が待っている。痛々しい記憶を掘り起こしに行くには、遠い道のりだ。

 住山さんが9月11日に米国を訪問しなかったのは、これまでで1度だけだ。忙しかったために、揺らぐ感情を紛らわせることができてよかったと思っている。

 だが、10周年には多くの人がニューヨークへの長い旅に出る。テロが起こって、愛する家族をツインタワーのがれきの中で捜すため、初めてともに米国に旅立って以来、最大のグループとなる。犠牲者の妻や子供、兄弟など、38人が訪米する計画だ。彼らはグラウンド・ゼロで開かれる追悼式典に参加し、9月11 日の犠牲者と日本の3月11日の震災犠牲者のためのコンサートにも出席する。