お出かけ

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多田神社の源氏まつり 

2007-04-16 20:59:30 | お出かけ
清和源氏の発祥地多田院の源氏まつり(懐古行列)があるので出かけていった。

多田のこの辺りは若い頃行ったきりで疎遠になっていたが、近年開発が進んでいる川西市の奥地でありながら、猪名川が大きく湾曲しているこのあたり一帯は古代の行事をやるにふさわしい里山がまだ残っていた。
多田院は源氏も歴史に有名になる前の満仲公時代からの地盤で、今日の行列も
清和源氏の発祥の地「川西」の歴史・文化をアピールするお祭り。源満仲公を中心とした源氏縁の武将たちが大鎧兜に身を固め行列に加わり、巴御前・常盤御前・静御前などの女性たちも勇敢な騎馬女武将姿や白拍子姿などで花を添えていた。また弁慶・牛若丸の姿や、源頼光・酒呑童子・坂田金時等による鬼の行列も人気。多田神社の御神輿やご婦人連の着物姿も沿道を練り歩いた。八幡太郎義家に扮する元巨人のゲスト元木大介の鎧兜姿が目立ちました。(写真は源義家、巴御前、常盤・静御前 )







 




Windows Vistaの機能紹介講座

2007-04-16 17:56:49 | お出かけ

題記講座がパソナコンじゅく教室であったので出席した。
今日の出席は男3女2計5名であった。
教室でもPC Vista は未だ1台しかなく各自触って受講できなかったが、先生の講義で概ね次のことが理解できた。
・デスクトップのサイドバー(ガジェト)の用途
・IEの7の新機能
・Windowフリップの機能
・Aero機能とは
・インターネット接続してからのダンロード
・家庭用にはHome Premium版がいい。
・USBメモリーは拡張用として使える
・システムの復元が簡単に出来る(上書きの復活)
・検索の機能強化
・IEのタグ切替えだけでM/S,Google,Yahoo等で照合が容易 
まだまだ利点が沢山あるが2007 Office等すぐれている、新発売後まだ5ヶ月、バグは未だあまり出ていないが購入するとすれ本年秋以降であろう、教室では5月連休明けてから数台入れて新講座を予定している。

定期健診

2007-04-14 09:06:54 | お出かけ
 落花も始まったところもあるが、今年は花びらも粘り強くついていて我々の目を慰めてくれる。花種によってまちまちで造幣局のようにもう終ったところもある。
朝早く市立病院に向かった、例によって採血採尿の後、診察の結果血圧、体重、尿検はよかつたが、血糖は高止まりでもう一踏んばりとのこと、いつもの投薬を頂いて帰ってきた、次回は6月1日。

松柏会大阪総会

2007-04-12 19:39:23 | お出かけ

上記総会並びに懇親会が16:00より中之島三井ビルのカフェテリア「リバーレスト」で来賓11会員142計153名出席の下に実施された。先ず松柏会相浦会長の挨拶に始まり、昨年度の62名の物故者に対して黙祷、次いで総会議案決算・予算、役員交代、実施事業報告とも全員一致で承認、つづく来賓挨拶として㈱商船三井会長鈴木邦雄氏(写真)の海運界の好況に支えられて上がった会社の業績を数字を挙げて説明され、我々OBとも喜びであった。乾杯は川端孝氏の音頭で懇親会に入り、久し振りに会う元気者達、久闊と多方面の話題にムードは上がっていった。そろそろ時間も押迫って、お祝いの紅白饅頭を戴いて散会した。

金融経済と市場の講演

2007-04-10 18:46:23 | お出かけ

題記の講演があるので出かけた。気温もやっと春らしくなり、晴天で桜も満開冷温だったせいか今年は花持ちがいい。日曜に夙川の花見に行ったこども達から満員で花見より人見だったと報告を受けていたが、もう散りかけているだろうが今年も夙川とそちらに回った。案の定平日午前だったので人出は少なく、散り始めだったが悠々撮影を楽しんできた(写真)。
今日の講師はノムラのエコノミスト東田雅昭氏で「金融経済と株式市場の展望」と題してのお話。名古屋の方で前から顔みしりであり他の各地を含め年数回お廻りになっておられる。私はしばらく振りだったが、出席者もおなじみなのか演台に上っただけで拍手がわいた。
世界の市場は勿論、政治金融経済景気等激変の時だけに私のシンブルの頭では理解し難い点もあり演題の項目を列記するにとどめる。
① 株価の現場に聞く
② 資金量と株価
③ 金利と株価
④ 景気・業績と株価
⑤ 市場のことは市場に聞け
原油価格高止まりで、産油国の豊富な資金は欧州の銀行に集り、そこから世界の市場は潤って今年大きな上げ下げはないだろうの結論だった。

関西一期クラス会

2007-04-09 20:43:52 | お出かけ

春のイベント関西クラス会がホテル若水であるので出かけた。
年齢がら近年物故者が多く今日の出席もだんだん減って関東や高知からの3名を入れて24名であった。1130受付、1200より温泉浴、1300より宴会開始となった。司会挨拶の後新たな物故者3月28日逝去の高橋敏男君の発表があり、昨年よりの死亡者を入れて計5名の訃に対し黙祷を捧げた。会務報告承認、全員乾杯の後宴会に入った。欠席者29名の動静回覧後、程なくして、まだ現役で活躍している柚本医師の現代医学の発達や医療機器の進歩等の話題、質疑応答があって医療で心配事があればいつでも電話して来いと有難い託宣もあった。
また3年先だが学校卒業65周年の全国会合を伊豆長岡温泉でやり1泊後思い出の戸田港めぐりで三島に帰る案の企画をY君が発表した。賛否は持ち帰り検討する。
出席のH君が大きな額縁20号の画を抱えて会場に飾った(写真)。彼は定年後余技に絵を習い今では関西水彩画会会員で全国の鴎童会の会員でもあり、出品画作成で一時体を壊していてこの一期会を欠席していたので証しに此の画を持ってきたという、来年は個展をやると張り切っていた。
そろそろ終宴近くなったので学校時代のラッパ手T君,Y君が出て懐かしの想い出の行進曲、就寝ラッバ、五分前等吹いて閉会の辞となった。
散会後はみな宝塚満開の花見の散策を楽しんで帰ったことと思う。

宝塚デジカメクラブ 2007年4月例会

2007-04-08 15:16:52 | レポート
今日の出席者は男7女3計10名であった。先に宮崎先生よりもうこのクラブも2年間になる、毎回充実していて勉強になった、10周年記念パーティーの写真CDに焼いてあるので、見たい希望者は申し出ること、5月からVISTAその他新講座を沢山計画しているのでご期待を乞う、会費を徴収すので帰りに支払っていって欲しい。
会長からは教室掲示の我々のギャラリーの写真持って来られた方は終了後掲示して、前の写真の方は持ち帰って欲しい。
今日は構図の勉強、夫々の絵の構図によって画の整理をする、主役を決め、脇役と背景はボカす、また画面上での線(S字)の使い方、撮影時主役とそのうしろも考えてシャッター、狙った主役のその明るさによって+-の露出補正を、オートブラケットの話も参考に。夜景モードでの撮り方はむずかしいので次回に。
作品鑑賞はさくら満開の真っ只中、次々と沢山でた、マクロのが多かったし、遠く倉敷や京都大阪有馬の桜や枝垂れ、八重桜、名ある老木も出て皆で楽しみあった。
次回5月の例会は都合により5月13日(日)に実施する。テーマは菖蒲、紫陽花、牡丹、藤、水芭蕉等の時季で沢山あり「自由」にする。

宝塚小浜宿まつり

2007-04-07 20:49:13 | お出かけ
のち
一日だけの小浜宿まつり、降りそうな天気だったが初めてなので出かけていった。
小浜は北西南を大堀川に囲まれた地形で城塞のような台地にある。その大堀川の堤道(花の道)の両側は桜満開で小粒であるが夜の花見に備えボンボりを連ね出店も開いていた。
台地に上がるところに2体の首だけの地蔵さん(地蔵公園)と昔懐かしい関取谷風岩五郎の塔がある。石畳の道を上ると程なく毫摂(ごうしょう)寺という大きな寺に着く、この境内が広くここが今日の祭りのメイン会場である。この寺は往時は小浜御坊と称せられた由緒ある寺で江戸時代はこの寺を中心に宿場町として発達、西国巡礼街道、有馬街道、西宮街道、京伏見街道の交差点で商業地であったらしい。豊臣秀吉は有馬の湯が好きで北政所や千利休らを連れてここを途中の宿としていた。
おまつりの出し物は落語、関所破り、子供みこし、大正琴や二胡、和太鼓の演奏、安倉音頭などであったが、途中で雨になり見物人や石ころアート、似顔絵の出店の人たちは大わらわであった。(写真は和太鼓だんじり囃し)
雨になったので街中散歩で皇太神社、本妙寺、法仙寺と回り小浜宿資料館に飛び込んだ。この資料館は宝塚市教育委員会の助けを受け、古代からの歴史資料を蒐め保存しており、北の長尾山系にある17の古墳を発掘しその出土品を展示し、宝塚の名の由来も元禄14年の「摂陽群談」に「宝塚、川辺郡米谷村ニアリ、此ノ塚ノ下ニ於イテ物ヲ拾フ者、必ズ幸ヒアリ、此ヲ以ッテ宝塚ト名ヅクル所以タリ」とある。また武将山中鹿之助の子孫の山中邸(酒造り)、旧井川家等本日特別開放の旧家を回って大変勉強になった一日であった。

児島の塩田王野崎家旧宅と鷲羽山

2007-04-05 15:32:36 | お出かけ

鷲羽山スカイラインを辿ると鷲羽山ハイランドホテルに至る、このホテルに立つと瀬戸大橋北端の基部で、ここより眺める瀬戸内海の眺望は多数の小島を点在させてまさに絶景である。この真下に見えないがあの下津井節で有名な下津井漁港があり、若き頃ここ出身の船員が「下津井港にヨー錨を入れリャヨー 街の行燈の灯が招くヨー」と唄っていたのが思い出させる。今の児島駅の近くに野崎塩田王の旧宅がある。内海の塩田といえば赤穂や坂出しか知らなかったが、この野崎家の旧宅は3000坪の敷地にお成門、書院、長屋、座敷、茶室、土蔵群(写真)すべて指定文化財となっており、天保時代から昭和の初頃までの塩業を紹介した歴史館も併設されていた。高さ1m直径60cmもあろうか岩のような塩の塊や水琴窟の妙なる調べが印象に残った。

倉敷種松山のお花見

2007-04-05 15:26:26 | お出かけ
 家内と共に倉敷に向かった。
倉敷といえば大原美術館、美観地区、アイビースクエア、チボリの公園だが、前に見物しているし、今回はお花見時であるし市の南西にある種松山に向った。この辺りは「倉敷美しい森」と称せられ、中央公園墓地があり、市内や水島コンビナートも一望できる地帯である。折しも桜満開で沢山の花見客が見えていた(写真)。この地から鷲羽山スカイラインが瀬戸大橋に通じており景勝の地である。