何も、ここだけの話ではない。本が趣味の者にとっては、何時もがそうなのだ。テレビのくだらなさに比較できない、面白さがある。原作と、映像の差に少なからず、ショックを受けている身であれば、活字の素晴しさは、例えようがないのだ。
アシモフの『我はロボット』、スーザン・キャルビン博士の語る、其々の主人公は、魅力が多い。これを、中学生の私は、少なからず衝撃を受けて読んだ。ロボットは裏切らないのも、人を信じられないことでは、大いに感動的であった。ロビィ。
グローリアとの拘り、ロボット法三原則の戒め。人間が考えた掟であるにも拘らず、ロボットは機械であるが故、守らなければならない。ロボットには、心がないか?相手を思い遣ることはできないのか。人間を守り、自分をも守ることの選択。
介護フェスタ当日に、手に入らないだろうと想っていた、チケットが届いた。チャイコフスキーなので行きたい。勤務希望を出していたら、行けるようになった。マリス・ヤンソンス指揮のも行きたい。CDも持っているが、本物は音が違うんです。
犯罪者の心理は理解できないが、ドボルザークの新世界をかけながら、表情も変えないでやれるとしたら、人間業ではないようにも思えるが。天才は孤独であり、神は独裁者でもある。宇宙の摂理は難解であるが、構造は神秘的な要素。
人間が殺意を抱くのは、短絡的なスイッチが、ずれて入った時だ。感情と理性との隙間に、闇が広がった瞬間、悪は一瞬にして心を掴む。その痛みに耐えかねて、引きずりこまれてしまう。気づけば闇に落ちている。次には這い上がるのみ。
昨夜は、夜半に雷雨があり、近くに落ちたかも、と思える停電。パソコンが壊れたかと心配したが、無事でよかった。桑の木が助けてくれたらしい。来月はプラと瓶当番がある。年寄りの困ったのは、口は出すが役立たずが多い。特に男性。
最初に植えた所は、いつの間にか枯れてしまった。ここは挿し木で育って、大きくなった。白もいいが、真紅もきれい。