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永沢寺の花のじゅうたん

2007-04-29 22:22:59 | お出かけ

牡丹が少し早かったので、永沢寺の花じゅうたんはもう終った頃だが行ってみるかと車を向けた。山あいの道を辿りからまつ林を抜けて峠を下るとすぐ永沢寺だ。
案に相違してこちらは人と車で一杯だ。切符を買うにも行列、もう帰る人も多いから大丈夫、中へ入ると一面の花じゅうたんが目に飛び込んできた。ワァーーキレイ。赤白ピンク空色の芝桜のじゅうたんが続く、花畑の間の小道をたどって奥へ、子供連れの家族もアベックも多い、しばし見ほれて時の立つを忘れる、シャッターを切る人も多くお花見以来の醍醐味であろう。
目の保養の後は冷たいシャーベットで喉の渇きを押さえ、次回の永沢寺は牡丹、花菖蒲、あじさいと心に約束して帰途についた。

長谷牡丹園(宝塚)

2007-04-29 18:00:50 | お出かけ

風もなく抜けるような晴天の日になった。連休開始で高速道、国道は車が一杯で動かず、やむなく山間の道をたどって長谷の牡丹園に向う。新緑が始ったばかりの山麓の景色は山桜、ハナミズキ、つつじの色を混ぜて段差のある緑が素晴らしくキレイ。今年の早春は花ぐるわせの冷気がつづいたので、こんな美しい山裾の景色を生んだのだろう。色づくという言葉が春にもあてはまるようだ。
宝塚の奥にある西谷ではダリアとともに此処も欠かせない牡丹園である。程なく普光寺の大わらじの下がった山門に着く。これを潜るとはや山野菜など売っている出店、牡丹園は右手、段々畠よろしく一面に牡丹列が続く、野点の真っ赤な大唐傘と毛氈が客を呼ぶ、だが肝心の牡丹はぱらぱらとあちこちに咲いているだけ、25日に開園はしたけれど肝心の牡丹は二分咲き。訊くと、この山間はまだ温度が低く今年は霜の降る日もあるそうで、見頃は5月10日頃とのことであった。
この会場は5月中旬まで開いているという。農村らしくひとり鯉のぼりの一群だけが五月晴れの空に元気にたなびいていた。

京都 霊山歴史館 (その2)

2007-04-28 16:24:51 | 備忘録
京都霊山歴史館に行った時、そのミュジアムショップで買ったのがこの本で殉難の100名の志士達の珠玉の一言、心に響く人生訓といわれるもので、感銘を受けたのでこのブログの続編を書いた。集成したのはこの歴史館の学芸部長木村幸比古氏で歌詩のみを30名ほど抜粋した。歌詞は当時の古語そのまま。
○和宮(将軍徳川家茂公内室)1846-1877
  惜しまじな君と民とのためならば  身は武蔵野の露と消ゆとも
○藤田東湖(水戸藩士)1806-1855
  玉鉾のみちのく越えて見まほしき  蝦夷が千島の雪の曙
○佐久間象山(信州松代藩学者)1811-1865
  きのふけふあすとうつろふ世の人の  心に似たるあぢさいの花
○長井雅楽(長州藩士)1819-1863
  君がため捨る命は惜からで  只思はるる国の行くすえ
○信海 (薩摩藩月照の弟)1821-1859
  西のうみ東のそらとかはれとも こころはおなし君か世のため
○西郷隆盛(薩摩藩士)1827-1877
  敬天愛人
○平野國臣(福岡藩士)1828-1864
  わが胸の萌ゆ想ひにくらぶれば  煙はうすし桜島山
○吉田松陰(萩藩士)1830-1859
  身はたとえ武蔵の野辺に朽ちぬとも  留め置かまし大和魂
○木戸孝允(長州藩士)1833-1877
  人の巧を取って我が拙を捨て  人の長を取って我が短を補ふ
○福沢諭吉(中津藩士)1834-1901
  心事高尚ならざれば働きもまた  高尚なるを得ざるなり
○小松帯刀(薩摩藩城代家老)1835-1870
  この年の千代のあまりは菅の根の  ながき春びにゆづりてや行く
○阪本竜馬(土佐藩海援隊長)1835-1867
  世の人はわれをなにともゆはばいへ  わがなすことはわれのみぞしる
○渡辺内蔵太(長州藩士)1836-1864
  早咲けば早手折らるる梅の花  清き心を君にしらせて
○吉村寅太郎(土佐藩士)1837-1863
  吉野山風にみだるるもみぢ葉は  我が打つ太刀の血煙と見よ
○中岡慎太郎(土佐藩陸援隊長)1836-1867
  大君の辺にこそ死なめ大丈夫  都はなれて何か帰らん
○高杉晋作(長州藩士)1839-1867
  恥かしと思ふ心のいやまして  なほらひ御酒も酔ひえざるなり
○久坂玄瑞(長州藩士)1840-1864
  梓弓はるは来にけり武士の  引かへさしと出る旅かな
○新巻羊三郎(久留米藩士)1841-1864
  もろともに君のみためといさみ立つ  心の駒をとどめかねつつ
○男谷精一郎(幕臣)1798-1864
  剣は心なり 心正しからざれば剣また正しからず
  剣を学ばんとする者は まず心を正しくすべし
○山岡鉄舟(幕臣)1836-1888
  一歩一歩いつか昇らん富士の山
○渡辺崋山(田原藩家老)1793-1841
  麻縄にかかる身よりも子を思ふ  親の心をとくよしもがな
○徳川斉昭(水戸藩主)1800-1860
  咲き出でて匂へるものは武士の  みちに通へる花にぞありける
○井伊直弼(大老)1815-1860
  世の中をよそに見つつも埋れ木の  埋れてをらむ心なき身は
○勝 海舟(幕臣)1823-1899
  行は我にあり毀誉は他人にある
○森弥一左衛門(箱舘編成新撰組隊士)1826-1869
  うれしさよつくす心のあらはれて  君にかはれる死出の旅立
○河井継之介(長岡藩家老)1827-1868
  地下百尺底の心を以て事に当たる
○松平春嶽(越前藩主)1828-1890
  鈴菜園田伏のいほに咲く花を  しひては折らじさもあらばあれ
○西郷頼母(会津藩家老)1830-1903
  己が身にほかせぬ事は施こさじ  前にしりへに右にひだりに
○芹沢 鴨(新撰組局長)1830-1863
  雪霜に色よく花と咲きかけて  散るとも何とにほふ梅が香
○山南敬助(新撰組副長)1833-1865
  春風に吹さそはれて山桜  すりてぞ人にをしまるゝかな
○近藤 勇(新撰組局長)1834-1868
  事あらばわれも都の村人と  なりてやすめん皇御心
○瀬尾権三郎(新撰組隊士)1834-1877
  身を捨し国に報はん大丈男ハ  妻子も同じ操なりけり
○土方歳三(新撰組副長)1835-1869
  しれば迷ひしなければ迷はぬ恋の道
○松平容保(会津藩主)1835-1893
  行くも憂し止まるもつらし如何にせむ  君と親とをおもふこころを
○沖田総司(新撰組一番隊組長)1842-1868
  動かねば闇にへだつや花と水
○飯沼貞吉(白虎隊士唯一の蘇生者)1854-1931
  梓弓むかふ矢先はしげくとも  ひきなかへしそ武士のみち

淡交社 1500円 ISBN4-473-03341-4


京都 霊山歴史館

2007-04-26 19:47:54 | お出かけ
家内が桂小五郎と幾松の春の特別展を見たいというので朝から京都に向った。

特別展は幕末維新ミュージアムとして東山の霊山歴史館(写真)に展示されていた。館内は幕末の志士や明治の元勲らの時代を追った歴史、関係者らの交わした書簡等が陳列してあり、竜馬を斬った刀などもあった。ゆっくり見て黒船から西南戦争くらいまで、命を賭して国難を救った志士たちの歴史を反芻することが出来た。家内は幾松(木戸光允夫人)の遺品が少なかったといっていた。この歴史館は護国神社境内にあり、回り一帯は'日本の心'と称される殉難志士の墳墓群で墓碑のあるもの368基、3116柱が合祀されているという、坂本竜馬の墓にもお参りしてきた。そして丁度昼時京都ならではという京料理を頂いて次の散策に向った。

北隣の北政所の高台寺を見学、祇園女御ゆかりの寺を過ぎ東大谷の御廟に向う。
この御廟は私の生母の遺骨の一部が納められているとこで、幼い頃今は亡き父に手を引かれ納骨に来た記憶がある。参道にエレベータがあり近代化されていた。
隣接の丸山公園はもう桜の時期が過ぎ、つつじ平戸に涸れた池の菖蒲もこれからというところ、名残の枝垂れも見ずにひとり八坂神社の八重桜が咲き誇っていた。神社参拝後裏の市民の森を一廻りして、祇園から四条通りを西へ、賀茂の河原へ出て懐かしい昔唄など口ずさみながら、三条大橋を渡り新装なった裏寺町通商店街、錦市場通と京の散策を楽しみ終えて烏丸駅から帰途についた。

三谷教官の訃報

2007-04-25 19:45:55 | レポート
関係者に訃報をお知らせすることになりました。
三谷賢吉教官は4月25日1317心不全のため逝去されました。通夜は26日1830、葬儀は27日1300、共に高知県の自宅で行われます、喪主三谷信一殿(ご長男)、ご遺言により弔電その他大袈裟なことはご辞退とのことで高等商船学校一期会、関西一期会より夫々花輪のみ贈呈しました。
三谷教官には昨年10月10日宝塚のホテル若水での米寿のお祝いをしたとき、高知より喜んでご出席になり嬉しそうに謝辞を述べられ会員の余興などに興じられておられたのに、こんなに早くこの世を去られるとは・・・。いつも後輩と楽しくやれるいい人でした。謹んでお悔やみを申し上げます。  合掌

Windows Vista,Office 2007 機能紹介講座

2007-04-23 20:40:57 | お出かけ
1週間前はWindows Vistaの基本機能の講座であったが、今日はOffice2007の新機能の講座であった。
教室のPC Vistaは1台だけでOffice2007もスクリーン投射での操作説明であったが大要次のことが理解できた。
・スタートはOfficeボタン(ファイル機能)
・ホーム以下各タグで夫々リボンが開く
・展開した項目アイコン等を拾って作成を進めていく
・マウスポイントだけで結果がイメージされて作業が進めやすい(ブレビュー)
・画像操作が非常に速くできる(ビスタがメモリー1ギガある)
・画像のハンドルの違い
・原稿用紙へのやり方
・3Dの操作、そのでき上がり
・フリーズする前に警告が出る
・数字データと図面グラフ(エクセル)
・USBメモリーを挿すだけでVistaのメモリの補充となる
その他沢山の説明があったが初めてで理解し難い点もあって省略する。


日高義樹のワシントン・リポート

2007-04-22 21:48:54 | レポート
「北朝鮮との取り決めは間違っている」と題して日高義樹氏、米政治評論家ロバート・ノック氏とジョン・ボルトン前米国連大使(写真)との対談が行われた。

○第1部 北朝鮮との取り決めは間違いだった

  (内容省略)

○第2部 北朝鮮は崩壊寸前だ
・北朝鮮と外交関係を持つことは間違いだ。
・北朝鮮は一般に考えられているよりも崩壊が近い。
・金融制裁を全面的に解除するのは誤りだ。
・ブッシュ大統領は外交的解決の間違いに気付くだろう。

○第3部 アメリカの指導者は北朝鮮をどう見ているか
 北朝鮮の現在の疲弊の風景や国費の40%軍事費の現状を描写し、またアメリカ元国務長官のキッシンジャー、パウエル、オルブライト等の過去の記録を写し当時の北朝鮮との交渉や国情を上映した。

○第4部 アメリカは北朝鮮と外交関係を結ぶのか
・北朝鮮が軍事力で南北を統合することはできない。
・今度の取り決めが北朝鮮に間違ったシグナルを送ってしまった。
・経済援助を増やすことで、キム・ジョンイル政権に正当性を与えてしまった。
・韓国のノ・ムヒヨン大統領が何を考えているのか分からない。

○第5部 アジアで米中の時代が始まったのか
・中国の考えを基礎にアジア問題を検討したり解決しようとする人々が増えてきている。
・中国の将来が、まだ不明なことを勘定に入れてアメリカの外交を決めるべきだ。
・安倍首相が日本の憲法を変えることが出来れば日米の協力関係が進む。
・安倍首相がまだワシントンを訪問していないことはたいした問題ではない。


 対談は以上であるが、米軍事専門家はこんども北朝鮮がアメリカをだますと見ている。
これから北朝鮮との交渉があっても中国がバックについている。朝鮮半島やアジアの安定は次第に中国や北朝鮮の影響が強まってくる。しかしアメリカは朝鮮半島やアジアの安定のため中国と北朝鮮との関係を深めていかねばならない。
こんな情勢から日本は国益を守り自らの手で安全保障を維持するため日米軍事協定も変え、今まで抽象的であった憲法改正や原子力も含めて新しい国のあり方や安全保障を考えていかねばならない。

次回の放送は5月20日「北朝鮮中国を狙う~ステルスF22が沖縄へ」

サテライトの自由学校

2007-04-19 21:37:45 | お出かけ

サテライトの自由学校があるので出かけた。
○第1部
ロボットクリエイターの高橋智隆氏の「ロボット開発最前線」と題しての講話であった。高橋さんは立命館大学卒後、京都大学工学部に入学、在学中に電磁吸着2足歩行の特許を取得、卒業後はロボットの技術開発・デザイン・製作改良に没頭する32歳の青年(写真)。この日も2体の人間ロボットを持参、テーブルの上で1体は球を蹴りサッカーのネットへ、1体は滑稽な足裁きで歩いて見せた。彼の言によると常に最先端のロボット技術を目指しており、世界的なロボットの大会もあって、もう連続3年世界一の偉業を達成しているという。
私の最初のロボットとの出会いはソニーのアイボ1号であったが、その後愛知万博で本田が二足歩行の「アッシモ」を出品していたし、テレビでは学生中心らしいが競技大会まである。本当にロボットの進歩は素晴らしいし、また産業ロボットでは日本は世界一である。

○第2部
伊関武夫・光代夫妻の「熟年夫婦のドイツ手作り紀行」と題してキャスターとの対話形式の旅行の経験談であった。手作りというのは途中から計画が自由に変化するのをいうらしい。
伊関氏は金沢大卒後東芝に入り生産管理部門にあったが、10数年前の旅でドイツに魅せられ、ドイツ語にチャレンジしつつドイツに旅立つこと12回、スイス、オーストリア、イタリア、ベルギーなどドイツ語圏には12回渡欧されて訊ねた町は170になるという。旅で知り合ったドイツ人家族との交流や市街地の沢山の写真を見せながら人々の豊かな心、世界観など実感しながら旅は刺激的で楽しい。
これからも夫妻でドイツ語を学びつつドイツや周辺国に出かけ、新しい自分発見の旅を続けたいという。(ご夫妻は1940年1945年生まれ)

4月の投資セミナール

2007-04-18 19:24:27 | お出かけ
のち
ノムラの投資情報部佐伯宏一氏の株式投資環境のセミナーであった。TOPEXも日経平均も上下はあるが、06年度07年度と上げており08年度も上昇とみていい。投資環境としては
○サブプライムローン(米住宅ローン)上昇に転じた。
 後は米消費者物価の成り行きと来年の大統領選挙の行方。
○チャイナーショック
 お金がダブついている、来年から始まる北京オリンピック、共産党政権60周年記念、上海万博等一連の国家的事業をアピールしているがどう乗りきるか。
○円のキャリートレード
 円/ドル間の売り買い、日本0.25%,米国5.25%でどう動くか。
 その他原油価格は暖冬で冬より夏のほうが高値。個別銘柄の選択では「ヒト」「モノ」「カネ」夫々についてじっくり環境を考える。  等アドバイスがあった。

渡辺昇一著 95歳へ !

2007-04-17 18:13:40 | 書籍紹介
「幸福な晩年を築く33の技術」の添題がついていて喜寿の著者が95歳までガンバッテ生きましょう、という本で彼なりに体得したテクニックを披露している。理科系で育った人はこの際文科系に転じて余生へとの発想、つまり理科系は技術、技術、新技術の更新で体を酷使している、文科系は競争のない自らの発想だけで和やかに暮らせる社会、長生きするには文科系への転身を説く。渡辺昇一は僕も好きな作家、80歳を過ぎた私でも参考になりそうな本だった。晩年を設計する人にお薦め。

飛鳥新社 1200円+税 ISBN978-4-87031-794-9