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春の信濃路

2005-05-27 16:17:01 | 旅行
親戚に不幸があって急に信州に行くことになった。幸いに3日間ともに晴天続きに恵まれ遅まきながら信州の春を体験することになった。24日昼前に家を出て大阪へ、名古屋までは万博の影響か新幹線も込み合っていたが、中央線に分かれると列車ものんびりと走っているようで車窓の風景も目に入ってくる。中津川を過ぎると馬籠妻籠の山間ひに差し掛かる。明治大正昭和の初期を駈け抜けた文豪島崎藤村の生地である。「破戒」を執筆して名を上げた藤村は小諸に移って「千曲川スケッチ」を書き上げ、晩年近く「夜明け前」を執筆して文豪の位置を安定にした。そんなことを考えているうちに列車は右と左の山肌を割って谷合を北へ進む。雪が消え春を呼んだ山肌は濃淡の畳を敷き分けたような新緑で右も左も否が応でも目に飛び込んでくる。これがつづき時間が立つにつれ、しょぼしょぼしかかったわが老眼もいつしか癒されて視力も上がったよう、そうだ今NHK大河ドラマ(義経)の中の木曽義仲・巴御前の出所はこの当たりかと窓外を見渡す。木曽谷から鳥居峠のトンネルを抜けるともう松本平だ。松本駅は北アルプス登山の玄関口。松本を発車すると左はアルプスの連峰だ。今年は雪が多かったので連山の肩から上は残雪が真っ白く残って素晴らしい絶景を我が目に送ってくれる。
松本平を抜けて再び山間に入る、時折り高下駄を履いたような長野自動車道が垣間見える。冠着トンネルを出ると善光寺平を一望の中に収める姨捨の高所に出る。この真下が田毎の月で有名な千枚田だ、その向うに蛇行するのが千曲川。坂を下り切ると信越線との合流点篠ノ井駅、程なく終点長野に着く。
翌25日忙しいスケジュールの合間を縫って檀家寺の西光寺に墓参に行った。途中のタクシーは珍しく女運転手、20年のベテランという、それらしく長野市の変遷、風物詩を織り交ぜて語り楽しい往復となった。オリンピックと新幹線開通、その後の善光寺のご開帳も終わり、あの沸いたような賑わいも何時しか去って今静かな落ち着きを取り戻した地方都市の姿がある。
今年の冬はお他分にもれず、長野も雪が多く寒さも何時までも春まで引きづった。梅も桜も杏も開花が遅れ名物りんごの花もやっと今終ったところ、戸隠の水芭蕉はいまが一番の身頃という。
見る話の後は食い物の話に尽きる。長野は信州そば、その晩たっぷり一押しのおいしいのを味わった。
翌々26日すべてのスケジュールは終って、あとは牛に引かれて善光寺参りだけになった。
朝のまだ空気の清々しい中に、門前から仁王門の参道を抜けて本堂に参拝した(写真)。
11時親戚旧友に別れを惜しみながら車中の人となる。

古都の奈良

2005-05-23 22:38:30 | お出かけ
 所用があって奈良に行くことになった。大阪に出て近鉄奈良線の電車に乗る。この線は何十年ぶりか、途中石切さんがあって生駒トンネルを抜けると学園前、あやめ池遊園地があった。近鉄奈良駅は地下になって奈良の中心近くにある。所用が終わってしばし奈良見物に入る。
昔は市内一円修学旅行で名所はごったがえしていたものである。京都と違って今は閑散とした人通り、訊くと修学旅行はご時勢で半減、余り見当たらないと思って東大寺に行って見た。やっと学生の群れにぶつかった。若草山の鹿の群れもこちらに集まって、煎餅に飢えた鹿も少し強暴になって来ているようだ。
老体3人の脚を憚って奈良公園内のあちこちの見物は割愛して名勝庭園の依水園だけに絞った。依水園は明治期を代表する回遊庭園で、春日山、御蓋山、若草山三山と東大寺の楼門を借景とした眺め、石灯籠を配した池水に浮かぶ花菖蒲は開花時を迎え妙なる景観であった。





寿会の総会と懇親会

2005-05-18 22:59:45 | お出かけ
 旧会社のOB会である寿会の会合が神戸であったので行ってきた。場所は湊川神社の境内の楠公会館である。
先ず神殿に拝礼参拝して会場に向かう。13時より総会開始、年間の収支を読み上げ全員の承認を得た上で懇親会に移った。今日は来賓6名を加え計73名の出席である。会次第により星野会長の挨拶から始まった。東京からも数名見えており、現会社の役員の現況報告、ブームに乗ったか創業以来の好決算を挙げたと披露される。皆意を強くして珍しく樽酒の鏡割りとなって前途を祝し拍手喝采となり、川島大先輩の乾杯でスタートした。この会でしか逢えない旧友とは何十年の思い出話に花を咲かす。みな年輪の古さをさらけ出して懐旧談は何時果てるともなく続く。2時間の終了時間を知らされてみな名残惜しそうに次回を約して別れた。
次の日曜22日にはこの神社の能楽堂で「楠公との御縁」と題して講演会があり、続いて「青葉茂れる桜井の」合唱や日本の心の歌のコーラス等がある。

神戸まつり

2005-05-15 12:40:38 | お出かけ
 このところよく雨にたたられる葵まつり、御堂筋パレード、神戸まつりではあが、珍しく13,14,15日と晴天続き、ひまを見て14日神戸まつりに行ってきた。お昼近くに着いたが既にフラワーロード、花時計線、京町筋は見物人で一杯である。
お目当ては京町筋のサンバストリートであったのでそちらで待機した。
12時スタート、奴を満載した神輿(だんじり)が次々と現れ見物席の前を駆け抜けていく、櫓上には鉢巻にハッピの若者が鈴成り、中には女性も混じって提灯を振っている。
だんじり行列が終るといよいよサンバ踊りの出番である。カラーフルで色とりどりのコスチュームで現れた踊り手も、狂騒的なサンバのリズムが始まると手足全身をくまなく動かしておどりまわる。観衆も立ち上がってこれに和するので、写そうとするカメラマンもままならない。
強烈なサンバの響きは天にこだましていやがうえに映え上がり、リオのカーニバルにつづけと叫んだ。
震災以来ちょっと元気がなかった神戸も最近のルミナリエや港祭り、今日のサンバ等を見ているとすっかり元気が立ち直ってきたようだ。

一期生月曜会

2005-05-09 22:17:11 | お出かけ

恒例の第二月曜日の昼食会で神戸ハーバーランドの「木曽路」にでかけた。先月の関西一期会で30名が集まった後だけに今日は9名のみの集まりであった。
例によってニュースから級友宮重(渦尻)洋君(西宮市)の訃報が入った。次に4月16日(土)に関東で実施したクラス会幹事の打合せの報告がなされた。決定事項として懸案の学校卒業60週年記念全国クラス大会開催予定日時が平成17年9月28日(水)1300より、開催場所は40周年の時と同じ千代田区平河町の日本海運クラブ、詳細案内状は7月末に発送する。大要は以上である。
関西でという話もあったが、近親者や親戚も多い東京での開催の方が泊りも出来るし集まりも多かろうと考えられる。
その他では今トップニュースであるJR尼崎付近の事故の労使のあり方について、愛知万博へのバスツァ利用での見物、パソコンなしでデジカメとプリンターを購入したが・・・・
今回は話題豊富で老人特有の保健の話は出なかった。


池田文庫と逸翁美術館

2005-05-07 21:59:28 | お出かけ
 雨も朝のうちに上がったので、何十年振りかで上記歴史館へ行ってみた。
池田文庫は阪急の創設者小林一三翁の出生から実業家としての成功、晩年の交友禄等一代記をおさめた資料館である。明治6年(1873)甲州韮崎生まれの一青年が成人して、阪急電鉄、東宝、阪急百貨店、宝塚歌劇の創立、東京電灯、田園調布の開発設とうの実業家として成功したのは夢を追う発想の素晴らしさにあり、関西に楚を固めてからは東京にも進出、昭和32年(1957)84歳で没するまで東西の財界に寄与し、晩年は茶人や文化人とも交流、俳句を吟じ、古今東西の骨董の蒐集でも知られている。
池田文庫を辞して数分で逸翁美術館に至る。美術館はこの日「外国人の目から見た日本人の心」と題して米ストーンヒル大学歴史学助教授ヴーシィ・アレキサンダー氏の1時間半の講話を聴く羽目になった。彼のお話は日本に在留中、日本文化に心髄し特に江戸時代からの絵画に興味を抱き、仏像から禅の世界にまで入る広範囲のもので、流暢な日本語を駆使して説明され、予約の数十名の聴衆から終了後質問が出るほど熱の入ったものであった。この館の展示品は仏教に関したものが多く、じっと仏像と向き合っている女子学生も居り、美しい茶室用の庭も見事であった。
この21日に池田城址で薪能があるので、下見のつもりで城址公園へ回った。そんなに大きくはないがよく手入れされている庭園、天守櫓に続く能舞台とうを見て帰ってきた。