勤務を終えて、帰路図書館に寄る。南口の桜の木に、花が咲いている。きっと誰も気づかないんだ、と立ち止まる。近年は珍しくも無い、桜の開花だが、自然からの警告に思えてならない。南海トラフも、何時のことか断定できないから、原発再稼動するそうだ。
なんでもそうだ。殺人も、凶器や動機の裏づけが無くては、立証できない。黙秘権もある。けれども、人としてはどうだろう。嘘をついてまで、自分を守れるものではない。例え、裁判で心身喪失での無罪になっても、遣った罪からは逃れられない。其れもまた、罰。
芋茎には、茎の色に赤、青と白があるそうだ。今まで、赤と青しか知らなかった。芋茎は、産後の癡を下ろすと言い、もち米を引いた団子汁を作って食べる、その中に、乾燥させているのを入れていた。この時期に芋を外し、茎の皮を剥いて干す。灰汁が強くある。
介護フェスタに向けて、準備があり、色々整作もある。そういった時に、栗をどっさり持って来るので、つい栗ご飯を作る羽目に。今晩は、皮剥きをしておかねば。口は禍の元。個人的には、栗はそれだけで食べたい。子どもの頃には、嫌いで穿り出していたもの。
通草の種だけを漬けてみようか、と思い立つ。無論、水では洗わない。柚も、種を洗わないのが好いそうで、皹や手荒れに効果がある。化粧水にもなるようです。枇杷葉ローションが合っているので、使ってはいない。薬草辞典が大いに役立つ。自分に合う物を。
白枇杷にも、たくさんの苞が見えてきた。結実すれば、送ってあげれるが、自然任せでわからない。生葉や花芽だけを、採る木を決めておこう。今年は、剪定をしつつ様子を見ることに。山茶花の蕾も膨らんで、少しづつ秋の気配を濃くしていく。十三夜も近い。
毎年、見事な華を咲かせる、真紅の薔薇。挿し木で増やしているが、愉しみでもある。白もきれい