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源氏物語千年紀展(京都文化博物館)

2008-05-29 17:34:13 | お出かけ
  展示期間があと10日くらいになって混雑が予想されるので今日行ってきた。
10時頃入館したのだがもう可なりの人が押し寄せていて圧倒的に女性が多い。音声ガイド片手に閲覧しそれでも十分楽しめた。
学生時代が戦争中だったので、こんな文学に触れる機会はなかった私であるが、それでも戦後に耳学問で知り、今度は趣味の方から五十四帖それぞれに触れる機会があった。展示は源氏絵詞が多く桐壺、帚木、空蝉、夕顔、若葉、末摘花、紅葉賀、花宴、葵、賢木、花散里、須磨、薄雲、朝顔、乙女、玉鬘、初音、胡蝶、蛍、常夏どれも懐かしい。今日は総括のつもりで行ったのだが、紫式部が構想を練ったといわれる石山寺や京都郊外の地名、源氏の相方の女性名になる地名等興味があり、原本が書かれた遥か後世に沢山の写本や絵巻物が出ている事実や現代になっての現代語での出版、世界の18ケ国言語にまで翻訳されている驚異、あの王朝時代の風物を模した茶器や美術品の数々に圧倒された2時間、あっという間に過ぎた。

松下電器歴史館見学

2008-05-27 18:09:38 | お出かけ
  NJ協会の松下電器歴史館(松下幸之助メモリアルホール)の見学ツアーがあったので家内と共に参加した。この歴史館は松下電器の創業50周年を記念して1968年に開館一般公開されたという。
 朝10時に京阪本船「西三荘」駅に集合、総勢40名で徒歩歴史館に向った。玄関前のゆきとどいた庭園には松下幸之助の銅像があり、松下からの派遣の方に迎えられて中に入った。一室に揃ったところでご挨拶があり20分の映画上映があった。松下幸之助の生涯人物像にスポットを当て、展示の方は最先端の映像、コンピュータ機器を駆使したものであった。幸之助は丁稚奉公から始った立身出世型の人で大正7年大阪の大開町に松下電器器具製作所の創業の家をつくった。
「商いの心」を従業員に説き先ずお客様あっての仕事、客の欲しい物をつくるがモットー、早くからご存知PHP出版に協力、昭和45年の大阪万博には「松下館」として独立館を出品、昭和55年には松下政経塾を創り幾多の人材を輩出している。
これらの功績で昭和62年勲一等旭桐花大綬章(92歳)を戴き、平成元年94歳で死去している。
彼の人生訓は【道】を説き、企業は何のためにあるのか(企業は社会の公器である)、幸之助の告辞というものもあり、何のための経営か、なぜ利益が必要か、なぜ共存共栄なのか、何のための商品開発か、何のためのグローバル展開か、何のための営業か、何のための人材育成か、何のための仕事か等沢山の問いを投げかけこれに答えている。
なお上記の電機大手の松下電器であるが本年10月1日から旧名松下ナショナルを捨て、新社名「PANASONIC」に統一して世界に雄飛しようとしている。

その後私達一行は、守口市に出て駅前の料亭柿右衛門にて中食をとり、自己紹介を含む楽しい歓談の時を過ごして散会した。


名古屋港水族館

2008-05-26 10:07:14 | お出かけ
  25日は所用があって名古屋へ行った。時間があったので久し振りに港の水族館に寄ってみた。私の現役時代に開設されたものでどのくらい変わったか興味があった。折悪しく日曜だったので親子連れの人たちで一杯で水槽の方は十分見れなかっが、イルカショーなど十分楽しめた。この館の特色はペンギンの飼育(写真上)と初代館長が熱心だった砂浜に卵を産みつける海亀の保護である。北から南の南極までの水態系など多数蒐めているので有名である。極寒の氷海を元気で泳ぐペンギンの群れを見てホットした気分になった。
夜は港の港湾会館で旧会社の期末総会後の懇親会、顔見知りの沢山の後輩達に囲むまれ、2人の叙勲褒章者の披露、7人の新規採用者の挨拶、ご夫人達も多数混ざって盛大で楽しい一時を過すことが出来た。

MOPAS 友の会

2008-05-24 19:53:27 | お出かけ
  総会は東京でありその議事報告会が神戸で行われる。MOPAS(商船三井客船)の退職者その他の会で以前船に乗っていた人たちが多い。
12;00から神戸元町の中華店「紅玉石」で懇親会を兼ねて実施された。
さきに会計報告次年度の計画等盛り沢山の議題が提起されたが拍手のうちに終了、懇親会に移った。出席者は30名であったが、女性も多く老酒のほろ酔いと中華料理に遠慮なしの仲間同士、何年振りかの人もいる自己紹介も縺れがち、あっという間の3時間がたって、記念の集合写真を撮り再会を約しお開きになった。(写真は会長さんを挟んで)

鴨川をどり

2008-05-22 20:49:51 | お出かけ
  切符を頂いたので妻と2人で京都まで出かけた。宝塚からは阪急を利用すればそんなに遠くない。終点の河原町から高瀬川の畔の小道を辿れば10分程で先斗町の歌舞練場に着く、入口で指定席に代えて、先ず茶席に行く、そこでだらりの帯の二人の舞妓さんからお茶の接待をうける。済んで舞台のある観覧席に着いて見ると、もうこの歌舞練場は古い歴史を物語る。垂れ幕の緞帳もすごい、聞けば鴨川をどりの初演は明治5年という、春秋もあった年もあり今年は第171回で5月1から24日まで、1日3回のランである。
12:30開演のペルが鳴る。幕が開くと一瞬にして美しい艶やかな群舞がまぶたに飛び込んでくる。今日の出し物は第1幕「ばさら姫」5場、第2幕「菓子可笑し(かしおかし)」5景であった、笛太鼓を入れた三味線ばやしで踊る踊子達の仕種、背景の美と着物の美しさに調和してしばし時の経つのを忘れるほどだった。
先斗町の歌舞練場は三条大橋に近い。しばし加茂の河原に下りて往時の大文字の送り火を偲ぶ。新京極をくだり源氏物語由縁の店で日本料理を戴き、楽しい余韻を胸に帰途についた。


サテライトの自由学校

2008-05-21 20:53:47 | お出かけ
  上記があったので西宮まで行ってきた。
○第1部 講師はマジシャン、マギー司郎氏の「マギー司郎のハッピーライフ」と題してのお話。
マギー氏(写真上)は1946年茨木県生れ、16歳で上京マジックスクールで手品を学び、20歳でプロのマジシャンとして活動を開始、33歳の時『お笑いスター誕生』(日本テレビ系)で注目され以来、ユーモアセンスあふれる独特の"おしゃべりマジック"で幅広い層から人気を得ている、また9人の愛弟子を持ち彼らから慕われる師匠でもある。受賞歴も多く著書もある。この日はゴム紐を移動する50円貨やトランプの手品を披露した。

○第2部は建築家天野彰氏の「60歳からのマイホーム」と題してのお話。
講師天野氏(写真下)は1943年愛知県岡崎市生まれ、1級建築士設計事務所アトリエ4A代表、日大理工学部建築科卒、モットーは「家は人と同じで一軒一軒違う、洋服の仕立て屋のように家族にあった家をつくる」でテレビや講演新聞雑誌などを通して「住まいの健康と安全」に対して積極的に発言している。著書も多い。
この日は人生時計で人は25~40歳(保育型住まい)40~55歳(社交型住まい)60才夫の定年として、55~70歳(養老型住まい)、平均寿命男76、女84として人生80歳として考えるとする。
60歳からの家は夫妻別室(夫和、妻洋室)がいい。「減築」1軒6室あるとして北側の中央室は減らして多目的に使う。養老型住宅としては体育館型住宅、高床式住宅を薦める。3つのフリーとて①バリアフリー②ケミカルフリー③メンテナンスフリーを維持し、理想としては寝転がって体を洗える浴室、浮き沈みする家、フレームコロニー(コンテナ集合型)とう画図面で説明された。
結論としては60歳からの住宅は夫婦で向き合って考えるということであった。


日高義樹のワシントン・リポート

2008-05-18 21:56:18 | レポート
「アメリカはいつまで日本を護るのか」と題して日高義樹・政治評論家ロバートノバックと前米統合参謀本部議長ピーター・ペース大将(写真)との会談があった。

○第1部 沖縄の海兵隊はどこへ行くのか
・アメリカ海兵隊がいつまで沖縄に駐留するかは日本が決めることだ。
・アジアにアメリカ軍が展開していることは、日本とアジアがアメリカにとってかけがえのないことを示している。
・沖縄の海兵隊を1万人グアム島へ移し常時、日本防衛の体制をとる。

○第2部 朝鮮半島のアメリカ軍をどうする
・韓国軍が力をつけたのでアメリカ軍は南へ移る。
・北朝鮮軍は訓練や補給に問題を抱えている、南へ侵攻してくる懸念はなくなった。
・北朝鮮は核兵器を保有しているが、その戦力も意図も不明だ。

○第3部 グアム島のアメリカ軍が強化される
・トランスフォーメーションは単なる兵員や基地の数の変更ではない。
・トランスフォーメーションは将来の戦いを効率的に行うためのものだ。
・トランスフォーメーションによって日本の防衛がしやすくなる。

○第4部 イラクのあとの敵は中国か
・イラクの次の敵が中国ということはありえない。
・中国はアジアの安定を維持するためアメリカ軍基地が存続することを望んでいる。
・アメリカの敵は世界中のアルカイダだ。
・アメリカの力にかなう国は世界にない。

○第5部 アメリカはいつまで日本を護る
・日本の軍事力を強化するかどうかは日本が決める事である。
・自衛隊は世界のどこでも行動できる能力を持っている。
・軍事的にはさらに密接な共同作戦がとれるとよい。


次回の放送は6月15日(日)「次のアメリカ大統領ははマケインだ」と題してボールテン大統領首席補佐官との会談。

新興国を支える日系人

2008-05-18 11:50:38 | 備忘録
  ブラジルに渡って日系人を鼓舞する井上祐見さんの話が出たが、いまや Brics といって世界の新興国の先頭に立つ ブラジル国は元気がいい。
16日のNHKのあとの放送かんさい特集では2人の日系人成功者の記事を載せていた。ブラジルが世界で最優良な鉄鉱石を輸出していることは知られているが、近年海底油田を堀あてこの採油でも知られてきた。水面下3000メートルの探索で大きなサントス油盆とカンボン油盆を発見、ブラジル沿岸遥か沖に油井を立てて採油が始っている、会社はペトロブラスPETROBRASといってトップに立つのは日系人のシゲアキ植木である、まだ油質の問題があるが将来性は充分という。
もう一人サトシ横田といってエンブラエルEMBRAER航空機製造会社の社長がいる。早くから航空機の部品を海外から集め組立て工場から始った。今では中小型機では国内随一、販途は海外に及びこれも新興国の力の一端を背負っているという。
アマゾンの開発といいブラジルは発展の楽しみな有望国である。

オブリガーダ笠戸丸

2008-05-17 08:05:29 | お出かけ
 16日19:30からのNHKTV放送はかんさい特集で題記の"オブリガーダ笠戸丸"、これは歌の題名でポルトガル語でオブリガードは有り難う、笠戸丸はブラジル移住の第一船、歌手井上祐見さん(写真上)がこの日歌って初披露した。折しも17日、18日は神戸まつり、市を挙げて祭りの催しに酔う日である、そして今年はブラジル移住が始って100年目、1908年(明治41年)大阪商船の笠戸丸が780名のブラジルへの移住者を乗せて4月の28日神戸港を出帆した。夢と希望の移住だったが現地はひどいものだったのはご承知の通り、開拓を乗り超えて移住者は闘った。戦前戦後を通じて24万人がブラジルに渡った。大阪商船所属だった私の若い人生の何分の一かは移民船でそのお手伝いをした。
神戸の山の手に旧移住者センターがある、そこに移民発祥の地の碑がある。
井上祐見さんはこの歌「オブリガーダ(ありがとう)笠戸丸」を持ってブラジルにわたり、笠戸丸が初めてブラジル(サントス港)に着いた記念の日6月18日にサンパウロ市にて150万の日系人の前で歌うという。

MO寿会総会・懇親会

2008-05-14 20:09:44 | お出かけ
  出席者は来賓・会員で73名で、13:00より神戸青葉茂れる湊川神社(写真)の境内にある楠公会館で催された。先に星野会長の開会の辞、ついで寿会平成19年度収支報告があり、全員一致拍手で可決された。続いてMO平塚執行役員の挨拶で邦船間でトップを走る商船三井の会社成績が披露された。次に外郭団体から寄付された酒樽の鏡割りを出席者中で長老であった私と他1名に番が回ってきた。ついでMO最高顧問友国八郎氏の乾杯の音頭で宴席歓談に入った。
この寿会の会員は皆旧会社のOBで海上第一線で働いたつわ者達、景気のよい経営者の話に枡酒の勢いも重ねてほろ酔いの楽しい歓談が続いた。