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枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

諦めの心境・・・

2018年10月21日 | Weblog

 沢田研二さんのDVDを、観ていて単純に思うのは、ジュリーマニアと、ジュリー祭りが素敵だなと。個人の感想であり、全体の印象からだが、髪の長いジュリーよりも短い方と、素直な気持ちだ。また、衣装に凝るよりも、歌で聴かせてもらえるのがあり難い。同時に、時は過ぎゆき還らない。

 十代の憧れで、きゃあきゃあ騒いでいたのと、じっくり聴ける年齢になったことの差もある。タイガースの頃からのファンでなく、最近の俄かファンでは、問題外だろう。映像はいいとこばかりのことも、見せ場を選んでのことだとも。それでもシンプルな人間としての、沢田研二さんは素敵だ。

 DVDは、以前には本屋でも扱っていたが、この数年来は、アマゾンの勢いが激しく何でもある。価格の合意で注文し、手元に届いてがっかりのや、満足感の物等、欲しい物は殆ど揃えた。SFの傑作、キャリーやデューン・砂の惑星、ヤング・スーパーマン全巻も。老後は自宅でのロードショー。

 時間を見つけては、本屋に出向き、立ち読みこそしなかったが、表紙とページを捲って買っていた時代は過ぎた。図書館で借りるか、アマゾンに注文する次第。あん は売り切れが続出しているらしく、本屋で注文出来たのが珍しい。ハンセン病を知っていて知らない振りをするより、正しく理解。

 監督の是枝裕和さんや、河瀬なおみさんの腕にも依るのだろうが、役者のひたむきさや、映像の中で溶け合ってしまう不思議さに、心が惹きこまれるのだ。誰も知らない、海よりも深く、あるいてもあるいても、もりのいる場所等、日常を当たり前の、何処でも誰かがを浮き彫りにされていて凄い。

 そして父になる これは書籍で読んだ記憶がある。何と言う惨さであるかと、我が子が取り違えられていたら、と身体が震え、心が凍り付いた。昔のように、目の前で産婆さんが取り上げるのであったら、そうはならなかった。反対に、命の危険性も含んではいた。世継ぎ問題等、煩わしいことも。

 勤務先のテラスに、蟷螂がいて、職員が騒いでいる。地球の上で暮らしているのは人間だけではなし。蟷螂がいて何が悪いか、と思ってしまう。ファーブルになってみたり、シートンに教えを乞う、そんな気持ちは更々ない。山を切り開いて、ゴルフ場を造っておいて、熊が里に下りてくると怒る。

 わたくしはゴルフもしないし、山の中に棲んでいるから、鹿にも猪にも遭う。危険性を言うなら、あちらにだって言い分があろう。でも、怖がって逃げて行く。これが猿だと、歯を剥いて威嚇する。猿は、集団での行動だから、必ずボスがしんがりを務める。こちらが申し訳なくしていると去るよ。

 古里の地形も大幅に変わって来た。人が住まなくなると、道は崩れ、草が覆う。それが当たり前に思えず、都会に出てしまう。便利で快適な生活の裏には、動物達の行き場のない怒りが視えてくる。鹿の鳴き声が響く。バンビも、小さな時には愛らしく思うが、王になるのは簡単な試練ではないな。

 膝に上がろうとして、爪を立てたので叱る。暫くこの格好のまま拗ねて、この後、眠ってしまう。

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長月・土用

2018年10月20日 | Weblog

 秋の土用です。一般的には、夏の土用・鰻を食べるのを言うが、四季を通じてあり、活用範囲も広いのだ。暦を見れば、一目瞭然であり、様々に用途もある。農業を中心の暮しから、サラリーマンへの多様化で、薄れて来たのも確かだ。機械に操られる生活には、必要のないことかもしれない。

 それなのに、季節のイベントだけは、儲けに繋がるのでやる。大量の廃棄処分も含めて、物が有り余る。かと思えば、明日の暮しの目処さえ立たない者も居る。可笑しな世界でもある。然し乍ら、変であるとかを感じない人間の多さで、反対意見を言う者には嫌がらせがされる。まあいいけどね。

 何だか心の乏しい者が、異様に増えてきて、自分のやり方に従わない者には、文句を言うのだ。それも疑問に思えるが、正しいことを行う者に、間違った考えの大多数が、こちらが正しいと言う。判断の基準が全く異なるが、権力に潰される。殺人であろうとも、何等かの手立てを知らぬ間に行。

 公衆トイレを使う際に、後の方が気持ちよく入れるように、配慮している?ドアを開ければ、何これは・・・という状態もある。そこを使わなければいいが、さりとて見てみぬ振りができるか。汚れているのを承知で使う?それとも我慢するかしら。出来る範囲内での掃除を心掛けるが、どうする。

 職場でも、そこら中に手水が散らばっていて、ちょっと拭けば済むことなのに、唖然としてしまう。汚れていたら、綺麗にすればいい。綺麗であれば、その状態を保てるのがいいね。とは思うのだが悲しい。若い者も、年配であろうとも自分のしたことは、責任を取りたい。価値観の違いに呆然。

 オリンピックが始まれば、トイレの使用方法が分からずに、右往左往される方もおいでではないか?片言の英語で、通じるかは別だが、混乱に陥るのは、想像に難くない。加えて、夏の暑さであり、狭い空間には違いないのだ。細かい処迄配慮して、選手達の力が出たり、応援が可能だろうかな。

 日本人のおもてななしには、裏の心はありません。という表示だが、さてどうかしらね。表舞台の華々しさだけを見てでなく、さり気ない裏方の気遣いまでは無理だろうなと思う。自分では気づけないことを、他人が注意してくれたら、素直に聴く態度がほしい。幾ら丁寧な言葉使いができてもね。

 庭の枇杷葉の下で、何本かは咲く。すっきりと立つ姿に、白い色に心が洗われる想いもして。

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雷雨に・・・

2018年10月19日 | Weblog

 勤務を終えて、車に乗った時点では、ぽつぽつだった雨が、帰宅して暫くすると、雨音が大きくなった。凄まじい音も、雷が鳴っているからである。稲光はしていたが遠雷で、ここには来ないというのもあって、のんびり構えていた。朝になったら、じんわりとアスファルトが濡れている。

 先日来、片付けが気になっていて、物を置きたくは無し、増えるのを懸念して整理に掛る。夏物は普段着も一緒に、冬物も秋物と揃える。衣類は、買う必要もなく着れるのは助かる。ウエストも、毎晩風呂場での塩の擦りを遣り、多少は元に戻る。当分は蒟蒻と塩とで続けよう。気長にね。

 以前、一緒に働いていた人が、見れば松葉杖姿である。聞けば、体重過多と言う。こうなったら、相当の覚悟での減量をしないと駄目だ。見かけも入れて、30Kgは減らさないと、命に係わるのにとびっくりした。薬では絶対に痩せない。食時と心掛けが重要となるのは必須。気の毒です。

 天気になったので、庭の落ち葉を掃き、苞の数を見てみた。今年は豊作の年で、たくさん付いているのもうれしい。花芽専用の枇杷葉も、大きく膨らんできた。リエさんのは無論だが、しーちゃんのも付いてはいる。然しこれが結実しない。他の木に換えようか?サンタさんのはまずまず。

 りささん枇杷葉、暁子さんのも実が生りだして、3年目になるので、予想以上の出来だ。枇杷葉は、寒さを嫌い、日陰を避ける。陽当たりの好い場所のは、年々育ちが早いが、新芽が焼けることもあって、伸びない有り様。生態を観察しつつ、記録にも残している。自然からの教えは貴重だ。

 昨日、衣被があると言うので、早速茹でることにした。鍋に水を入れ、芋をそのまま放り込んで、塩を加える。沸騰した時点で火を止め、蓋をして蒸らしておく。粗熱がとれたら皮を剥くと、痒くもなくするりと取れる。水も節約できるし、手間も掛からない。これに味付けをしていただく。

 その日には食べないので、容れ物に詰めて冷凍庫に入れた。大きさは一口大にしておけば、冷凍を切る手間もない。軟らかいい内にしておくのがポイント。講師料はないが、以前何処かの番組で観た記憶がある。食の大切さを言うなら、無駄を省いておくことも大事だ。先ずは、実行する心。

 この頃のすばるの体重は、幾らだったのか?片手で持っていても軽かったが、この頃は重さに無理。

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時間の経過・・・

2018年10月18日 | Weblog

 時は流れ、過ぎたことは還らない。然し、沖縄の土地は、沖縄県民の物で、政府の自由にも、アメリカの思い通りにもならない筈だ。それなのに強引に、強硬に且つ狡賢い手立てで遣る。これが民主主義とあれば、一体何を以って主義の主張をするのだろう。民意も落ちたというより、死に絶えた。

 消費税は、約束だから上げます。憲法も、当選したのだから、当然改革します。これは駄々っ子の言い分。坊ちゃんの我儘じゃない。姿は、人間であっても、怪物に他ならない。心を持たない機械でしかない。ロボットは、生身の者の嫌がることをしてくれるが、労働力を奪う。この先は不安だけ。

 普通の考えであれば、原発の危険性は分っているし、沖縄に基地は要らないのも理解できる。耐震工事の不手際も、ここにきて暴かれているが、むしろ遅かったです。スカイツリーに行った時、言い知れぬ恐怖を覚えたが、こういうことに結びついていたのだと悟る。標語のように謳われると疑問。

 不安や疑問を取り払うために、わざわざ標語を作って、殊更に安全・安心を云う件には、その裏に潜む暗黒面を疑うべきこと。今回だけでなく、これまでにも多々あったことでもある。莫大な金を独り占めしようとすれば、どんな方法でも用い、騙さなければ儲からないでしょう。小賢しい者だよ。

 貧乏は恥ずかしいことではない。税金で何もかも持って行き、蓄えるなどあり得ない。金を持っていないのも、死んだ後の揉め事がなくていい。心配なのは、枇杷葉のことだけ。伐られてしまうのが忍びない。でも、消してしまう訳にもいかずで、さあどうするかな?枝の中心にこんもり苞がある。

 昨夜も一昨日にも、夜半に雨が降った。今朝には晴れてきて、陽射しが明るい。火星も遠ざかりつつあり、夕方に月と観たいのだが、曇ってしまう。その日に出来ることをしながら、明日への準備もしているが、寿命が何時切れるかは判らない。他人のことは視えてしまうが、自分のことは不安定。

 先日、ネットでストールを見つけて、友人に買った。丁度バーゲンの対象だったにもよかった。虹色に変化する、というので注文した。素敵なイメージが湧くが、どうやって纏うの?と不安顔である。真知子スタイルも良し、女優や王妃でもいいじゃないの。スタイルの欠点を隠せていいのと助言。

 少しづつ、慣れてきて甘えだす。寒くなってき始めて、抱っこが増える。この頃には未だ軽かった。

 

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長月、上弦・小潮

2018年10月17日 | Weblog

 少数の者等が、電力は余っており、原発再稼働は否。と言っているのが、今回の九電での調整で判明して、電力会社も裁判所も(裁判官)、結託しての政府の顔色伺いがはっきりした。前沖縄県知事の、弔事に嘘だらけの言葉を連ね、国民を欺こうともしたのだ。蕎麦はいい迷惑であろうな。

 原発再稼働をしなくても、電力の供給には、何等問題はないというのも、謂わば、事実でありながら、自分達への懐が寂しいから稼働させるのだ。放射能が漏れても、汚染水が浄化されていなくとも、無関係と高を括っている。国会議員や、県議への年金も、従来は支給されないのを復活か?

 県議の中には、仕事を遣っている者も居ようが、個人的には金で動くのが相場だ。誰が汗水垂らしてまで、庶民の要望を聞こうか。遊んでいられるとは思わないが、当選回数が増える毎に、横柄で傲慢になり下がる。稲穂のような諺が当て嵌まる者等皆無だ。選挙の時だけ総動員して盛り上る。

 沖縄に、基地は要らない。沖縄の土地は、沖縄県民の物です。アメリカが、日本への強硬手段で取り上げたのです。本来は、詫びてこそ、返すのが筋でしょう。況してや、辺野古への移設・強引な着工等認める訳にはいきません。基本的に違います。政府は態度そのものを変えることが最良。

 千振を、三度程飲み、風邪の症状も治まる。良薬口に苦し、と云うが、全くその通りで、疲労回復にも大いに役立った。咽喉のごろつきを治すには、通草だが、薬にばかり頼る。高齢になっていくと、力も低下するので、鼻かみが上手くできない。従って、咽喉に鼻汁が下りて絡みつくのだ。

 病院は、薬を如何に多く出すかで、報酬も変わるので処方する。新薬は高いので、ジェネリックで済まそうとする。症状は長引き、薬の数は増えるばかり。個人的には医者は信用できず、行かないを決めている。今回も、自然治癒能力を借りて、ゆっくりと治した。免疫も抗体も備わるのよ。

 化学の力や、医学の進歩にケチをつける策はないが、民間療法の中にも、長く続いてきた治療法は多く残る。中でも枇杷葉は、奈良時代から用いて、今日に至る。元はお釈迦さまの時代に遡っていく。枇杷葉が日本に入って、長崎で栽培され、小石川療養所で用いられ、広まって現在に至る。

 ベゴニア。夏場には盛りを迎えるが、あまり目立たない種類で、枇杷葉の陰で生育する。

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隣は・・・

2018年10月16日 | Weblog

 朝のそれも早朝は寒い。すばるの動きも悪い。ストーブを点けてやると、じっとしている。厭々、足元に擦り寄ってきて、何も出来なくなるので。咽喉を鳴らせて丸くなっている。帰宅すると、これは膝に飛んで来る。頭突きを、思いっきりくらわす。服の中に、潜り込んできて甘える。

 図書館に寄って、返却をしたが、何と玄関には休館とある。役場の横着さが、目に余るばかり。これで何回休館の表示があった?給料は町民の税金でしょう。ちゃんと遣れよ!行政に携わる者は、素早く、丁寧に、応対をされたく思う。玄関であれば、そこまで行かずに帰るかも知れぬ。

 樹木希林さんの映像を、観てほしいのだが、パソコンでないと短縮になるらしい。タブレットの使い方が分からないので、返事のしようがない。お悔やみの場面ばかりが出てしまうとか。スマホもあるそうだが、これは画面が小さいそうで。本気で観る気があるのかしら?興味がないのか。

 枇杷葉の、3年育っていたのが枯れ、横から芽が出てきたのが、今年は花芽をたくさん付けている。豊作の年でもあるが、初生りの枇杷葉が多い。通草が絡んでいたり、方角も多々なのに、葉の中心を苞が持ち上げている。今年、花芽茶がたくさん採れそう。リエさんに贈れる。愉しみ。

 林檎の季節になった。林檎は、奇跡のりんごと、カリーナのりんごがある。どちらも心に留める内容で、無農薬なら一度は口にしたい果実。カリーナの願いは届くのかしら?原発の無い、放射線の消えた村に帰れるのかしら?地球が、人類だけの物でないと、皆が気づく世界になってほしい。

 オリンピック開催時の、放射線は制御出来ていると、豪語した首相。嘘ばっかり!詐欺師・ペテン師も、ここまでくればはったりかもと思える。これであれば、世界中の選手が集まって、事故が起きたら、責任は首相が取るんだろう。周りの者が詰め腹を切るのは可笑しくないか。違うっしょ。

 先月の終わり頃から、鹿の鳴き声が鋭く聴こえる。山の中に棲んでいると、当に共存の環境で、猪は徘徊するわ、鹿には遭遇する。最近は、野兎を見かけなくなったが居る。狸も交通事故で少なくなった。夜行性の生き物にとって、車のライトは眩しいらしいので、目が眩んでぶつかって来る。

 陽射しは弱くなってくると、気持ちの好い気温に安心する。昨年のすばるは、こんなに小さい。

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あん

2018年10月15日 | Weblog

 ポプラ文庫。活字が小さいが、内容に惹かれて一気に読んだ。樹木希林さんが、出演されている映画は観ていない。それでも、状況は理解できた。心情が伝わって来るし、季節の移り変わりや、人間の傲慢さに、他人事でもない。健常者であることの、一体何が違うのか?ハンセン病への蔑視。

 長島愛生園を訪ねたのは、初夏の事だった。海の側だけに、冬は厳しく、夏には暑いだろう。ここで。ここから出ること叶わず、命を終えた方々の多さに愕然とした。逃げられないようにと、島と陸とは海に遮られている。ここに橋が架かっても、伝染すると恐れられ、知ることもなかったの。

 子どもなら親から離され、大人であれば家族は村八分だ。言うに云われぬ差別の中で生き、これまでの生活を続けて来られた。胸が押しつぶされるようで、読後暫くぼんやりとなった。作者の想いに心が動き、この映画をきっと観よう、と思う。砂の器は、殺人者になるので、気持が塞いでいく。

 権力と云う名の下には、これまでの歴史で多くを学んだ。ハンセン病・ライ病は、長く隠されて来た病名だ。見つけ出して隔離し、伝染しないようにした政府。薬さえあれば治る病に、国は本気で向き合わなかった。徳江が、わたしにも夢があったのよ。と話す。その権利さえも、奪われていた。

 作中では亡くなってしまうが、樹木希林さんは、予告なしに会いに行かれていた。自分がハンセン病で、強制隔離されていたら、どうしていたのか?徳江のようには生きていなかったことは事実だ。世を恨み、病気を呪って、他人のせいにばかりして、命を絶っていたかも。と、空恐ろしくなった。

 わたくしにできることは、あん を買って、読んでもらうことだろう。価格も然程ではないし、中学生や小学校の高学年には読める。映画も、可能な限り薦めてみようと、できる範囲内でのことで。本屋に注文しに行こう。ドリアン助川さん、引き合わせてくれた樹木希林さん、ありがとうございます。

 この後、本屋に出掛け、5冊注文して帰りました。知人等に配ろうと思っていますが、代金をくださるのは辞退いたしません。それでも読んでくれればうれしい。自分の信念を通すことは、他者へのやっかみや中傷にも繋がり、思わしくないことでもあるが、あんの声が、雲や樹の言葉が聴ければいい。

 安房直子さんの、きつねの窓。この薄紫というか、青い色が出て来る。花は野にあって可憐。

 

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秋深しとなり・・・

2018年10月14日 | Weblog

 秋の名物となっている、濃霧が行く先を隠す。ライトを点け、速度を落としての走行である。勤務の往復に、一級河川があるので、早朝時には発生する。従って、交通法規を守れば、事故の無く行ける。と言うのも間違いで、こちらがそうでも、皆がしている訳ではないもの。気をつけよう。

 車も、仕事に行くから乗るのであって、そうでなければ歩けばいい。尤も、事故に遇うのは昨今では避けられない現状だが。以前にも書いたと思うが、危険回避できる設計にしてほしい。ぶつかる寸前を、避けられる機能搭載。ところが価格が高くなる、とあって、庶民の感覚には乏しい。

 ドリアン助川さんの、あん が図書館にあると分かり、予約して借りた。惹きつけられた。樹木希林さんの顔が浮かんだ。演じているというよりも、略その方であった。話し方にも、動作にも純真さそのままの人物が思われた。ご本人にはお会いしたことはないし、映像なのに万感胸に迫る。

 ハンセン病の物語は、砂の器が、余りにも有名だが、看護師の記録の、小島の春も目を通した。長島愛生園にも足を向けた。施設の中も歩いたり、資料も読んでみた。これは小説であり、フィクションだと分かるが、言葉の中に籠められた、人間の生きざまを曝け出している。監督も主演者も。

 身体が正常であれば、不自由な方への、偏見や差別に走る。人間への差別には、自分よりも弱い者、思考的なことや、宗教もそうだが、異なる相手への蔑視等、優位に立つことによって、哀れんだりをする。本人の責任もなく、況してや親さえにもないのに、ご立派な方々は、優越感に浸るが。

 砂の器は、主人公が殺人を犯してしまい、逮捕に至る過程を描くが、追い詰められていく心が哀しい。わたくしにもきっと、人を殺めてしまう気持ちもある。これほどに酷い国策であったら、悲劇も無くならない。樹木希林さんが、亡くなられたのも、何だか命の終えることを察しておられた。

 そこに書かれてある、一字一句が、日頃からわたくしの話していることと、似ているのも驚きだった。そうねぇ、枇杷葉に話しかけ、お陰を分けて貰い、エネルギーに換えてくれるのもあり難い。心が無くては、失ってしまっては、枇杷葉も育たないのである。宇宙との繋がり、生命の不思議。

 陰に隠れるばかりのすばる。文庫本箱と比べても、小さい。詰りは、隠れていても見つけられない。

 

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三日月懸かる

2018年10月13日 | Weblog

 夕方の天に、眉月が観える。少し、曇っているせいか、実に儚げで頼りない想いがするが、日増しに月満ちる。今月は、火星とのランデブーもあり、金星が姿を明け方に現わすので、天気次第を待ちたい。何が愉しいのか、とも言われるが、月は大切な祈りの対象でもある。セレネ アルテミス 嫦娥

 労働時間8時間には、きっちり1時間の休憩が付く。それ以前には、休憩等問題外でこなしていた。労働基準法に違反すると、数年前から導入された。パートも同様で、勤務時間に因っては、休憩があったり、6時間では出ない。そうすると不平が出て来るのだが、契約時に納得してない。仕事をして。

 誰がどの位というのはないが、若い者は身体が軽い。と思っていたが、これが大きな間違いで、先ず体力が持たないのだ。狡賢いのも居て文句ばかり。動きなさいよ。ちゃんと専門学校に行ったのでしょう。その場の雰囲気を察し、相手の立場に立つことを、教わった筈です。けれども自分本位が多い。

 先日も、食べ物の好き嫌いを言う人が居て、体重だのカロリーだのが摂取できていない。と問題点を書いていたが、自宅に引き取ってもらうのが望ましい。どうぞ、親の言うが儘にされて、贅沢三昧にしてあげれば?施設に放り込んでいて、言うことだけはご立派なのは、何とでも幾らでも可能でしょう。

 毎日、Aさんの献立でやれば、Bさんの文句が出ます。出された物を、感謝して戴く気持ちの欠片もない。自分達で遣ってみれば分るでしょう。持参品は子ども騙しで手作りはなし。365日の生活を支えているのは、子どものあなた達なの?預けていてもいいから、会いに来てください。愛情を注いでね。

 自分を産んでくれた親でしょう。その方に連れ添っているのでしょう。心構えが出来てないです。時代が幾ら変わっても、江戸時代も、平成も人間としては同じ。進化するどころか退化して、自分達で考えることが消えた。人任せではない、心の籠った方法は、人間としての真の姿があるのかもしれない。

 奇跡の人。観返してみた。ヘレンの好奇心に、サリバン先生は物事の基本を学ばせる。ナプキンをたたむ、衣類を着換える、身ぎれいにする、水差しの水を溢せば、汲みに行く。その当たり前のことに気づくこと。物には皆名前のあること。世界中の誰もが知っているヘレン・ケラーだが、真っ直ぐな心根。

 カタツムリ、ナメクジが徘徊する。香りも色も好きで植えたのに、乗っ取られてしまう。

 

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どうにか勤務に・・・

2018年10月12日 | Weblog

 体調も、歳を重ねる毎に、速度が落ちてきて、復帰回復に手間取るようになった。己を知ると言うことは、こういった現実も踏まえてないと、中々立ち上がれない。蒲団にじっと眠っているばかりではなく、ゆっくりとなった動作で、のろのろするばかり。然し、自分では遣っているのだ。

 千振は、最後の特効薬で、いよいよと覚悟を決めて飲む。まあ、それがよかったようで、何とか生き返った。入浴も3日入らなかったし、食欲もわかなかった。食は大切ではあるが、欲がなかったので、口に入れる気がしなかった。牛乳や、珈琲はコップ1杯分を、これもやっとこ飲んだ。

 朝、歯磨きをしたら、そのままであるが、刀豆の赤で遣っておくと、口中がべたつかないのも助かる。ドラッグストアにも置いてあるようで、手軽に買えます。職場にも広めているが、使用している者は少ない。でも、効果は覿面で、最近傍に来ても、臭いがしない。加えて枇杷葉茶を飲用。

 刀豆には、白と赤とあり、どでかい白は、鹿児島の方だが、赤刀豆は津山地方に、多く栽培されている。効力はどちらとも言えぬが、赤の方を使っている。自然の齎す恵みを、上手く取り入れる工夫が大切。たくさんの情報に振り回されることなく、そういった知識を持っている者から吸収。

 今朝は晴れてきた。知人の児が遠足なので、これは有り難いこと。小学校の遠足も昨今は、歩くことが少ない。道端に咲く野の花や、山の色づきにも無関心。車に気をつけましょう。一列に早く歩きましょう。やれやれ、何処が遠足なんだか分からない淋しさ。排気ガスの中を引率する教師も。

 薄も咲いてきているし、空の雲も鰯雲になって、情緒豊かな風情がある。車が引っ切り無しに行きかえば、事故が起きてでは遅くなる。全く、遠足も命がけの行事である。歩きながら、通草を捥いで頬張ったり、野菊を手折ったり、鳶の飛ぶのを眺めたりはしない。遠足は、注意力と筋力かな。

 仕事から帰ったら、出窓の居場所から出て来る。パソコンの部屋は、悪戯が激しく締め出した。

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