昔、「週刊朝日」が「日本語相談」と言うコラムを連載していたそうだ。
掃除する、洗濯する、とは言うが買物する、とは言わない。(今は普通に言われていると思うけど。)採用する、は言うが文法するは言わない。最近はお茶するなどは時々聞く。
何れにせよ、何か基準は有るかと言う質問がこのコラムに有ったと言う。その質問に作家の井上ひさし氏が答えている。「サ行変格活用という独特の活用変化をするこの「する」は、ご飯粒のようにほとんどあらゆる名詞にくっつき、貼りつき、その名詞を動詞に変えてしまいます。相手が名詞ならサット擦り寄り、ぱっとくっつく。女性とみれば必ず声をかけたと言う、あのカサノバ氏のような動詞なのです。」と解説し、結局、「基準と言うものはなさそうで使い込まれているうちに定着するし、そうでないものは忘れ去られただけのことでしょう。」とその基準ははっきりしない。この話は私も井上ひさし氏の「私家版日本語文法」で私も読み、ブログに書いた事がある。基準が有るせよ、ないにせよ、日本語はこの技で多くの漢語を日本語化して来た。基準など必要なく、こうして日本語はしたたかに生きてきた訳だが、この点、言語学者の大野晋氏なら何とか説明してくれそうな気がしている。言葉が先、文法は後の筈だから、この説明に文法はまだ少し時間が要るのかも知れない。