枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

師走、天赦

2020年01月22日 | Weblog
 午前中は熱がぶり返して、すばるを抱きつつ眠るが、洗濯をしていないことに気づき、気力を振り絞って起きる。身体がふらふらしているが、汗で濡れたパジャマも着替える。悪夢ばかり視るので、厭な予感もしてくる。この世に未練がある訳でなく、わたくしの大切な方々は、あちらの世界に居るので、どうでもよくなる。

 地震や津波で、最愛の人を失い、心の襞を埋めれない気持ちが解かる。せんなに容易く行政の言うようにはいかない。何も見ても、何かを聴いても、それらの全てがその日に還る。放心してしまうとは、そういうことにもなろう。誰かのために生きていたいと一途に想えば尚、消失感は否めないもの。哀しみも深まっていく。

 黄泉の縁を流離って、何度も呼んでみたけれど、応えてはくれなかったので、この世に舞い戻ってしまった。正直生きているのが辛いのだ。精一杯の努力をし、懸命に励んでいるから、ぶっ倒れるのを分らない。皆、いい加減に手を抜き、お座成りで済ませている。上司が知らなければそれでいいのだ。罪悪感等存在しない。

 枇杷葉で自分を守っているのを、ハイター掃除をすると壊されるので、倒れてしまった。化学品の中でもきついので、注意しているが、職場ではどうすることもできない。自宅では極力使っていない。体調不良になってみて、つくづく厭な臭いだと感じた。無論、吐き気も催す。慣れるとか、仕方が無いとかは別事情である。

 暁子さんの枇杷葉。初花芽でこんなについたのも珍しい。自宅のお隣から飛んできたように思える。

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