二十四節気 処暑 旺盛な太陽も、次第に衰え、暑熱も退くという意で、処暑と言い、天地清く、爽やかとなる。毎年、八月二十三日頃である。今朝は、網戸にしている方が気持ちが好い気温だ。すばるも知っていて、出窓に陣取って温もっている。身体のだるさが抜けずで、のたのたしている。そろそろリエさん等が帰国する。
若い時の気力と、老齢になってからの体力には、大きな開きがあるのを分っていた心算が、真夜中を過ぎた頃から、熱は出るわ、汗も噴き出すわで、トイレに籠ってしまう。激しい嘔吐に、エネルギーが噴出してしまう。勤務先にやっとの思いで、休むことを告げダウン。気づいたら昼が近かった。連絡しておいてよかった。
夕方からの外出は、今後は控えよう。映画館は貸し切り状態で、冷房はきっちり効いているので、上着やストールをしていて良かったが、時間的な事から、ゆっくり夕食が摂れず、コンビニで済ませた。弱っていた胃腸に覿面であったらしい。夏バテも含まれるのかも知れん。出不精が行くのは図書館が丁度好いのだ。実感です。
まあ、映画はそれなりに楽しかったし、実写版で怖いという言うことも無かった。作り物と分かっているので、観ている分には気楽だった。アラジンも実写版が、未だ観えるそうだが、これはシンデレラが最高で、あまり興味が湧かない。スターウォーズも、やっと最終章が上映らしいが、配役や内容にしっくりこない疑問だ。
詰りは、前宣伝が賑やか過ぎて、展開にも無理があることだろう。ルーカスの才能には、心の深い部分で、共感してきたところが多い。ところが監督が離れてからは、戦闘にばかり流行っていて、どうにも納得できないことに尽きる。ルーク・レイア、アナキンの家族への生い立ちが観えない。悪には善があり、闇には光がある。
はだれ雪。赤穂浪士の話も、定説でないのも然りだ。大石内蔵助の、残される家族への想いや、浅野内匠頭の感情に触れて、読み応えがある。平岩弓枝さんは妻・りくを書いていたが、赤穂浪士が義に強く、主君を思うだけの話よりも面白かった。古人の女性は、男性でも適わぬ思考を持ち合わせていたことに、想いを馳せる。
田中正造をを辿る終着点は、古川庭園だった。晩秋の彩濃い佇まいに、保存されているのが素敵だった。