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京都 霊山歴史館 (その2)

2007-04-28 16:24:51 | 備忘録
京都霊山歴史館に行った時、そのミュジアムショップで買ったのがこの本で殉難の100名の志士達の珠玉の一言、心に響く人生訓といわれるもので、感銘を受けたのでこのブログの続編を書いた。集成したのはこの歴史館の学芸部長木村幸比古氏で歌詩のみを30名ほど抜粋した。歌詞は当時の古語そのまま。
○和宮(将軍徳川家茂公内室)1846-1877
  惜しまじな君と民とのためならば  身は武蔵野の露と消ゆとも
○藤田東湖(水戸藩士)1806-1855
  玉鉾のみちのく越えて見まほしき  蝦夷が千島の雪の曙
○佐久間象山(信州松代藩学者)1811-1865
  きのふけふあすとうつろふ世の人の  心に似たるあぢさいの花
○長井雅楽(長州藩士)1819-1863
  君がため捨る命は惜からで  只思はるる国の行くすえ
○信海 (薩摩藩月照の弟)1821-1859
  西のうみ東のそらとかはれとも こころはおなし君か世のため
○西郷隆盛(薩摩藩士)1827-1877
  敬天愛人
○平野國臣(福岡藩士)1828-1864
  わが胸の萌ゆ想ひにくらぶれば  煙はうすし桜島山
○吉田松陰(萩藩士)1830-1859
  身はたとえ武蔵の野辺に朽ちぬとも  留め置かまし大和魂
○木戸孝允(長州藩士)1833-1877
  人の巧を取って我が拙を捨て  人の長を取って我が短を補ふ
○福沢諭吉(中津藩士)1834-1901
  心事高尚ならざれば働きもまた  高尚なるを得ざるなり
○小松帯刀(薩摩藩城代家老)1835-1870
  この年の千代のあまりは菅の根の  ながき春びにゆづりてや行く
○阪本竜馬(土佐藩海援隊長)1835-1867
  世の人はわれをなにともゆはばいへ  わがなすことはわれのみぞしる
○渡辺内蔵太(長州藩士)1836-1864
  早咲けば早手折らるる梅の花  清き心を君にしらせて
○吉村寅太郎(土佐藩士)1837-1863
  吉野山風にみだるるもみぢ葉は  我が打つ太刀の血煙と見よ
○中岡慎太郎(土佐藩陸援隊長)1836-1867
  大君の辺にこそ死なめ大丈夫  都はなれて何か帰らん
○高杉晋作(長州藩士)1839-1867
  恥かしと思ふ心のいやまして  なほらひ御酒も酔ひえざるなり
○久坂玄瑞(長州藩士)1840-1864
  梓弓はるは来にけり武士の  引かへさしと出る旅かな
○新巻羊三郎(久留米藩士)1841-1864
  もろともに君のみためといさみ立つ  心の駒をとどめかねつつ
○男谷精一郎(幕臣)1798-1864
  剣は心なり 心正しからざれば剣また正しからず
  剣を学ばんとする者は まず心を正しくすべし
○山岡鉄舟(幕臣)1836-1888
  一歩一歩いつか昇らん富士の山
○渡辺崋山(田原藩家老)1793-1841
  麻縄にかかる身よりも子を思ふ  親の心をとくよしもがな
○徳川斉昭(水戸藩主)1800-1860
  咲き出でて匂へるものは武士の  みちに通へる花にぞありける
○井伊直弼(大老)1815-1860
  世の中をよそに見つつも埋れ木の  埋れてをらむ心なき身は
○勝 海舟(幕臣)1823-1899
  行は我にあり毀誉は他人にある
○森弥一左衛門(箱舘編成新撰組隊士)1826-1869
  うれしさよつくす心のあらはれて  君にかはれる死出の旅立
○河井継之介(長岡藩家老)1827-1868
  地下百尺底の心を以て事に当たる
○松平春嶽(越前藩主)1828-1890
  鈴菜園田伏のいほに咲く花を  しひては折らじさもあらばあれ
○西郷頼母(会津藩家老)1830-1903
  己が身にほかせぬ事は施こさじ  前にしりへに右にひだりに
○芹沢 鴨(新撰組局長)1830-1863
  雪霜に色よく花と咲きかけて  散るとも何とにほふ梅が香
○山南敬助(新撰組副長)1833-1865
  春風に吹さそはれて山桜  すりてぞ人にをしまるゝかな
○近藤 勇(新撰組局長)1834-1868
  事あらばわれも都の村人と  なりてやすめん皇御心
○瀬尾権三郎(新撰組隊士)1834-1877
  身を捨し国に報はん大丈男ハ  妻子も同じ操なりけり
○土方歳三(新撰組副長)1835-1869
  しれば迷ひしなければ迷はぬ恋の道
○松平容保(会津藩主)1835-1893
  行くも憂し止まるもつらし如何にせむ  君と親とをおもふこころを
○沖田総司(新撰組一番隊組長)1842-1868
  動かねば闇にへだつや花と水
○飯沼貞吉(白虎隊士唯一の蘇生者)1854-1931
  梓弓むかふ矢先はしげくとも  ひきなかへしそ武士のみち

淡交社 1500円 ISBN4-473-03341-4