自然災害への防備には、前兆があるもの。そういった小さなことを、見逃さない心の必要さを痛感する。文明の機器に頼り過ぎると、思わぬ危険がつく。自然の力を借りることは、体内に取り込んでエネルギーに換え、違った形で還すこと。
台風の接近で、職場の者が早く帰りたい、と言うので、勤務を変わった。帰宅する頃が一番の雨で、風は然程でもなかった。家に着いたら、鉢の枇杷苗が傾いていたくらいで、被害は少なくありがたい。まあ、安普請なので、家が飛ぶくらい。
日蓮上人忌。以前、右手に陽を、左手に月を乗せていたことがあって、自分でも何でそうなったのか、記憶が飛んでいる。超常現象は、どういった弾みで起きるのかは不明だ。魔法とも云えず、魔術でもない。現実的でないのは確かだが。
何がどうなって起きるのかが、わかれば不思議ではない。時間の隙間が出現するのか?こちらがあちらに潜り込むのか。芥川龍之介は、羅生門や蜘蛛の糸を、どうやって書いたのか。謎が深まる。地獄編にも、まるで往ってきたような・・・
小説の醍醐味は、嘘を真実に思わせることだが、現代のようにコンピューターでの操作ではない。それでいて、実にリアルな表現だ。芥川賞を設置した意味がわかる、というものだ。摩訶不思議な出来事というけど、体験者は少なくない筈だ。
今年は、桜の開花が多く見られる。何時もは咲かない木にも、ちらほら見える。何かの前兆に思えてならない。理由もないし、わかることも少ないが、気にかかる。酷く殺伐とした意識で覆われている。何だか、生きることに疲れて、眼を閉じたい。
友人にもらった枇杷苗を、玄関の向って右に、3本植えた。夏だったので、枯れるか心配だった。無事に育っている。