読書など徒然に

歴史、宗教、言語などの随筆を読み、そのなかで発見した事を書き留めておく自分流の読書メモ。

『徳川埋蔵金』

2011-09-01 09:08:20 | 歴史
『徳川埋蔵金』は、鳥羽伏見の戦いで勝利した官軍が江戸に迫る情勢
において、勘定奉行であった小栗上野介が領地の上野国権田村に隠したと
言われている。
 総額で360万~400万両だと言う。
 1両が現在の10万円だそうで、現在の金額にするとどれだけになるか。
この『徳川埋蔵金』は明治新政府財政の為の御用金確保が必要であったためと言われる。

 慶応4年(1868年)、新政府軍が江戸に入った。

 しかし、この時の新政府は財政難に苦しんでおり、

 そこで必要とされ、期待されたのが江戸城の御金蔵だった。

 ところが、その金蔵空だった。

 新政府は旧幕府が隠したと考え、その行方を探した。

 隠した主犯と見なされたのが、勘定奉行であった小栗上野介。

 小栗上野介は将軍・徳川慶喜に新政府への徹底抗戦を主張しました。

 しかし、受け入れられず、勘定奉行を辞任し、領地であった上野国権田村
 へ隠居した。

 これらの行動に尾ひれがついて、「小栗が御用金を持って逃げた」になっ
 たと考えられる。

 しかし、小栗は権田村に迫った新政府軍によって、満足な取り調べも受け
 ずに処刑されてしまった。

 これらの状況により、不確実ながら『徳川埋蔵金』が赤城山のどこかに埋
 められたという伝説となり、歴史の謎となって現在に至っている。